小さな亀裂
『薬師寺銀行強盗事件』と言う、被害品となる金銭の発見が終ぞ成し得なかった未解決事件。
これは、実行を“白き神”白崎天満、立案を“液体人間”和泉雅が行った、人智を越えた異能持ち二人による共同の犯罪だった。
神薙隆一郎により治療を受けると同時に自身の身に宿る異能についての話を聞いて、徐々に異能の才能を開花した白崎天満の、行き場を求めた「この新たな才能を発揮したい」と言う欲求。
当時から警察内部に分身体を潜り込ませ、警察の捜査手腕や数多の犯罪を知った和泉雅の、「敬愛する神薙隆一郎に奉仕したい」と言う欲求。
燻ぶり、肥大し、抑止できなくなった彼らの欲求は、科学では証明し得ない異能と言う才能を凶悪に振るう結果になった訳だ。
未解決など当然だ。
厳格に点と点を結ぶこの国の犯罪捜査では『認知暴蝕』や『液状変性』などと言う、数ある異能の中でも一際凶悪な性能を誇るそれらは到底手に負えるようなものでは無かった。
だからこそ、年月を経ても人々の記憶に残るあまりに有名な未解決事件として名を馳せた。
誰もが真実に辿り着けないまま、多くの月日が流れ去った。
彼らと同じ力を持つとある少女が現れるまでは、事件の真相など犯人以外はまったく知る由も無かったのだ。
少女によってこの事件は解明された――――だが、ここで疑問が残る。
『薬師寺銀行強盗事件』と呼ばれる未解決事件が凶悪な性能を持った異能による犯罪であるなら、同等に扱われる他の未解決事件の正体は何なのか?
犯人は一体誰なのか?
異能と言う超常現象が関わる事件なのか?
『薬師寺銀行強盗事件』に並ぶほど、凶悪な性能を有した異能持ちが犯人の事件なのか?
そんな疑問が残る訳だ。
その疑問に私は、佐取燐香は言おう、「それは無いだろう」と。
異能が無くとも完全犯罪は可能だし、ましてや性能が低くとも異能と言う非科学的事象で物事の点と点が繋がらなければ未解決に成り得る。
他の代表的な未解決事件に『北陸新幹線爆破事件』や『針山旅館集団殺人事件』があるが、私が産まれるよりも前の事件だったりと、私が異能で探知し得ない状況での事件だった。
だから決して断言できる訳ではないが、それでも『認知暴蝕』や『液状変性』と言ったレベルの異能が国内で発生した他の未解決事件にも関与している可能性と比べた時。
高度な知能犯や偶然の積み重ね、あるいは程度の低い異能の関与があって未解決になったと言う方が、ずっと可能性としては高いものだと言わざるを得ないからだ。
事件の知名度と犯人の凶悪性は必ずしもイコールでは繋がらない。
些細な動機で計画性も無いような下らない犯行であっても、条件が揃ってさえしまえば未解決と成り得るのだ。
だからこそ私は、練度が低く質も悪いような異能による犯罪だろうとも、事態が混迷を極める可能性はずっと前から考えていた。
‐1‐
「うむむ……燐ちゃん。過去のこの事件は超能力が関わってるのかな? 例えば透過できる力とかがあれば……」
「…………まあ、そうですね。そういう力があれば可能なんじゃないですかね」
「これなんて……はっ! 千里眼があれば被害者の動きを監視するのも可能っ……!」
「……ソウデスネー」
「……り、燐ちゃん、体調悪かったりするの……?」
「元気デスヨー」
これまでも何度も繰り返されてきた袖子さんから繰り出される、過去の事件遡り考察を適当に受け流しつつ、私はぼんやりと虚空を眺めていた。
私の心ここにあらずの様子が気になるのか、大和撫子状態の袖子さんはチラチラと視線を投げかけて来る。
私がこんな風になっている理由は簡単だ。
神楽坂さん達に私の悪行の一部を告白したからだ。
過去、自分の異能に驕り昂ぶり、多くの者を洗脳していた事。
自分に都合の良いように他人の価値観に手を加えていた事。
その結果、“顔の無い巨人”と言う都市伝説めいた存在として噂されるようになった事。
マキナや空のアレには一切触れずに前段階としてそんな過去の過ちを説明したのだが、そんなやんわりとした説明でも、神楽坂さんの表情はきつく引き締められていた。
これからどうなるのだろうと、私は泣きそうになりながら神楽坂さんからの沙汰を待っていたのだが、結局神楽坂さんからあったのは「……もう同じ事はするなよ」という言葉だけだった。
罰も何もない。
責めるような言葉も無ければ、叱りつける事も無い。
ただただ悲しそうに私の頭を撫でた神楽坂さんに、私は酷く心苦しくて、こうして数日経った今もぼんやりとこれまでの事を考えてしまっていた。
「燐ちゃん……な、悩みがあるなら……!」
「まーた過去の古臭い新聞広げて。今日テストがやっと終わったのに、確認の自己採点とかはしなくていいのかしらね? これだから自分は優秀だと思っている人達は嫌なのよ」
「……ちっ……また、うるさい女が来た……」
私は屑だ。
そんな事前々から分かっていた。
でも、そんな自分の人間性をあの善人を絵に描いたような人には知られたくなかったのだ。
せめて、この子は良い子だと、優しい子だと言ってくれたあの人の前ではそうでありたかった。
だってそうだろう、異能によって大切な人を奪われたあの人が、異能を用いて悪事を成していた人間をどう思うかなんて火を見るよりも明らかなのだから。
私は、神楽坂さんに嫌われたくなかったのだ。
「山峰、アンタは今日返されたテストの結果はどうだったのよ。私はね、まあ、取り敢えず落ち着いて勉強できるようになったから? 前のあんな結果よりもずっと上で――――」
「満点しかなかったけど、今日返されたのなんて難しい所なかったでしょ」
「――――…………そっ、そうよね! 今日のテスト別に難しくなかったもんね! あー、聞くだけ無駄だったわ! こっ、こっ、こんなテストで調子になんて乗るんじゃないわよ山峰! 誰だってこんなテスト満点取るの簡単なんだから!!」
これはあの人が優しいか、優しくないかだなんて関係ない。
到底受け入れられないような相手が私なのだ。
これから、私の悪事を知ったあの人がどんな目で私を見るのか。
そんなことが酷く怖かった。
そんな事を思い悩んで、私はぽつりと呟く。
「はぁ……ほんと、虚勢ばっかのどうしようもない人間」
「はっ!? そ、そそそ、そんな事無いわよ!!」
「嘘ばっかり……自分すら騙せないそんな嘘じゃ、本当の事を包み隠す事なんて出来ないのにね。馬鹿みたい……」
「!!!???」
突然近くから響く声にならない悲鳴。
そんな悲鳴にビックリした私が、巡らせていた思考から現実に引き戻されれば、私の前には涙目でぷるぷると震えているギャル子さんがいる。
目いっぱいに涙を溜めて、これでもかとばかりに私を睨んでいる。
…………状況がまったく分からなかった。
「あ……アンタに私の何が分かるのよっ……!!」
「へ……?」
「私はお洒落で、なんでも出来てっ、凄いのよ! アンタに眼中に無いような扱いをされる人間じゃないの!!」
「え、ちょっと待って下さい、何か擦れ違いがへぷっ!!??」
ペーン! という音と共に、私の視界が強制的に横に向けられる。
そして頬の痛みに加え、「燐ちゃん!?」という袖子さんの悲鳴を聞いて、私はビンタされたのだと気が付いた。
ビンタされた私が椅子から転げ落ちなかったのは偏に、神楽坂さん考案の筋力トレーニングを日々ちょっとずつ続け、体幹が鍛えられていたからに他ならないだろう。
こんなところで努力の成果が表れるとは思ってもみなかった。
当然少しも嬉しくなどない。
痛いものは痛いのだ。
頬の痛みに突き動かされ、私は反撃してやろうと勢いよく立ち上がる。
……のだが、突如として起こった喧嘩に騒然としたクラスメイト達が先生を呼びに行こうとしているのが目に入り、喧嘩両成敗とか冗談じゃないと思った私は慌てていきり立っている袖子さんとギャル子さんの間に入った。
「あ、あーもうっ! 痛いじゃないですかっ! 今回は偶々手が当たっちゃったみたいだから許しますけど、次やったら本当に許しませんからね!!」
「えっ、り、燐ちゃん!?」
「っ……!!」
言い訳の言葉で、喧嘩じゃないと周りに広報する。
これでわざわざ先生を呼んで来ようとはしないだろう。
驚く袖子さんと息を呑んだギャル子さんに挟まれて、気分はすっかり猛獣使いだ。
「燐ちゃん、なんでこんな奴を庇って……!」
「怪我した私が文句を言うなら良いですけど袖子さんが勝手に喧嘩しないでください! 気持ちはありがたいですけど自分の喧嘩くらい自分で選びますから!」
そこまで言って、口を噤んでいるギャル子さんを見る。
目を白黒とさせている姿を見るに、思わず手が出てしまったと言った感じなのだろう。
自分の一番言われたくない事を突かれて思わず体が動いてしまった、なんて、何の免罪符にもなりはしないけど、一定の理解は示してやろう。
「……ええそうですとも。私が今抱いている怒りは、私が自分なりの形で清算してやります」
頬の痛みが引いたわけではない。
だが、こんなことを言ったが別に怒りはそれほどなかった。
さっきまで悩んでいた事がもはや彼方へと飛んで行ってしまっている。
その時自分の悪事について考えていたせいで、頬を張られたのがまるで自分への罰になっているような気分でもあるし、なんだか変に思い詰めていた悩みが消えてありがたいまである。
なんなら感謝の一言を言ってもいい。
それに私自身が自分の事ばかり考えていて余計な独り言を言っていたのは事実だ。
私の独り言を自分に向けられたものだと勘違いして、ギャル子さんは反応してしまったのだろう。
私だって反省するべき点はある。
まあ、それはそれとして、いつか絶対にやり返すのは既に心に誓っている。
(このチャラチャラ見栄っ張りポンコツギャル子め……何かしらで後悔させてやる)
「……燐ちゃん、パパみたいに大人……お前、燐ちゃんに感謝しなよ。燐ちゃんが止めなかったら制服全部剥いで吊るすつもりだったからね」
「……ちっ」
居心地悪そうに舌打ちして、ギャル子さんは私達の前から離れていく。
何回も何回も絡みに来て、秘密を握られているのに突っかかって来て、私にはギャル子さんの真意がよく分からない。
とんでもないアホなのか、それとも追い詰められるのが気持ち良くなっているのか。
表面的な感情としては、ただ気分の赴くままに絡みに来ているようだからどうにも手に負えない。
「……何なのアイツ。歓迎されてないって分からないのかな」
「きっと私達と仲良くなりたいんですよ」
なんて思ってもいない事を口にして、私はいつもの友達のところへと戻っていくギャル子さんを見送った。
意外にも、ギャル子さんがいつも仲良しな人達の元に戻れると、彼女達に暴力を振るった事を強く注意されている。
あの集まりが常識的な価値観を持ち合わせているのは正直予想外だった。
「……燐ちゃん、頬は大丈夫? 何か冷やすの貰ってくる?」
「あー……大丈夫です。凍らせた飲み物があるので」
「この時期に凍らせた飲み物……? 燐ちゃんって、色々準備しすぎじゃない……?」
鞄から出した冷凍した飲料を押し当てて頬を冷やす。
幸い碌に運動していないだろうギャル子さん程度のビンタでは口も切れていないし、血も出ていない。
多少の腫れはあるだろうが、まあ、数日程度で完治するだろうと思う。
そんな風な自身の現状確認を終えた私は、ようやくこれまでのグチグチした思考に邪魔をされ聞き流していた袖子さんが広げる新聞記事に目を通した。
「それにしても……袖子さん、結構色々集めていたんですね」
「!! そ、そうなの! 超能力とか見たこと無いし、ちょっと不思議な事象が絡みそうなのを出来るだけ探して持ってきたんだけど……! どうなんだろうって、私よりも燐ちゃんの方が頭良いし、色々話を聞きたいなって……」
「私袖子さんよりも頭良いとか思った事ないですけど……ふんふん、ずいぶん昔のものからごく最近の事件もありますね。私が知らないものもあります。この前あった“連続児童誘拐事件”も入ってる……袖子さんのこの選別は掛け値なしに凄いと思いますよ」
「わーい、褒められたー!」
袖子さんがどんな基準でこれらの記事を搔き集めたのかは知らないが、実際に異能を持っている私の目から見ても、それらしい、と思うような記事ばかりが集められている。
特に“紫龍”が関わった“連続児童誘拐事件”の詳細はまだ一般に公表されていないから、袖子さんのお父さんが何かしらの情報を彼女に教えていない限り知る由は無い筈だ。
……実際に捜査している警察ではなく、まったくの素人の立場である袖子さんがここまで集めたのだから、この能力は特筆できるものだろうと思う。
問題は、あくまで処理が終わってしまっていてまったく発展性の無い過去の事件を、当事者でない二人がこの場所でどう掘り下げたところで、机上の空論にしか成り得ないと言う事だ。
(あー…………まあ、袖子さんが求めているのは解決じゃなくて討論、考えられる幅を広げる事。なら、可能性として考えられる事を普通に話してれば良いかな……あれ?)
過去の記事にざっと目を通した私が何か言おうと袖子さんを見れば、彼女はこれらを前提にと言うように、もう一つ丁寧にしまっていた資料を取り出した。
伝わってくる気持ちを視るに、袖子さんが本当に話したかったのはこれなのだろう。
「あのね、この国の年間行方不明者数は8万人って言われてて、多少行方が分からなくなる人が出てくるのって別に普通なの。でもね、ここ最近の都市部で起きてる行方不明人は何と言うか、ちょっと変で……“連続児童誘拐事件”とはちょっと毛色が違うし、明らかに異常な失踪じゃないんだけど……」
袖子さんは、まるで初めて作った料理を誰かに食べて貰った時のように、おそるおそる自信なさげに、それでも評価が欲しいと言うようにじっと私の様子を窺っている。
そして、袖子さんが手作りしたと思わしきその資料に書かれた題目、内容に目を通して、私は思わず目を剥いた。
理由は、その資料の質の高さに――――ではない。
詳細な情報が載っているだとか、思ったよりも近場の事件だったとか、そういう点でもない。
(……これ……)
既視感。
私はこれらの事件に見覚えがあった。
数か月、袖子さんのお父さんに向けられた毒殺計画を防いだあの時よりも少し前。
未来予知系統の異能を持つ、遠見江良という女性の力で予知したいくつかの大事件。
(……江良さんに予知してもらったのは、あの人に負担が無いよう世間を騒がせるほどの大事件に限定させたものだった。でも、今のこれらは取り立てて大きな話題になっていない失踪ばかり。今現在、予知と出来事には明確なズレがある。このズレはつまり……この事件はもっと大きな事件に変貌していくっていう……)
「……り、燐ちゃん? 何か変なところあった……?」
私が補助して江良さんに実行して貰った未来予知は不完全なものだった。
明確な詳細も、詳しい日時や場所、犯人だって分かるようなものでは無い。
単なる字で事件の題目を並べられ、どのような犯罪が行われたのかを簡単に知るしかなかったのだ。
つまり、“警視総監毒殺事件”のような、はっきりとした標的があるようなもの以外を未然に防ぐのは難しい未来予知だった訳だ。
それでも。
そんな淡白な情報群の中でも、未来予知して貰った、いくつか数のあった大事件の中で、この失踪事件の異様さは特に記憶に残っている。
だって、江良さんから知らされたこの事件名。
“無差別人間コレクション事件”だなんて事件名、事件の詳細を知らなかったとしてもあまりに悍ましいと思うだろう。




