異なる能の使い方
人通りの多い夕方近い頃、最新式のビルが立ち並ぶ道を癖毛で細身の女性が歩く。
久方ぶりの丸一日休暇だというのに、その女性は人ごみに紛れながらも忙しなくキョロキョロと辺りを見渡して、露骨に何かを探し続けている。
そうして探し物が見つからない事に肩を落として、手元のカップに繋がるストローに口を付けた。
「……やっぱりこうして出歩いてみても疑わしい人にすら出会えないものっスね」
女性、一ノ瀬和美はそんな風に一人ごちていた。
私服の完全休日姿の彼女は、知る人でも無ければ警察官だなんてお堅い職業だとは思わないほど、何処にでもいるようなただの女性だ。
言動を見れば少しアホっぽい人物だとすぐに気が付くだろうが、言葉を交わさなければ立派な女性。
彼女の、身綺麗に整えられた服装や髪型に目を引かれている男性は多くいる。
けれど異性関係に疎い彼女はそんな視線になんて気が付かず、周囲に増えて来た制服姿の若者達を見遣り表情を綻ばせていた。
「……むむむ、制服姿の若い子が増えて来たっス。そっかぁ、もう学校終わりの時間かぁ。男女で腕組んで歩いて制服デート、甘酸っぱい青春良いっスねぇ~……」
まだ二十代前半の癖に、老人染みた事を呟いた和美は生温いねっとりとした目で学生達を眺めだす。
それから、現実逃避してしまっている自分に気が付いて彼女は大きく頭を振った。
(い、いけないっス……! 何にも見つからないからってほのぼのと学生達の青春を眺めてちゃまた何にも結果を残せないままっ……!! あの飛禅のアホはいつの間にか私達の部署のトップになっちゃってるし……私も早く結果を残さないと!)
年齢よりも若く見られる童顔をした彼女だが、彼女なりに大人としてのプライドをしっかりと持っている。
次々に結果を残し、異例の出世を続けていく同期に思う所は色々とあった。
同期が隠し持っていた超能力への妬みはあるけれど、欲しい欲しいと駄々をこねていてもどうしようもない事は和美も分かっている。
和美としては信じ切れていないが、自分を評価してくれているらしい上司の顔を潰さない為にも、今は何とか追いすがるよう努力するしかない。
(飛禅のアホが上司みたいな位置に行っちゃったっスけど、何とかして肩を並べるっ……! そのためには一刻も早く、超能力に対する自分なりの見解を確立させる必要がある!)
「……とは言っても、実例が無いと実感湧かないんスよね……。この前の神楽坂さんが拉致された事件も超能力がらみだったらしいっスけど、結局実際に超能力を見ることは無かったし、病院の襲撃も暗すぎてよく分からなかったし…………結構機会はあった筈なのに、しっかりと超能力を見た事が……」
幾ら意気込んでも土台が出来上がっていなければ結果なんて出せるものではない。
実物を詳しく知らない限り、適切な理解や対応なんて夢の又夢だ。
そう思ったからこそ、超能力という力への見聞を深めるには何より本物に遭遇することだろうと、こうしてパトロールを兼ねて街中を出歩いていたが、結果何にも遭遇しなかった。
と言うか、神薙隆一郎の件以降、超能力の関わったと認定された事件が一件も発生していない。
これでは実物を見て学ぶのも一苦労だ、なんて、そんな風にぶつぶつと文句を言っていた彼女はある引っ掛かりを覚えた。
「……あれ? …………私、見た事、ない? 本当に……?」
そこまで口にして和美はふと思い出す。
超能力の実例は、既に自分は目の当たりにしているのではないか、と。
いつか。
そこまで昔の話ではない。
そう、あれは確か数か月前、自分が今と同じように自分の情けなさに必死に足掻こうとしていた時の事だ。
「……連続殺人事件の捜査で怪我した私達に、海外から、あの人達が訪ねて来た時……」
ICPOと柿崎が会話をしていた時。
複数台の車両が自分達目掛けて突っ込んで来たあの時。
車両に目が行っていてICPOが何かしらの超能力を行使したのは見ていなかったが、あの車両を運転していた人達の姿はしっかりと見ることが出来たのを思い出した。
「あ」
思い出したのは――――生気を失ったような目と感情が抜け落ちたような顔。
死者にも思える状態の人達が、何の恐怖も無く車両ごと自分達目掛けて突撃してきた姿。
あの光景を見てなによりも、自分の命の危機ではなく、自分の身さえ省みさせず彼らの命を消費する存在がいる事が何より恐ろしかったのを今更になって思い出した。
「な、なんで忘れてたんだろっ……あ、あんな怖い事っ……そうだっ、アレは確かに超能力が関わっていてっ……あんな風に他人を自由に弄べる力が超能力だった……! た、確かあれは……」
“白き神”。
そう呼ばれる、超能力を持つ世界的な犯罪者が仕掛けた攻撃だったと後々になって知らされた。
他人の精神を操り、自分の手を汚さずに罪を重ねる最悪の相手。
聞けば世界規模でもトップクラスに危険な人物であり、今も逮捕に至っておらず、どこで何をしているのか分からないと言う。
あまりに悪辣で、あまりに非道で、あまりに理不尽な暴力、それが超能力。
そしてそれはきっと、その人物だけではない。
これから自分達は、そういう力を持つ犯罪者を相手にしなければならないのだと、気が付いた。
恐怖がぶり返す。
死の恐怖と超能力への恐怖とそんな非人道的な行為を簡単に行える犯罪者に対しての恐怖だ。
街中の人通りのある道で、急に腰を抜かした和美を周りの通行人は迷惑そうに避けて歩いていく。
真っ青な顔で、突然体を震わせ出したその姿は、事情を知らない人からすれば異様にしか見えなかった。
(なんでこれまであんなものを見て普通に過ごせていたの? なんで私はあの時死なずに助かっているの? 分からない……急に、なんで……)
急に身近に感じたその現象の脅威に、和美は一人血の気を失い立ち止まった。
ジワリと涙が溢れそうになり、どうすれば良いのかとぐしゃぐしゃになった思考が正気を乱して。
「……大丈夫ですか? もしかして体調が悪いですか? 動けるなら少し日陰の方に行きましょう。ほら、私の肩に手を回して」
「え……?」
そんな和美に声が掛けられた。
『異常な人間には近付かない』を常識としているのが今の世の中だ。
それでも、見るからにおかしな行動をしていた和美の前に膝を突いて、手を差し伸べてくれた人はいた。
気遣うように、優し気に掛けられた声は恐怖に苛まれていた和美の心を少しだけ落ち着かせる。
そうして少しだけ余裕が出来た和美が、声に釣られるようにして顔を上げて、その声の主の顔を見た。
「げっ、前に会った人」
「君は…………あの時の」
以前見た時と変わらない、死んだ目と小さな体躯。
以前色々と迷惑を掛けた筈なのに名前すら知らないその少女。
顔を上げて、その少女の姿を認めた和美は思わずホッと安心してしまった。
そうだ、前のあの時もこの子が居たから落ち着けたんだ、なんて。
そんな何の根拠もない事が頭を過ってしまった。
物凄く嫌そうな声を上げた少女の事情など少しも考えないまま、和美はまたガバリと少女の体躯を抱き枕のように必死に抱き込んだ。
少女の悲鳴など聞こえないかのように、酷く安心する少女の体温を求めるように強く力を入れて抱きしめる。
そうすれば、少しだけ和美の気持ちは落ち着くのだ。
少女の気分が捕食される小動物であるなど欠片も気が付かないまま、だったが。
‐1‐
およそ数カ月ぶりの再会。
大して親しくもない相手であり、私にとっては不倶戴天の仇だ。
以前と同じように突如として抱きしめられた私は必死に抵抗したのだが、結局このアホの気が済むまでぎゅうぎゅうと抱きしめ続けられる結果となった。
息は苦しかったし、制服はシワシワである。
アホが正気に戻ってようやく解放されて、取り敢えず怒りをぶつけるにしてもと、私は力いっぱいアホの腕を引いて公園まで連れ出し、私はキレた。
「――――なんなんですか! 一体貴方はなんなんですか!? まーた私を抱き枕みたいにぎゅうぎゅうと抱き締めて! 私は癒し系クッションじゃないんですよ!! それともおかしな行動をしていた私を捕まえるための絞め技なんですか!? 絞め技だったら超有効でしたよ凄いですね! まあ完全な冤罪なんですが!!?? 私は何にも悪い事をしてないんですが!!」
「も、も、申し訳ないっス……その、本当に抱き心地が良くて……あっ、これは本当に誉め言葉で、気持ちが落ち着くっていうか!」
「はああ!? よくもまあそんな台詞を吐けましたね!? 体調が悪そうな人がいるから手を貸してあげようと思った私の親切心を返してもらえます!!??」
怒り狂う私。
それに対して心底申し訳なさそうにしているのは、前に警察署前で物凄い絡み方をしてきた警察組織のエース(自称)である……えっと、確か一ノ瀬和美という女性だった筈だ。
プラプラとちょっとした目的を持って街中に繰り出していた私の前に、精神的に追い詰められている人が現れたから声を掛けたのだが、よりにもよってその相手は私を抱き枕か何かと思っているこの女性だった。
以前“白き神”とかいうアホの攻撃にさらされ号泣しながら私を抱きしめ続けたこの女性には、性格面でも個人的に私は苦手意識があった。
そのため、会っても話し掛ける事は無いだろうと心に決めていたのに、気が付けばこのざまだ。
本当に私って親切心を出すと碌なことが無い。
この世に神様は居ない……いや、私に優しい神様は居ないと再認識してしまう。
「ぎぎぎぎぎっ……!!」
「す、すっごい睨んでるっ……! しかも憎しみ増し増しの顔をしてるのに目は死んだままっ……! そ、それって特技っスか? あっ、そ、それに頬が赤いっスよ? 怪我してるんスか?」
「そんな事はどうでも良いんですよ!!」
とぼけた事を言うエース(自称)にハンカチを投げつける。
ぺちっ、とハンカチが顔に当たり慌てるエース(自称)の姿に少しだけ溜飲が下がった私は、「それで」と言って彼女の隣に座った。
「……何をあんな、体調でも悪かったんですか? 正直普通の様子じゃなかったですよ警察のエースさん」
「い、いや…………正義のエース警察官である一ノ瀬和美が追い詰められていた筈ないじゃないっスか! アレはたまたま! 立ち眩みをしてしまっていただけっスよ! 一般市民に心配を掛けるなんて私もまだまだっスねー! アッハッハ!」
「…………へー」
こんなへたっぴな嘘は初めて見た。
小さな頃の桐佳の嘘よりも下手くそで可愛らしさの欠片も無い、見ていてイラッとする嘘だ。
確かに私みたいなヘンテコな子供に対して弱音なんて吐きたくないのが普通だろうが、そんな見え見えの強がりなんてして、いったい何が得られると言うのだろう。
現に今も彼女の顔色は悪いし、息も荒く、膝だって震えているのだ。
どう見ても重篤なトラウマを患った人で、精神的な不調が体の症状として現れているようにしか見えない。
何がそんなにこの人のトラウマになっているのだろうと、異能を使って少し内面を探った私は違和感を覚えた。
(……あれ? あの車両が突撃してきた出来事をあまりに怖がっていてトラウマになりそうだったから、仕方なく掛けた精神的なクッションがほとんど無くなってる……? ICPOの人達がいて、異能の出力を出来るだけ調整したとは言っても勝手に消えることは無いし……あ……この人あの病院にいたんだった。あの“影”で異能の効果が薄まったのかも……)
何にせよ、この人があの場で軽い精神崩壊を起こしていた理由が分かった。
トラウマとなりかねないあんな経験、思い出したとすれば確かに平常ではいられないだろう。
それは流石に少し……同情する。
あれはそもそも、“白き神”の攻撃で負った心の傷があまりにも深く、エース(自称)がどうしても私を離そうとしなかったから使ったものだ。
精神的な負荷を抑えるのと記憶の咄嗟のフラッシュバックを抑えるもの。
要するに、悪い経験を思い出させないようにする技術。
これはアルバイトとして行っていた精神科医の真似事の際、重宝していた異能の精神治療方面への用途だった。
だが、しっかりと自分のトラウマを自覚してしまった状態ではもう少し本格的な使い方をしなければ処置は難しい。
なら諦めて放置するべきかなんて、そんな最低な事を考えながら、そのまま何気なしに彼女の心を読んで――――
(――――私でもあの出来事を思い出して怖い想いをしたのに、一緒に巻き込まれた子供にあの時の事を思い出させて同じ想いを味わわせるなんて出来ない。なんとか誤魔化して納得してもらわないと)
「……むぅ」
少しだけ怯む。
私を思い遣っての嘘、へたっぴなのはそもそも嘘に慣れてないからという、内心で最低なことを考えた私の罪悪感をこれでもかとばかりに攻撃してくる状況を理解する。
個人的に苦手な人とは言え、これを放置して知らんぷりするのはちょっと……。
どうしたものかと思い悩む私だったが、エース(自称)は私の反応が不服だったのかググイッと詰め寄って来た。
「なんスかその反応!? さては信じてないっスね!? 市民を守る正義の警察官が自分の精神も満足に整えられない訳が無いじゃないっスか! 皆に頼られる存在なんですから!」
「うわぁ!? いきなり顔を近付けないでください!」
「その人を疑うような目! 確かに君には情けない所を色々見せてしまったスけど、私は何の問題も無いんっスよ! その証明に、君の困りごとをなんでも解決しちゃうっスよ! ほらほらほら、相談するっス!」
「うげぇ、前と同じような状況になった……」
精一杯の虚勢を張る異能を持たない警察官の彼女。
この人はきっと、私がいくら言っても正直に答えることは無いだろう。
警察官である彼女にとっての私は、神楽坂さんや飛鳥さんからの認識とは異なり本当にただの一般市民。
先ほど読心した内容と併せて、異能に関する情報を口にすることは無い筈だ。
このまま放置するのも良心が痛むし、神楽坂さんや飛鳥さんの知り合いである彼女に何かあればきっとあの人達は悲しむだろう。
まがりなりにも一度は治療行為をしたのだし、と自分に言い訳をして、意識を治療する時のものへと切り替えた。
私の異能での処置に必要なのは、相手のトラウマに対する認識を知る事と相手がトラウマから意識が逸れる事だ。
認識の状態は読心で終わる話だし、トラウマからの意識逸らしはそんなに難しい話ではない。
正義感が異様に強いこの人なら、と。
私は彼女にとって見過ごせない話を切り出した。
「……なら、前は碌に話せませんでしたから、あの出来事について少し話しましょうよ。私としても、あの件で色々考えさせられたんです」
「え?」
「車が私達に目掛けて突っ込んで来た時の事です。あれ、どうして運良く私達が助かったのかって思いませんでしたか?」
私のそんな問い掛けに彼女は息を呑む。
自分と同様の経験をして、同様の考えに至っている目の前の子供に対して何というべきか、分からないのだ。
そして、事態を解決するべき立場にいる彼女とは違う。
他人事のような一般人の目線から出した結論を彼女に示す。
「私思うんです、今世間的に言われている超能力って、意外と身近にあったんじゃないかって。私達を救ったあの奇跡が超能力だったら、私達を襲ったあの車両事故も同様に超能力なんじゃないかって」
「そ……それは……」
「私はそんな疑いを持って、こうして一人で探してみてたりするんです。なんの当てもなくブラブラと。それで、最近話題になってる超能力について何か知っていたら教えて欲しくて」
「駄目っス! 危ないっスよそんなの! なんだってそんな危ない事をっ!?」
私の言葉に、異能の危険性を知る彼女は血相を変えてそう言った。
それでも、私はそれに「だって」と笑う。
「超能力って面白そうじゃないですか」
「っっ――――!!」
当然、私の本心ではない。
だがこれは、世間一般的に言えば普通の感覚の言葉だ。
現状、危険だといくらテレビで言われていても、超能力を実際に目にしている人はほとんどいない。
平和ボケどころか、あるとは知っても身近な出来事とは思えていないと言うのが異能に対する一般家庭の認識だ。
そして未知の日常や魔法のような力だなんて、刺激を求める人にとって退屈な現代社会で異能という超常は宝石が日常に散らばっているように見えるものだ。
だから、私のこの危機感の欠片も無いような発言は別にどうと言う事ではない。
特筆して目くじら立てるような事では無いし、なんなら同年代の会話の中では良く出るような言葉でしかないだろう。
異能についての理解がない、世の中の大半の人がこんな考え方をしている筈だ。
けれど、実際に異能を目の当たりにして、実際に傷付く人を見てきている彼女にとってこの発言は到底看過できないものだった。
「そんなふざけた理由でっ!」
声を張り上げ、怒りのままに立ち上がった彼女は私の両肩を掴んだ。
鬼気迫る形相で、私に強く訴える。
「君は何も分かってないっ! 分かってないんス! 超能力と言う一部の人間にしか使えない力がどれほど理不尽で、どれほど容易く他人を害せるのか! 人の意思を無視して人形のように操るようなものもっ、人を暗闇に閉じ込めて影の爆弾を作り出すこともっ、命を奪った相手の姿形を真似て成り替わるようなものもっ、そんな異常で悪意に満ちたものが一杯あるんっスよ!」
そうだ。
だからこの人は怖くて、震えて、立ち止まっていた。
誰よりも、何も持たない身で対峙しなくてはならない異能という超常的な力に対して、絶対的な壁を感じ取っていたから。
こんな風に楽観的に異能に近付こうとする人を、この人は見過ごせない。
「君のそんな好奇心でっ……! 何の危機感も無いそんな楽観的な思考でっ! 取り返しがつかなくなったらどうするんスか!? もしもそれで君が傷付いたらっ、もしもどうしようもない事になってしまったらっ……君の家族も、友達も……合縁奇縁が重なっただけの私だって、考えただけで悲しいのにっ……」
そんな、異能に対する彼女の考えを引き出し、さらに想起していたトラウマから意識を逸らす為の発言だったが、返って来た思いもよらぬ厳しい言葉に口を噤んでしまう。
「君は、君を大切に思う人達を蔑ろにだけはしちゃいけないんス……!!」
彼女の目が真っ直ぐ私を貫いた。
嘘偽りのない、真剣に相手に想いを伝えたいと願う人の目。
他人の幸せを純粋に願える人の、切実とも言える言葉。
…………少し軽率な手段だったかもしれないと、私は反省する。
「……すいません。軽はずみな発言でした」
「あっ……い、いやっ、ニュースなんかでは結構取り上げられていて、危険性の誤解を招くような報道がされてるのも事実っス。だから、情報がそういうのでしか入ってこない君に厳しく言うのはお門違いでした……申し訳ない……でも、危ないって言うのは本当っスから」
今の問答の間に既に彼女に対する異能の行使は完了した。
私を叱る事へと意識を逸らした隙を利用し、気付かれない程度にだが、精神に掛かる負荷を軽減させるよう調整した。
完全な忘却は彼女の危機管理に問題が出るから手を出さなかったが、これで震えや硬直などの、トラウマが肉体に現れるような現象は無いだろうと思う。
最低限の義理は果たしたつもりだ。
職務に支障が出るようなことはないと、断言できる。
それに抱え込んでいた異能に対する恐怖を口に出させ、自覚させることも出来たのだ。
完璧なくらい全てが計画通りに進んだのに、少しだけ思う所があった。
「……いえ、強く言って貰えて嬉しいくらいです。でも、そんな危ない事を解決しなきゃいけないって、貴方は大変ですね」
「えっと……まあ、そうなんすけど。でもまあ、選んだ仕事なんで」
「それでも立派です。昔はそんなこと考えもしなかったですけど、最近は特に思うようになりました……私は貴方の忠告通り、これ以上超能力を探すようなことは止めることにします。大人しく家に帰って、明日の学校の準備でもします」
そう言って私は帰り支度をしようと立ち上がる。
そんな私を前に、彼女はそれほど親しくもない相手に対して声を上げてしまったのを気にしてか、気まずそうに視線を逸らしている。
「それと……先ほど貴方が言っていた事ですが。私も、奇縁が重なった貴方が傷付いたと知ったらきっと悲しくなると思います。だから貴方も無理にならない程度に、ほどほどにされてください」
「む、ぅ……私は、その、頑張る立場にいるので……まあ、ほどほどにっスね」
「……あとこれ、私の連絡先です。私は昔からこの辺りに住んでいるので何か聞きたいことがあれば連絡ください。それと、私の方でも身近で何か変わったことがあればお知らせしようと思いますので、宜しければ電話かメールでも」
「えっ、あっ、ご、御親切にありがとうっス……その、訳知り顔で叱って来た女に腹立たないんスか……?」
「全然、むしろ貴方のような人がいると知れて安心しました。これからもよろしくお願いします」
「そんな優しい事を言われるとは思わなかったっス……」
そんな話、そんな別れ話の途中。
今日のこれまで微塵も動きを見せず、もはや忘れかけていた私の本来の目的。
いつだって唐突に悪意は姿を現すもので、そんな事は私だって理解していた。
準備しても、気を張っていても、タイミング良く姿を現すことは無いのに、決まって忘れかけた時にやってくるものだと分かっていた。
けれど、それはきっと当然なのだ。
悪意を形に例えるなら、それは醜悪な怪物の姿をしたものとなる。
タイミングを見計らい、不幸の積み重ねを選んで、そして残される悲惨な結果。
知性や思考を持った醜悪な怪物が、いかに他人を不幸にするかを考えるから悪意なのだ。
世界は悪意に満ちている。
であれば、悪意によって引き起こされる世界の不幸の始まりは、きっと最悪のタイミング。
つまり何が言いたいのかと言うと―――――こんなタイミングで私は、ぞわりと、異能の出力を覚知した。
「――――…………」
覚知は一瞬だけ。
出力は微弱ですぐに消え失せた。
これを辿るのは、探知に特化している私でも難しい。
口を止めて異能の出力元を辿ることに努める。
直ぐに察知した異能の出力が、ここからだいぶ離れた所だと分かる。
人ごみに紛れ、雑多に紛れ、数ある知性体に紛れ、異能の出力が途絶えたそれを今になって正確に探り出すのは不可能。
どうするか、そう思う。
この状態から私は一体何ができるのかを考える。
何故一瞬だけ異能の出力が発生して、再び掻き消えたのか、その理由を考える。
そして発生した異能が何を目的として使われたのかに考えを巡らした私は押し黙った。
「……どうかしたっスか? いきなり黙っちゃいましたけど」
「いえ……ただ用事を思い出しただけです。また会える時を楽しみにしています」
心配そうに声を掛けて来た彼女にそう返し、私はふらりと足先を変えた。
今現在の情報で確実に言える事は非常に少ない。
どのような異能かも分からないし、どのような目的か確定は出来ない。
人が多すぎる上に距離もあって、自分に向けられた異能の出力でもない為、犯人の特定さえ非常に難しい。
けれど間違いなく言える事も確かに存在する。
覚知したこの異能が何かしらの害意を持って使用されたと言う事。
一瞬だけ異能を使用すれば目的を達成することが出来ると言う事。
そしてなによりも、私の目的であった非人道的かつ猟奇的な一連事件、“無差別人間コレクション事件”の新たな被害者が出たと言う事だ。




