表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
152/152

天秤の傾く先

大変遅くなりました!

前回の更新からかなり間が開いてしまいましたが、なんとか更新再開することができそうです!

次回更新は早めにできそうですので、あと少しの本章もよろしくお願いします~!


それから本小説の第二巻も発売中となっております!

後書きのほうにリンクを纏めておきますので、ちらっと確認よろしくお願いします!!

 




 その日、その場所、東京都氷室区を中心として、突如“赤”が発生した。


 それはひっそりと、したたかに。

 悪意を持って広がるその“赤”は非常に巧妙であり、徐々に濃度を増しながら広範囲に広がるソレに気がついた人はほとんど存在しなかった。


 だから、周辺住民がその“赤”の脅威に気付いたのは、異常が目視できるようになってから。

 悪意の元の準備が整って秘匿の必要性が無いと判断されたからこそ、唐突に目に見えるほどに顕著な現象となって人々の目の前に現われることとなった。



「え……なにこれ? 霧……?」

「赤い霧……? 初めて見るけど、何かの異常気象か?」

「やだな、赤色って凄い不気味だよね……」



 単なる異常気象。

 異能について詳しくない人間達のそんな考えが覆されるのは、その“赤”が目に見えた脅威となってからだった。


 赤い霧を吸い込んでしまった人が体調を崩した。

 目に見えて色濃くなった霧が、さらに恐怖すら感じるほどの深紅へと染まり始めた。

 空気の“赤”が、徐々に建物や車などの物体への着色を始めた。


 そんな様々な異常事態に直面し、人々は次第に平静を失い混乱を始める。

 人々は一斉に迫り来る“赤”から逃げだそうと動き出すが、この事態の悪意の元は供物の逃亡など許容するつもりはないのだ。


 逃げようとする人々の前を塞ぐように、獣の頭をした着物の生き物が湧き出した。

 目の前の異常事態が異能によるものと人々が気がつくよりも先に、獣頭の怪物達は人々に襲いかかる。









 明らかに空気が変わった。

 ザワつくように木々の葉が揺れ、アスファルトの道路が脈動するように小さく揺れ始める。

 既に危機を察知して距離を取っていた猫や鳥といった小動物がより色濃い危険を感じ取って全力で逃げ出し、周囲の建物や置物が赤黒く染められていく。


 空気中に分散させていた赤い濃霧だけではなく、物質の色すら変えていく力。

 世界の全てを塗り替えていくといっても過言ではない、自然環境にさえ影響を及ぼし始めた【神埜】の異能は、さらに広範囲へと力を拡大させていく。



「お兄……?」



 妹の呼びかけには答えず、その変化の中心にいる佐取優助の姿をした者が、発揮される自身の力を確認して満足そうに口の端を歪めた。

 それは、自身が持つ力への感情ではなく、自身の血液に内封されている異能の力に適応することができている佐取優助の体についての満足感だ。


 佐取優助という、自身の血を継ぐ者の肉体を奪い取ることに成功し、その肉体は充分ではなくとも血液を操る異能を出力するだけの適性を持っていた。

 それが意味するのは、これまで肉体を持っていなかった【神埜】がどうにか無理やり使っていた異能とは異なり、人体を介しての出力される力は数段次元が違うということ。



「意識を失っていた体に入り込んだ分、抵抗なくこの体を奪えたのは僥倖ぎょうこう。権能の力も肉体を持つことで範囲が拡大したが……ふむ、まあ、源晴の奴と合流しあの山に溜め込んだものを使えばこの国くらいは覆えるだろう。計画に支障はないだろう。後の問題はこの体がどの程度の耐久性を持っているかだが……これは実際に試してみないことには分からないな。兎も角、この街の人間達から血液を徴収し、範囲の拡大をしていくとするか」



 侵食していく。

 見える世界の色が赤に染まり、全てが【神埜】の支配下となっていく。


 渦を巻くように蠢く血風に、地面から溢れ出し続ける無限の血液。

 それらが【神埜】の周囲に集まり、それぞれが意思を持って従うような動きを見せている。


 明らかに人智を超越した力を振るう光景。

 時代が時代ならば、神と称されてもおかしくはないだろう【神埜】の姿だが、それが普段共に過ごしている、佐取優助という青年の体で行われていることに遊里達は少なくない動揺を抱いてしまう。



(これは、意志を持った血液を体内に取り入れさせてお兄さん達を操っているの……? お兄さん達の体からアイツを追い出すにはどうすれば……)


「貴様、黒川遊里が何を考えているかが手に取るように分かるぞ。我が血を注がれたこの者達を、貴様はどうすれば取り返せるのか考えているな?」

「⁉」



 心を読まれたと。

 思わずそう考えてしまうほど、自分の思考を見透かされたことに動揺する遊里に対して、優助の体をした【神埜】が言う。



「あえて言ってやろう。取り返しは付かないと」



 導かれるようにふらふらと隣に歩み寄った高介の頬を撫でるようにして切り裂き、【神埜】は頬から流れ出した血液を手の甲に乗せた。


 手の甲の上で生き物のように蠢く自身の血液を眺めながら、【神埜】は告げる。



「我が支配は、催眠や思考操作程度の生ぬるいものとは大きく異なる。我が血潮を混ぜ合わせることで、我が肉体の一部とするものだ。上書き、融合、同化、あるいは生命の捕食。混濁し、我が血を受け入れた者達が元の形に戻ることは無い。肉はその身朽ち果てるまで、血は朽ち果てた後も永遠に。我が手足、我が糧として働き続ける下僕が完成する」

「お、まえっ、お兄さん達の事をなんだと思ってるっ……! お兄さん達にもこれまで生きてきた人生があるのにっ、それら全てを奪って当然なんてどんな思考をしていたらそんなことができるのっ……!」

「言っておくがな。元の肉体が持つ記憶は我にも引き継がれているのだ。この体の人格や知識に経験、奪い取ったそれらを我は知覚することができるとも。貴様以上に、我はこれまで奪い取った血肉のことを当人と同程度知り尽くしているのだ」



 人を人とも思わぬ言葉を紡ぎながら、【神埜】は「その上で言おう」と笑った。

 蔑むような、冷笑するような、何かを根本から否定するかのような【神埜】のその顔は、遊里が知る優助が絶対にしないようなものだった。



「どれもこれも、我が大望の為に使い潰された方が幾分か有意義な、取るに足らない価値しか持たぬ生命体でしかなかった。一考の価値も無い、大望も役割も経験も無い。稚拙な感性に振り回され、その場しのぎで生きていたゴミ屑のような命ばかりだ」

「そ、んな……」



 遊里は絶句する。

 これまで奪ってきた体の持ち主、或いは神埜という家が搾り取ってきた多くの血液を持つ者達。

 その全ての命を無価値なものだと断言した【神埜】の身勝手さに、自身の価値観からは考えられないほどの自分本位な考え方に、遊里は恐怖すら感じてしまった。


 佐取高介も、佐取優助も、神楽坂上矢も、遊里が知らない他の多くの犠牲者達も。

 多くの人の生を奪って、何ら問題ないと言い切って、その程度の価値のものだったのだと蔑む【神埜】の感覚が、遊里にはどうしても分からない。

 他者が及ばぬ力を持つようになった人間の価値観は、こうまで歪むものなのかと恐ろしくなる。


 そして。



「……ふざけんな」



 ポツリと呟く声がした。

 遊里が振り向けば目に涙を溜めながら顔を赤くして、怒りに震えている桐佳の姿がある。

 家族をコケにされて怒りを抑えきれない末妹の、何の力も持たない被害者という立場の人間の怒りが、そこにある。



「妹達を避け続けて自分勝手に家を出て行ったり、頼りなくて優柔不断で仕事ばかりして子供の学校行事にも参加しなかったり、全然立派なんかじゃない。けどっ……」



 幼い頃に母親が亡くなって、どこかズレた家族の関係。

 色々と思うところはあるし、今だってわだかまりだって無くなったとは言えないけれど、佐取桐佳にとっては好き勝手言われて良いようなものでは無かった。



「そんな糞お兄も、お父さんも、お前なんかに無価値だなんて言われるような人じゃ無いっ……!」



 佐取桐佳の怒りに震えた言葉に、驚いたように少し目を見開いた【神埜】は一瞬口を噤んだ。



「……貴様から兄や父を評価するようなそんな言葉が出たのは意外だった。だが、そんな子供じみた癇癪が通用するのは貴様に甘い姉くらいだ」



 そう吐き捨てて、【神埜】は視線を桐佳から外す。


 ドクン、と地面が揺れた。

 地震かと勘違いするほどのその震動に由美と桐佳が小さな悲鳴を上げるが、遊里は背筋を這い上がるような嫌な予感によって、【神埜】から目を離すことが出来なかった。



「周りがっ、家や地面にっ! 何か、血管みたいなものが走り始めて……!」

「っっ……⁉」



 誰かの悲鳴のような言葉に驚き周囲を確認すれば、赤く侵食されていた地面や建物に血管のようなものが浮き上がりはじめている。

 空気が変わり、土や木が変わり、人が作り上げた物が、まるで【神埜】の血肉となったかのように変わり果てている。


 目の前で行われる強大な異能による超常現象。

 だが、遊里にとって何よりも恐ろしいのは、これだけ明確に周囲が異能という超常的な力で変質しているというのに、【神埜】の異能の出力が感じ取れないことだった。



(こ、これだけ大きな力を使っているのに異能の力が全く感じ取れない……⁉)


「ようやく訪れた我が大望が果たせるこの機会。子供の癇癪や価値のない命乞い程度で変わるようなものは何一つ無い」



 もはや何も話すことは無いと、【神埜】は遊里達に一瞥もしないままその強大な異能を行使する。


 地面や建物が意思を持った生物の血肉のように蠢き、遊里達を取り囲んでいく。

 全方位を取り囲まれたというのに、いつ動き出したのかも、これからどう攻撃されるのかも、出力感知が出来ない以上遊里には何も分からない。



「だが、せめてもの慈悲だ、痛みは一瞬にしてやる」

「っ、お母さん桐佳ちゃんっ、駄目っ……! これはっ……」



 その言葉と共に、赤く侵食され切った周囲の建物や地面が形を変える。


 物理的な棘による攻撃か、赤い濃霧による侵食か、或いはまだ見ぬ未知の何かか。

 人間の五感や異能の探知能力では探知できないが、確かに自分達に向けて迫るまっかな悪意に遊里達の表情が硬くなる。


 何を持っても感知できない攻撃。

 異能というただでさえ対応が困難な暴力に、血の気を失った遊里が悲鳴のような声を漏らしながら何とか対応しようとするがもう遅い。


 遊里達の視界がぐにゃりと大きく歪んだ。

 防御のために周囲に漂わせた腐敗の泡など関係なく、貧血になったように全身から感覚が抜け落ちていく。

 崩れ落ちそうになる中で、ぎゅっと娘達を抱く力を強めることしか出来ない由美と、腐敗の泡を使ってなんとか現状の打開を試みようとする遊里。


 そして、桐佳は自分自身の携帯電話を抱きかかえるようにして何かを呟く。



「……マキナっ、お姉ちゃんっ……!」



 桐佳の言葉への返答はない。


 グチャリと桐佳達が押し寄せた赤い濃霧に潰される。

 遊里が必死に周囲を固めていた腐敗の泡では防ぐことの出来ない、血液を多分に含んだ濃霧による圧死。


 そうして――――





 -1-





 桐佳達がいる氷室区から遠く離れたこの場所。

 佐取家への襲撃とは違い、針山で起きていた襲撃は無事に収束しつつあった。



「ぐうううっ……⁉」



 針山襲撃の実行犯である神埜源晴は多くの警察官に拘束され地面に押さえつけられていた。


 神埜源晴は異能を所持している。

 それも、高い殺傷性能を持つ血を操る異能である。

 本来であらば自分を押さえつける異能を持たない警察官など、軽く力を振るうだけで切り伏せることができる。

 だが、神埜源晴が自分の目覚めた血の異能を使おうとしても、どういう訳か一切現象としての発現が出来ず、警察官達による拘束にされるがままとなっている。



「が、ぐぅ……! ど、どうしたことだっ……な、なぜ、私の権能が使えなくなってっ……ブ、ブレーン貴様っ、いったい私に何をしたっ……! 貴様以外にこんなことできるのは……!」

「黙れっ! 神埜源晴、お前が超能力を使って他人を攻撃していたことはこの場にいる者達全員が確認し、映像での証拠もある! 現行犯としてお前を拘束し、これまで犯してきた罪の全てを償ってもらうぞ!」

「警察などという無能集団ごときがこの私を拘束するだと……ありえないっ、そんなことあってはいけないっ……! 神埜の当主であるこの私に対して、単なる国家の犬どもがなにを……‼ 汚らしい手を離せぇっっ‼」



 目を血走らせ、激しく抵抗し暴れ、声を荒げる。

 神埜の当主という座や一族が求めて付けてきた力を手に入れ、自分はこれから世界の王になるのだと考えていた神埜源晴にとって、現状はどうあっても認められないもの。

 だからこそこうして必死の抵抗を続けるが、神埜源晴自身が口にしているとおり、ブレーンによって異能を無力化されている彼はただの人間であり、どうすることもできる筈がなかった。


 一方、過剰なほどの人数の警察官達が自分の誘導の通り、神埜源晴を押さえつけ手錠を掛ける事に成功しているのを確認したブレーンは、興味を失ったようにどこか遠くへと視線を向けていた。


 自身に向けられている憎悪など、まるでよく見ているものであるかのように気にもせず、何かを考えるように顎に手を当てている。



「……この事態のきっかけである神埜源晴の無力化には成功した。でも、元凶である【神埜の血】とやらは独りでに活動を続けていそうね。予想はしてたことだけれど、異能の出力が探知できない相手だと活動が把握しづらい……向こうはどうなっているのか……」



 男物コートのフードで顔を隠したブレーンは心配そうに呟いている。

 そんな怪物から多くの者達を救ったにしてはあまりに上の空な人物に、一人の男性がそっと歩み寄った。



「また君には助けられてしまったね。あの怪物達を圧倒する程の純粋な力を保有していたのは完全に想定外ではあったが…………それでも、君が居てくれたから私は無事でいられた。本当に感謝している、ありがとう」



 山峰警視総監がブレーンと呼ばれる人物にそう感謝の声を掛ける。


 その上で、自分が襲撃にあったかのような状況を作りながら、この場に集まっていた多くの人々の襲撃を計画した犯人である神埜源晴が無事に拘束されているのを見遣った。


 犯人の確保に周囲の警察官達の意識が集中しているのを確認し、山峰警視総監は口元を隠した小さな声で内緒話をするかのように囁いた。



「君がどこから今回の事態を察知した。君が先ほどの怪物達にどう対処したのか。気になる点は山ほどあるが、それよりも私から早急に君に相談しておきたいことがあったんだ」

「……」



 まるで、顔を隠した少女が誰であるのか確信しているような山峰警視総監の言葉であったが、それに対してブレーンは視線も向けず、何の返答も返そうとしない。

 山峰警視総監はその態度に少しだけ違和感を覚えたが、あまり気に止めず自身の要件を切り出すことにした。



「なぜだか警察内部でも信じている人がでるほどに周知されてしまっている警察のブレーンという肩書きのことだがね。実のところ私はそんなものが存在すると聞いたことがない。どこかの誰かの勘違いによって広まった話であるとは思っているのだが、君が今回のような働きをしてくれるのであれば、私の方から無理に存在を否定しようとは思っていないんだ。いや、もはや今現在の世間の広まり具合を考慮するならば、存在を否定してしまった方が収拾をつけるのが難しくなってしまうように思っているからね」

「……へえ」



 心底どうでも良さそうに相槌を打つブレーンに、やはり何かしらの思惑を隠していると感触が良くないかと、少し慌てて言葉を付け加える。



「その代わりという訳では無いんだが、その件も含めて君とは腹を割って話したいと思っていた。ここ最近発生している異能の関わる事件の頻度と被害の大きさを考えると、警察としても早急に対策を施さなければならない。君には色々と恩がある。こちらとしても便宜を図る用意はある。悪いようにはしないから、是非今後についての話ができれば……」

「悪いけど人違いよ」



 とある人物だろうと確信していた山峰警視総監へのきっぱりとした否定の言葉に、鼻白む。



「いや、誤魔化したい気持ちは理解しているつもりだ。私は別に君の素性の全てを知りたい訳では」

「私は、貴方が思っている人物とは別人。今回の事はともかく、私はこれまで貴方を助けた覚えは一度だって無いし、面識だってないの。初めましてどこかの誰かさん」

「――――…………いや、そんな筈は……」



 否定されたことによってブレーンと呼称されている目の前の人物への違和感が強烈に浮き彫りになり始める。


 尊大な態度に、力を振るうことの躊躇のなさ。

 自信に満ちていて、周囲を気にするような素振りも無く、この世の何もかも自身の力があればどうにでもなるという確信を持っているかのような振る舞い。


 何か違う。

 自身が想像していた人物との間に生じる目の前の人物の違和。

 山峰警視総監が勝手に頭の中で完成させていたブレーンの人物像というパズルが、一つのピースが欠けたことによって次々剥がれ落ち始めた。


 ボロボロと崩れていく先入観。

 先入観というパズルが崩れた後に見えた目の前の人物は、山峰警視総監が知らない別の誰かでしかなかった。



「ひとまず首謀者、神埜源晴の確保は完了。無力化も済んでいる以上、佐取高介への冤罪情報の拡散を抑え込んだ以上この場にはもう用はない。神埜源晴の暴走を防ぐ為にこの場の処理を頼まれてはいるけど、私もさっさと帰ってあっちの方に力を貸した方が良いんじゃ……」

「君は」



 確かにどこか似ている、だが間違いなく別人。

 目の前の人物の言葉が嘘偽りないのだと確信したからこそ、山峰警視総監は思わず呆然とした表情のまま聞いてしまう。



「……君は誰だ?」


「――――ブレーン!」



 その時、多くの警察官に押さえ込まれていた神埜源晴が大声を上げた。

 追い詰められていると言うのに、男物のコートを着る人物を見詰め、異常な程の執着を見せ続ける神埜源晴が吠え猛る。



「貴様は神埜の一族を崩壊させ、今回私の計画を上回ったつもりかも知れないが、貴様の家族はもうおしまいだ……!」



 妄執の果てに敗北した男が、最後のあがきとして喉を枯らす。



「本来はあの愚妹を惑わした男にこの全ての罪を被せる予定だったが、それが叶わぬならばそれでも良いともっ! 奴の名に罪科を塗ることができなくとも、奴の命は確実に刈り潰すことができるのだから! なぜなら貴様がこの場にいる以上、貴様は数年前のように家族を守ることはできないのだ! はっ、ハはっ、お前の家族、お前の住む地域、お前の全ては今に神埜によって呑み込まれる‼」



 恥も外聞も、そしてこの行為によって好転する様子は何一つ無い無様なあがき。

 よくある犯罪者の戯言だと神埜源晴を拘束する警察官達は嫌な顔をし、高名な家の当主の異常な豹変ぶりに彼を知る者達は恐れを含んだ視線を向けている。


 他人に罪を被せる為に多くの労力を使う程、自身や家名に誇りを持っている筈の彼が、周りのそんな視線を気にもせずにさらに続けた。



「絶望しろ! 自壊しろ! 神埜という一族の宿業そのものがこの国を覆い尽くし、貴様はその中で最愛の家族の死体を見て、心折れる定めなのだ! 何もかもを失って、貴様が崩れ落ちるのが楽しみで仕方ない! ははっ、ははははっ、ふはははははははあはっ‼」



 狂気に満ちた目で哄笑を始めた神埜源晴に、警察官達が体を押さえつける力を強める。

 それでも、『自身の敵である佐取家を陥れられる』という確信が暗い喜びが、神埜源晴の希望となって、ほんの少しも諦めの感情を抱かせない。


 誰かを不幸にする達成感と、自身がその力になったという確信が、自分自身の正当性を盲信させる。


 だからこそ、こんな状態になっても神埜源晴は満足していた。

 罪を犯して、多くの人を傷付けて、多くの非人道的な悪事を幾つも行っても、それらに何一つ後悔などすることなく、心底楽しそうに笑っている。


 そんな相手を見て、ブレーンは一つ溜息を吐いた。



「……頭が回らないのもここまで来ると滑稽ね」



 土に汚れた顔のまま、自分に異常な視線を向けてくる神埜源晴に問い掛ける。



「私が本当に貴方の考えている人物だと思っているの? その人物は、どこで、いつ、貴方は見たの?」

「何をっ……私は確かに貴様を写真で見たとも……! 貴様のその顔を私は知ってい、て……?」



 そこまで言って、ふと気がつく。



「……写真で……数年前の写真、で……」



 おかしなことに気がついた。

 数年前、正確に言うなら八年程度前に、一度写真で見ただけの人物と目の前の同一人物だなんて、本来分かる訳がないのだ。

 だって、写真に写っていたのは子供なのだから、八年程度も経過していれば見た目は大きく変わっている筈なのだから。


 けれど、フードの下から一瞬だけ見えた顔で神埜源晴はその人物なのだと確信していた。

 なぜならフードの下に見えた少女の顔は、写真に写っていた顔とほとんど同じであったからだ。


 八年程度前の、子供の顔そのままだった。

 目の前のブレーンがあの時の子供であるなら、あまりに幼すぎるのだ。



「せ、成長していない……? そんな訳が……」

「貴方は何も果たせない。私が何かも見破れないまま、ただの犯罪者として処理されるだけのゴミ屑よ」



 どうやっても説明しようのないおかしな点に気がつき、動揺で妄執が削がれ大人しくなる神埜源晴を、ブレーンは鼻で笑ってもう一度遠くを見た。


 既に彼女の意識は目の前の下らない男に微塵も向いておらず、自分の家がある、家族がいるであろう方向を心配するような目で見遣っている。



「さて、へぼ探偵の姪を救出するのは成功したみたいだけど、本命の方にもちゃんと間に合うんでしょうね……やっぱり濡れ衣の解消なんて後でどうにでもなるんだから、こっちの被害なんて気にせずに私も向こうに行くべきだったんじゃ」



 ポツリと呟かれた言葉の意味を理解する者はこの場にはいない。





 -2-





 ――――そうして、自分の力によって潰された三人の姿をしばらく眺めていた【神埜】は、踵を返してその場を後にしようとした。


 佐取優助の肉体という、完全では無くとも自身の異能に耐えうる出力機を手にいれたことで、当初の目的は正しく果たした。

 強力な異能を持った黒川遊里というイレギュラーはあれど、長い間異能を扱い、磨き上げてきた【神埜】の敵にはなり得る筈が無かった。

 だからこそ、【神埜】は、当然の結果である目の前の事実をただ受け入れて、この場を立ち去ろうとしていたのだ。


 だが、ふとあることに気がつき、【神埜】は目を大きく見開いて動揺する。



「…………いや、我は何をやっている?」



 慌てて振り返り、自分の異能によって動かなくなっている桐佳達をもう一度確認した【神埜】が焦りを露わにする。


 なぜなら目の前に広がる惨劇は、決して【神埜】が望んでいたものでは無かったからだ。



「我が、子孫をただ暴力を持って殺めただと? 馬鹿な、我がそんな選択をする筈がない。他の有象無象は兎も角、我の血を継いでいる者達の命を理由も無くいたずらに絶やすなど正気ではない……。そも、あの佐取桐佳は我の血液に耐性があるかを確かめるつもりだったはずだ……」



 だってそうだろう。

【神埜】の目的は出奔した子孫の裏切り行為を咎めることでは無く、自分の異能に適合して器として使える人物を探すことだった。

 生きたまま捕らえるか、或いは優助と同じように自分自身の血液を注いで肉体を乗っ取るべきだと、つい先ほどまで考えていたはずなのだ。


 だからこそ、【神埜】は自分の行いが信じられない。



「器となるか確かめるつもりだった子孫の娘を殺めるつもりなど毛頭も無かったはずだ。それを体の形も残らないほど押し潰すなど、本末転倒も良いところで……」



 いつから?


 自分の目的と行動の矛盾に困惑し、それがいつからだったのかを考えようとする【神埜】のすぐ近くで声がした。



「――――妙に効果が薄いと感じていましたがここまでですか」



 立ちくらみに似た強烈な息苦しさ。

 ぞっとするほど無機質な少女の声に誘われるように視線を向ければ、いつの間にか赤い濃霧の中に一人の少女が立っていた。



(なんだ、こいつは……?)



 それは不気味な少女だった。

 まるで、濃霧による侵食の影響の一切が無いかのように、肩まで掛かる長い髪を揺らして少女は平然とその場に佇んでいる。



「血液に残った記憶で人格を形成する。通常の精神とは掛け離れた構造である上、流動的でかつ異能に関する耐性を持つ血液が元となっているが故に、ここまで私の異能による干渉を受け辛かった。そんなところでしょうかね」



 危険だ。

 無機質な、少しの感情も覗かせない少女の表情から何も読み取れない筈だが、【神埜】の知識や直感が、ただ目の前に立っている子供にヒリつくような恐怖を覚えていた。

 そして、その危険性を感覚で認めたからこそ、その少女に関する記憶が【神埜】の思考の中に浮かび上がった。



「いや、貴様は……記憶にあるぞ。この体の記憶に…………貴様、佐取燐香だな?」

「…………」



 奪い取ったばかりで、全ては読み取れなかった優助の記憶。

 それが、目の前の少女を見たことで、その少女に関する記憶情報が知識のように【神埜】の思考に無理矢理浮上され、その危険性を強く訴えてくる。


 桐佳や遊里には無かったその感覚は、優助がいかに目の前の少女の力を脅威的に捉えていたのかの証左である。


 神埜清華の娘であり、佐取優助の実の妹。


 そして、恐らく。

 神埜本家による出奔した神埜清華の子供の回収を失敗させ、強固に結束されていた神埜の一族を瓦解させた原因である人物。


 “精神干渉”という埒外な力を持つ怪物。

 佐取優助の記憶以外に存在しないその情報は、より一層目の前の少女の異常性を際立たせている。



(まさか子孫に我とは別種の権能の力を所持するものが現れているとは…………だが、肝心の権能の気配自体がコイツから感じとれん。我と同じ血液を操る力でないというのにこんなことが可能なのか……? 神埜本家の連中の記憶には佐取燐香の危険性に関する情報が存在していなかったことを考えると、何かしら記憶に直接作用する情報統制が行われていた可能性がある。そう考えると、佐取優助の記憶にある“精神干渉”の情報は限りなく真実に近いものなのだろうが……いったいどのような……っ⁉)



 そこまで思考して、瞬きをした次の瞬間。



「――――裂けろ」



 既に眼前には不気味な少女の指があった。


 トンッと、目と目の間を軽く小突かれる。

 威力も衝撃もほとんど無い、軽い指先での押し込みでぐらりと視界の揺れた【神埜】は大きく体勢を崩してしまった。



「なっ……⁉」



 尻餅をつき、地面に倒れ込んだ【神埜】は未だに歪む自分の視界によって立ち上がれない。

 そして続けて、不気味な少女に触れられた部分から流れ込んだ冷たい何かが、自身を無理やり分断しようとしているのを感じ取る。


 外部の力で精神を分割しようとするような、味わったことの無い異物感に思考が混濁する。



(なんだこれはなんだこれはなんだこれはなんだこれは⁉ 意識が、思考がぐちゃぐちゃにされてっ、切り離そうとするこの力は――――つ、いげきが来る……!)



 自身の体の内側で起こる異常事態に対応できず、行動が後手になる。

【神埜】はさらに手を伸ばして触れようとしてきている少女の姿をギリギリで確認し、慌てて神楽坂上矢と佐取高介の二人を間に入らせ何とか自身を守らせる形を取らせた。


 神楽坂上矢と佐取高介が、血液の異能で作り上げた貫通力に優れた赤い棘を把持し、佐取燐香という少女を串刺しにしようとほぼ同時に腕を振るう。


 少女が返しきれないほどの恩がある協力者であることや、自身の大切な長女であるなんて事実はないかのように、今の彼らは彼女の命を絶つことに何のためらいも持っていない。



「————邪魔」



 だが、近しい者達のそんな様子など意に介さず、少女は冷たくそう吐き捨てた。

 おぞましい光を宿した眼で【神埜】の姿を捉え続けたまま、自分に向けて振り抜かれた異能の赤い棘を軽く掴むだけで破砕する。


 そしてそのまま、神楽坂上矢と佐取高介を擦れ違いざまに指先を掠らせるだけで、二人の意識を奪いその場で崩れ落ちさせた。


 崩れ落ちる二人に一瞥も送らないまま、佐取優助の肉体を乗っ取っている【神埜】に対し何一つ迷いを見せずに肉薄する。



「っ……貴様っ……⁉」



 凶悪で、殺意に満ちた異能の力。

 侵食されていた周囲の赤が、迫りくる少女の余波だけで抉られる様に削り取られていくのが視界の端に映り、【神埜】はあり得るはずの無い自身の死を思わず直感してしまう。



(自らに襲い掛かる父親にすら一瞥せず我に向かってくるだと……⁉ 正確に我の意識が強い部分を判別できている……いやっ、そもそも、この佐取優助の体にも配慮をするつもりもないのか……⁉)



 あらゆる異能の力を破砕しながら迫りくる目の前の少女に、【神埜】は器としての利用価値を考えず、反射的に反撃行動を取った。


 硬度と回転を伴う赤い粒子の噴出。

 一見するとこれまでと同じ赤いだけの霧に見えるソレは、触れた瞬間人体を粉微塵にする最悪の凶器だ。

 奇しくも、佐取燐香が使用する“精神破砕”(ソウルシュレッダー)と同じ、高速回転により触れたものを削り落とすのを目的としたそれが、【神埜】と少女の間に障害として立ちふさがる。



(この体の記憶が正しければコイツが持つ権能は“精神干渉”っ、物理的な破壊力に対しては無力であるはずだ。他の霧と同じだと見誤り、そのままその身を霧に投じれば貴様は――――)



 実際に存在する物理的な現象と、精神に作用するだけの干渉力。

 どちらの方に優位性があるかなんて考えるまでもないし、同じ手法を用いた技術であれば、軍配が上がるのは間違いなく、実際に存在する物理的な力であると【神埜】は考えていた。


 そしてそれは少なくとも佐取燐香と【神埜】の共通認識。

 そうである筈、そうでないとおかしい筈だった。



「ははっ、馬鹿めっ、警戒もなくその身を投じて粉微塵になるとはっ……!」



 冷たい眼光で【神埜】を捉えたまま、目の前に噴出された異常なまでの切断能力を有する赤い霧によって少女は細切れにされた。

 佐取燐香であった血しぶきが周囲に飛び散り、少なくとも足を止めるであろうことを想定していた【神埜】は目の前の想定外に言葉を吐き捨てる。


 あまりにあっけない幕引き。

 だが、それこそが、佐取燐香によって誘導された【神埜】の誤認識。



「一つの肉体に無理やり混ざった外部からの意思。血液に残した膨大な知識で、肉体の自由を奪い取る手法。元の体の精神と、体内に循環する知識の液体がぐちゃぐちゃに混ざり合い、同化に似た状態を作り出している形」



 暗い洞窟内に反響するような声が、【神埜】の耳に届く。

 酷く合理的で、血の通わない機械のように酷く冷徹なその声は、たった今目の前で血しぶきに変わった筈の、あの少女のもの。



「……対処方法はいくつかありそうだけど、ひとまずは混ざった精神を完全に分ける作業は必要不可欠」


(っ、どこから声がっ……⁉)



 直後【神埜】は、声の主の姿を見つけ出すことができないまま、突然現れた手に顔を横から掴まれた。


 反応が一瞬どころか数秒単位、無理やり遅らせられる。


 そして。



「————ぐぅっ、ごほっ⁉」



 激痛と共に、ぐちゃりと意識が混濁する。

 触れられた部分からまるで頭を横一直線に切断されたかのような激痛に、佐取優助の肉体の五感はろくに機能しなくなり、急速に意識の自由が利かなくなっていく。

 自身の状態に慌てて不気味な少女の手を払いのけるが、それでもなお最悪な体調は続いていき、最後には佐取優助の口から大量の血が吐き出された。


 その大量の血は、【神埜】の異能の力を多く含まれた、佐取優助のものではない血液である。

 肉体に侵食させた大量の【神埜】の血が吐き出させられた事に、驚愕と動揺を隠しきれなくなる。



(馬鹿なっ、精神に干渉する力で、物理的に我の血液と佐取優助の血液を分離させただとっ……⁉ 肉体の細部まで巡らせた我の血液は、もはやこの肉体の一部に近いものであったというのにっっ)



 アスファルトに広がった【神埜】の血液を挟んで、二人が睨み合う。



「貴様っ……本当に“精神干渉”の力を使っているのか……?」

「全てを吐き出させられなかった……? 妙な耐久力も持っている……」



 お互いがお互いの誤算を口にして、次の異能を行使する。

 アスファルトに広がった自身の血液を操作し、巨大な剣山のように刃を立てた【神埜】に対して、佐取燐香がしたのは単純な回避だ。


 ただしそれは、思考誘導の力によって攻撃を佐取燐香にとって都合の良いものに修正された上での回避行動。


 剣山のような血の刃をすり抜けるように回避して、距離を取り体勢を立て直そうとした【神埜】に肉薄する。



「っ、そう何度も同じ手段が通用するとでもっ」

「同じに見える?」



 精神を破砕する凶悪な力が込められた手が引き絞られること無く、軽い所作で【神埜】へと突き出された。


 殴打のように単純な威力を求めない、触れた相手の精神を裁断する異能の刃。

 一度その痛みを知っている【神埜】は当然何よりも警戒するものであったが故に、あと数歩届かない位置に伸ばされた燐香の手に一瞬思考が停止した。


 あと数歩分届かない距離。

 だが、手を届かせる必要は無いのだ。



「これが?」



 “感情波”(ブレインシェイカー)。

 指を鳴らすことで発生する音に、感情を大きく揺らす力を乗せて放つ精神干渉の一撃。

 一度受けて激痛を覚えている“精神破砕”(ソウルシュレッダー)を警戒するがあまり、完全に虚を突かれる形でその技を受けてしまう。


 パチンという小さな音。

 その小さな音を至近距離から直撃することとなった【神埜】は、巨大な衝撃を額に受けたかのように、大きく上半身をのけぞらせる。



「ごっ、ごほっ……⁉」



 精神を揺さぶる異常な音に意識を飛ばしかけた【神埜】がさらに大量の血を口から吐き出してしまう。


 外傷や内臓への負荷とも異なる、精神への直接的な負荷。

 倒れ込みそうになりながら、脅威である佐取燐香の行動を何とか捕捉し続けようとするが、既に少女は眼前にいた。


 開いていた数歩分の距離が、今のほんの一瞬で詰められている。



(こい、つ、行動に迷いがなさ過ぎるっ……‼)



 ぞっとするほど冷たい瞳が、【神埜】を捉えて離さない。

 息を吐く間など絶対に与えないとでも言うように、巨大な異能の力を放出した少女が【神埜】に手を伸ばしている。


 先ほどの、精神を破砕するアレがくる。

 直前の激痛を思い出した【神埜】がそう確信し、身を強ばらせた。


 だが。



『――――御母様』

「……分かってる」



 ――――【神埜】の予想に反して、佐取燐香は何かに気がついたように視線を横へ向け、手にしていた異能の力を視線の方向へ薙ぎ払うようにして使用した。


 先ほどと同じ、感情波ブレインシェイカーと呼ばれるソレは、状況の変化に追いつけずしゃがみ込んでいた桐佳達三人の近くに現われていた、複数の獣頭の怪物達の動きを残らず停止させる。


 自身に対して続いていた、佐取燐香の息も吐かせぬ異能の攻撃がようやく止まったことで、【神埜】は状況を理解するだけの猶予を得ることができる。



「……我の認識では先ほど死した筈の者達が生存している、か……やはり違和感は正しかった……。だが、その者達が即座に逃げ出せていないこと、貴様を認識している様子が無いことを見るに、貴様にとって奴らは単なる庇護の対象であり意思疎通すらもできていないな?」



 自分達への危機が収まった状況を理解できずにいる桐佳達が、【神埜】と対峙する少女に気がついている様子がないのを確かめた。


 佐取優助の知識から“精神干渉”の力について家族に隠しているのは知っている。

 共闘されないのであれば数的な不利はない。

 元々対処するべき障害が現われただけで、状況が悪化した等の話では無いのだ。


 それでも、【神埜】は警戒を強めた。


 全く気がつかぬ間に認識外へ桐佳達が隠されていたこと。

 自身の他の血液が勝手に動き出し攻撃に移るほどに、自身が単純に追い詰められていた状況だったこと。

 そして、先ほどまで凶悪極まりない異能を振るっていたにもかかわらず、燐香から異能の力が微塵も感じられないこと。


 ここまでの状況を軽く整理しただけでも厄介極まりない力を振るっているのだ。

【神埜】が生きてきたこれまでの長い、自身の全てを捉え続けてくるような冷たい瞳に、【神埜】の背中に冷たい感覚が走った。



(……攻撃の手を止めたのは時間稼ぎのためか……? 確かに時間による優位性の確保、精神干渉の権能があればその恩恵は計り知れないが、策もなしに攻撃に移るのも。出奔した子孫の娘にここまで権能の才を有する者がいるとは…………もしこの娘の肉体を我が器とすることが出来れば、我としては正しく再誕したと言えるのだろうが……これは)



 燐香が軽く咳き込み、口から血を吐き出している。

 空気中に漂わせることで、呼吸と同時に強制的に取り込ませたはずの血液の濃霧を、どういう訳か口から吐き出されたことに【神埜】は思わず苦い顔をしてしまう。


 この場に姿を現してからほんの数分。

 体内への多少の蓄積すら許容しない、徹底した血液を操る異能への対策は【神埜】にとってはこの上なく厄介なものだった。


 だからこそ【神埜】は、目の前の人物へ探りを入れる。



「随分と抜け目のないものだ。自身の体に蓄積する血液を微塵も許さないのも、佐取桐佳や黒川遊里といった者達の傍に現われた血の化生の排除を攻撃よりも優先して行ったのも。身の回りに潜む些細な危機さえ許容できないそれは、臆病者と言っても過言ではない。佐取燐香とはそのような人物だったか?」

「……」



 返答は無い。

 少女は自身が口から吐き出した血を眺めて、或いは兄の体を乗っ取っている【神埜】と対峙して何を考えているのか、全く読み取れない無表情を貫いている。



(返答は無いか……取り込ませた血液を分離させる技術を有しているなら、こちらの時間による優位性はほとんどない。であるなら、無駄に時間を掛けるのは最小限にするべきだな)



 目の前の少女から情報を得ることはできないかと諦めた【神埜】は、既に自分が持ち得ている情報を整理する。



(佐取燐香、この時代において“顔のない巨人”と呼ばれ恐れられている未知の正体。正体を隠したまま世界的な知名度を誇るほどに力を振るった存在がこいつだと……?)



 佐取優助の記憶にある佐取燐香に関する情報を整理し、【神埜】は表情を硬くした。


 “顔のない巨人”という情報。

 佐取燐香への評価と佐取優助が知らされている異能の性能。

 万全の対策を取るには断片的過ぎる、だが、知っているだけでも厄介極まりないと分かる情報に、【神埜】は自分の計画の最大の障害が目の前の人物であることを確信する。



(世間に伝わる“顔のない巨人”の話が真実であるなら、この現代における最高峰の力の持ち主と考えられる。危険性は確か。だが、どうする……? 現状、ひとまず我が権能に適正のある子孫の肉体を器にするという目的は果たせてはいるものの、他を諦めてこの場を去ろうにも目の前のこいつはそれを許す気配が微塵もない。我の血筋からこれほどの才覚を持ち、実績を重ねた者が輩出されたこと自体は喜ばしいことだが、我が大望の成就を思えば厄介極まりない存在でもある…………この場において最適な選択は)



 自分がこれまで見てきた異能を持つ者達よりも、数段上の力を有している疑いのあるこの相手。

 自分に抵抗するだけの力の無い者達とは異なる、力によって他者を征服することができる少女に対して、【神埜】は佐取優助の記憶から有効策を探しながら語りかける。



「我は神埜。貴様の実母の遠い祖先であり、貴様らは我が血脈を受け継ぐ子孫である」

「……へえ」



 酷く平坦で、興味の欠片も感じさせない返答。

 だが、【神埜】は言い聞かせるようにゆっくりと言葉を続ける。



「我が子孫が多くの富を持ち、権威を有し、領土を所有しているのは生前の我の威光によるものだ。我が権能で全てを従わせ、名誉を築いたが故に得たのが我が一族の地位。太古、この国で最も畏怖されたのがこの我、神埜なのだ」



 そこまで言って、【神埜】は自身が操る佐取優助の体を見せつけるように両手を広げる。


 同時に、周囲に散らばっていた赤い液体から巨大な異能の力が放出された。


 地面に大きく広がっていた赤い液体が滴となって持ち上がっていく。

 まるで天地が逆さまになった雨のように、地面から空気中降り注ぐ赤い液体が霧に染みこみ、宙に漂っていた赤い霧がさらに色濃く街一つを覆うような巨大な規模へと変貌していく。


 時には獣頭の怪物に変貌し、時には人体に入り込み怪物へと変化させ、時には【神埜】の思うがままに刃となる真っ赤な霧が、広く広く世界に拡散していく。


 それはもはや一つの巨大な自然現象のようなものだ。

 多くの者の血を溜め込むことで長年蓄積されていたものと、元来【神埜】が所持していた異能の圧倒的な総量が、たった一つの仕草で解き放たれ全てを侵食していく。


 遙か昔。

 誰一人として太刀打ちできず、一国を支配するに至ったその時代の究極の力。

 それが正しくこの世に再臨しているのだと知らしめるように、巨大な力を無尽蔵に放出していた【神埜】が語る。



「生前、我は思い描いた野望を終ぞ果たすことができなかった。だからこそ、我はこうしてこの世に戻る、気が遠くなるほどに長大な計略を講じたのだ――――その結果として、この体は完全では無いものの、我の権能へそれなりの耐性能力を有している。意思を持つ液体としてでは無く肉体を持った形として、我はひとまず今世への再誕を果たすことができ、現状ここまでの力を取り戻すことができた」



 一つの街全体を覆い尽くすような強大な異能の行使。

 自身の異能の圧倒的な拡散性能を、口角を上げて誇るように見せつけた【神埜】は、目の前の少女の目を見詰めた。



「…………それで?」

「交渉をしよう。我が子孫、佐取燐香」



 自身の力を誇示した上で、佐取優助の知る、非情で合理的な妹であれば受け入れるであろう提案をする。



「現状、貴様の父親と妹、同居人の女二人の命に別状は無く無事だ。その上で、この体の男以外の貴様の家族にはこれ以上手を出さないと約束しよう。我が大望を果たす最中、この街への被害を最小限として貴様らが住まう地域の平和を維持すると誓おう。故に、貴様も我の邪魔立てをするな」



 提案。

 つまり、相互の妥協。

【神埜】は佐取桐佳を、佐取燐香は佐取優助を諦め、その上での相互不干渉。

 生前日本全土にまで異能の支配を進めた【神埜】の凶悪な拡散性能を見せつけ、お互いにこれ以上の被害を抑える案である。


 より良い自身の器を求めて、“精神干渉”という対処の難しい未知の力を行使する佐取燐香と対立するのは好ましくない。


 なぜならば。



「我の望みは生にしがみつくだけの矮小なものでは無く、生前果たすことの出来なかった大望の成就にある。現状ここは、我にとっては通過点にすぎんのだ。こんなところで足を止めるようなことは許されない」



 そうであるからこそ、【神埜】は燐香にこの妥協を提案する。

 優助の記憶にある、家族の中で誰よりも妹を大切にしている相手だからこそ通じる案。

 怪我をしている高介や妹、絆を育んでいるだろう同居人の安全を優先して、佐取優助一人を諦める選択。


 佐取燐香という人物像からも一考の余地はあるだろうこの提案に、【神埜】は自信を覗かせながら、さらに自身の力を誇示する為に血液の異能をより強力に氷室区全域へと拡散させていく。



「ある程度であっても、我が権能をそれほど不自由なく行使するまでの器を手に入れることが出来ている以上、こちらとしても問題は無い。我が生きていた時代は搾取するべき人間の量が少なく、大海を越えることが出来なかったが、これほど多くの人間が生活している現代であるなら搾り取る血液量に悩む必要もないだろう。我の権能は生前よりもより巨大なものに形を変え、大望を果たす見込みが十分以上に存在する」



 断ればどうなるのか。

 それを知らしめるように自身の力のカラクリの一つを明かしながら、【神埜】は自身の目指す先を自分自身の子孫に語り掛ける。



「世界に覇を唱えるのだ。我は今度こそあの大海を越え、この世の全てを搾取する。血も肉も富も栄誉も、この世の全ては我のものだ。そのために協力しろとまでは言わないが、邪魔立てはするな。そうすれば、貴様の家族を含めた住まう地域の平穏は保証してやろう。いいな?」

「……」



 さらに色濃くなった赤い濃霧が視界の全てを汚染していく中、逃げ場が消えた桐佳達の恐怖で凍り付く表情を燐香は一瞥した。

 それからゆっくりと、自分自身に妥協を語り掛ける【神埜】に視線を移し、変わり果ててしまっている自身の兄の姿を無言で見詰める。



「……」

「貴様の権能の力は分かっている。時間を掛けるのは許さんぞ。即座に回答しろ」



「答えは?」と、自身の異能が十分な拡散をする以上の余計な時間稼ぎをさせないよう【神埜】が回答を促した。


 何を考えているのか分からない、ぼんやりとした表情を浮かべていた燐香が、【神埜】に促されてゆっくりと口を開く。



「貴方が語る大望とやらは、さも誰からも理解される高潔な希望を掲げているかのような口ぶりで反吐がでる」

「…………何?」



 燐香の言葉に【神埜】の眉が微かに震えた。

 そんな機微を知ってか知らずか、燐香はつらつらと言葉を続ける。



「貴方の語ったその大望とやらは、下らない自己満足の範疇を越えていない。世界に覇を唱える行為には、何の正当性も存在していない。その全てを我が物にするという欲望はあまりに幼稚で、稚拙で、低俗極まるもの」

「…………」



「だって」と燐香は続けた。



「貴方は、異能を持って生まれ、十全に力を振うことができる環境にあって、禄にその力に対抗できる人間が存在していなかったにも関わらず、生きている間に海も越えられなかった。陸続きの国内に留まり、強力な異能を持った相手と相対することもなく安全かつ平穏に暮らし続けた」


「知略も、才覚も、それらを補う工夫も足りないくせに、たまたま生まれ持った力で周りに犠牲を強いて、貴方はその無能さの尻拭いを、世代を超えて他人に押しつけてきた。自分の子孫に因習を引き継がせ、無為に被害を拡大させ続けた。神埜という血塗られた一族の諸悪の根源と成り果てた」


「そんな貴方に私が賛同する要素はないし、私が貴方に譲歩することは何一つとしてない。今すぐお兄ちゃんから出て行って、私達の前から消え失せろ」



 巨大な異能の力を目の前で見せられ、見知った街並みが恐ろしい色に変わり果てている。

 兄の体を奪われ、父と頼りにしている警察官を操られ、妹達を傷付けられている。

 どう考えたって絶望的な筈のこんな状況。


 だが、そんな中でもその少女の姿は普段と微塵も変わりない。

 佐取優助が知る怪物としての妹が、冷たい目で【神埜】を見据えて牙を剥こうとしている。



「――――それが貴様の答えか小娘」



 自分が器としている佐取優助の感覚がザワつき始める。


 昔と同じ。

 昔と変わらない。

 捉えどころの無い自信を持ち、冷酷な裁定者としての立ち振る舞い、それでいて他の人間全てを容赦なく踏みにじる怪物。


 過去に幾度となく、佐取優助の自信をへし折ってきた怪物が、昔と同じ空気を纏い目の前に対峙しているのだと、【神埜】に告げてくる。


 そして、だからこそ。



「驕り高ぶったな小娘…………ならば我も情けなど掛けることはない」



 佐取優助の体から経験として知らされる目の前の少女の危険性。

 兄として知り得る記憶があるからこそ、【神埜】は非道な手段を何のためらいも無く行使する。



「この場、この地域、この集落で儀式を執り行おう。我の再誕の祝いの儀だ。この地に生きる生命全てを耕し、我が権能の糧としよう。あらゆるの生命の血肉を絞り上げ、我に捧げる供物へ変えてやろう」



 赤く薄暗く不気味なものに変わり果てた見慣れた町並み。

 あらゆる方向から悲鳴が響き始め、血液によって作られる怪物達の笑い声が地を揺らし始める。



「今度はなにっ……お兄ちゃんが居なくなって、霧が濃くなってっ、化け物達が溢れ出して、今度はいったい何なの……⁉」

「桐佳ちゃん、この霧吸っちゃだめっ……! 声を出さないで口を塞いで……!」

「こ、こんな、異能っていう力はこんなにもっ……」


「……」



 悲鳴に怒号、破壊音に衝撃音。

 赤い霧によってほとんど先の見えない視界不良の中でも、大混乱が音を通して伝わってくる。

 氷室区という、多くの人にとっての安息の地が、怪異が跋扈する異形の地へと変貌してしまっている。


 視界の端で怯える桐佳達に注意を向けながら、忌々しげに目を細めた燐香に【神埜】は告げた。



「貴様が選んだのだ、我に尽くさぬ愚かな子孫よ。故に我は貴様の生を奪い取り、我が血肉として利用しよう。文字通り、骨の随まで残さずな」






本小説の第二巻が3月28日に無事発売されております!

リンクを纏めておきますので、よろしければ確認お願いしますー!


【書籍化に伴うリンク集】


〇 KADOKAWA公式サイトリンク


https://www.kadokawa.co.jp/product/322308000521/


〇 『非ななな』特設サイト(こちらにMV情報などがあります!)


https://famitsubunko.jp/special/hinanana/entry-12830.html


〇 公式Twitter(X)


https://twitter.com/fb_hinanana



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
なぜかブックマーク外れており今更更新に気づきました…。 いや〜書籍のイラストを見てからだとよりイメージが強固になって良いですね。 更新お待ちしてます。
世界を誰にも気付かれることなく中学生の時分にちゃちゃっと征服した魔王少女りんかちゃんと、生涯を掛けて他に異能を使う存在もないのに国内で土地神レベルの信仰集めて調子乗っちゃった神もどきパイセン。時代を理…
千年間かけて子孫がやってきた血の貯蔵があるからこそ今の出力や使える血液量なんだろうし、強力な能力だけどまだ肉体があった頃は一地方を牛耳れるくらいで個人で国に喧嘩売れるもんでもなかったんだろうかなって感…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ