13話 本編スタート
「お嬢様、制服がとてもお似合いでございます」
「当たり前じゃないの。だってわたくしは最高の悪役令嬢カトリーナ・クレマなんですもの! おーほほほほほほ」
時の流れは早いというもので、覚醒から九年。カトリーナは十七歳になり、ついに王立学園に入学する日を迎えた。
鏡に映るのは、悪役令嬢らしく育った傲慢で美しいカトリーナの姿。
薔薇のような赤髪は腰まで長く、全ての毛先には華麗なドリルを完備。目はツリ目になるように濃い化粧が施され、黄金の瞳がギラギラと鋭く輝いていた。
スリーサイズで黄金比を叩き出しているプロポーションは完璧で、校則違反ギリギリまで改造したドレス仕様の制服もスチル通り。
高笑いのクォリティも抜かりなし。
「わたくし、完璧♡」
一人称もこの機会に『私』から『わたくし』に変えて、高貴さアップも忘れない。
「あぁ、お嬢様の晴れ舞台に関われて、ネネは幸せでございます」
「……」
それよりも、専属侍女ネネの様子がおかしい。
『アク転』の原作では、専属侍女がカトリーナの際限ない我儘に疲れ果て、救いの手を差し伸べたカインの密偵になっていた。
だからカトリーナは、複数人で行う仕事量にもかかわらずネネひとりに押し付けたり、終わりの見えない悪役令嬢になる特訓に巻き込んだりしていた。
ドリルの巻き方が下手くそだとか、もっと麗しく化粧を施せだとか、制服の改造にも理不尽に近い細かい注文でしごいてきた。
そろそろカトリーナにうんざりしたネネは密偵に――と思っていたのに、その気配は微塵もない。
むしろ崇拝レベルがあがっている。
「おかしいわね。違う侍女だったのかしら……ネネ、あなたはいつ私を裏切るの?」
「そ、そんな……私の信用はまだ足りなかったのですか? ネネはカトリーナお嬢様のためなら命すら惜しくありませんのに。証明いたします! いざ――」
「ストォォォップ!」
カトリーナは、三階の窓から飛び降りようとするネネの首根っこを掴んで引き止めた。
すかさずネネの頬に平手を打ち込む。
「ネネはわたくしの所有物ということを忘れたの? ただの道具のくせに、勝手に壊れたら許さないわよ」
「カトリーナ様……はい♡」
やっぱり変だ。
平手打ちした上に物扱いしているというのに、ネネはうっとりと恍惚の表情を浮かべた。
そしてさっさと冷やせば良いのに赤く腫れた頬を大切そうに擦りながら、馬車を呼ぶために退室していった。
「虐めているのに好かれるなんて、意味が分からないわ。いつ原作から外れたのかしら」
今思えば、数年前からネネはおかしい。
昨年も、体調が悪そうだから休むよう命令したのに、ネネは「大丈夫です!」と嘘をついてカトリーナの世話をしていた。
明らかに顔色が悪いのにもかかわらず、何度も休憩を命令しても、ネネは仕事を続けようとするのだ。
そこで我慢ならなくなったカトリーナは、料理長特製の薬剤入りドリンクを無理やり飲ませ、三日間の療養を命じた。
ここ数年同じことを繰り返しているためか、毎回ロープで縛る騎士も「またか」とうんざりしている。
いつもは一日でケロッと復活するネネではあるが、いい加減反省させる意味も込めて二日分追加しておいた。
そして食欲はありそうなので食事は高カロリー高たんぱくなDプランを料理長に指定し、無理やり休ませるために監視をつけて部屋に閉じ込めることにしたのだが……。
『お嬢様、ネネがお嬢様に会えなくて壊れそうです。豪華なDプランのせいか、一口食べるたびにお嬢様を思い出すようで……朝から“お嬢様が足りない”と何度も見張りの騎士に泣きながら訴えております。やはりネネに三日間は厳しすぎるのです』
二日目の朝に料理長から報告されたときに、ネネはスパイになる侍女ではないと気付いて計画を切り替えるべきだった。
この件で反省したネネがきちんと命令された通りに休むようになったから、良い感じにパワハラできていると油断してしまったのも悔やまれる。
カトリーナとしては人を叩く趣味もなく、自分の手も痛むため、原作のためといえどこれ以上ネネに暴力を振るいたくはない。
(他にスパイになりそうな侍女を今からでも育てる? ううん……ここまで崇拝してくれているのなら、わざとカイン殿下のスパイとして動くよう私から命令すればワンチャンありよね?)
良からぬモノを生んでしまったような気がしたが、今になって悔やんでも仕方ない。有効利用について考えた方が建設的だ。
カトリーナは調整プランを考えながら屋敷を出た。
***
学園は、十七歳を迎えた若者が通う国立の学校だ。
社交界の練習場所のひとつとされ、貴族は基本的にこの学校に通うのがステータスとなっている。
生徒の中には平民も含まれているが、貴族の縁戚か、あるいは貴族と繋がりがほしい裕福な商家の跡継ぎがほとんど。
そんな彼らが親の力を借りずに己の判断で問題を解決ができるような成長を目的としているため、基本的に保護者が学園に介入することはご法度。
貴族の令息令嬢は、この若者だけの小さな箱庭で一年過ごす。
カトリーナは入学式を終えると、生徒会サロンへと向かった。
廊下にいる護衛を顔パスで通り過ぎ、少し歩いて奥にある扉を開く。
生徒会長のデスクでは、金髪碧眼の生徒が書類に目を通していた。
「お久しぶりでございます。先程の新入生代表挨拶は見事でしたわカイン殿下。まるで建国王の再来のごとく声は広く届き、その声は脳を揺するような甘い響きで、それはそれは」
「カトリーナ、一般生徒は下校の指示が出ているはずだが?」
「まぁ、寂しいことを。生徒会準備がお忙しいカイン殿下のために、このわたくしが一か月も我慢したのですから、お茶の一杯くらいご一緒したいですわ」
カトリーナは応接用のソファに当然のように座り、改めてカインをじっと見つめた。
丸みのあった輪郭はよりシャープになり、目元も涼やかになって幼さが随分と抜けた。声変わりも終わって良質の低音になり、聞くたびに耳が甘く痺れる。
『アク転』の原作通りの麗しい容姿かつ美声ボイスを持つ王子へと成長を遂げていた。
きちんとカトリーナに苦手意識を持ったままのようだし、素晴らしい断罪スチルに仕上がると期待値が高まる。
(ネネが思惑通りいっていないから心配だったけど、こちらは大丈夫そうね。それに――)
カトリーナには嬉しいことがもうひとつあった。
「アルト様もご入学おめでとうございます。ご一緒にこの学園で学ぶことができて嬉しいわ」
「ありがとうございます。カトリーナ嬢も、ご入学おめでとうございます」
カインの筆頭執事候補であるアルトも、無事に学園の入学を果たしていた。
少し伸びた黒髪は赤いリボンで結ばれ、執事として洗練された落ち着きは大人っぽい色気すら漂う。
カトリーナを嫌うカインの側にずっといるというのに影響されることなく、相変わらず優しく微笑んでくれる癒やし担当だ。
(カイン殿下のビジュアルがスバ抜けて良いのは当然として、今のアルト様なら他の攻略者も霞むんではなくて? アルト様も素敵に成長したわね)
母親気分で緩んでしまいそうな頬をきゅっとしめて、生徒会メンバーである攻略者を今更ながら眺める。
そう……実は、先程から他の攻略者も同じく生徒会室にいたのだ。そんな彼らは確かに眉目秀麗であるが、やはりアルトの方が格好良い。
そう思いながらカトリーナが眺めていると、カインが腰を上げた。
「今日の仕事はここまでにしよう……続きは部外者がいない、明日に改めて進める」
「では、馬車停まで一緒に帰れますわね」
「……好きにすればいい」
「はい♡ 好きにしますわ」
そうしてカインは攻略対象全員を引き連れて、生徒会サロンを出た。
その集団の一番後ろをアルトとともに外回廊を進めば、待ち構えていた他の攻略対象の婚約者――悪役令嬢たちも自然と合流していく。
乙女ゲーム『奇跡のアクセサリーと救国の転入生』のメインキャラが集合している。
あとひとり登場すれば完璧だ。
「きゃ!」
突然、カインの前で女子生徒が盛大に転んだ。
桜のような淡い桃色の髪はふわふわとしていて、目尻に涙を浮かべた瞳は新緑のような瑞々しい緑。
大きな瞳に対して鼻と唇は小さく、幼い顔立ちは妖精と見紛うほどの美少女。
美少女は「ご、ごめんなさい」といいながら、鞄から飛び出してしまったプリントを必死に拾い始めた。
カトリーナの心臓がドクンと強く反応する。
(ヒロイン“ミア・ボーテン”! 本当に原作通りの登場だわ。ついに本編が始まるのね……ミアは、どのルートに!?)
オープニングでミアは生徒会メンバーの前で転び、プリントをばら撒いてしまう。
そして攻略キャラがプリント拾いを手伝うのだが……最初にミアがプリントを受け取ったキャラのルートに進むことになる。
現実も、シナリオ通りカインを含めて攻略対象全員がプリントを各々拾い上げると、ほぼ同時にミアに差し出した。
まさに、選択のとき。
(ミアは誰を選ぶの!?)
カトリーナは息を呑み、ミアが手を伸ばす先を見つめた。