第1話-2 五月の木漏れ日の中で
その日、あおは研究室にいた。初夏の陽気だ。風が吹いていた。窓を叩くほどではないが、木々が揺れているのが窓越しにわかった。
バイブがなった。また刈安からだ。あおのデスクには文芸誌のための台割が置かれている。彼はそれを取って見ながら携帯を手に取った。
文芸誌掲載に関係している構成メンバーと、記載文章タイトル、挿絵などの掲載画像数とその大きさ、中身の要約はあらかじめ刈安からあおとみどりに伝えられている。
実質この時期一番大変なのは刈安だった。
刈安からのメールはこうだ。
「とりあえず、メンバーの確定と作品の方向性、企画は出揃った。あとは藍鼠くんにその要点を送っておくから、この間、彼女が作ってくれた台割の第一案の中にさしこんでおいてくれ」
あおは刈安から話を聞きながら、文芸誌のレイアウトについて考えていた。みどりが台割でこうしたいと提案をし、フォーマットを作成してきたので、中身の構成に関してはすんなり通りそうだった。あおは別段文芸誌づくりをしたこともなかったから、デザインの経験のあるみどりの方がそれに関してはずっと了解を得ているだろうと思った。この文芸誌学部生が制作した文学、それからエッセイや論文なども含めて公表してる文学部の目玉のイベントともなっている代物である。
そして、また別のタイミング刈安からのメールが届いた。
「それからーー」と続いて、表紙のデザインについていくつか述べてあった。
はじめは順調であった。しかしこの時に刈安が誘った杜若潤が本の表紙とその雑誌コンセプトの考案の段階で「やってもいいですよ」などと言うからややこしいことになったのだ。
あおは同じ科にいる杜若にも会うことにした。
表紙とコンセプトをやるということはすべて杜若が文芸誌全体のレイアウトを練らなければならず、やがて中身のビジュアルまで全部を担わなければならなくなる。そのことが本当のところ彼女に分かっているのだろうか疑問だったからだ。
すべて自分でやらないにしても、デザイン案を担うということは全体を形作っていかなければいけない。ことによってはさらなる改編を重ねなければならない訳であるから、誰よりこの文芸誌に密着して作業を重ねなければならない。杜若にそれが分かるのだろうか?
「やってもいい」
一番信用できない言葉だ。こんな口約束なら、じゃあやらなくてもいいと放棄できる訳だ。はっきりしない嫌な答えをそのまま受け入れられるだろうか――。あおは考えた。しかしいくら考えてもやってもいいということは途中で逃げますと宣言されている気がする。そう思うと非常に不愉快になった。そんな人間は要らない。しかしながらみんなもう大学生だ。責任の取り方も見てみたい気がする。彼女はどうするだろう? 自分が責任を負わなければならないことに関して「やってもいい」それは、責任は負えませんと言いたげだ。「やります」ではないのだ。あおは確信をもって彼女は逃げるだろうと思った。
もう夜遅かった。色々考えているうちにあっという間に日が落ちたのだ。あおはみどりのメールを見ながらさっきのことを考えていた。
刈安も信用して彼女を使ってみることにしたはずだ、あおはしばらく杜若の出かたを待つことにした。