4話 母性
婚約が内定してから二か月後。
王宮の庭園で久々に会ったカインの顔には、緊張によるこわばりが見えた。
少し距離を開け護衛たちが見守る中、カトリーナとふたりで東屋に入るなり、カインは気まずげに切り出す。
「カトリーナ嬢は、急に私と婚約することになり良かったのか? もしそなたが不服なら、一緒に父上たちに進言を――と思うのだが」
カトリーナとの婚約は、クレマ公爵が子ども同士の無邪気な会話を良いように利用したとカインは思っているらしい。
そもそも王族であっても婚約を結ぶのはもう少し先のこと。今回は異例の早さと言える。
カインとしては他の令嬢たちのことも知り、人間性を見極め、信頼関係を築いた相手が良いと思い描いていたのだろう。
今の婚約は内定の段階で、公表されていない。カトリーナも婚約を不本意に思っているのなら撤回し、婚約者選びをやり直すチャンスがあると考えているようだ。
しかし――。
「不服も何も、私からお父様にお願いした婚約ですわ。撤回などありえません」
「え?」
「私がカイン殿下の隣に立ちたい。すなわち婚約者になりたいと申し込むから、了承が得られれば話を進めてほしいとお願いしていた――と申し上げたのです。ご心配をおかけしたようですが、私は大丈夫です。カイン殿下に受け入れてもらえて、とても嬉しく思っていますわ。どうかカトリーナと呼んでください♡」
「………………わ、わかった」
カインは微笑みながらも、どこか泣いてしまいそうな雰囲気だ。
(嵌めたのが私だと知り、逃げられないと気付いたようね。でも大丈夫ですよ。約十年後、ちゃんと自分が気に入った相手と婚約できるようにしますからね)
悪役令嬢との婚約は、ハッピーエンドのために必要な条件。不服なのは分かっているが、しばらく婚約関係を我慢してほしい。
カトリーナはカインのショックに気付かないふりをして、幸せそうな笑みを浮かべてみせた。
しかしカインも王族としての教育を受けている身。すぐに彼も自然な笑みへと切り替え、使用人たちがいる方へ目配せをする。
すると、使用人の後ろに隠れていたらしいひとりの少年が姿を現してこちらへとやってきた。
髪は烏の濡れ羽のように黒く艶やかで、その少し長めの前髪の隙間から見える瞳はどこまでも深い闇色をしている。
着ている服もまた漆黒の燕尾服のため、肌の白さが際立っていた。
カインほどではないが、整った顔立ちをしている少年だ。
「カトリーナ、紹介しよう。カティエ伯爵家の長男アルトだ。将来私の筆頭執事になる予定の者で、これから常に私の側に置くことになる。アルト、挨拶を」
「アルト・カティエです。カイン殿下とカトリーナ嬢と同じ八歳でございます。どうぞよろしくお願いします」
そう言いながら、アルトは恭しく腰を折った。
カトリーナは彼の天使の輪を見ながら、記憶を探る。
(アルト? カイン殿下の側近になる攻略対象でもないし、初めて聞く名前だわ。つまり原作の本筋に影響を与えないモブキャラね。日本人でもここまで瞳は黒くないけれど……黒髪と黒目って、故郷が懐かしくなる組み合わせだわ)
眺めているだけで、なんだか心がほっこりする。
カトリーナは柔らかい笑みを浮かべて、握手を求めるように両手を出した。
「アルト様、初めまして。カトリーナ・クレマですわ。カイン殿下を支える者同士、仲良くしていただけると嬉しいのだけれど」
「……光栄です」
アルトはわずかに戸惑ってから、おずおずと握手に応じた。顔は感情を隠すような無表情で、視線には警戒の色が濃く滲んでいた。
カトリーナが、主となるカインを嵌めるように婚約を手にした要注意人物だからかもしれない。
(ちょっぴり寂しい気もするけれど、黒猫を相手にしていると思ったら警戒心すら可愛いかも。カイン殿下への忠誠心が高い証拠ならポイントも高いわ。そっと見守っていこうっと)
『アク転』のキャラは、もれなく全員キラキラしている。
正統派ヒーローの王子カインは金色、冷徹な騎士団長候補パトリックは青色、ミステリアス美人の神官見習いチャーリーは銀色、あざとい小悪魔な医者の卵グレイは紫色、腹黒メガネの宰相補佐クロードは緑色。
どのキャラも美形で素敵だが、自分も含めて髪色が派手で落ち着かない。目がチカチカする。
だから黒髪のアルトは貴重な癒し枠として、大切にしたいところだ。一生髪を染めないでほしい。
「ということで、婚約者としてこれから私とカトリーナは交流を深めるため、定期的に会うことになる。基本的に従者としてアルトをそばに控えさせ、紅茶や菓子の配膳もアルトに任せるつもりだ。不慣れな点もあるかもしれないが、良いだろうか?」
「もちろん大丈夫でしてよ。」
「感謝する。アルト、良かったな」
カインが優しい口調で問いかければ、アルトはわずかに表情を緩めて頷いた。主人のそばにいれることが嬉しいのだろう。
どうやらアルトは、カインには心を開いているらしい。
(守りたい。この少年たちの可愛らしい主従愛)
カトリーナは内心で誓いながら、カインとのお茶会を始めた。
「先日叔父上にお願いしたら、私専用のオセロのセットをプレゼントしてくれたのだ。今からやってみないか?」
お茶会が始まって早々、カインがカトリーナに提案した。
オセロはチェスより単純なルールであることから、子どもたちの間では定番の遊びとなっている。
カインは新しく手に入れた自分専用セットを使いたくて仕方なかったようで、カトリーナが「良いですよ」というのと同時に、アルトによってテーブルに用意された。
王子専用とあって、白黒の面には、ひとつひとつ丁寧に王家の印が彫られている。
「カトリーナからで良いぞ」
「まぁ、お優しい」
カインは自信満々に、先手をカトリーナに譲った。
自分専用のオセロセットを王弟にねだったことから、カインは相当なオセロ好きに違いない。日頃から遊んでいることから、カトリーナより実力があると踏んでいるようだ。
しかしカトリーナは、見た目は子どもでも前世の知識がある。
一時間後……カインは盤上を見つめ、歯を食いしばっていた。
「……」
「これで私の六戦六勝ですわね♪」
カトリーナはカインから連勝を納めていた。
前世では社内オセロ大会における、営業二課チームの大将だった彼女には、さすがのカインも歯が立たなかったのだ。
しかも、どの勝負も僅差の負け。あと一歩及ばず……という状況が、負けず嫌いのカインの悔しい気持ちを強めていた。
だからカトリーナは、無邪気な笑みを相手に向けて追い打ちをかける。
「私に全部の勝ちを譲ってくれるなんて、カイン殿下は本当にお優しいですね」
「――っ」
「でも私ばかり勝たせてもらうなんて悪いですわ。次は、本気で相手してくださいませ」
「~~~~すまない。少し体調が優れないから、続きはまた次回にしよう。今日は失礼する」
カインは勢いよく席を立つと、王城へとつま先を向けた。東屋を出る間際に見えた彼の目元は涙が滲んでいて、涙は見せまいと、足早に離れていってしまう。
見守っていた使用人はカインを追いかけてしまい、東屋にはカトリーナとアルトだけが残された。
(カイン殿下は悔しさで八つ当たりしないように、この場から離れたのでしょうね。身分に驕らず、自分を律しようとするなんて素晴らしいじゃない。それよりも……)
アルトも、カインの体調不良が方便だと気付いているのだろう。
どうすればいいのか分からないようで、カトリーナとテーブルの間で不安そうに視線を揺らしている。
「アルト様、落ち着いてくださいませ。カイン殿下は大丈夫ですわ」
「え?」
カトリーナはオセロセットを箱に収納しながら、アルトに告げる。
アルトは怪訝そうにカトリーナを見つめた。
「どうして、そう言えるのですか?」
「カイン殿下を信じているからです。私と言えど、次回は苦戦するでしょう。カイン殿下は、この機会にもっと成長するはずですわ。安心してくださいな」
「――!」
カインは試練があればあるほど、それを乗り越えようと努力するキャラクターだ。今回の悔しさを糧に更なる練習を重ね、カトリーナに全力で挑んでくると思われる。
(超えるべき壁が高ければ高いほど、敵が強ければ強いほど、カイン殿下の素質が磨かれる。カイン殿下に嫌われつつ、成長の踏み台になるのが私の使命。これで良い。カイン殿下、どうか立派に育ってくださいね)
まるで子を見守る母親のような気持ちを抱きながら、カトリーナは箱に収めたオセロセットをアルトに差し出した。
ミアと出会う前のカインの成長に寄り添うのは、おそらく筆頭執事となるアルトだ。応援の願いを込めて彼の胸元に押し当てれば、しっかりとした手つきで受け取られた。
アルトもまた、カインの成長を信じることにしたのだろう。
「ふふ。今日は楽しかったですわ。では、ごきげんよう」
「はい、お気をつけて」
まだアルトの眼差しから警戒心が消えていないが、レベル五からレベル三くらいには軽減している。
カインの成長を促し、アルトという癒し枠とも出会えた今日は得られたものが多い。
カトリーナは上機嫌で王城の庭園をあとにした。








