脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。
「私、あなたの秘密を知っているんです。バラされたくなければ、今夜一晩で構いません。私と一緒に寝てくれませんか?」
「騎士さまが一般人を脅すなんて、悪い子だね」
「だって店長さん、あなたは一般人なんかじゃないでしょう? 私、ちゃんと知っているんですから」
私の言葉に酒場の店長さんは、驚いたように目を見開いていた。
***
その日も私は、寝不足の頭でぼんやりと夜の街をさまよっていた。寝不足ならとっとと寝ろと普通のひとは思うかもしれない。でもそれは、眠たいのにちっとも眠れないという苦しさを知らないから言えることなんだよね。
騎士という仕事柄、警備に訓練、書類作業の連続で、一日の終わりには頭も身体もくたくたに疲れ切っている。今ここで休んでおかなければ、明日は大変なことになるのだとわかっているのに眠れない。それなら、せめて身体を横にして体力を回復させなくちゃ。
けれどいざ寝台で目をつぶってみると、頭の中では思い出したくもない嫌な記憶が一斉に追いかけっこを始めてくる。
―女だてらに剣なんて振り回さなくても。書類仕事だけやってくれたらいいのに―
―同い年のお嬢さんはみんな結婚して、子どもも産んでいるというのにあなたときたら―
―君は、俺がいなくても大丈夫だろう?―
―城の侍女に寝取られたんでしょ? 可哀そうとは思うけれど、剣を振り回す男女じゃあ勝ち目ないわよねえ―
「……って、こんな状態で眠れるわけないでしょうが!」
この間なんて、夜中に寝台の上でひとり叫んじゃったのだけれど、もうあれは仕方がないと思う。ただでさえいろんなことでいっぱいいっぱいだったっていうのに、ようやくできた愛しの恋人に振られてしまったんだから。
ちなみに元恋人は同僚で、新しい彼女はお城の侍女さんという関係上、仕事に行くだけで見たくない相手と接する羽目になっている。神さま、私、前世で極悪非道な人生でも歩んだんでしょうかね?
そういうわけで、職場にいても家にいてもちっとも気が休まらなくなってしまったってわけ。心が疲れてしまうと人間はぽんこつになるらしく、私は眠り方を忘れてしまった。ひとつつまずくともう駄目で、横になっていると自分の呼吸する音が耳障りで胸が苦しくなる。おかげでここ最近は寝酒用の酒を求めて、酒場を巡る日々。部屋で飲んでいると、めまいがしてくるから外で飲むしかないんだよねえ。
まあそのおかげで、周囲に気を遣ってもらえるようにはなった。好き勝手言ってくる外野からかばってもらえて、精神的にだいぶ助かっているのは事実。とはいえ同情してもらったところで私の不眠症は治らないままだ。身体のことを考えるなら、たぶん騎士なんて辞めてしまったほうがいいんだろうね。それでもようやっと叶えた憧れのお仕事を諦めることなんてできなかった。
「ああせめて、私の愛しい安心毛布があればなあ」
指をわきわきさせて、何もない宙を握りしめてみる。小さな頃から大事にしていたお気に入りの毛布。すっかりぼろ雑巾みたいになっていたけれど、あれさえあれば三秒で眠りにつけたのに。
元恋人との将来を考えていた時はこの毛布がなくても眠れていたから、未練を断ち切るために思い切って燃やしてしまった。今この機会を逃したら、もう永遠に卒業できないような気がしたから。
私にとっては人生を揺るがす決断をしたそのすぐ後に、彼は私ではない女性を選んだわけで、私ってば本当に男を見る目がなかったらしい。結婚してからそういう男だったとわかるよりもマシだったのかしら。
周囲の同僚たちが元恋人を締め上げてくれたところで、私の可愛い安心毛布は帰ってこない。自分の気持ちに折り合いがつけられないまま、今日も今日とて、思い出の中の毛布ちゃんを抱きしめながらいい感じの酒場を探していた。
「うん、なんだあれ?」
そんなときに、私は見つけてしまった。うきうきと楽しそうに先を急ぐふわふわもこもこの大型犬を。まるでこれからお仕事にでも行くかのように、夜の街を迷いなく颯爽と歩いている。あんな可愛らしい姿、人目を引かないはずがないのに誰も気が付いていないらしい。見上げるくらい大きな満月の下、お日さまを溶かしたみたいな色合いのわんこがいるというのに!
「あの子を抱きしめて横になったら、三二一ばたんきゅうで眠れそう」
わんこの身体に顔を埋めてみたい。ちょっと妄想しただけなのに、お日さまの香りと一緒に、ふわふわで滑らかな毛皮が頬をくすぐったような気がする。久しぶりに、忘れていたあくびが出ちゃいそう。そう思うといてもたってもいられず、わんこを追跡することにした。
うきうきのわんこがたどり着いたのは、とある一軒の酒場だった。一見するとお店だとは思わない、控えめな外観。お日さまみたいなわんこをつけていなければ、私だって見落としていたと思う。その店の扉を器用に前足で叩くと薄く扉が開き、わんこはあっという間に見えなくなってしまった。
「ああ、待って!」
思わず叫んだ私の声が聞こえたのか、閉まりかけた扉が再びゆっくりと開く。
「珍しいお客さんだね。いらっしゃい」
目を丸くしながら私を迎えてくれたのは、ふわふわの尻尾みたいな蜂蜜色の髪が印象的な店長さんだった。
***
しっとりと落ち着いていて、酒もつまみも美味しい素敵な酒場。それ以来、私はここの常連客になった。とはいえ、例のもふもふ毛布なわんこさんとは仲良くなれないままなのだけれど。だってお店の中に入っていったはずなのに、誰もわんこなんて知らないって言うんだもん。一体、どういうことだってばよ。
可愛いわんこの代わりに、超絶美男子の店長さんが相手をしてくれるんだけれど、今欲しいのは色気じゃなくてもふもふ成分なんだよなあ。犬はひと懐っこい子が多いと思っていたけれど、猫みたいに人見知りで知らないひとがいると隠れちゃうタイプなのかもしれない。ああ、世の中はままならない。まあ、店長さんとのおしゃべりで癒されているのは確かなんだけれどね!
「ミリセントちゃん、今日もお疲れさま」
「わあ、ありがとうございます」
「いい飲みっぷりだね。見ていて気持ちいいけれど、飲み過ぎには注意してね」
「あははは、大丈夫ですよ。家まではちゃんと帰れますので!」
そう、悲しいかな、私は酔いつぶれることができない。だからどんなに酔っぱらったところで、自宅に帰るより他に仕方がない。せめてべろんべろんの、ぐだんぐだんになってつっぷしていたなら、あのもふもふわんこさんも油断して出てきてくれるかもしれないのに。変なところでぎりぎり踏みとどまってしまう自分の意識が憎い。
「ミリセントちゃん、お酒が好きなの?」
「お酒が好きっていうより、みんなでふわっとしている雰囲気が好きなんですよ。このお店はうるさすぎないし、かといって静かすぎない。馬鹿騒ぎがしたいわけではないけれど、ひとりだと寂しいっていう時にぴったりなんです」
「……ミリセントちゃん、疲れているんだね」
「そう、ですね。そうかもしれません」
するりと自分の口から、寂しいという言葉が出てきてびっくりしてしまった。騎士団には女性の事務員のお姉さまがたはいるけれど、騎士として働いている女性は数える程度しかいない。だから無意識に肩ひじを張って生きているのかもしれない。普段は言わないようにしている気持ちをするりと吐き出させてしまうだなんて、店長さんったら本当に恐ろしい子!
店長さんからの聞き込みとか大変そうだなあ。手元のグラスを傾けながら、ぼんやり考える。事件や事故が発生した時の聞き込み調査も私の所属する騎士団の仕事になるけれど、店長さんからは情報を引っ張ってこれない気がする。むしろ部外秘になっている情報を逆に持っていかれちゃいそう。時々いるんだよね、相手の警戒心を解くのがうまいひと。
「はあ、これじゃあ話を聞くのは難しいだろうなあ」
しょんぼりとしてつい愚痴った私の声が耳に入ったのか、お隣に座っていた常連さんが不思議そうに私に声をかけてきた。
「何が難しいの?」
「ええ、ちょっと聞きたいことがあったのですけれど、さすがに話の流れも何もないまま聞くのは難しいなあと」
「具体的に店長さんに何を聞きたいの?」
「ああ、そうですね。犬の話なんですけれど」
その瞬間、店内の音が突如消えてなくなった。え、なに、なに、なに。ちょっと怖いんですけれど? こういうドッキリみたいな反応、やめてもらえます?
「犬って、犬?」
「そうです、とっても魅力的で近づかずにはいられない魔性のわんこの秘密についてなんですけれど」
力説しすぎたのか、常連さんがなんとも言えない顔で腕を組んだままうなり始めた。
「犬、犬かあ。あなたは、犬への嫌悪感とかないの?」
うん? なんだろう、アレルギーとかの心配かな。ありがたいことに動物全般大好きなんだよね。向こうさんからはあまり好いていただけないのが悲しいところなんだけれど。
「え、あるわけないじゃないですか。忠誠心が高くて、ひたすら一途。決して相手を裏切らないところなんて、最高です」
「そっか、そうなんだ。ふんふん、なるほど。それなら、まあ問題ないか」
「ええ。むしろこんなに大好きなのに、ちっとも相手には好きになってもらえなくて。それだけが悲しいところなんですね」
「あひゃひゃひゃ。まさか、ここで、こんな面白恋愛話を聞くことができるとか思わなかったよ。よーし、みんな、飲もう! 熱い愛の告白に乾杯!」
「え、何を言って……。ちょっと、べろんべろんでひとの話、聞いてないし!」
犬に反応していたってことは、やっぱり常連さんたちはもふもふわんこのことを知っているのでは? すみません、その話、詳しく教えてくださいいいい。駄目だ、完全に酔っぱらいと化している。もしもーし。最終的に何の解決も見せないまま、あっさり酔いつぶれるのはやめてもらえませんかね?
珍しく場末の酒場のように騒がしくなったのもつかの間、結局常連さんは、一緒にいた腐れ縁らしい男友達に抱えられて店を出ていった。あれは、絶対に男の人が女の人を恋愛対象として狙っている感じだな。でも、相手の気持ちが自分に向くまでは絶対に手を出さない真面目さんだ。わかる、わかるぞ! 男ばっかりの騎士団に所属しているからこそ、ひとさまの色恋には敏感になるもの。このミリセントさまに死角はないのだ! お目当てのわんこは探せない節穴だけれどね!
わんこ、わんこ、もふもふわんこ。会えないからこそ、会いたくなるのか、すべての物事がわんこに結びついてしまう。頬杖をついて、店長さんの揺れる尻尾を目で追いかける。金色の髪を少し高めの場所でひとつ結びしているから、まるで尻尾みたいにくるんくるんと揺れているんだよねえ。
とろんとした目で店長さんの後ろ頭を見続けていたせいか、他のお客さんたちに笑われてしまった。
「さっきの話を聞いてもしかしてとは思ったけれど。騎士とはいえ、ミリセントちゃんはそういう捜査は向いてないし、ただの個人的な趣味なんだよね?」
「は?」
「でもわかるよ。好きなひとのことは、何だって知りたくなるものだし。まあ確かに、店長はいい男だもんね」
「……うん? まあ、店長さんは美男子ですよね。色気駄々洩れですんごいですもん」
「珍しく店長がコップを床に落として割っていたし。結構、脈ありかもよ?」
このひとは何を言っているのかね? そこで訳知り顔でうなずくおじさんの肩越しに、店長さんがこちらを静かに見つめていることに気が付いた。蜂蜜色の髪がまたふわりと揺れる。ああ、やっぱり似ている。あの、私が追い求めてやまない、可愛い可愛い安心毛布なわんこちゃんに。
店長さんは私から目を逸らすと、困ったような顔で割れたコップを拾い集め、瞬時に何の傷もないコップに戻してしまっていた。あれは、復元魔法! まさか、店長さんって魔術師なの? はえええ、すごいわ。その昔、誰でも魔法が使えた時代とは違って、今の時代、魔術師は貴重な人材。望めばどんな職にだって就くことができる。それこそ、こんな風に身を隠すように生きる必要なんてない。
ここは居心地の良い隠れ家的な酒場。まさか、店長さんは、魔術師になることを厭い、人目に触れないように生きているのかしら。……才あるひとが目立ってはいけない理由ってなんだろう。何か大きな秘密を抱えているとか?
そこで私は閃いてしまった。店長さんこそが、私の追い求めていたもふもふわんこさんなのではないかと。店長さんは、妖精、あるいは獣人族で、日頃はその正体を隠して人間の振りをして暮らしているのではないかと。
睡眠不足と、恋焦がれた安心毛布なわんこちゃんへの思いで脳みそが焼き切れていた私は、それを本気で信じ込んでしまったらしい。動揺する心を抑えようと頑張った結果、私は珍しく飲み過ぎた。足元がおぼつかないなんて、一体いつぶりのことだろう。そんな私に、店長さんが優しく声をかけてくる。
***
「ミリセントちゃん、よかったら家まで送るよ」
「えっ、そんな申し訳ないです。店長さん、お忙しいですよね」
「君がひとりでちゃんと家に帰れるかを心配していたら、仕事にならないからね。わたしの心の安寧のためにも送らせてほしいんだよ」
なんて自然な言い方! 店長さんが私なんかを心配するはずないんだけれど、そうやって押しつけがましくなく言われてしまえば、私だって悪い気はしない。ありがたく自宅まで送っていただくことにした。この流れで、店長さんの正体はあのわんこさんですか?って聞くこともできるかもしれないし。それなのに、本当についてない。まさかこんなところで奴に会うなんて。
「ミリー、君は騙されているんだ。俺にはわかる」
「いつまでも愛称を呼ばないでくれる? 不愉快なんだけれど」
何をとち狂ったのか、元カレがドヤ顔で私に花束を差し出してきた。どうして急に復縁を申し込んできたのかなんて、簡単に予想できる。私の捨て方があまりに酷すぎて、騎士団内部で総スカンを食らったのだ。騎士団は男性の多い職場だから、みんなが自分の味方についてくれると思ったのかもしれないけれど、そうは問屋が卸さない。
あのひとたちは、脳筋だけれど筋は通すひとたちだ。それに、騎士団では女性事務員が書類仕事を一手に引き受けてくれている。力だけでは組織は成り立たない。その辺りのフォローをやってくれているお姉さまたちは、彼のやり口に大層ご立腹だった。ちょっとした仕返しとして、彼の分の事務作業が放置……もというっかり後回しにされていたのだろう。ここ最近では、さまざまな部署の偉いひとに元カレが叱られているのもよく目にしていた。
そんな姿に、新しい彼女ちゃんからは「騎士なのに、カッコ悪い」と捨てられてしまったのだとか。「騎士」だったら、力でなんとかなると思ったのかな。そんな盗賊みたいな集団、逆に怖いだろ。
脳内でツッコミを続ける私を元カレから隠すように、店長さんが間に立ってくれる。
「ミーちゃん、このひと、知り合い?」
「元カレです」
っていうか、変な愛称を勝手につけないでください。猫ですか、私?
「ふーん、そう。もしあれなら、わたしがすぐにでも片付けちゃうけれど?」
「いいえ、大丈夫です。これは、私と彼との問題ですから。私自身の手で片をつけます」
ぎゃー、店長さんいけません! それって魔法ですよね? 魔法使っちゃいますよね?
わんこが人間を傷つけたら、最悪、保健所送りです。何かしらの事情があれば情状酌量の余地があるかもしれませんが、この男は腐っても騎士。自分に都合の良いように言い訳をするに決まっています。万が一、店長さんに何かあったら、私、生きていけません。
まだ撫でさせてももらっていない、もふもふの毛並みを想像しながら、私は店長さんの揺れる尻尾のような長い髪を見つめた。よし、愛しのわんこのためなら頑張れる!
剣は持っていなくても、この腐れ男には負けはしない。
「何、びびっちゃった? カッコつけたはずが女の子にかばわれるなんて、ダサすぎだろ」
「本当にダサいのは、嫌がる女性にしつこく絡み続ける自分自身だって気が付かないんですかね?」
「なんだと!」
「きゃあ、こわあい!!! あ、手がすべっちゃった!」
いざとなれば、ぶりっ子染みた声くらい私にだって出せるんだよ。普段は気恥ずかしいし、その必要もないので出さないだけで。あら私ったら、「男並みに剣を振り回す可愛げのない女」って元カレたちに笑われていたこと、意外と根に持っていたみたい。嘘くさい悲鳴を上げるのと同時に、元カレの腹に拳を叩きこんだ。
「っぐえ!」
「まあ、すっかり夏らしいこと。こんな王都の裏通りにまで、カエルが出没するなんて。せっかくだから、捕まえて市場に持っていけばよい値段で売れるんじゃない? ほら、カエルの肝ってなんかの薬の材料になるって聞くし」
「おい、やめ、この人でなし!」
「あなたにだけは言われたくないから」
こういう奴にうっかり情けをかけてしまうと、痛い目を見るっていうのは職業柄身に染みている。私は元カレが再起不能になってくれるといいなと願いながら、念入りにちくちく言葉を浴びせかけつつ、足で踏んづけておいてあげた。ついでに、「酔っ払いに襲われた女性がいる」と匿名で騎士団にも通報しておいたので、うまくいけばこいつとは明日以降、顔を合わせなくて済むかもしれない。
***
「いやあ、すごいね。だが残念ながら、わたしの出番はなかったようだ」
「て、て、店長さん!」
しまった、店長さんに手を出させないこと、自分でけじめをつけることを優先し過ぎて、この馬鹿力と執念深さを見せたらなんて思われるかということを忘れてたよ。ああああああ、私の馬鹿馬鹿馬鹿。せっかく、いい雰囲気だったのに! ええい、かくなる上は!
「私、あなたの秘密を知っているんです。バラされたくなければ、今夜一晩で構いません。私と一緒に寝てくれませんか?」
「騎士さまが一般人を脅すなんて、悪い子だね」
「だって店長さん、あなたは一般人なんかじゃないでしょう? 私、知ってるんですから」
私の言葉に店長さんは、驚いたように目を見開いていた。
「ミーちゃんは、わたしの秘密を知っていてそんなことをお願いしているの?」
「はい。誰にも言いません。でもどうしても私、店長さんと一緒に寝たいんです! もう我慢できない。限界なんですっ」
そう、あの元凶たる元カレに一発決めたおかげか、私は満ち足りていた。ストレスの原因に直接仕返しができたおかげで、不眠症そのものが一気に改善したらしい。そんな即効性があるのかは正直疑問だけれど、眠たくてくらくらしてきたのだから、しょうがない。
あまりの眠たさに、涙で目が潤む。眠い、眠い。今ならこの道端でも意識が飛びそうだけれど、せっかくなら安心毛布なわんこと一緒に朝までぐっすりコースがいいよおおおおお。せっかくの眠気を手放したくないっ。
「店長さん、お願いっ」
はあはあと息を荒げながら、身体を預ける。店長さんが私を抱きしめてくれるのと、心地よい眠気に身をゆだねて私が意識を手放すのとは、ほぼ同時だった。
***
翌朝。
「ふわあ、よく寝たあ~」
思い切り伸びをしたところで、拳ががつんと何かに当たった。うん、なんだこれ。枕元にこんなでっかいものなんか、置いてたっけ? 寝ぼけ眼で確認してみる。ちょっと小ぶりの西瓜みたいだけれど、さすがの私も西瓜と一緒に同衾はしないしなあ。だいたい、これ、なんか凹凸あるし、尻尾みたいな毛もついているし。ええと、昨夜って、私は何をしていたっけ?
そこまで考えて、飛び起きた。隣には半裸の店長さんが、笑顔でこちらを向いている。え、何、その格好。腕枕してもらっていたのに、今、伸びをして頬を殴ったの? マジで? え、嘘、ありえない失態なんですけれど?
「ゆっくり眠れたみたいだね?」
「すみません」
「いや、怒っているわけではないんだよ。疲れはとれたかい?」
「おかげさまで」
本当に久しぶりの安眠で、身体の中から元気が湧き上がってくるようです。ってか、店長さん、半裸だよね? 全裸じゃないよね? やっぱりいったん、犬になったら洋服は消えちゃうの? どうしよう、毛布の下がどうなっているのか確認するのが怖い。あ、私に着衣の乱れはありません。念のため。
「あれ、ここ、どこですか?」
「どこって、君が行きたがっていたわたしの部屋だよ」
「宿屋じゃなくって? だってこのお部屋、めちゃくちゃ大きいですよね?」
私が騎士団の女子寮住まいということもあるが、自分の感覚では自宅とは思えない広さと豪華さに、内心焦る。このレベルの宿代を折半するだけのお金、財布の中に入ってたかな。思わず口に出た疑問に、店長さんは不思議そうに首を傾げる。
「そうかな。臣籍降下した王族としては普通の範囲だと思うけれど」
「……臣籍降下した王族? 誰が?」
「わたしがだよ」
「店長さん、王族なの?」
「ミーちゃんが自分で言っていたじゃない。わたしの正体を知っているのだから、自分の要求を飲めって」
いや、知らん知らん。そんな話は初耳ですが?
「あの、店長さんの正体は『犬』ですよね?」
「そうだね、わたしの正体は王の犬だよ?」
「うん? 金色のあんよががっしりとしていて、人懐こい、誰にでもほがらかな大型犬じゃなくて?」
「王の犬は、冷酷無比な人間の集まりのはずなんだけれど。そんな可愛らしいわんこなんていたかな?」
「……」
国王陛下直属の魔術師団、通称王の犬。魔術師の中でも、ごく限られた人間しか所属できないそれは、さまざまな伝説に満ちている。やれ、魔獣の群れを一撃で消滅させただとか、ちょっかいをかけてきた馬鹿を氷漬けにしてやっただとか、血気盛んな火竜とガチで喧嘩をしただとか。いろんな噂を聞くことはあれど、素顔は決して明らかにならない謎の魔術師集団、それが王の犬。店長さんが、そこに所属している魔術師だって? いやいや、何の冗談だよ。でも店長さんが嘘を吐いているようには、見えない。そもそもこんなときに、どうでもいい嘘を吐くひとじゃないことは、私がよくわかっている。
「……店長さん、なんでそれを私に言うんです? もしも私が脅したとしても、しらをきることだってできましたよね? え、私、どうなっちゃうの? 死体に口なしとかそういう感じですか?」
「だって家族には守秘義務はないからね。むしろ、ちゃんと自分の所属している組織のことは正確に伝えておかないと、有事の際に心配だし」
って、いきなりおでこにキスしてきたああああ。なんで? なんで? 一体どうなってるの?
「ミーちゃん、王の犬のことを嗅ぎまわっている様子もないし、その癖わたしに興味津々みたいだし。かといって、その目にいやらしさがないんだよ。普通の女性は、金か身体か、その両方が目当てのはずなのに」
「いや、完全に身体目当てですよ!」
「身体目当ての人間が、即落ちでぐうすか寝るわけがないだろう。あんな思わせぶりなことを言って、わたしは結構期待していたのに。無邪気にわたしを翻弄して。本当にミーちゃんはいけない子だ」
寝るって、そういう意味だと思われていたの?
いや、本当にただただ安眠を求めていただけなんですう。限界突破して、意味不明なことを言ったことは謝ります。ごめんなさい。だから、謎の顔面きらきら攻撃で、求婚まがいの言葉を吐くのはやめてええええ。勘違いしちゃうううう。
わふん。
あわあわする私の元に、もふもふした金色の毛玉が飛来した。おおおお、これは!
「あああ、私の安心毛布ちゃん!」
腕の中にもふんとおさまっていたのは、あの日見つけたお日さまみたいなわんこだった。やっぱりもふっとわんこは本当にいたのね。私の夢や幻じゃなかったんだ! 嬉しさのあまり大型犬の身体に顔をうずめてすはすはしていると、呆れたような店長さんの声が落ちてきた。
「なるほど。ミーちゃんはわたしではなく、相棒狙いで店に通ってきていたんだね」
「この子、店長さんの相棒なんですか? ペットではなく?」
「この子はこう見えて聖獣なんだよ。本来の力を解放すれば、国だって焦土にできるくらいのね。家での留守番は退屈みたいだし、聖獣に勝てるような人間はこの国にはいないから自由に出入りさせているんだ。ちなみにあの酒場は、王の犬の情報交換場所だよ」
隠れ家的酒場というか、本来なら見つからないはずの酒場だったらしい。じゃああの気さくな常連さんたちもみんな魔術師なの? 嘘でしょう?
「それにしても、妬けてしまうな。わたしは君に出会ってから、君のことで頭がいっぱいだったというのに。君はわたしのことなんて、眼中になかったのか。まあ、確かにこの子は可愛いけれどねえ」
うん、店長さん、この手は何ですかね? あと、なぜ、わんこもとい聖獣さんを横にどかしてから、私に覆いかぶさってきたのでしょうか? まさかまさか、こんな美形で貴重な魔術師さまが平凡な私に手を出すなんてことは、ない、よね?
「あの、店長さん。手を離していただければありがたいんですが?」
「わたしと一緒に寝たいと言ったのは、ミーちゃん、君だよ」
「いや、それは一緒に寝てもらえたら朝までぐっすり眠れるだろうなあと思っただけで」
そもそも、ひと違いならぬ犬違いでしたし。
「大丈夫、ちょっと運動して身体があたたまったら、またぐっすり眠れるから」
「店長さんが、変態染みた発言をしている!」
「むしろ、昨晩わたしをひたすら生殺しにしていたミーちゃんの方がとんでもないと思うけれどね。すやすや気持ちよさそうに眠る君を見て、わたしがどれだけお腹が空いたか、わかるかい?」
「いやいやいや、聖獣さまにこういうやりとりを見せるのは教育上よくないのではないかと」
「心配は無用だ。彼は、よく理解している。ほら、邪魔をしないように向こうの次元に行っておいてくれるそうだよ」
「ひえっ、向こうの次元とか何? ってか聖獣さま賢すぎる!」
「まあ、とりあえずあと一回だけわたしと朝まで過ごしてくれたら、きっとわたしから離れたくなくなるよ。なんといっても、わたしは尽くす男だからね」
「ぎゃああああああああ。桃色なサービスは求めてませんんんんんんん」
そういう訳で不眠症は無事に解消したのだけれど、それ以来腰が痛い毎日を送っています。
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