34話 赤薔薇を巡る戦い※アルト視点
アルト・ラティエにとって、カトリーナは女神。
彼女のカインの成長のためには手段を選ばない徹底した姿勢に尊敬は尽きず、日を重ねるごとにその気持ちは増し、崇拝へと変わっていった。
もちろん主であるカインへの忠誠は揺らがず、カトリーナはアルトにとってカインと同じ敬愛対象。
恋愛感情はなく、この世で最も尊い男女に尽くせることを誇りに思っていた。
けれど、カインとカトリーナの距離が開いていくにつれて、思いの形が変化した。
『どうしてカイン殿下は、カトリーナ嬢を愛することができないんだろう?』
最初は、純粋な疑問だった。
『カトリーナ嬢からあれほどの愛情を注がれているのに、なんてもったいないことを……!』
次第に、カインが煩わしいと言ったカトリーナの執着が羨ましくなった。
『カイン殿下には、愛してくれる人が大勢いる。だからカトリーナ嬢の存在価値に気付かないんだ』
『僕にとって、カトリーナ嬢は満面の笑みを向けてくれる唯一の令嬢なのに』
『カイン殿下がいらないというのなら、僕が手に入れようとしても良いということだよね?』
裏で婚約解消の話が浮上したのをきっかけに、アルトはカトリーナを欲していると自覚した。
彼女との心地よい会話の時間が欲しい、彼女の笑顔が欲しい、カインの代替でも良いから彼女の全部が欲しい。
カトリーナが手に入れば、今までカインの婚約者だからと遠慮してたことも我慢しなくてよくなる。
『僕の持っているものすべてをカトリーナ嬢に捧げることができるなんて、なんて素晴らしいのだろう』
想像しただけで、天にも昇るような気持ちになった。
誰もがカトリーナを悪女と思い込んでいるため、新たに彼女に求婚するライバルも出てこないだろう。
『もう婚約解消の阻止はしない。そうすればカトリーナ嬢は僕の手の中に――』
あまりにも歪んだ恋と気付きながらも、長年無自覚に抑え込んでいた思いは加速するばかりで、アルトはもう止まることができなくなっていた。
それからの彼の思考は、どうしたらカトリーナを手に入れられるかで埋まる日々。
婚約破棄が実現した後、間を空けることなくアルトと新たに婚約するしかないような工作も密かに進めていた。
だから、アルトにとってカトリーナの家族が立ちはだかる程度は想定内。
微笑みを保ちながら、ウィリアムの前へと出た。
「カトリーナ嬢が至宝というのは同感です。彼女は、彼女が最も幸せになる環境で生きていくべきでしょう」
「なら、身を引いてもらおうか」
「できません。僕はクレマ公爵家よりも、カトリーナ嬢に居心地の良い場所を作る自信があります」
「はっ! そこまで言うのなら試させてもらおう。こっちにこい」
ウィリアムは鼻で笑うと、一同を屋敷にあるダンスホールに誘った。
中央にアルトひとりを立たせ、クレマ公爵家一同が周囲を囲む。
そして始まったのは、カトリーナに関するクイズだった。
「問題! カトリーナが好きな花は!?」
カトリーナを背に庇いながら、ウィリアムが一歩前へと出た。
間髪入れずアルトが応える。
「薔薇です。特にスイートレッドという、カトリーナ嬢の髪色に近い品種。すでに伯爵家の庭でも数を増やしており、いつでもカトリーナ嬢が楽しめる場所づくりを進めております」
好きな花の品種など、初歩的な問題だ。
アルトは難なく答えた上に、いつでもカトリーナを屋敷に迎え入れる用意があるというアピールも忘れない。
「ぐぬ! では次……カトリーナが好きなドレスのデザインは!?」
「マーメイドラインの、藍色の絹で仕立てた比較的シンプルなデザインです。藍色の生地でも特にマテニアッタ国で生産された物が好みのはず。先日、我が家で製法を確立させましたのでカトリーナ嬢が望むままにご用意できますよ」
マテニアッタ産の生地は上質で人気だが、染料の材料が希少なことから生産量が少ない。
だがラティエ家は、表向き植物学者の家門。家の能力を最大限に活用して、同質のものを作り上げられるようにした。
外に売り出すほどの量は生産できないが、カトリーナひとりのためならいくらでも仕立てられるだろう。
すると、悔しがるウィリアムを押しのけてクレマ公爵が前へと出る。
「カトリーナの一番お気に入りのアクセサリーは!?」
「六年前の、カトリーナ嬢が十一歳のときの誕生日にクレマ夫人から送られた真珠のバレッタです。外では身に着けることは多くありませんが、ご家族の誕生日会といったときには必ずと言っていいほど身に着けられておられます。屋敷内での装着率は六割五分」
「せ、正解だ。ではカトリーナがここ一年で一番食べてきたスイーツは!?」
「おそらくクレマ公爵家お抱えのシェフ殿が作った、ミルフィーユ! 一時期、大ハマりして毎日のように食べていた上に、今も頻繁に召し上がっているかと。クリームの味付けやトッピングは変わっても、大枠でみればミルフィーユが一番多いでしょう」
「~~~~どこから情報を得ている!?」
「人聞きが悪い。カトリーナ嬢との普段の会話からですよ」
実はクレマ公爵家に忍び込ませている密偵からの情報だが、素直に明かすつもりはない。
クレマ公爵家のセキュリティーは厳しく、残念ながら屋敷内に密偵を使用人に紛れ込ますのは不可能。
庭から屋敷の中をのぞき見するのが精一杯だったのだが、カトリーナ嬢の好みを把握するために食べた物までカウントするよう部下に命じておいて良かったとアルトは胸を撫でおろした。
(これだけ見張っていても、ミア嬢の接触には気付けなかった。本当にクレマ公爵家の守りの固さには感服する。おそらくカトリーナ嬢の安全のためだろうから、我が家の警備も同じくらいの水準に引き上げないと)
カトリーナのための楽園を作るには、安全性は必要不可欠だ。
現在はまだ悪女としての噂が占めているが、悪女を続ける必要性がなくなった今後は、カトリーナに魅了される人が続出する予感がしてならない。
「アルト殿は、娘のことをよく知っているようだな……!」
「父上、このままでは……!」
「どうにかならないの?」
クレマ公爵とウィリアムが苦渋の表情を浮かべると、クレマ夫人は不安げにふたりに縋った。
そして、家族の後ろではカトリーナが「なんで皆、わたくしのことそんなに知っているのよ」と虚ろな目をして呟いているが……アルトにとって凛としていない彼女の表情は珍しく、新鮮で可愛いとしか感じない。
状況は、アルトが優勢。
このままクレマ公爵家一同に、カトリーナとの婚約を認めてほしいところだが――そう簡単にあきらめるような家族ではない。
「こうなったら奥の手だ。カモン! ネネ!」
「お任せください!」
ウィリアムがカトリーナの唯一の専属侍女ネネを召喚した。
ネネは、アルトにとって天敵だ。
同じく尽くすことを生き甲斐とし、主にとって一番の存在になるためにはなりふり構わない人物。お茶を淹れる技術が高いのはもちろん、カトリーナの髪と肌のコンディションを熟知している。
ネネを越えなければ、身だしなみを整える朝の仕事は自分に任せてもらえないだろう。
アルトは気を引き締めて、ネネと対峙した。
「アルト様、勝負です。お嬢様の魅力的なところを多く挙げられた方が勝ちとしましょう。顔が良いという当たり前のことや抽象的なことと回答被りは失格。そして五秒以内に答えられなかったら負けです。良いですね?」
「望むところです」
「では私から――どれだけドレスを着替えても息切れしない優雅さ! 次どうぞ!」
「どんなに高いヒールを履いて踊っても、ブレない軸の強さ」
「刺繍がお上手です!」
「実は料理が趣味で、令嬢にもかかわらずカップケーキもレシピなしで作れるところ」
「どんなに早い時間帯でも目覚めが良い、朝に強いところ!」
「令嬢たちに売られた喧嘩を迷うことなく買う豪胆さ」
「叱るとき、自分の手を痛めてまで平手打ちをくださる使用人への愛情!」
さすがカトリーナに長年仕えている侍女は、ペースを落とすことなく次々と主の魅力を出していく。
そんな一面が?と驚きや新鮮さを感じつつ、アルトも躓くことなく答えていった。
強く頷いたり、「分かる!」と拍手を送るクレマ家一同とは対照的に、カトリーナの目がますます虚ろになっていくのだが勝敗は決まらない。
「お嬢様の体型は黄金比!」
「コ、コーヒーを飲むとき、ときどき無意識に両手でマグカップを包み込むように持つところが可愛い」
「はうっ! 私は見たことが――じゃなかった、マッサージしているときに貰う吐息が色っぽい!」
「~~~~っ! 猫が近くにきたとき、ひっそり語尾に“にゃん?”と付けながら話しかけるところも可愛い」
「おのれ猫め……! 私なんて、私なんて……お嬢様にその麗しい足で踏んでもらったことがあるんだから――――」
「はい、五秒です。この勝負、僕の勝ちですね」
どうしてカトリーナがネネを踏むことになったのか理由が気になるところだが、勝機を逃すアルトではない。
にっこり笑みを深めれば、ネネはその場で崩れ落ちた。
(途中の揺さぶりには想像してしまいそうになって危うかったけれど、揺さぶり返しで何とか勝てて良かった。これでもうカトリーナ嬢との婚約を阻むものは何もない)
胸に片手を当てたアルトはクレマ公爵夫妻とウィリアムに、軽く腰を折った。
「カトリーナ嬢に対する、僕の真剣さが伝わったかと思います。どうか、婚約のお許しを」
「……クレマ公爵の当主として、カトリーナとの婚約を認めよう。ただし、カトリーナが一度でも悲しむようなことになれば全力で取り返させてもらう。いいね?」
クレマ公爵はわずかに目に涙を浮かべて婚約を許可した。
カトリーナという宝物を託してくれた勇気に応えるよう、アルトも力強く返事をした。
「そうならないように頑張ります。今後とも、よろしくお願いします」
「うむ。こちらこそ」
こうしてクレマ公爵と固い握手を交わしたことで、無事にカトリーナとの婚約が成立した。
ちなみに感動の瞬間にもかかわらず、カトリーナは虚ろな目をしたままだった。