第2話-3 萌黄色の季節が来るまで
こんなに人を好きになったのは久しぶりだった。それは彼の正直な気持ちである。はじめあおにはこの気の持ちようが何だったのかわからなかった。落ち着きが持てないまま部屋の中を右に左に歩き回った。〝なんだろう?〟と思ううちに、しかしすぐにもみどりのことを考えているということに気がついた。だがそうしているうちに、あおは不安になった、みどりはいったいどういうつもりなのだろう? 不思議だ。あれほど毎日やり取りを繰り返していて、ひとつも疑うことはなかったのに、こういう思いに駆られると何一つとして今までのことが嘘のようにも思える。いまは言葉ひとつとってみてもどういうことなのかわからない。大丈夫と言葉が浮かんで、しかし裏切られることを考えてしまう。わかっているような素振りで何か言うのも、非常におかしなことになりそうだ。
あおは歩いていた。風景には風だけがそこを通るのが分かった。確かにビル群や森があることが見える。そして確かにそうしたものたちが立ち誇っている地べたの上を快活に歩いているのだ。けれども、何にしてもそういったものは彼の眼には入らなかった。眼に映っているのは空だけで、その他に感じたのは、風が彼の身体を吹き抜けていくということだけであった。その日の空は素晴らしかった、風がうまいぐあいに彼の身体を運んでいるからに他ならなかった。しかしそれよりもあおはみどりと逢えて、そうした周りの空気のことを感じられる気持ちになったことがその日のすべてだった。
あおは嬉しかった。ただ単に愉快なだけではない。あおが愉快なことにみどりも愉快になっていたことが彼をそうさせていたのだ。
「好きです、この作品――」
そしてまた一方でみどりは少し浮かれていた。みどりは自分の容姿の美しさの陰で自らが汚い人間であることをどことなく感じることがあった。しかしながら彼女か思う男性はいつもクールな感じを思わせた。そのためかはいつも自身の下心を隠して生きたいと心で感じていた。その汚さを文学ゼミで椛先生が吐き出すようにと言うから、彼女はこのころ気になっていた作家の文体を真似て、小説を書いた。
そして彼女は文芸誌の掲載のはなしから、刈安と知り合い、沸騰しそうな羞恥心を持ちながらも、椛教授と刈安がこの小説を絶賛するがために、仕方なく掲載を了承したのである。しかしながら、刈安があおとみどりを引き合わせと事で、彼女は、また辱めを受けたような気持ちになっていた。やはり知らない大勢の人にあの作品を見せるのはどうにも耐えられなかった。けれどもあおからもあの小説を高評価として受け入れられてしまった。みどりはあおの言葉を意識しすぎたためか、メールのやりとりたび、自分の身体をイジられる快感に無意識のうち憧れ始めていた。俄然胸のあたりが翼動するとともに、すぐにまた不安で気持ちが沈みだした。そして、あおからメールが来るたびに悦びがおこった。その繰り返しがたまらなかった。たまらなくなって、自分の身体で遊ぶことがやめられなくなっていった――。
そして時に夢を見た。恥ずかしさと憧れが彼女を昂揚させていた。胸の高鳴りが抑えられなくなって、やり場のなさから寂しくなってしまうこともあった。そんなとき、みどりは床で彼と逢えたときのことや、メールの文面などを思い出し、乳房を触りながら吐息を荒らげた。身体が自然と揺らめくのを止められなくなっていた。快楽だけではなかった。陰部が勃起し濡れてしまっていることもわかっていた。彼と触れ合いたいその気持ちだけで彼女は盛り上がっているのだ。
そしてときが来れば彼女は絶頂ののち、力尽きて眠りに沈むのであった。