9話 溢れすぎている家族愛
カインが先に帰ってしまうのは、今日に限ったことではない。
最初は戸惑っていたアルトも、今は慣れたように着席しているし、距離を置いて見守っている使用人も黙認している。
「先日アルト様に教えていただいたように、ミッシェル産の紅茶とセキーナ産の薔薇ジャムを合わせてみたら、とても美味しかったですわ! 砂糖より香りが良くて、甘さも丸みが出て何杯でも飲めてしまいそうです」
「庶民向けのブランドなので心配でしたが、お口に合って何よりです。カトリーナ嬢は本当に甘いものがお好きなのですね」
「甘いなら全部良いというわけではございませんわ。アルト様のセンスがとても私好みなのです! あ、申し訳ありません。はしゃぎすぎてしまいましたわ」
カトリーナは扇子を広げ、さっと口元を隠す。
アルトの容姿はカインほどきらびやかでは無いが、優しい目元と穏やかな口調もあって、どうも気が緩んでしまう。
「自然体でとても親しみを感じますよ。カイン殿下の前でも、煽るようなことはせず、そのようになされば良いのに」
「煽るってなんのことかしら? それにきっと素で振る舞ったら、カイン殿下からは次期王妃らしくないと気品のなさに失望されるわ。だから内緒にしてくださいませ」
天真爛漫で許されるのは、物語のヒロインのみ。
下手に素の性格がバレて、カインから興味を持たれてしまってはシナリオから外れてしまう。
そういう悪役令嬢の逆転溺愛ルートは、この物語で望ましくない。待望の断罪スチルが見られなくなってしまうし、最悪国が滅亡する。
カトリーナは念を押すように、人差し指を口元に立てた。
「アルト様、今のお話は秘密で頼みますよ?」
「ふふ、分かりました。秘密ですね」
アルトは優しい目元をさらに細めて、くしゃりと笑った。
カトリーナは、キュンキュンなる胸の音を必死に抑え込む。
(あぁ、疲れが消えるようだわ!)
ゲームのモブらしくスチルの背景として、アルトは今もカインほど美形ではない。
ただ、笑顔の癒やし効果が尋常ではない。癒やしを求め、カインが帰ってしまったあと、こうやって一緒にお茶することが恒例化しつつある。
(最初は警戒心が凄かったけれど、池ポチャ事件で助けてから懐いてくれたのよね。カイン殿下を騙すために呟いた性悪な言葉も聞こえていたはずなのに)
カインに従順でありつつ、アルトは流されることなくカトリーナに友好的だ。
すると、アルトがため息を零した。
「カトリーナ嬢がこんなにも素晴らしい方なのに、まだカイン殿下は気付かないのが不思議でなりません」
「過分なお言葉ですわ。やはりカイン殿下と比べると劣りますから」
勉強面は前世のお陰で今のところギリギリ勝てているが、オセロと同じく気付いたら追い越されていることだろう。
乗馬のセンスも、ダンスの華麗さも、ピアノの腕前も、どれもカトリーナより上。
それだけカインは未来の国王になるべく、絶え間なく努力を続けている。
一方でカトリーナは、次期王妃として期待を寄せる人を悲しませると知っていて悪道を突き進んでいる状態。
(理想の結末が見たいという私欲のためにカイン殿下の劣等感を刺激して苦悩させ、家族愛も利用している私が素晴らしいわけないじゃない。アルト様ったら、カイン殿下の騙されやすさが似ちゃったのかしら?)
カインが悪巧みをしている貴族に騙されることなく清廉潔白なままで居られているのは、慎重派のアルトの助言があるからだと読んでいるが、似てしまっては少しばかり心配になる。
最近また、カインの周囲を嗅ぎまわる気配があるからなおさらだ。アルトにはできるだけ、カインの側にいて守ってほしい。
「そろそろ帰りますわ。あまりアルト様をお借りしていると、カイン殿下に怒られそうですもの」
「では出口までエスコートさせて下さい。お手を」
「ふふふ、ありがとうございます」
差し出されたアルトの手に、カトリーナの手が重なる。談笑しながら、ふたりは温室を出た。
(いよいよ来年学園に入学し、本編がスタートする。極上のスチルが待ち遠しい気持ちにブレはないけれど、こんな平和な時間もできるだけ長くすごしたいわ)
矛盾する気持ちを抱きつつ、カトリーナは王宮をあとにしたのだったが――アルトにエスコートされて馬車に乗り込む彼女の姿を見る者がいた。
「どうして毎回、カトリーナの見送りはアルト殿なんだ? カイン殿下は一体何をしているんだ……!」
そう呟いた妹と同じ赤髪を持つウィリアム・クレマのこめかみには、青筋が浮いていた。
***
「カトリーナが、カイン殿下から虐げられているかもしれません」
クレマ公爵家の跡取りウィリアムは自他ともに認めるシスコンだ。
彼はカトリーナが王都のブティックに行っている時間帯をねらい、両親を応接間に呼んだ。
「カトリーナが虐げられているとは!?」
クレマ公爵が、息子に地を這うような声色で問いかけた。
ウィリアムの眉間の皺がぐっと深まる。
「この数か月、馬車乗り場にカイン殿下が見送りに来ないんです。毎回アルト殿がエスコートしている状態でして……」
二十歳になったウィリアムは父の代理として、書類の提出や会議参加のため登城する機会が増えていた。
偶然にも彼が通る廊下の窓からは、カトリーナとカインがお茶会をしている温室へ続く外回廊を眺めることができる。
今ごろカトリーナは、カイン殿下とのお茶を楽しんでいる頃だろうか。そんな妹思いの気持ちを抱いて、廊下を歩いているときだった。
なんとカトリーナを馬車乗り場にエスコートしているのは、婚約者のカインではなくアルト。
しかも茶会が終わるにしては早い時間帯だ。
『カイン殿下に急用ができたのかもしれない』
その日は気にせず、ウィリアムは愛しの妹の姿を見送った。
だが次の週も、その次の週もエスコートしているのはアルトではないか。昨日の目撃を入れたら、六週連続。
どう考えてもおかしい。
「カイン殿下は、途中で茶会を離席して戻ってこないようなんです。アルト殿が引き継ぐように相手をしてくれているようなんですが……カイン殿下のカトリーナ放置は常態化しているかもしれません」
「なんということだ……!」
「そんな。旦那様、カトリーナが可哀想だわ」
ウィリアムの報告にクレマ公爵は憤りを見せ、クレマ夫人は悲痛の面持ちを浮かべた。
カトリーナはクレマ公爵家の天使だ。
誰よりも愛らしい容姿は、そこに存在するだけで世界に彩を与える。
家庭教師が絶賛してやまない頭脳と、優雅な仕草。
貴族の令嬢が寄らないような厨房に堂々と入る胆力に、医者ですら半ばあきらめていたクレマ夫人の体調を改善させたヒラメキ。
クレマ公爵家の令嬢ならそれらはできて当然と、謙虚さも忘れていない。
カトリーナの侍女ネネの成長ぶりを見れば、主人としての力量も申し分ない。あの使用人教育法は誰にも真似できないだろう。
人気のオペラを貸し切りで見たいからチケットを買い占めてほしいと頼んできたり、気に入らない令嬢を裏で陥れたりと……少々(?)我儘で、やや(?)過激な一面はあるが、それも些細に感じるほど妹は素晴らしいとウィリアムは思っている。
そしてカトリーナを自慢の家族と思っているのは両親も同じ。
「父上、母上。気の強いカトリーナが、こんな屈辱を味わわされているのに黙っている……屋敷でも平然としていることから、俺たち家族に心配かけまいと我慢しているのでは? 自分から婚約を望んだ手前、カイン殿下に蔑ろにされていることを俺たちに相談したら悲しませると思っているのかもしれません」
「「!!」」
他人に容赦がないが、カトリーナはどこの家門の令嬢よりも家族思い。まだ成人の前なのに、日頃から親孝行に余念がない。
もし家族のせいで言い出せずにいるのなら……。
「俺たちから動きませんか?」
ウィリアムは神妙な顔つきで、両親を窺った。
娘を愛してやまない両親は、当然のように力強く頷きを返した。
「もしカイン殿下がカトリーナを軽んじていたら婚約解消だ! 王子なんぞ捨ててやる!」
「私はカトリーナを慰め、癒す準備をするわ!」
「父上! 母上! では、カイン殿下追求作戦といきましょう」
こうして家族会議は、婚約解消を前提に動き出す方針で決まった。