6話 悪役令嬢的教育
アルトはモブだとしても、カインの成長を支えてくれる影の重要人物。
それは数回顔を合わせただけのカトリーナでも分かるほどだった。
アルトはまだ不慣れな手つきながらも、カトリーナとの茶会でカインが快適に過ごせるよう考えながら動こうとしていた。
カインも心地よさそうに受け入れていて、それがアルトも嬉しいのか、ますます頑張る健気さが可愛くて可愛くて……。
原作通りの結末に世界を導かないといけないというプレッシャーの中で、アルトは見た目も行動もカトリーナの貴重な癒しとなっていた。
(アルト様をいじめるなんて許さん!)
そんな思いで池に飛び込んだカトリーナは、水の冷たさに驚く。
(こんな冷たい池にアルト様は落とされたのね。可哀想に……大丈夫ですよ。私がきっちり懲らしめてあげますからね)
池の水で冷たくなるどころか、さらに闘志を燃やしたカトリーナはしっかりとした足取りで陸へと上がった。
そして胸いっぱいに息を吸い込み、腹に力を入れた。
「きゃぁぁぁぁあああああああああ!!」
カトリーナの悲鳴は、庭園で響き渡った。
その声は窓が開け放たれた小ホールだけでなく、保護者が集められていた二階の部屋にも届く勢い。
令息たちは状況が飲み込めず、その場でオロオロするばかり。
その間にも、王城側から多くの人が駆けつける。一番に到着したのはカインだった。
「カトリーナ!? 大丈夫か!? しかもアルトまでそんなに濡れて!?」
カインはすかさず、水浸しのカトリーナとアルトに駆け寄って無事を確かめる。
さすが正義感溢れるメインヒーロー。大勢に囲まれていたのにもかかわらず振り切って、使用人や護衛よりも先に到着する足の速さだ。
もちろん王子がそんな飛び出し方をするものだから、彼を追いかけるように大勢の人も集まった。
カトリーナとアルト、カインに令息たちを囲むようにギャラリーが出来上がる。
(狙い通り……!)
どういう状況なのか、悲鳴を上げたカトリーナに周囲の関心が集まった。
するとカトリーナは顔を俯かせ、震える指先を令息たちへと向けた。
「カイン様……彼らが……彼らが……池に!」
「まさか――! 貴様らがカトリーナをこのようにしたのか!」
カインは立ち上がると、目を吊り上げて令息たちを睨みつけた。
令息たちの方がビクッと飛び跳ねた。彼らは困惑し、それぞれの顔を見る。
その間もカインの追求は止まらない。
「令嬢をこんな目に合わせるなんて、どういうつもりだ! 紳士であるべき貴族の生まれとして、恥ずかしくはないのか!? アルトがいなければ、大変なことになるところだったではないか!」
カトリーナが誘導した通り、カインは『令息たちがカトリーナを池に突き落とし、アルトはカトリーナを助けて水浸しになっている』と思い込んだようだ。
令息はカトリーナをキッと睨む。
(何よ。嘘はひとつも言っていないわ。令息三人を相手に、令嬢ひとりで正面から行くわけないじゃない。さぁ、君たちはどうする?)
睨まれたカトリーナは怯えるふりで、肩をビクッとさせた。
周囲はすぐに令息たちに非難の視線を向け始める。
「可哀想なカトリーナ様」
「もしかして自分の妹たちが婚約者になれなかった腹いせで?」
「いくらカイン殿下の親戚でも、カトリーナ様に手をだすなんて……」
令息たちの顔色は、ますます悪くなっていく。
どうやらいじめのリーダーは、カインと親戚らしい。カインの血縁者だからこその大きな態度であり、血縁者なのに格下の令息アルトに出し抜かれ、プライドが傷ついたゆえの行動だったようだ。
「あ、いや……俺たちは……何も」
「何もしなかったら、こんな状況にはならないだろう。私の婚約者に乱暴を働くような人だったとは、貴様らには失望した。今後の付き合いについては――」
「お待ちください! 俺たちはカトリーナ嬢には何もしてません。俺らが池に落としたのはアルト殿だけです! カトリーナ嬢は自ら飛び込みました!」
令息たちは揃って両膝を地面につき、許しを乞うようにカインを見上げた。
カトリーナは格上の公爵令嬢であり王子の婚約者。一方でアルトは格下の伯爵家の令息であり、側近候補でしかない。
アルトを害したと認めた罪のほうが、まだ軽いと判断したらしい。
「カトリーナ、彼らの言っていることは本当か?」
「……はい、カイン殿下。アルト様が池に突き落とされたので、私は助けようと」
「逆だったと……アルト、真か?」
「はい。カトリーナ嬢が、溺れかけていた僕を助けてくれました」
カトリーナが池に飛び込んだのはあとのタイミングだが、アルトは合わせてくれた。
「……そうか」
カインは大きなため息をついた。
その肩の力を抜くような仕草が、令息の目にはカインが『カトリーナが害された大事ではなくて安心した』という安堵に映ったのだろうか。
「ちょっと悪ふざけしてただけなんです。な?」
「そうそう、アルト殿があまりも弱くて」
「池に落としてしまいましたが、これは事故なんです」
令息たちはヘラヘラとまた薄っぺらい言い訳を並べた。
だが、それはカインに油を注ぐだけだった。
「事故? アルトを突き落としておいて、その悪びれる様子のない態度はなんなんだ?」
「ひっ」
「しかも突き落としておいて、助けたのはカトリーナだと? どうして貴様らが助けないんだ! アルトがそのまま溺れて良かったとでも!? ふざけるな!!」
カインは大股で前進すると、リーダーの胸元を掴んだ。8歳と言えど、ヒーロー補正のかかった力は強い。
完全にリーダーは怯んでしまった。
「アルトは私の生活を支える大切な従者であり、片腕にするべく選んだ者だ。アルトを傷つけるということは、私の腕を傷つけるのと同じ。貴様は、貴様が原因で私が腕を失っても良いというんだな?」
「あ、いえ、そんなつもりは――」
「なら、どうしてアルトを池に突き落とした?」
「~~~~カイン殿下に選ばれたアルト殿に嫉妬したんです。だってアルト殿の目の色は」
「くだらない。どんな色をしていようが、貴様の目のほうが曇っていることに間違いはない。王家とカティエ伯爵家で相談した上で、正式に抗議させてもらう。今日は帰れ」
乱暴な行動に反して、カインの声は冷たく平坦。取り返せないほど失望し、見限ったと察するには十分。
親同士では切っても切れない政略的関係があるかもしれないが、少なくとも次期国王となる人物からの信用をなくしたことは、未来に影を落とすに違いない。
リーダーは地面に突っ伏して泣き出し、残りの令息は魂が抜けたように放心した。
そんな彼らなどどうでもいいとばかりに、カインはカトリーナとアルトのもとへと戻ってくる。
まずカインはアルトの両肩に手を優しく載せた。
「アルト、溺れかけたといっていたが大丈夫か? 胸は苦しくないか?」
「大丈夫です。すぐにカトリーナ嬢が引き上げてくれたので」
アルトは弱々しいものの微笑みを浮かべてみせた。
今度こそカインは安堵で肩の力を抜いて、アルトをぎゅっと抱き締めた。
素晴らしき主従愛。
そうカトリーナが胸をときめかせていると、カインの視線が彼女へと移る。
「カトリーナ、君の勇気のお陰でアルトが助かった。感謝する!」
キラッキラの眼差しが、カトリーナに浴びせられた。
(眩しくて浄化される~……じゃない! 私はカイン殿下から好かれたらだめなのに!)
警戒される状態が望ましいというのに、カインからの好感度の高まりをひしひしと実感する。
正義感の強いカインが、体を張ってアルトを救ったカトリーナの勇敢さに心打たれるのは当然のこと。
この王子は、ぶっちゃけてしまうとチョロいのだ。
もしカトリーナに惚れて、本ヒロインと結ばれないことがあったら大事件。
国の滅亡回避かつ神スチルを確実に拝むためには、悪役令嬢は嫌われ役を貫き通すべきだ。
カトリーナはカインを無視して、項垂れている令息たちに恨めしい視線を向けた。そしてカインとアルトにだけ聞こえるような声量で呟く。
「どうして本当のことを言っちゃうのよ。黙ってくれていたら、カイン殿下に慰めてもらえるのはアルト様ではなく私だったのに」
「……カ、カトリーナ?」
カインは顔を引きつらせ、問いかける。聞き間違いで合ってほしいと願っている顔だ。
それにカトリーナは晴れ渡った笑みを返す。
「あら、独り言のつもりだったのに♡ 自ら池に飛び込んだのが無駄になったのが悔しくって思わず」
「へ?」
カインは衝撃を受けた顔で固まってしまう。
アルトは「どうして?」と訊きたそうな眼差しを送ってくるが、正直に答えたらカインの好感度を上げてしまうので見ないふりをする。
「それでは濡れたドレスが気持ち悪いので、失礼しますね。皆さま、ごきげんよう」
カトリーナは優雅に礼をすると、その場をあとにした。
アルトを突き落とした家門の令息は、一年の登城禁止令が出たそうだ。友人選びとして大切な期間でのその処遇は、カインの側近というエリートコースが閉ざされたも同然。
子ども同士で起きた問題であり、格下の家門相手のいざこざとしては厳しい罰が下された。
(まぁ、カイン殿下の怒りは凄まじかったものね。さすがヒロインを守り、悪役令嬢を断罪する王子様。子どものうちからあの迫力。私が断罪されるときはもっと凄いのでしょうね。楽しみだわ♡)
未来を想像し笑みを零したカトリーナは、次の計画のために裏庭に向かった。