5話 婚約発表
婚約が内定してから三か月。
王城の小ホールでは、伯爵位より上の家門の子が集められていた。
六歳から十歳までと、選ばれたのは第一王子と同世代の子どもばかり。今日は交流会という名の、カインの友人探しの場となっている。
令息は側近になるべく、令嬢たちは婚約者に選ばれることを夢見て、家門の期待を一身に背負って参加していた。
特に複数選ばれる側近とは違い、婚約者の席はひとつだけ。カインの目に留まろうと令嬢たちは着飾り、可愛らしい笑みを浮かべて主役の入場を待っている。
しかしカインがホールに現れたと同時に、令嬢たちの笑みは消えた。
なんと憧れの王子は、赤髪の美しい少女をエスコートしながら入場したのだ。しかも彼女が着ているドレスは、カインとお揃いだった。
「今日は集まってくれてありがとう。初めて顔を合わせる者もいるから、自己紹介しておこう。私がアッシーナ王家の第一王子カインだ。そして隣にいる彼女はクレマ公爵家の令嬢カトリーナ。彼女が私の婚約者となったことを、ここに公表する」
「カイン殿下の婚約者になりました、カトリーナ・クレマでございます。どうぞよろしくお願いいたしますわ」
ざわっと、ホールがどよめいた。
カインとカトリーナの婚約を外部に明かしたのは今日が初めてだ。現在国王の側近を務めている家門以外には寝耳に水。
ほとんどの令息と令嬢は拍手も忘れて、困惑の表情を浮かべてカインとカトリーナを見つめている。
今ごろ別室に集められた親たちも、国王とクレマ公爵から婚約について聞かされ、驚いているところだろう。
(さすが乙女ゲームの世界。可愛い子ばかりだわ。交流会の前にカイン殿下と婚約できて本当に良かった。他の令嬢に割り込まれるなんてしたら、とんだシナリオ崩壊だもの。可愛く着飾った子たちには悪いけれど、婚約者の座は私がもらったから)
カトリーナは勝ち誇った笑みを浮かべてみせた。
すると、すぐに令嬢たちから鋭い視線が集まる。
しかし悪役令嬢になった気分が高まり、カトリーナの機嫌が損なわれることはない。
「カイン殿下、どうぞ令息たちと交流を深めてきてください」
挨拶を終えてすぐ、カインにこんな提案ができるくらいには気分が良い。
「本当にいいのか?」
「どうしてですか?」
「……令嬢から睨まれているが、大丈夫かと思って」
こそっと小声でカインが確認してくれる。
嵌めるように婚約を結び、オセロで容赦なく負かしてきた相手にもかかわらず実に優しい。カインは理想のヒーローであり、推せる。
だからこそカトリーナも悪役令嬢の役割をきっちり果たしたい。
「カイン殿下に心配してもらえるなんて嬉しい♡ この程度の嫉妬、可愛らしいじゃありませんか。ふふ♡ どれだけ睨んできても、婚約者は私という事実は変わりませんのに」
「そ、そうか。大丈夫なら、私はいってくる」
今からカトリーナは危ない女だと刷り込んでいく必要がある。
少し悪女っぽく微笑めば、想定通りカインは若干引き気味で令息の輪に入っていった。あっという間に歓迎ムードが広がり、カインのまわりに花が咲いた。
よしよし。きちんと未来の側近であり、他の攻略対象の姿も見える。
(みんな美男子すぎる♡ どんなに攻略しても手に入らない希少スチルを拝めるなんて、本当に転生先がカトリーナで良かったわ! でもやっぱり一番人気のカイン殿下が抜群に顔が良い。いつまでも見ていたい……けれど、そうはいかないようね)
一方でカトリーナに対して、友好的とは言い難い視線が飛んで来ている。
ほとんどが、どうカトリーナと接すればいいのか困惑しているものだが、当然のように攻撃的なものもある。
「カトリーナ様、ごきげんよう。ベネット侯爵家のミレーヌでございます」
令嬢ミレーヌが、嫉妬と怒りの眼差しを隠すことなく声をかけてきた。
(確か同い年だったわね)
侯爵令嬢となれば、カインの婚約者候補の筆頭ともいえる。
そして本人も選ばれるつもりで準備をしてきたはずだ。だというのに、選考の土俵に上がる前に負けが確定したのだがら、カトリーナが気に食わないのだろう。
「ミレーヌ様、ごきげんよう。声をかけてきてくれて嬉しいわ」
「どんな手を使って、カイン殿下と婚約したんですか? 異例の速さでの婚約なんて……おかしいですわ」
何か事情を探るなり、皮肉を言われる覚悟はしていたが……あまりにもストレートな物言いに、カトリーナは一瞬だけ呆けてしまう。
(カイン殿下のことまだまだ子どもと思っていたけれど、大人びている方だったのね。そうよね……これが普通の八歳よね? もう少し私も子どもらしく、真っすぐな言い方に調整しないと)
カトリーヌは自身のキャラ設定を改めると、早速ストレートにお返しすることにした。
「私が選ばれるって、おかしいかしら? 当たり前だと思ったのですが」
「当たり前!?」
謙虚さの欠片もないカトリーヌの返答に、ミレーヌは目を丸くした。
ふたりを見守る他の令嬢たちも、ぽかんと口を開けて驚いている。
「だって私には長い歴史を持つ公爵家の血が流れていますわ。王家を除いて、私より尊い血を持つ令嬢はいるかしら?」
「――で、でも妃の素質は爵位だけじゃないってお父様が」
「教養のこと? 私はアデリカの定理まで終わらせたのですが、それでも足りないとでも?」
「アデリカの定理なんて、お兄様だってやっと習得したばかりなのに……」
「あとは、容姿かしら? お父様は可愛いと言って着飾ってくれたのだけれど、麗しいカイン殿下に見劣りしまして?」
カトリーヌの顔立ちは、『宝石』として親世代では称えられたクレマ公爵夫人の美貌をしかと引き継いでいるのだ。
文句のつけようがない美少女。
ドレスとアクセサリーも一流のものが選ばれており、カトリーヌの魅力を華やかに彩っている。会場で一番可愛いという自信があった。
「……っ」
何も反論できないミレーヌは口を閉ざし、優雅な笑みを保つカトリーナを睨むことしかできない。
誰がどう見ても勝敗は明らか。
「カトリーナ様、改めて婚約おめでとうございます」
「現時点ですでにカトリーナ様以上に殿下に相応しい人はいないという、陛下の判断はさすがですね」
「カトリーナ様の今日のドレスについて、聞いても良いですか?」
年上の令嬢を中心に、カトリーナを一気に囲む。勝てないのなら、敵対するよりすり寄った方が良いと子どもなりに判断したのだろう。
幼いけれど損得勘定ができる身の振り方に、ここが貴族の世界だと痛感する。
(原作カトリーナには心許せる友人がいなかったはず。これほど下心丸見えで近付かれたら、確かに相手を信じられないわよね。悪役令嬢として存在感を示すためには派閥の仲間は必要になってくるから、割り切って繋がりを作るけれど)
死んで終わりではなく、カトリーナに転生できたことは幸運だと思っていた。
原作のハッピーエンドを目指す生き方も楽しいし、現実世界への未練も薄い。
ただ、前世では友人には恵まれていたという自覚がある。それがもう手に入らないと思うと、少しだけ寂しさを覚えた。
(ううん、今はセンチメンタルな気持ちに浸っている場合じゃないわ。切り替え切り替え!)
カトリーナを囲む令嬢の中には、攻略対象の未来の婚約者もいる。彼女たちは他のルートでは悪役令嬢のポジションになるが、カインルートではカトリーナの取り巻きとなる令嬢だ。
「祝ってくれて嬉しいわ。ドレスはカイン殿下と相談して決めたんです」
カトリーナは恋する女の子を意識して頬を染め、令嬢たちとの交流を深めていった。
そして一段落させると、「少し疲れてしまったみたい。お庭で休んでくるわ」と言ってカトリーナは庭園のベンチへと向かった。
小ホールの窓が開け放たれているため、庭園は自由に出入りできるのだが、周囲にはカトリーナしかいない。
みな、ホールにいるカインとお近づきになるのに必死で、休憩を取っている暇などないようだ。
だからカトリーナは気ままに休もうと思ったのだが、ふとアルトの姿が見えないことに気付いた。
(アルト様はラティエ伯爵家の嫡男。先日も参加すると聞いていたのに、カイン殿下の側にいないわ……どうしたのかしら)
そのとき、庭園の奥のほうから声が聞こえてきた。
耳をすませば、複数の少年が誰かを攻めるような口調だと分かる。
カトリーナは気になって、そっと生垣に身を隠しながら声のする方へと忍び寄った。
そして見えた光景に、息を呑んだ。
「考えれば考えるほど、どうしてお前がカイン殿下の執事候補になってるのか意味が分からない」
「カイン殿下はお優しいからな~同情でも引いたか?」
「だって植物研究のラティエ家から、急な執事候補に抜擢なんて裏があるとしか思えないもんな」
三人の令息たちが、アルトを囲んで責め立てているではないか。
しかも質問を投げかけている言葉の割に、アルトが口を開こうとしたら、別の言葉を被せてくる。
抗議も弁明もできないアルトは下唇を噛み、ひたすら耐えていた。
カトリーナはぐっと眉間に皺を寄せる。
(アルト様も、私と同じく例外的な速さでカイン殿下に選ばれた。私が令嬢から嫉妬されたように、アルト様は令息たちの嫉妬の的になってしまったのね。伯爵家のアルト様にここまで大きな態度を取るなんて、爵位も影響力も上の家門ってことかしら)
姿が見えなかったことから、早々に庭園に呼び出されて囲まれていたのだろう。
アルトも断れず、逃げ出すこともできずにいたと容易に推察できた。
(どうやって助けようかしら。明らかに守るように助けたら、試練を切り抜ける能力がないと、アルト様の立場が悪くなる可能性がある。そうしたら、アルト様を選んだカイン様の評価も下がってしまうわ)
そうカトリーナが迷っている間に、令息たちの攻撃はエスカレートしていく。
ガタイの良い令息が、アルトの肩を強く押した。
アルトは思わずよろけた。
「はは? こんな弱々しいやつが、いざとなったら殿下の盾になる執事?」
すると便乗するように、残りの二人もアルトを強く押す。何度も何度もどついた。
「実は意外と痛みに強いのかもよ」
「どこまで耐えられるか試してみようぜ?」
「――うっ、げほっ」
それはもう殴っているといって差支えのない暴力だった。
アルトは咳き込み、ふらふらと後ろへと後退る。
「駄目、アルト様!」
カトリーナは思わず生垣から飛び出し、声をかける――が、あと一歩遅かった。
アルトは、そばにあった池に倒れるように落ちてしまった。浅い池だが、直前に殴られたお腹が痛むせいか、パニックに陥ったアルトは溺れたように水面をバタバタと波立たせる。
「アルト様、手を!」
カトリーナは手を精一杯伸ばしアルトの腕を掴むと、力いっぱい陸へと引き上げた。
「はぁはぁ……アルト様、大丈夫ですか?」
「かはっ、カト……ごほっ……ごめん、な、さい。カトリーナ嬢まで、濡れてしまいます」
少し水を飲んでしまったようだが、それだけで済んだようだ。
アルトが大事に足らず、カトリーナはほっと胸を撫でおろす。
「大丈夫ですよ。アルト様は何も悪くありません。悪い人は――別にいますから」
震えるアルトを守るように抱き締めたカトリーナは、令息たちを睨み上げた。
令息たちはハッとすると、ヘラヘラとした笑みを浮かべた。
「カトリーナ嬢ではありませんか。こ、これはアルト殿が勝手に……なぁ? お前たち」
「そうそう。証拠もないのに、睨まないでくださいよ。そんな浅い池で大袈裟に溺れる真似をされて、俺たちも驚いているんです」
「カトリーナ嬢こそ、悪ふざけがすぎたアルト殿を庇い、素敵な姿が崩れては大変です。私がハンカチを貸しましょう」
令息たちは謝罪するでもなく、反省することもなく、ふざけた言葉を並べた。
しかも薄っぺらい媚びで、カトリーナを誘導できるという驕りも見え見えだ。相当家柄に自信があるのか、アルトより自分たちのほうが優位だと疑っていない様子。
カトリーナの中で、プツンと糸が切れる音がした。
(私の癒しを害したわね。どこの家門か分からないけれど、私に喧嘩を売ったことを後悔させてやる。悪い子どもには教育的指導よ!)
立ち上がったカトリーナは立ち上がると、迷うことなく自ら池に飛び込んだ。