16話 ヒロイン『ミア』
『アク転』の舞台となっている学園は在学期間一年と、通常の学校より短い。
それでも学園の卒業生という肩書欲しさに、これまで通っていた学校を休学してこの学園に転入する令息令嬢は少なくない。
それは貴族の人脈づくりや社交を学ぶ場であるのはもちろん、様々な分野の権威の技術に間近で触れることができるという特別授業の魅力があるからだ。
今も講師には絵画、ピアノ、歌、刺繍、料理などをはじめ、靴磨きの達人までいる。
そのため学園ではどのような講師でも歓迎できるよう、多くの予備教室が用意されていた。
カトリーナは使われていない予備教室で、ゲストを迎えていた。
「ごきげんよう、ミア様。ちゃんと、ひとりで来てくださったのね」
「カトリーナ様!? わ、私は服のリメイクの先生が新しく来たと聞いて……」
「ふふ、それで浮かれて来てしまったのね? 駄目じゃない。公表前に挨拶しようなんて抜け駆けしたら」
「――っ」
ミアは怯えたようにカバンを腕の中で抱きしめつつ、さりげなく周囲を確認した。
もちろん、それを見逃すようなカトリーナではない。
「あぁ、安心して。わたくしの友人は教室から離れたところで見張り役をさせているため、ここにはいないわ。逃げても、捕まるのが落ちだと思うけれど」
「どうして、わざわざ……」
「ミア様とふたりきりでお話したいだけなの。だってあなた、とんでもない過ちを繰り返しているんだもの。その忠告をしようと思っただけですわ」
カトリーナが怒りを滲ませた声色で咎めれば、その迫力にミアは肩をビクッと跳ねさせた。彼女の鞄を抱える腕は震え、顔も真っ青だ。
それでも逃げることなく、ミアは口を開いた。
「カトリーナ様がいくら婚約者でも、友人関係に干渉するのはカイン殿下が可哀想では――」
「お黙り! このままだと、ヒロインのバッドエンドになりましてよ。分かってませんわね」
カトリーナは大きなため息をついて、呆れたように首を横にふった。
「そんな! 私ハッピーエンド目指してるのに……へ? ちょっと、もしかして、え? なんでそれを」
ミアは落ちそうなほど目を見開き、口をハクハクとさせる。
「やっぱりミア、あなたも転生者なのね。しかも『アク転』の世界だと知っている」
「う、うん……って、あなたも!? そんな、私以外に転生者がいるなんて……しかも悪役令嬢!? どこの流行りよ。カイン様の攻略のスピードが遅いのは、ヒロインざまぁを狙ったあなたのせいね!?」
ミアは絶望したように、ヘタリと床に座ってしまった。
物語スタート前に動かれていたら勝ち目がないとか、破滅するのは私だ……と涙目で呟いている。
(やっぱり転生者だった。おそらく覚醒したのはつい最近。だってそれまで密かに見守っていたミア・ボーテンは設定どおりだったのに、学園に入ってから微妙にズレが生じていたんだもの。見過ごせないわ)
カトリーナはビシッと人差し指をミアに向けた。
「お馬鹿。シナリオを変えてるのはあなたよ。ヒロインになったのなら、きちんと原作に忠実なヒロインになりなさい。わたくしは一生懸命にシナリオをなぞろうとしていますのに、あなたの半端さに呆れるわ」
「え? 悪役令嬢のバッドエンド回避しないの? カイン様のこと好きじゃないの?」
「カイン殿下以上に、最後の断罪シーンの神スチルが好きなの。バッドエンドはご褒美よ!」
「なんと!」
カトリーナが程よく育った胸を張って自信満々に答えれば、ミアは顎が外れそうなほど驚愕の表情を浮かべた。
せっかくの超絶可愛い美少女な顔なのだから、ギャグ顔はやめてほしい。
「じゃあ、カトリーナは私に協力してくれるってこと?」
「えぇ、国が滅亡しても嫌だもの。ということで、お願いミア。もっと完璧なヒロインになってちょうだい。今のままではカイン殿下は攻略できないわ」
「……うっ、一生懸命やっているつもりだったのに。どこが駄目だったの?」
異世界転生では、ヒロインに転生して調子に乗った結果、身を滅ぼす人が多すぎる。
この世界は私のために用意されているのよ~なんて、今回もお花畑女子だったらどうしようと心配だったが、ミアは素直なタイプらしい。
教え甲斐がありそうだ。
カトリーナはミアにノートを出させると、注意点を告げていった。
「ヒロインは優等生タイプで、健気な頑張りに皆は共感するのよ。笑顔が魅力的で、可愛いけどぶりっ子ではないの。今のあなたはあざとすぎ。悪役令嬢グループ以外の令嬢の敵になっては駄目なんだから! 味方が増えるまで、女子受け優先!」
「はい!」
「カイン殿下は、好意をぐいぐい押し付けるわたくしカトリーナが苦手なの。先日のように慣れたようにスキンシップはまだ早い! 楽しくて思わず触ってしまったら、すぐに距離をとって申し訳ありません……つい……って恥じらうように謝りなさいな。初恋なのよ。初々しさを心掛けること。無垢でいなさい」
「はい!」
「あと先日のクッキー、パッサパサだったわよ。胃袋を掴む重要アイテムとイベントを自ら潰す気!? ミアはお菓子作りが得意な設定で、王子も認める腕前なの。服のリメイクの特別授業に興味を持たず、素直に設定どおり料理部に入って練習しなさい!」
「はい! カトリーナ先生!」
ミアはメモを書き終えると、感動しきった眼差しをカトリーナに向けた。
(なんて純粋な子なの!? 私の都合が良くなるように、嘘を吹き込んでいると微塵も疑っていない目をしているわ!)
カインとはまた違う真っすぐさで心配になる。
恐るべしヒロインの庇護欲パワー。ヒロインは自分がちゃんとゴールまで導かなければ、という悪役令嬢としての誇りが刺激された。
「本当はもっと細かく指導したいけど、取り巻き令嬢を待たせているから今日はここまでかしら。また別の日に、わたくしからミアにコンタクトをとるわね」
「ありがとうございます。お待ちしてます」
「それと外でわたくしと遭遇したら、必要以上に恐れず、ある程度緊張した面持ちでありつつ、堂々としなさい。いいわね?」
「分かりました……私、空回ってたんですね。カトリーナ様が親切な転生者で良かった。これで推しのカイン様と仲良くなれます。本当に前世からカイン様に憧れてたから。カトリーナ様、ありがとうございます!」
ミアは助言を記したノートを大事に抱きしめると、恋する乙女の顔を浮かべた。
その顔は同性のカトリーナすらも魅了するほど可愛らしい。
(カイン殿下にちゃんと恋しているのね……って、あれ?)
カトリーナは、胸に引っかかりを感じた。
だが原因が思い当たらない。カインには恋愛感情は一切ないし、嫌われても傷つくどころか順調だと、喜びが勝る。
(嫉妬ではない何か……もしかして、ヒロインが可愛すぎてカイン殿下に渡したくないという嫁入り前の父親の気分? それとも息子のように見守っていたカイン殿下を、みすみす嫁に渡したくない母親の気持ち?)
特段気にするほどの問題ではないと判断し、彼女はすぐに違和感を奥へと追いやった。
そしてミアの顔を、優しく両手で包み込む。
「よくお聞きなさい。ミアは天使で、妖精で、最高に可愛いキャラクターなのよ。落ちない男はいないわ。これからわたくしからの嫌がらせで、辛い思いをするかもしれないけれど、シナリオ通りにすればカイン殿下に助けてもらえる。焦らず周囲の状況を見極め、わたくしを踏み台にするつもりで頑張るのよ。良いわね?」
「はい。どんどん嫌がらせしてください。乗り越えてみせます」
気合を入れるように、両手に拳を作ったミアは本当に可愛らしい。
素直な子がヒロインで、改めて良かったと噛み締める。
理想のバッドエンドを手に入れることができそうで、カトリーナの気分は良い。
「さぁ教室から出るわよ。わたくしが先に出るから、たっぷり時間を空けてきちんと悲しい表情を浮かべて出てきて。カイン殿下に見つけてもらえるよう、仕込んであるから」
「~~~~あなたが神か! 本当にありがとう!」
「ふふ、健闘を祈っているわ。カインルート、成功させるわよ」
「はい!」
こうして悪役令嬢のカトリーナとヒロインのミアは、固い握手を交わしたのだった。