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荒廃化したもの


 



 都内のファッション系の店が多数立ち並ぶ街並み。

 夕暮れの日が落ち始めた時間帯、人通りがさらに増し始めたその道に、気が抜けたような顔で店のショーケースに映る自分の顔を眺めている女性がいた。


 その女性、一ノ瀬和美は自分に湧き上がって来た感情の処理を上手く行えず、しばらくこうして不審行動を取っていた。


 しばらくそうしていて、ようやく彼女の中で処理が追いついたのか、自分の顔を両手で包むようにしてだらしない笑顔を作る。



「……へへへ、一般の人に褒められちゃった……警察のエースがついに世間に知れ渡る時が来たのかもしれないっスね……!」



 突然の奇行(少し前から)に周囲を通っていた人達がさらに避けるように広がりを見せていく。


 彼女の上司がこの場に居れば叱咤される事間違いなしなのだが、あいにく上司は忙しく仕事に励んでいてこの場に現れることは無い。

 今の彼女に付けられている首輪は無いのだ。


 まさに解き放たれたチワワである。



「まあ、私としては普通に注意しただけでしたけど、ああやって評価してくれる一般市民もいるんスよね! 全員が全員警察憎しみたいな人ばかりじゃないっスもんね! えへへぇ、今日出掛けて良かったっスねぇ……」



 基本的に一ノ瀬和美はチョロい。

 特に自分が頑張っている事を褒められるとさらに倍率が掛かる人物だ。


 普通に考えて一般市民が連絡先を渡してきたり、異能に関する事件を追っていると警察官に言うなんて不自然だが、既に死んだ目の少女を良い子認定している彼女は、色んなことを都合の良いように考えてしまうくらい判断基準がガバガバだった。



「私の人柄を信頼するに足ると判断して、何かあった時に連絡できるように連絡先を渡して来たんスかね? ……仕方ないっスねぇ!」



 そんなぼそぼそとした独り言を呟き、上機嫌に少女から貰った連絡先を自分の携帯電話に登録していく。

 それから、確認のメールを少女から渡されたアドレスへと送信し、今日は満足できる一日を過ごせたと言わんばかりに満面の笑みで意気揚々と帰路に就こうとした。


 のだが。



「……あれ?」



 今メールを送った相手からの返信が直ぐに来た。



『受信時間:11月18日18時41分

 送信者:抱き心地の良い死んだ目の子

 表題:無題

 本文:友達が超能力の犯罪に巻き込まれました

 体をぬいぐるみに変えられて、交番の人に話しても信じてもらえませんでした

 犯人の男の家の場所が分かったので添付します。もし私が帰らなかったらよろしくお願いします    【添付画像】    』


「…………はぁぁぁあああっ!?」



 一ノ瀬和美のそんな叫びが、暗くなり始めた街中に響き渡った。





 ‐1‐





 今回の一連の行方不明者事件、“無差別人間コレクション事件”は、異能開花の薬品が世間に流通している事を示すような代表的な事件だろう。


 つまり、個人の欲望による異能使用での犯罪行為であり、計画性も無く大望も無い、個人による欲望を動機とした、単純かつ大衆的には理解されないような犯罪行為だと言う事だ。


 個人による犯罪ならではのそういった犯罪の性質は話題性が高く、同時に世間一般には理解されず、当然ながら激しい拒絶を受ける。


 生まれ持って備わった才能、積み重ねた結果の技術ではなく、金銭により購入した商品としての異能であれば、その使い方は簡単に誤るものだ。

 異能開花の薬品を利用したこういった事件のように、非人道的で非科学的、さらには被害者へ行った行為が残酷であればあるほど、より異能犯罪を世間に広く知らしめられる事になる。


 現状、異能と言う力が世間に広がりを見せてそれを悪用しようとする人がいる以上、私としても世間に異能の認知が進むのはある程度仕方がないと諦めている。

 確かに異能は危険だし、異能を持たない者が異能に対する見識を深め、ある程度の対策を取れるならそれに越したことは無い。

 私だって、異能によって無抵抗に被害を受ける人を許容するべきだとは思わないからだ。


 だが、それにしたって異能についての悪感情が先行するのは私としてはいただけない。

 世間的な風潮が極端化して、『異能を持つ者=悪』の図式が出来上がっては様々な面で不利益を被る事は目に見えているし、異能持ちと異能を持たない者での対立など起きて欲しくはないのだ。


 結論として、私としてもこういった他人を無機物に強制的に変えるなどと言う非道な異能犯罪は到底許容できなかった。



「……ここですね」

「お、大きい。庭にガーデニング、家に門が付いてるなんて……ほ、本当にあの男がここに住んでるの……? 私が見た男はもっとこう……みすぼらしかったと言うか……」

「まあ、うん、大体予想はしてましたけど典型的なお金持ちの家ですね。しばらく手入れがされていなそうな所も、予想通りですけど」



 日没後、時間にして午後七時。

 私達二人は遠目からこっそりと、電柱の影から覗き込むようにして、私が仕込んだGPSが示す家を確認していた。


 私達が見つめる先にある家は、洋風庭園を備え付けた古ぼけた屋敷だ。

 かつては見事なバラ園であったり、噴水であっただろうものが枯れ果てており、今は誰の手も入っていない事は遠目からも明らか。

 まるで廃墟のようであるが、家の正面に構えている門の脇の小扉が最近開閉された跡があることから、ある程度人の出入りがある事は窺える。


 ツタが絡む巨大な屋敷の中から正確にぬいぐるみにされた被害者達を見つけ出すのは非常に困難。

 その上、目を合わせれば問答無用で無力化される異能を考慮しつつ、慣れない屋敷の中を探って、犯人を制圧しなければならないという難易度の高さを考えれば、ギャル子さんの腰が引けるのも仕方がない。


 と言うか、そもそも幽霊屋敷に見えるので夜ここに侵入するのは普通に怖い。



「わ……私、しばらくアンタん家泊ってもいい? あの、電話を借りて、親には友達の家に泊まるって言うから……駄目かな?」

「なんでヘタレてるんですか……? いやまあ、暗くなってきましたし、灯りがほとんどついてないあの屋敷は正直不気味ですけど……」



 見事にヘタレ始めたギャル子さんに、この私が思わず突っ込みを入れてしまった。

 いつもであればヘタレるのは私の役目なのに……これはこれで新鮮である。


 いつもは精神が超人的すぎる人達(主に神楽坂さん)に囲まれていたから私が特別ヘタレかと思っていたが、別にそんなこと無いようで少しホッとした。



 ギャル子さんに伝えている私の目的は、『ギャル子さんの体を元に戻すことに成功するならそれで良いが、それが無理なら証拠と成り得る他の被害者の確保を行う』、と言う事。

 今のところギャル子さんに伝えている情報や状況から違和感を持たないだろう目的を提示し、こうして乗り込みに行動しているが、当然私の本当の目的はそうではない。


 私の計画としてはこうだ。

 まず屋敷に潜入し、ぬいぐるみ化を解除する為の参考として他の被害者達の状態を確認する。

 可能であれば救出するつもりだが、確認後、何かしらの方法で犯人の男を誘き出し、そのタイミングで私が救援要請を掛けた警察のエース(自称)さんと鉢合わせさせる。

 後は私がこっそり犯人である男の異能を封殺して、警察のエースさんが逮捕した体を作り上げる訳だ。



(……まあ、本当は話が合わせやすい神楽坂さんに協力してもらうのが一番だけど……)



 過去の悪事がバレて話し辛い……いや、昇進の関係で忙しそうだし、あまり異能犯罪を神楽坂さんが解決してばかりだと疑問を持つ人が出てくるかもしれない。

 解決する人は分散させるのがベストだろう、と思うのだ。うん。


 そうやって思考を切り替えた私は、頭を抱えている鯉田さんを放置して自分の異能を起動させる。


 探知する。

 屋敷の中にある知性体は外側から見た人気の無さに反してかなり多い。

 その中でも、動きの無い密集した知性体達が恐らくぬいぐるみにされた被害者達だろうか。

 後は、屋敷の中を動き回っているのが複数あるが、幾分か動物的過ぎる思考回路をしているし、多分人ではない。

 なんだろう、犬でも屋敷内で放し飼いしているのかもしれない。


 となると、別室で作業しているアレが犯人の男だろうと、屋敷の中の配置におおよその当たりを付けた。



「…………あそこっぽいですね。他の被害者が集められている場所」

「え!?」



 私がコンパクトサイズの望遠鏡を覗いてそんなことを言えば、ギャル子さんは驚愕の声を漏らす。

 こんな暗闇の中、望遠鏡があっても目的の場所が見つかる筈が無いと思っていたのだろう。

 私が示した先にある部屋を望遠鏡で覗いて、部屋に今の自分と同じようなぬいぐるみが並んでいるのを確認するとギャル子さんは感嘆の溜息を吐いた。



「本当だ…………アンタやっぱり、警察とか向いてるんじゃない? いや、法律とか常識とか気にしないのを考慮すると探偵の方が良いのかもしれないけど……」

「ぜぇったい嫌でぇす!」

「なっ、なんでそんなに拒否するのよ……! もしかして、警察嫌いなの……? そ、それならごめんだけど……」



 普通に読心による探知でズルしただけなので、ギャル子さんの言葉は全力で拒否する。

 基本的に私は親切心を出すと不幸な目にあるのは分かっているのだから、そんな職業に就いたら度重なる不幸で心が折れることは目に見えているし、何よりも単純に神楽坂さん達の姿を知る私としてはやれる自信が無いのだ。



「……で、どうするの? 被害者達の場所が分かった訳だけど、こっそり侵入して助け出すの? ふ、不法侵入になるわよね……? アンタはそれでいいの?」

「うーん……危険は危険ですよね。暗闇に紛れるのは私達もですけど、地形の勝手を知ってるのは相手ですし……後はまあ、体面的なものとかも」



 未だに迷いを見せているギャル子さんに私は少し悩む。


 ここまで躊躇されると彼女にこれ以上の無理強いはしたくない気持ちが強くなる。

 不安な気持ちも、ヘタレる気持ちも、私は神楽坂さん達のような超人では無いから理解できるのだ。

 自分をぬいぐるみへと変えた相手に怒りはあるだろうが、それよりも恐怖が勝るのは決しておかしなことでは無いと思う。


 特に、ぬいぐるみになったからといって、意識ある他人の口を針で縫い付ける精神性を持った男に執着されていると考えたら、怖くてたまらないだろう。



「……私達の勝利条件は超能力を解除させる事に限定されません。これまで行方不明になった人達に関わる証拠を押さえれば警察も無視は出来ない筈です。犯人を制圧して自主的に超能力を解除させる事だけを見れば難しいように思えますが、最悪直接犯人と対峙する必要すらない訳です。でも、超能力の全容も未だ掴めている訳ではないですし、他にも未知の危険が出て来る可能性もある。ギャル子さんが言うように危険はあるでしょう。安全に撤退できるのはここが最後かもしれませんけど……どうしますか?」

「う、うーん……」



 ギャル子さんは深く考え込む。

 ぬいぐるみと化している今の彼女の表情は分かりにくいが、普段の即断即決の姿からは考えられないくらい悩み続けている。


 ……いや、判断を任せる形を取ってしまったが、こんな選択をさせるなんて逆に酷かと、私は思い直す。


 ギャル子さんとしては体を取り戻したいのは本心だろうが、その望みに対して自分が起こす行動はどこまでが許容範囲なのか分からないに違いない。


 私をどこまで巻き込んでいいのか。

 法や倫理をどこまで無視して良いのか。

 自分の為だけにどこまで我儘を通して、不法に目を瞑るべきなのか、分からないに違いない。


 なら私が無理やりにでも手を引くのもきっと必要な事だ。



「まあ、取り敢えず行きましょうか。どうしても帰りたくなったら言ってくださいね」

「え!? まっ、まっ、待ってよ!? そんなっ、えっ!? ど、どうすればっ……!?」



 言い縋るギャル子さんを鞄に詰めて、私は自分を起点とした異能を使用する。


 誤認、認識阻害。

 名称は何でも良いが、私お得意の対象としたものを周りから認識されにくくする技術。

 それを使用した上で、私は家を取り囲むフェンスの壊れた部分を縫うようにして犯人の敷地内への侵入を成功させる。


 理由があるとは言え、他人の家に侵入する事に抵抗があるのだろう。

 以前の桐佳が見せたような反応をそのまま見せて来るギャル子さんを放置して、私は姿勢を低くし草木に隠れるように動いていく。



「あっ、あっ、アンタ……!? その強心臓は一体何なの……こ、怖くないの?」

「今静かに動いているんですからちょっと黙ってください」

「……ごめんなさい……」



 私の注意を受け、途端に気を弱くしたギャル子さんは鞄の中で大人しく体育座りを始めた。

 獣に近い知性体が最も多い庭部分を掻い潜ることを考えると、しばらくそうしてくれるのはありがたい。


 あらかじめ察知しておいた幾つかの知性体を迂回するように動きつつ、目的である建物まで辿り着く。

 そして碌な手入れをされていない窓を軽く押して回り、鍵の掛かっていない箇所を探していき、見つけ出した侵入可能の窓からこっそりと入り込む。


 あっと言う間に潜入成功だ。

 流石燐香ちゃんと言わざるを得ない。



「あとは侵入痕跡をしっかりと消して、と……よし、これで私達が直接見付からない限りはバレないですね」

「……そうね」


(……手慣れ過ぎてて怖いんだけど……もしかして常日頃からこんなことしてるんじゃ……?)



 ギャル子さんの失礼な考えを無視し、私は最も近く、室内から人の気配のしない場所を選んで身を潜める。

 こうして建物の内側に入った訳だが、もう一度位置関係を正確に把握するために異能で探知している知性体を再確認していく。


 まずギャル子さんのような被害者と思われる集まり20人程度が、2階の端の部屋に集められていて、犯人であるあの男がそこから少し離れた部屋に1人でいる。

 それとは他に、正体不明の獣のような知性体が10程、外や屋敷の中を徘徊している状況だ。


 ひとまず落ち着き、チラリと携帯電話を確認する。

 妹からのメールと、つい先ほど連絡先を交換したばかりの警察のエースさんからのメールがある。

 特に心配してくれているのだろう、警察のエースさんからのメールの数はかなりの量となっていた。



(……あの人。凄い量のメールを私に送って来てる。ちゃんとここに向かって来てくれてるし、一応は計画通りかな。申し訳ないけど返信はしないでおいた方が効果的だよね。しっかりとバイブレーション機能を切って、サイレント状態にして……桐佳には……万が一でもここに来させないように、もう少し遅くなるっていうメールだけしようっと)



 警察のエースさんは遅くともあと15分程度でこの家に辿り着くだろうと、そう考える。


 携帯電話の対応を行って、私は少しだけ息を整える。

 犯人の動向を監視しているあの子に軽く犯人の状況を聞き、こちらに気が付いている様子が無いのを確かめた。



「……取り敢えず他の人形になった人達の救出に向かいましょう。連れ帰れるなら超能力による犯罪の明確な証拠に成り得ますし、何よりあの男と対峙しないで済むならそれに越したことは無いですもんね」

「……」

「……あ、もう小さな声でなら喋って大丈夫ですよ」

「……怒らない?」

「おっ、怒らないですよっ!? ちょっとっ、ギャル子さんそんなキャラじゃないじゃないですか! いつもは私に気なんて遣わない癖に! まるで私が弱みを握ってマウント取ってるみたいで嫌なんですけど!?」

「…………それって、いつもやってる事なんじゃ……?」

「ん゛ん゛っ……!?」



 確かに彼女の嘘を脅しに使って、厄介払いしていたりした。

 それはまさに弱みを握ってマウントを取っているようなものである。


 圧倒的に有利な状況の筈なのに言い負かされた、と言うよりも自爆した気がする。

 ついさっきまでは完璧なカッコいいムーブをしていたのに……なんて思って、私は誤魔化すように咳払いをした。



「良いから行きますよ! 天才少女燐香ちゃんの手に掛かれば、こんな事件はもう本当に直ぐ解決しちゃいますから! ギャル子さんは大船に乗ったつもりでいれば良いん――――」



 そう言って立ち上がり、部屋から出ようと一歩を踏み出した時。


 周囲の知性体が居ない事。

 目的地である被害者達が集められた部屋までの安全なルート構築。

 そして被害者達を確保し、可能であれば犯人の制圧まで計算済みだった私の完璧な立ち回り計画。


 それらが、私が足元に落ちていた本に躓き本棚に突っ込んだ事で完膚なきまでに破壊された。


 話し声など比にならない、バタバタバタと本棚から本が落ちる大きな音が屋敷を包んでいた静寂を切り裂いた。



「…………」

「び、びっくりしたっ……! ちょ、ちょっと、怪我はないわよね!?」



 怪我はない……が、私は心に大きな傷を負った。


 灯りのほとんどない暗闇であった事。

 乱雑に物が散らばっている場所であった事。

 初めて来た場所であった事。

 

 そんな風に、言い訳になる要素は多くあるが、私の心に占める想いはただ一つだった。


 またやっちゃった、それだけである。



「ふぐぅ……」

「……大船なのよね?」



 こんな時だけ冷静に突っ込みを入れないで欲しい。

 私は自分の顔が引き攣るのを自覚した。





 ‐2‐





 何とか本が散らばった部屋から抜け出し、自分に大きな怪我がないのを確認した私は即座に逃走を開始した。

 あれだけの大きな音を立てた私の存在が、この家の奴らに気付かれない訳が無いからだ。


 案の定、近くを徘徊していた知性体が音のした場所(私がいる場所)に向かってくるのを察知して、泣きそうになる。


 もうほんの数秒で発見されるのは間違いない。

 と言うか、もう私の視界に入って来た。

 わんわんと、自己主張するように鳴き声を発しながら私達を追い掛けるためにその姿を現した。



 ……犬、なのだろうか。


 四足歩行、顔は鼻と口が尖っていて耳は上に付いている。

 毛もあるし、尻尾もある。

 確かに、非常に犬っぽい部分が所々に散見される存在だが……それだけなのだ。


 目はガラス球に近いし、鼻先は縫い糸に近いし、関節が至る所にあるのか動き回る度に全身がグニャグニャしている。

 幼児が絵具で描いた犬をそのまま具現化させたような、子供の頃の悪夢に出て来る歪な生物のよう。

 犬という生物を知らない幼児が、犬の話を聞いて粘土でむりやり作ったかのようなヘンテコさ。


 それは生物と言うにはあまりに歪で、あまりに冒涜的な造形。

 正直意味の分からない知性体が私達を追いかけてきている。



「ぴっ……!?」

「なっ……何よあいつっ!? 犬、じゃないっ……? 本当の、化け物じゃない……!!」

「せ、生物をぬいぐるみに出来るなら、その逆もまた然りって訳ですか……? いや、それにしたってあんなあからさまな歪さになんて普通はならないし……もしかして、あの男の知識に基づいた変異しかさせられない、とか……? でも、でもそうなると……」

「なにぶつぶつ言ってるの!? とにかく今は逃げないとっ……!」



 生物として歪であるが故か、運動機能は普通の犬とは比にならない程悪いようで、未だに私に追い付くことが出来ていないのだけが幸いだろう。


 だが、建物の構造も分からない、廊下の灯りすらないこの建物の中。

 一度でも道を誤れば、先程のように足を取られれば、あるいは別の追跡者に挟まれれば。

 どれか一つの要素でも満たされれば、追いつかれる可能性が高い筈だ。


 私の危険を察知したマキナからの支援許可の要求を制止しながら、私は目的の場所を目指して走り抜ける。



(ここまで来たら後はもう出たとこ勝負……他の被害者達の確認を済ませてから犯人を誘き出し、救援に駆け付けた警察官のあの人と鉢合わせさせる。私が犯人の異能を無効化して逮捕させれば終わりっ! 大丈夫っ、多分まだ何とかなるっ……筈!)



 頭に響くようなあの子、マキナの声にそう答える。


 マキナの不貞腐れるような了解の返答に不安は覚えるものの、“泥鷹”や神薙隆一郎の件で、今の私がマキナを使うと溜め込んだ異能の出力を回復させるのは非常に大変なのだと学んだばかりなのだ。

 いざと言う時にマキナが使えないと言う状況は避けたい。


 それに……と思う。

 なんでもかんでもマキナと言う絶対的な切り札を使うのならば、異能と言う絶対的な力を思うがままに振るっていた中学の頃の私と変わりないのだ。


 おぞましい怪物性を有した、自分を全知と驕った醜悪な過去。

 今ならそんな驕り昂ぶりはしないだなんて、私はそんな楽観的な事は考えられない。



(身の丈に合った異能の使い方……そう、そうじゃないと)



 きっと私はまた身を滅ぼす。


 散り散りだった家族の関係が新しい形で築かれて、家族以外で信頼できる、助けてくれる人達が隣にいる。

 きっと昔の私が欲しかったその全て。

 そんな今を、私自身の手で壊すことになるなんて考えたくも無い。



「着いた! あそこの部屋が確か他の連れ去られた人達が集まってる場所よ!」

「あ……わ、分かりました!」



 思考が逸れた。

 ギャル子さんの声に私は正気を取り戻す。


 ギャル子さんが指し示した部屋のドアノブに手を掛けた私は、来た道を振り返り、歪な知性体が追い付いていない事を確認した。

 犬を模している癖にあまりに移動速度が遅かったのだろう。

 にわかに信じがたいが、私の足で撒けてしまった。



(…………フリじゃない。私の探知でも追って来ていた奴は階段下で完全に見失っている。追手を振り切ってここまで辿り着けた。だけど……この部屋の中は)


「どうしたの? 確かにあの変なのは追って来てないけど……早く他の人達を連れ出しましょうよ」

「……ええまあ、そうするつもりです」



 ここまで来て迷っていても仕方がないだろう。

 不思議そうに私を見上げるギャル子さんにそう返答し、私は一息に扉を開いた。


 これまで見て来た廃墟のような屋敷の中で、その部屋は特別手が入れられていた。


 部屋の中は小さな灯りが付いていた。

 部屋の中に、カビ臭さや湿っぽさは一切無い。

 壊れている物は無く、埃や汚れも存在しない清潔な空間。

 丁寧に保管されたぬいぐるみが所狭しと棚に並び、窓から見えたこれまでの被害者と思われるぬいぐるみは一際豪華なガラスケースに収められている。

 ぬいぐるみはどれも、身体的な欠損も無く、非常に丁寧で綺麗な保管状態を保たれており、部屋の奥には最近使われた形跡がある机が置かれている。


 無理やり他人をぬいぐるみにして監禁しているとは思えない程、この部屋の全てが整理されすぎていた。



「えっと……す、すいません……? ぬ、ぬいぐるみにされた方は……わ、私もぬいぐるみにされて、何とか逃げ出してきたんです! 警察に行って、超能力でぬいぐるみにされたって証言を一緒にして頂きたいんですけどっ……! 一緒に行ってくれる方は名乗り出てくれませんか!?」

「…………」



 反応はない。

 私のように知性体かそうでないかを判別できないギャル子さんには、ぬいぐるみの中のどれが元人間なのか分からないのだろう。

 まったく反応の無いぬいぐるみ達に対して不気味さを感じ、ギャル子さんは若干の怯えが混ざった声を出している。


 いや、私も不気味さは感じてはいる。

 けれどギャル子さんと違い、私はある程度予想していた事だった。


 探知した際の被害者と思われる者達の内面や、ギャル子さんにちょっとした不調があった事。

 そしてこの部屋で保管されている元人間のぬいぐるみ達の体がこれっぽっちも拘束されておらず、ギャル子さんにやったように口を糸で縫っていないのを見て、私は自分の予想が正しかったのだと確信した。



「……もう充分です。行きましょうギャル子さん」

「なっ、何を言ってるの!? ここまで来て他の被害者達を助け出さないのは意味が分からないんだけど!? 確かな証拠として他のぬいぐるみにされた被害者達を助け出すって、アンタが言ったんじゃないっ!」

「……ええ、そうです。ですから他の証拠品となりえるこれを。この日記を持って帰ります」



 私はそう言って、奥の机に置かれた日記帳をさらりと捲る。

 乱雑な筆跡で日付が書かれたソレは、ここ半年の事を書かれた行動記録。

 昨日の日付が書かれた記載に目を通すだけでも、いかに異常な人物がこれを書いているかが分かるだろう。


 証拠としては不十分でも、関連性は疑える品物だ。

 これでも犯人である男としては見過ごせない物だろう。

 だがギャル子さんは納得しないようで、さらに噛み付いて来る。



「そうじゃないわよ……! 目の前にぬいぐるみにされた被害者がいて、簡単に助けられる状況なのにどうして助けようとしないのかを聞いてるのよ……! どっちも証拠品となるなら、少しでも人を助けられるのを選んだ方が良いに――――」


「――――わざわざ俺のぬいぐるみを返しに来てくれたのか?」



 背後の扉からした声に、ギャル子さんが言葉を詰まらせ息を呑む。

 接近が分かっていた私は大した動揺も無く、振り返り、つい数時間前にも相対したその男へ真っ直ぐ向かい合った。

 もう二度と聞きたくないと思っていただろう男の声を聴いて、ギャル子さんがガタガタと体を震わせ始めたのを私は片手で抱き寄せる。


 年下の少女達が身を寄せ合い恐怖する姿に見えたのだろう。

 私達の姿を見て、男は口の端を持ち上げて小馬鹿にするように笑った。



「俺のぬいぐるみを返しに来てくれた事は嬉しく思うよ。本当さ、色々あったとは言え、取り返しに行く手間が省けたのは本当に嬉しい。ただまあ、だからと言って全てを許すとは言えない。それくらい、俺にとってさっきの事は腹立たしかった……これまでで一番と言っても良いくらいにな」



 そう言った男は両手で囲いを作り、囲いの中に私達が収まるよう手を自身の目元に持っていく。



「趣味じゃないんだ。君みたいな年齢を間違えさせるような外見の子。芸術で自然を切り取る時には季節を感じさせるものを選ぶように、生物を模る物を作る時もまた、性別や年齢なんかの特徴をはっきりと捉えたものこそ美しい。そうだろ? だから、君みたいのはコレクションになんて加えたくないんだけどさ」



 以前私が自分の家に侵入してきた男に相対した時のように、この男も酷く落ち着いた様子でそう話し掛けて来る。

 けれど、だからと言ってこの男が侵入者である私達に友好的な姿勢を見せているかと言うと、そうではない。



「失敗作だからこそ試せる事はあると思うんだよ。例えば――――俺の力でぬいぐるみになった君をバラバラにしたらどうなるのか、とかね」



 手で作られた囲いの内側から覗く男の目は粘着質な強い怒りに彩られている。






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― 新着の感想 ―
[良い点] また? ……また? 世界征服をやめたのって、飽きたとかじゃなくて一回身を滅ぼしたからなの……?マジこわいです震えてきやがった………
[一言] おかしいな、最後の文「ついに本性を現した醜悪なる敵‼︎」みたいな感じなのに、「あ、本日のやられ役」って思ってしまった。 異能による効果で自意識を失った人達、人に戻ったとして治る保証もなく、、…
[一言] そうか、人間が身動きできず、会話もできない場所にさらわれて監禁されて、時間がたってしまってるなら……発狂するよな
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