12話 王子は辛いよ※カイン視点
定例茶会が終わった夜。
アッシーナ王国の第一王子カインは、己の未熟さを痛感していた。
(私の浅はかな行動で、王家の立場を悪くするところだった……っ)
カトリーナと話していると、自分が劣っているように感じて仕方ない。
幼い頃から、彼女はカインの一歩前にいた。
オセロも、乗馬も、ダンスもピアノも何もかも実力で勝てない。
だというのに、カトリーナ自身は「カイン殿下ほどではありません」とサラッと告げるのだ。
正直、馬鹿にしているのかと思ってしまっていた。
勝っておいて、適当に褒めて媚びを売ればカインの気持ちまで手に入ると、舐められているように感じていた。
(そんなことで、私が靡くとでも? カトリーナは政略的な婚約者であり、それ以上でもそれ以下でもない)
そうして対抗心で練習に打ち込んだ結果、カインは多くのことでカトリーナを上回る実力をつけてきた。
そうすれば、カトリーナの褒め言葉も不快に感じずに済むだろうと信じて……。
けれど、いまだに歴史に関することは知識量で一歩及ばない。
身分を笠に着て、社交界で幅を利かせているカトリーナを婚約者として御するためにも、すべてにおいてカインが彼女を上回らなければいけないというのに、なかなか実現できない。
その募る焦燥感を制御できずに冷静さを欠いてしまったと、カインは改めて己の至らなさを反省した。
「アルト、今日は助かった。お前に嘘をつかせてしまって、すまない」
寝る前のお茶を用意していたアルトに、カインは軽く頭を下げた。王族たるもの、簡単に頭を下げることは許されないが、部屋にはカインとアルトだけ。
主従であるまえに、友人だと思っているカインはきちんと気持ちを示したかった。
あそこでアルトの機転がなければ、自分だけではなく、あの場にいた国王夫妻にまで泥を塗ってしまうところだった。罪悪感から本当のことを告げようとしても信じてもらえなかったことは、今となっては幸運と思える。
クレマ公爵が王家の弱みを握ったとなれば、どう利用してくるか分からない恐ろしさがあるからだ。
カトリーナも、アルトの言葉だからこそすんなりと信じた様子だった。
「いえ、僕こそ国王陛下と王妃殿下、クレマ公爵家のご家族が同席することをお伝え出来ずに申し訳ありませんでした」
「カトリーナの放置疑惑がある私を試すために、口止めされていたのだろう? 誰に命じられたかは聞かないでおく。私の身から出た錆だ。アルトを叱る資格はない。むしろ褒美をあげないといけないかもな」
「褒美……ですか」
アルトがティーカップにハーブティーを淹れながら思案すれば、カインはすかさず「あぁ! 私にできることなら、聞いてやるぞ!」と告げる。
するとアルトはティーポットを置いて、神妙な顔を向けた。
「今一度、カトリーナ嬢と向き合ってください」
「え? カトリーナと?」
想像していなかった要望に、カインは耳を疑った。
けれどアルトは謹厳な態度を崩すことなく、わけを伝える。
「カイン殿下がカトリーナ嬢に苦手意識をお持ちなのは承知です。殿下の前で煽るような言動を繰り返しているのも事実。しかしそれには何か深いわけがあってのことだと思うのです」
「どうしてアルトはそう思う?」
「カトリーナ嬢は、実力を追い越されたことを悔しがることなく、いつだってカイン殿下の勝ちを心から喜んでいるご様子。本人は否定してきましたが、自ら踏み台になるべく煽っているのではと推察しております。敬愛してやまないカイン殿下の成長に繋がるのなら、カトリーナ嬢は手段を選ばない可能性もあるかと」
カトリーナは、カインのことになると様子がおかしくなる。
新しい礼服を着たときは「一生鑑賞したいほど麗しいですわ」と涙を浮かべながら過剰に褒め、勉強会で詩を朗読したときは「その声を記録して毎晩寝る前に聞きたいわ」と蓄音機を手配したり、乗馬のときも牧場まで画家を連れてきて「カイン殿下の素敵な姿を多く残さなくては」と謎の使命感に駆られている。
そして、カインの冷たい態度すら「優しいのですね♡」と強制的にポジティブ変換される。
自惚れではないが、カトリーナのカイン愛はかなり重いのだ。
「カトリーナの私の前での性格の悪さは演技あるいは照れ隠し……か」
以前アルトが告げていた言葉を思い出す。
「実際に殿下は、カトリーナ嬢から刺激を受けて、あらゆる分野で実力を伸ばしておりますよね?」
「そう、だな」
「カトリーナ嬢は素晴らしい令嬢だと思います。先入観を取っ払って、もう一度だけどんな令嬢か、カイン殿下の目で確認してください。お願いします」
ここ数年でだいぶ改善したものの、アルトは闇色の瞳を持っていることから長年軽んじられてきた。
孤独を味わっていると、弱った心につけ込んで偽りの優しさで懐柔し、アルトを通してカインに近付こうとする貴族も少なくはなかった。
そのためアルトは相手に柔らかい態度を取りつつ、密かに裏がないか用心深く探る。しかも彼が『害悪』と認めて、外れたためしはない。
(アルトはカトリーナを害悪と判断していないどころか、素晴らしいと評価している。アルトは特に信用している側近だ。主として耳を傾けるのも必要だろう。それに、カトリーナが優秀な令嬢なのは間違いない。そう……性格が合わないだけで……苦手なタイプというだけで……でもそれが勘違いならラッキーだ)
カトリーナはカインに対して嫌味な態度を取っているし、社交界からは良くない噂も流れてくるが、彼女に勝る万能な令嬢は見たことがない。
ビジネスパートナーとして、これ以上心強い令嬢は他にいなかった。
アルトの助言通りに動く価値はある。
「分かったアルト。カトリーナの素顔を探ってみる!」
そう宣言したカインは、変装してクレマ公爵家の屋敷へ潜入することにした。
(カトリーナは、私の前では猫を被っているのかヘビを被っているのか、本性が読みにくいからな。屋敷での普段の姿を見るのが一番だ)
数日後、食材搬入の業者を買収し、臨時の手伝いに扮した彼はリヤカーを押しながらカトリーナの姿を探した。
昼下がりの午後、たいてい彼女は母親の付き添いで庭園で散歩を楽しむという情報が入っている。
裏門から厨房までの道のりから見えるはずなのだが……。
(いた! でも、様子がおかしい)
カトリーナの姿を見つけたカインは目を凝らした。
「お嬢様、申しわけございません! お許しくださいませ!」
よく見る侍女が地面に額をつけていた。
声は離れているカインのところまで聞こえてくることから、相当なミスをしたらしい。
(カトリーナに怪我を負わせたのか、それとも盗みを働いていたのか、陰口を聞かれてしまったか。ミスをした下の者を叱るとき、本性が見える。カトリーナは、どう出る?)
カインの経験上、自分より弱者に対しての振る舞いである程度の人となりが見えてくる。
そう注意深く見ていると、カトリーナはあろうことか侍女の髪を鷲掴みにし、無理やり顔を上げさせた。
そして手に持っていたグラスを、無理やり侍女の口に当てがった。
「ごほっ」
「零すなんてもったいないわね! ネネ、飲み干しなさい。もしかして、私の手ずから与える物を零すという愚かな真似を、これ以上するつもり?」
「そんなことは! あ、有難くのませて――んぐ」
侍女は必死になって、グラスの飲み物を必死に飲む。かなりマズイ飲み物なのか、飲み干したころには侍女の顔は真っ青だった。
それを確認するとカトリーナは立ち上がり、駆けつけた護衛騎士に命じる。
「ネネを部屋に閉じ込めておきなさい。そうね……三日は絶対に出さないで。反省の色がなければ延長するわ」
「承知しました」
「そんな! 三日もされたら、わ、私、しっかりなおしますから――お嬢さまぁぁああああ!」
護衛騎士は手慣れたように侍女をロープで縛りあげると、担いで運んでいく。
必死に懇願する侍女にカトリーナは一瞥もしないし、周囲の使用人にも動揺は見えない。
つまりカトリーナはあの侍女に対して、常習的に厳しい罰を与えているということだ。
しかもカインの記憶によれば、ネネという侍女はなかなかに優秀だったと思う。お茶を出すタイミングも良ければ、味も悪くない。仕事に真面目な印象だった。
何度も『閉じ込め』という、重い罰をもらうような失敗をするはずがない。
カインの背に冷や汗が流れる。
するとグラスを戻しに厨房へと向かったカトリーナと、カインがすれ違う。しっかり業者に変装しているため、彼女は気付かない。
「調理長、これ返すわ。今日から三日間、ネネの食事はDプランで進めて」
「D⁉ しかも三日間もですか? それではネネの精神が……っ」
「私の命令を拒否しようとしたネネが悪いのよ。この機会に、身をもって知ると良いわ。じゃあ、頼んだわよ」
カトリーナはそれだけ言い残すと、厨房を去って庭園の奥へと戻っていった。
カインは入れ替わるように食材の載ったリヤカーを料理長に引き渡すと、素早い足取りで屋敷を脱した。
そして馬車に勢いよく乗り込み、頭を抱える。
「プランDって、どんな食事だ!? カビの生えたパンとかか!? しかも料理長が精神を心配するほどの罰!? どんな過酷な三日をカトリーナは与えるつもりなんだ!? 大切な侍女じゃないのか!? 命令を拒否って、どんな恐ろしい命令をしたんだ!? まさに血も涙もない悪女ではないか!」
もしかしたら性格も、容姿と同じく母親譲りの慈愛溢れたものかもしれない。と描いていた希望が一気に崩れ落ちる。
苦手意識を克服するどころか、悪化した。
「アルトには悪いが、私はカトリーナを見直すことはできない……!」
こうしてカインの潜入調査は、カトリーナ不信を深めて幕を閉じた。