15話 なりきり悪役令嬢
「カトリーナ様。あの成金令嬢ったら、また最近調子に乗っているようですわ」
本日最後の授業が終わり、カトリーナが廊下を歩いていると、取り巻き令嬢のひとりがすり寄るように声をかけてきた。
カトリーナほどではないが、学園ではトップを争う華やかな美女である。
すると次々と他の令嬢三人も駆け寄り、声を押さえつつ便乗していく。
「彼女、この学園をどのような場所だと思っているのかしら。勉強だけできても、マナーを疎かにしすぎですわ」
「同性の令嬢よりも、殿方とばかり過ごしておりましてよ」
「いくら生徒会のメンバーに選ばれたからって、自分まで高位貴族の仲間入りできたと勘違いしているのかしら?」
令嬢たちは、ミアへの嫌悪を露わにしながらカトリーナに語り掛ける。
彼女たちは、攻略対象者の婚約者である令嬢たちだ。自分の婚約相手がミアのルート選択からはずれると、もれなくメインの悪役令嬢の取り巻きになる設定。
例外はカトリーナで、最も身分の高い令嬢だからか、カインルート以外でも最終的には悪女グループのリーダーを務めていた。
そのため彼女は頻繁に取り巻き令嬢に囲まれている。
(やっぱり仲良くする気は起きないわね。メインの悪役令嬢が断罪されるとき、取り巻き令嬢は手のひらを返したように裏切る。寄り添うふりをして、嫉妬心を煽るだけ煽って、最後は“私たちは弱みを握られ、逆らうのが怖くて悪行を止められなかったのです”って。設定どおり、カトリーナの立場ではドライな関係で行くのがベストだわ)
いつか見捨てられるのは設定だから仕方ない。と割り切って、今だけでも可愛い女の子ときゃっきゃしよう♡――とは、図太い自覚のあるカトリーナもならなかった。
冷めた表情を作り、取り巻き令嬢の悪口に耳を傾けるにとどめる。
孤高の悪役令嬢カトリーナは、安っぽい陰口には軽々しく便乗しないのだ。
「噂をすれば! カトリーナ様、あそこに!」
取り巻きが指差したほうを見ると、中庭を挟んだ向こう側に、この世界の主人公ミアがいた。
大きな新緑の瞳を輝かせ、桃色のポニーテールをふわっと揺らしながら、テテテと小走りで中庭を横切ろうとしている。
「まぁ、なんと可愛らしい」
そう呟いたカトリーナの声色は硬い。
ミアに対して悪印象を抱いたような様子に、取り巻きたちは扇子で隠しながら口元に弧を描いた。
これから起こる、他人の不幸が随分と楽しみのようだ。
カトリーナは気付かないふりをして、自分も扇子で口元を隠した。
ミアが駆けた先には、カトリーナの婚約者であるカインがいた。
「カイン殿下、こんにちは。勉強会、ご一緒してもいいですか?」
中庭にはいくつかテーブルが用意されていて、生徒たちが自由に使えるようになっている。
カインは生徒の見本となるよう、他の攻略対象たちとそこで勉強会をしていることが多いのだが、他人が加わるところは見たことがない。
しかし、ミアはヒロインだ。
「首席のミア嬢なら歓迎だ」
カインは微笑みを浮かべながら、勉強会の参加を受け入れた。
カトリーナは足を止めて、カインとミアを注意深く見つめる。
ミアは笑顔で友達と交わすような軽い挨拶を皆と交わすと、空いていたカインの隣に座った。しかも肩が触れるかどうかギリギリの距離。
(いつもはアルト様が座っている定位置。でも今日はアルト様の姿が見えない。偶然席が空いていたようだけれど……よく堂々と座ったわね。ヒロインらしいと言えばヒロインらしい行動力だけれど随分、ねぇ?)
カトリーナが眉間に皺を寄せれば、すかさず取り巻きたちが騒ぐ。
「なんと不敬な。同じ生徒会メンバーだとしても、相手は王族ですのよ」
「待って下さいまし。今の見まして? ミア様がカイン殿下の腕に触れましてよ」
「なんと馴れ馴れしい。カトリーナ様、よろしいのですか?」
取り巻きたちの言うとおり、ミアはカインの腕を軽くポンと叩きながら、楽しそうに談笑している。
カトリーナは開いていた扇子を、わざとらしくパチンと音を鳴らして閉じた。
「わたくしたちも参りましょう」
「「「はい!」」」
四人の取り巻き令嬢を引き連れたカトリーナは、中庭にいるカインたちのもとへと向かった。
そしてちょうど彼女たちが中庭に到着したとき、ミアが手作りクッキーを皆に振舞うところだった。
「勉強すると甘いものが食べたくなりませんか? 私の手作りで良ければ、皆さんで食べてください」
テーブルでハンカチの上に広げられたクッキーは、丸くてシンプルなチョコチップクッキー。
普通に美味しそうなクッキーではあるが、カトリーナはカインに食べさせるつもりはない。彼の手が伸ばされる前に、大きく前に出た。
「カイン殿下、お待ちくださいませ」
カインがハッとして振り返る。
「カトリーナ?」
「アルト様が用意したもの以外を口にするなんて、不用心ではありませんか? そちらのクッキー、本当に安全なものでして?」
「――っ、ミア嬢が毒を入れているというのか?」
友人の好意を疑われたのが癪だったのか、そもそも嫌っている相手の登場が不服なのか、カインはカトリーナに冷たい眼差しを向けた。
なかなか迫力が出てきているが、断罪のときはもっと貫禄を出してほしいところ。
手本を見せるように、カトリーナもカインを冷え冷えと見下ろした。
すると、慌てるようにミアが立ち上がる。
「カトリーナ様、カイン殿下はお優しいから、断れなかっただけです。それに私は毒なんて入れてません。味見したときも大丈夫でした。もし毒味が必要なら、アルト様の代わりに今ここで私がします」
「作った本人なら、解毒剤を仕込んでおくなりなんなり自由自在。意味がありませんわ」
「だったら、どうすれば」
「わたくしが毒見しましょう。カイン殿下のためなら、何も怖くありませんもの」
「え?」
カトリーナはクッキーを一枚摘まむと、躊躇うことなく口にした。
ゆっくり咀嚼する彼女を、その場にいる全員が固唾を飲んで見守る。
そして数秒後、カトリーナの喉がごくんと動いた。
「毒は入っていないようですわね」
ミアも含めて、みな肩の力を抜こうとした。
が、その瞬間カトリーナは残りのクッキーを掴むと、すべて地面に落とした。そして間髪入れず、靴で踏みつぶす。
中庭には、ミアの小さな悲鳴が響いた。
「カ、カトリーナ様、毒は入っていないと認めてくださったのでは!?」
「毒は入っていなくても、カイン殿下のお口に入れるに値しない物でしたわ。鳥の餌にしなさいな」
「そんな、酷い……っ」
ミアは両手で顔を覆うと、そのまま中庭から走って出て行ってしまった。
カインは一瞬追いかけようと腰を浮かすが、カトリーナの鋭い眼差しに気付いて思い留まる。
まだ好感度は友情レベルらしい。
彼は渋面を浮かべて、婚約者に向き合った。
「私が軽率だったことは認めよう。しかしカトリーナもまた、軽率だったのでは? 地面に投げ捨てずとも、言葉で伝えることもできたはずだ」
「あまりの不味さで吐きそうだと?」
「もっと相手が傷つかない言い方があるだろう? よく考えてみることだな。失礼する」
カインはクッキーが載っていたハンカチだけ拾うと、生徒会メンバーを引き連れて去っていった。
中庭に残ったのはカトリーナと取り巻き令嬢だけ。
気まずい沈黙が生まれるが、長くは続かなかった。
「皆様にお願いがございますの。ミア様とお話がしたいから、誰にも気づかれないよう上手に呼び出してくれないかしら?」
カトリーナは妖艶な笑みを浮かべると、取り巻き令嬢たちに命じたのだった。