牛の首
家紋武範さま『牛の首企画』参加作です。
「牛が並んでたんだってば」
だから、人間じゃなくてさ。
彼はいつもそう供述していた。
過去に起きた被疑者死亡で迷宮入りした一件だ。
彼の供述は矛盾だらけではあったが、彼の言葉だけを並べれば筋が通っているものだった。
ある日、言葉を喋る牛頭が現れた。言葉を喋るから、会話する。食事を運んでくる牛に「ありがとう」を言うと、無表情なその顔に喜びすら見られるように思われた。
食事を運ぶのが母親でなくて牛になった。
ちょうど、母親の顔なんて見たくないと思っていたから、ほっとしたんだ。
そんなある日、牛頭が彼を外へ誘おうと彼の袖を引っ張った。
「もうもう」しか言いやがらないんだ。
もう、いったい何だって言うんだよ。
そうしたら、牛頭がもう一匹現れて、「もうもう」言いながら加勢するものだから、思わず蹴り落とした。
彼の部屋は二階に上がってすぐの部屋だった。牛頭が一匹階段を転がり落ちた。
もう一匹の牛頭が慌てたようにして、階段を下りていく。
怒鳴り声のような「もう」という声が彼の耳に響くと、彼のむしゃくしゃした気持ちが溢れ出した。
部屋に戻り、バットを掴むとその牛を追いかけて、思い切りその後頭部に叩きつけた。
階段下に転がる二匹の牛。
そして、玄関にはまた新しい牛がいた。
また……。恐怖だった。
そう、彼は同じ恐怖に駆られ、その「もうもう」言う牛に向かってバットを振り切った。悲鳴が上がる。
「ぎゃー」って聞こえたんだ。
それでも、彼はバットを振り下ろし続けた。
牛の死体とは言え、玄関先に三体も死体が転がっているのもな、と思ったらしい。
一生懸命に牛を家の中に入れようと、牛を引きずる。
それをまた牛頭が非難しにきた。
供述はそれの繰り返しだった。そして、実際の犯行を認めようとはしなかった。
自分の父母を、友達を、第一発見者を撲殺した高校生の犯行だった。そして、彼は言った。
「おふくろと、親父、それから湊、隣のおっちゃん。……ずっと鬱陶しかったけど、会えないかな」
隣のおっちゃんこと岩崎さんは、時々引きこもった彼の姿が見える窓を見て、挨拶をしていた。
父母はもちろん彼の世話をしていた。
湊こと、藍川湊くんは、彼の親友で同じ野球部、メールや電話で繋がっていた。
彼のよく知る、いわゆる鬱陶しい知り合い達。
動機はそれで記述されている。
取り押さえられた彼の発したはじめの言葉は「人間もいたんだ」だった。
しばらくすると「やっぱり、牛しかいないんだ」と変わる。そして、彼はこちらの言葉が分からなくなる。
精神鑑定も行われるが『牛』認識以外は正常だった。
しかも、鑑定人は人間に見える。
ある日、鏡の前で自分の首を、その爪で掻ききって、独房の中で発見される。
その傷はまるで何かを取り外そうとするかのような、上向きのひっかき傷だった。何度も何度も、皮膚をえぐって、それでも止めなかった結果だとされている。
しかし、人間が、自分の爪で首を掻ききることができるのだろうか。考えられない。
「もう、またここにいた」
「あぁ、早川」
「美津島せんぱい、それあれでしょう? 通称『牛の首事件』あんまり関わらない方が良いですってば」
「そうなんだけどな、……」
私は言葉を濁し早川を見つめた。
拘って追いかけていた刑事達が行方不明になったり、精神異常を来したりした事件。
「そうだ、な」
私はそのファイルを閉じる。
何が始まりだったのか。それを潰そうと頑張れば頑張るほど、ドツボにはまる。
「早川の昇進はいつだっけ?」
「一ヶ月後。先輩の階級追い抜かしちゃいましたぁ」
冗談交じりに、
牛が言った。