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古き一族の始祖

大変お待たせいたしました…!

色々と書きたい展開を書いている内にどんどん長くなってしまっています…

流石にまだまだ章が長くなるという事は無いと思いますが、引き続き気長にお付き合いしていただけると助かります…‼


 




 少し時間を遡る。

 テレビで針山旅館の襲撃が映らなくなってから少しした頃、市街地を急ぎ進む六人の男女がいた。

 その集団は一見すると、両親とその子供三人の五人家族と、それに付き添うスーツ姿の男性一人に区分されるだろうか。

 どこか一目で他の五人とは違うと分かる雰囲気のスーツ姿の男性は、何かに警戒するように視線を周囲に走らせて、五人家族を誘導している。



「もうすぐ氷室署から向かっている人員が合流すると思います。焦る必要はありませんので、周りから離れないよう注意してください」



 何度か道を歩く家族に気がついた近所の住人が目を丸くするが、彼らに付き添うスーツ姿の男性がすぐさま警察手帳を見せたことで何かを理解したのか、頭を下げて慌ただしくその場から離れていく。


 恐らくテレビで自分の偽物の姿を見た人だったのだろうと、見知った近所の住人を見送った佐取高介は付き添ってくれている警察官へ再度感謝する。



「神楽坂さんすいません、お迎えに来てくださって助かりました」

「いえ、もし佐取さんが本当にあの場で針山旅館に襲撃しているのであればご自宅には居ない訳ですから、犯人としての状況証拠としてはこれ以上無い。警察として証拠となるものを確保しようという考えがあったのも事実です」

「それでも警察の方が、佐取高介は報道されていた場所とは違う場所にいたという証明をしてくださるのは、誰かに罪を被せられようとしている状況の私にとってはこれ以上無いくらいの安心材料です」



 自分の感謝の言葉に対して、人好きするような微笑みで応えた神楽坂上矢という警察官。

 彼は、テレビで報道された自分自身の偽物が針山旅館を襲撃しているのを確認して、警察署に向かおうとしていた佐取家にすぐさまやってきたのだ。

 まるで予知していたかのような早さでの訪問だっただけに優助などは半信半疑であったが、こうして付き添い、近隣住民に対して即座に身分を開示してくれているため、無用な質疑や攻撃を受けること無く警察署へ向かうことができていた。


 それは、罪を被せられようとしている高介の精神的にも、一刻も早く警察の監視下に入りたい状況からも、非常に助かることだった。



「けれど、どうしてあんな偽物が……」

「……犯人の狙いはまだ想像するしかできませんが、佐取高介さんに罪を被せることで何かしらの利を得る人物がいるということでしょう」

「あの、テレビに映っていた“ブレーン”という方が仰っていたことは……」

「……あの人物については私達末端の警察官は把握していません。あの人物が言っていた、神埜源晴という人物が全てを企てた犯人であるかも知らされていないんです」



 スーツ姿の警察官、神楽坂上矢はそう言葉を濁す。

 確かに警察本部の機密情報なんて末端の警察官が知るよしがないし、神楽坂がそうして一般人である高介達に曖昧な回答をするのなんて不思議ではない。


 だが、神楽坂上矢が言葉を濁したのは本当に知らないからなどではなかった。



(いくら父親の嫌疑を晴らすためとはいえここまで事を大きくするなんて、佐取は大丈夫なのか……? 相手の行動は大方予想できているんだろうが……できてはいるんだろうが、既に少しやらかしている気もするんだが……)



 神楽坂は“ブレーン”の正体を知っている。

 だからこそ、未だに事態の全貌を説明してくれていない、“ブレーン”という架空の存在に成りきってしまっている彼女のことを思い、神楽坂は心配する。


 そもそも“ブレーン”という存在の成り立ちを知っている神楽坂としては、もう二度とあの名を名乗らず世間の記憶から風化させるのが一番だと思っていただけに、今回の事態は悪手にしか見えなかった。

 彼女が持つ“精神干渉”の力があればある程度は誤魔化せるのかもしれないが、それにしたって全国放送の中で姿を現し異能を使うだなんて、普段の情報の取り扱いに関して慎重な少女からは考えられない行動だ。


 “精神干渉”の力の全てを知っているとは言えない神楽坂の杞憂なのか。

 もしくは、父親という家族に及んだ悪意の手を払うためには多少のリスクを負ってでもと考えたのか。


 どちらにしても、事態を把握し切れていない今の神楽坂の不安は拭えない。



「こんな時にお姉はどこに行ってるの……?」

「燐香は……いや、燐香の奴も、きっと警察署に向かってる筈だから安心しろ」

「そんな、私を安心させようとするだけの嘘なんて……ねえ、遊里は何も聞いてないの? お姉がどこに行くとかって」

「う、うーん、私も桐佳ちゃんと一緒で何も聞いてないなぁ。どこに行っちゃったんだろうね?」

「……お姉の馬鹿」


「……もう何人かの人員が佐取さんのお姉さんを迎えに家まで向かっていますので、すれ違ってしまうということはないと思います。直ぐに警察署で合流できる筈ですから、安心してください」



 それでも、もっと事情を知らず、姿の見えない姉の安否を心配している桐佳に、神楽坂はできるだけ優しく声を掛けた。


 姉よりも少しだけ背の高い少女の潤んだ目が向けられ、神楽坂は自分の不安を思考の外へ放り捨てた。



「俺を含めて、警察は君の家族を疑うんじゃなくて守るために動いているから、必ず君の家族を安全な場所に送り届けてみせるから安心していてほしい」

「…………分かりました」



 少しだけ落ち着いたような桐佳の様子を確認し、神楽坂はほっとする。

 見ず知らずの警察官である神楽坂を信頼しているという訳では無いだろうが、味方になってくれている人が近くにいると知れるだけでも安心感はあるものだ。

 そういった被害者心理をこれまでの経験で知っているからこそ、神楽坂は被害者の前ではどれだけ状況が分からなくとも迷いを見せないよう努めていた。



(佐取の妹さんか。確か佐取とは一つ違いの筈だが、こうして取り乱している様子を見るともっと幼く見えるような…………いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。飛禅にはもう連絡したから、俺は佐取の家族に何かしらの悪い事態が降りかからないよう警察署まで護衛して、飛禅が到着するまで片時も彼らの傍を離れないようにしないといけない。標的となっているのが佐取高介さん個人なのか、佐取家全体なのかが俺には分からないが、どちらにせよ時間稼ぎが俺の役割で――――)


「――――んぶっ⁉ ちょ、ちょっとっ、神楽坂さんっ、なんでいきなり止まるんで、す……か?」



 そうやって考え、目的地である氷室署までもう少しだと道の先へ視線をやった神楽坂は異様なものを見付けて足を止めた。


 家族を先導していた形の神楽坂が足を止めたことで、止まりきれず神楽坂の背中に顔から突っ込んだ桐佳が不満の声を上げる。

 だが、そんな桐佳の不満の声も、神楽坂がじっと見据えている人物に気がつき、すぐに止まった。


 黒の着物を身に付けた髪の長い女性が立っている。

 深紅と金の刺繍が施された自然と視線が吸い寄せられるような着物をしたその女性は、人々の中に紛れていても強い存在感を放っていた。


 異物。

 いや、あえて言うのなら、神秘。

 人とは明確に異なる存在であり、何者も犯すことの出来ない神性。

 ただ一つの存在で、場を異様な空気に変貌させてしまう絶対的な何か。


 そんな存在を目の当たりにして、高介や桐佳は思わず動揺を口にしてしまう。



「誰、あの人。なんだか、私に似てる気が……」

「……清華、さん?」



 桐佳が困惑し、高介はあり得ない者を見たような表情で唇を震わせながらその人物に呼びかけた。


 あり得ない話だ。

 佐取清華さとり せいかという優助達の母親は、随分前に亡くなっている。

 外的な要因では無く、病院から白血病と診断されて、幾ばくかの闘病生活を経た上で家族はその死を看取ったのだ。

 間違いなく佐取清華という女性は亡くなっていて、この世に存在してはいない筈の人物。


 そんな人物に酷似した何かが、自分達の前に立ち塞がっているなんて。



「……優助お兄さん。あの人が、桐佳ちゃん達のお母さんで間違いないの?」

「いや……いや、ありえないんだ。母さんは既に死んでいる。俺が小学生の時に、病状が悪化していくのを見ていた。衰弱していく母さんの姿を何度も目の当たりにした。だから、目の前のあの人が本物の母さんの筈が無くて…………」

「それじゃあ、あの人はただ似てるだけの別人……?」



 この場にいる佐取家全員が同一人物ではないことを分かっている。

 だが、そう聞かれた優助は否定しきることができなかった。


 それくらい、視線の先にいる女性の見た目は自分達の亡き母の姿に酷似している。


 そして、名前を呼んだ高介の言葉に正体の分からない女性が反応した。



「――――高介さん」



 目を見て、名前を呼び返した。

 昔と同じような呼び方で、生前愛した相手を呼び掛けた。

 息を呑んだのが誰だったのかは分からなかったが、佐取清華を知る者であったのならそれは誰だったとしても仕方がない。



「高介さん、高介さん、高介さん」



 繰り返す。

 ようやく会えた愛しい人を呼び掛けるかのような言葉。


 だが、それを紡ぐ女性の表情は無機質な機械のように何の変化もない。

 人が混み合う中であるがゆえに、着物姿で立ち尽くすソレから生命的なものが感じられないことがより一層際だっている。


 それでも、その女性に寄せる強い想いがある高介は神楽坂に肩を掴まれ制止させられるまで、無意識にソレに近付こうとしてしまっていた。



「神楽坂さん、あの人は、私の妻で……」

「っ、佐取さんっ、駄目ですっ……! あの女性は、貴方の知る人ではありません!」

「ですが、彼女は私の名前を確かに呼んでいます……! 彼女の声で、彼女の顔で、確かにそこに居て」

「他人の顔見知りに成り代わる異能を持った人間を私は見てきました……! そういうものに比べてあれは顕著に人間味が存在していない! ほぼ間違いなくっ、形だけ作られた偽物で、人間ですら無い何か別の――――」


「高介さん高介さん高介さん高介さん高介さん」



 繰り返し呼ばれる高介の名前。

 何かを伝えようとする意思も、感情的なものも存在しているようには見えない女性の声に、他人に成り代わる異能を知っている神楽坂がさらに表情を険しくさせた。



「高介さん高介さん高介さん高介さん高介さん高介さん高介さん高介さん■介さん高介■■高■■■■■さ■■■■■」

「清華、さん……?」



 壊れたラジオのように一つの単語をただ繰り返す、身近な人を模した女性の不気味な様子に、神楽坂と高介が体を硬直させ、桐佳が優助の袖を掴み、由美と遊里が息を詰まらせた。


 そして次の瞬間。


 ドロリと、顔が溶けた。

 女性の顔の半分が、赤い液体が溢れだして原型を留めなくなる。

 ボタボタと顔半分から流れ落ちる赤い液体を見たことで、それまで女性を自分の知る人だと信じようとしていた高介が過去の恐怖を想起して、顔から血の気が引いた。


 二十年前、あの旅館で見たまっかな怪物が亡き妻を装って現れたのだと理解させられる。



「な、なんだこの人っ⁉ 顔が崩れて……⁉」

「まさかテレビでやってる超能力ってやつなのか……?」

「っ、離れてください! 危険ですっ、皆さんこの場から離れてください!」


「……■■■■■……形■保て■■■■」



 周りに居た事情を知らない人達が女性の異様な姿に騒ぎ始める。

 周りの声でようやく自分の顔が崩れていることにようやく女性が、ベチャリと崩れている部分を手で押さえた。


 数秒間崩れていた顔を押さえ、ゆっくりと手を離すと崩れていた顔が元通り整った女性の顔が現れる。



「……まさか、記憶に引きずられるとは」



 先ほどとは雰囲気が変わった。

 既に誤魔化すことはできないとでも思ったのか、家族がよく知る顔をしていたその人物は元通りになった自分の顔をペタペタと触りながら悩ましげにそう呟き始める。

 つい先ほどまでの自分達の母親を連想させた言動とは異なる、佐取家の面々に興味を持っていないような態度の異様な女性に、再度高介は呼び掛ける。



「清華さん、ではない……? 先ほど私の名前を呼んだ貴方は一体……?」

「神埜清華の記憶に一時的に引きずられただけだ。知識として貴様のことは知っているぞ。我の子孫の一人を誑かし、出奔させた余所者、佐取高介」

「記憶に一時的に引きずられた……? 清華さんの記憶……?」



 聞き慣れない単語を高介は思わず繰り返した。

 困惑している高介の様子に、その人物は呆れ果てたように自身の髪を梳いた。



「……その様子ではやはり何も知らないか。儀式の日に旅館にいて、非日常的な危機を目の当たりにし、命の危機に瀕する中九死に一生を得た。その上で事情を少なからず知る者と伴侶になったにも関わらず、今日この日まで何も知らないままとは。危機となり得る事象を認知しつつ、内情を知るための行動すら取れなかったなど凡愚にも劣る」



「ならば」と、亡き妻の顔をした何かは冷たく口にする。



「自分が踏み込んだものが何だったのか知らぬまま、貴様はこの世を去るが良い」

「待て」



 即座に対応できるよう警戒していた神楽坂が、何かを察して二人の間に割って入った。

 高介だけではなく桐佳達の壁にもなるように進み出て、間違いなく人外である目の前の存在の行動を制止するよう視線を鋭くしながらさらに声を掛ける。



「お前は何者だ? いや、答えなくてもいい。そのままこちらに干渉しないというのなら、こちらは争う意思は持っていない。立ち去ってくれ」

「神埜」



 問い掛けに対して酷く億劫そうにそれだけ返した人外、【神埜】に、神楽坂は怪訝そうな表情を浮かべた。



「神埜……? それは、古い名家の姓だった気がするが……」

「……ほう、博識だな男。その名家の姓は、元は私が名乗っていた名だった」

「未解決事件にその名家は深く関わっていたからな。だが……待て。お前が言っているのはおかしい。俺が知る限り神埜という家は古くから続く家系で、元はお前が名乗っていた名前だったとするならお前はその家よりも長く生きている事になる」

「ああ、間違っていないぞ男」



 【神埜】は神楽坂の質問に、笑みを浮かべた。

 それは神楽坂を嘲るような笑みでは無く、会話に付いてこられるだけの知識と能力を持っている神楽坂を讃えるようなものだった。


 だからこそ、高介に対して向けていた攻撃性を潜めた【神埜】は神楽坂の質問に解答する。



「現代では神埜の始祖と呼ばれる者。それが我だ。千と少々前の時代に産まれて生きてきた。当然人間の肉体としての我は朽ち果てたが、再びこの世に戻る為に大量の血液を子孫へと用意していたのだ」


「血液には記憶が残っているものだ。特に、心の臓によって作られたばかりの血液には鮮明に刻まれている。我が保管させていた血液にはより強く記憶が残るよう特別な細工を施し、我の持つ権能と同種の力に目覚める子孫の出現を待ち続けた」


「そして今、我はこうして記憶を保持してこの世に戻ってきた。長年の計略の、第一段階が成功し■■■■……また崩れてしまったな」



 崩れた自分の体を押さえ軽く補修を施しながら、【神埜】は神楽坂の疑問に答えた。


 遠い過去の人間がこの世に戻る。

 記憶を保管し、年月を経て自意識を持つ存在を作り上げる計画。

 あまりに壮大で、あまりに長大で、そしてあまりに非現実的な異能による計画に、神楽坂は思わず口に手を当ててそんなことすらも可能なのかと考えてしまう。


 だが、この話にはまだ続きがあることに気がついた。



「異能を使って過去からの再誕だと……? そんなことが……いや、第一段階が成功……? まるでまだ次があると言うような……」

「ほう、関係者でもなさそうな貴様が今の話を信じるのか。だが、ああそうだ。醜いものを見せてしまっただろう。我の体が崩れてしまうところを。現代の我が子孫。源晴とやらの力によってこうして意識を取り戻すことには成功したが、奴の力では制御がままならぬ。少量であればまだしも、我の血液をある程度使ったものはガワが耐えきれず崩れてしまう。気を抜いていると先ほどのように意識すら持って行かれてただの液体に成り果てる。これでは、過去から計画していた完全な再誕とは言い難いのだ」



 つまり、計画の次の段階は。



「器が必要なのだ。我の血液を注いでも耐えられる、我が権能に染まる器が」



 視線が神楽坂から外れる。

 状況の推移を窺っていた優助と桐佳へ。

 頭の先から足の先までを吟味するようにじっくりと、自身の末裔である二人を眺め始める。


 視線に嫌なものを感じた桐佳が身震いするが、【神埜】にとってそんなものは些事である。

 品定めするような視線を止めようとせず、立ち塞がる神楽坂越しに二人を観察していた。



(佐取の母親は神埜と呼ばれる一族の末裔だった訳か。前に佐取は自分の知る限り親族に異能を持つ者はいなかったとは言っていたが、確かに千年以上前の祖先の事なんて神埜の家に関わりの無かった佐取が知り得る筈も無い。遠い祖先から続く異能に関するしがらみが今になってあの子の前に現れるなんてな……)



 見た目が燐香や桐佳にどこか似ていて、高介に亡き妻であるかと間違われた。

 そしてこれまでの【神埜】の話ぶりから、佐取家の亡き母親は神埜の一族であったことに間違いは無いのだろうと神楽坂は思った。


 我が子達が狙われている事に気がついたのだろう高介が、神楽坂の背後で優助と桐佳を守るように抱き寄せている。



「源晴とやらをそのまま器にするには少々強度が足りんように思えた。力としては脆弱でも、ようやく我が権能と同種の力に目覚めた子孫を失うのは我としても望むところでは無い。我が権能への耐性は我が血族が他よりも高いのは確かだが、源晴以外の子孫は全員試してみても器としての役割は果たせなかった。故に、残りは出奔した娘の子。望みは薄いが其れ等を試してみる必要があるだろう?」

「……」



 つまり、自身の子孫である桐佳達に手を出さないということはできない。


 神楽坂の最初の問い掛けの答えが遠回しに伝えられたことで、神楽坂の中に僅かに残っていた争わない方向性の模索が消えてなくなる。

 この目の前の人外は、何を言ったところで己の目的を果たそうと行動するだろう。

 そう確信してしまうほどの自信が、神楽坂の目には透けて見えた。


 そして言及こそされていないが、恐らく器としての役割を果たせなかった者達は――――。



「……試す、か。お前がこの場に現れた目的は分かった。だが、彼らはお前達の家に関係ないところで独立して生活している。古き伝統を引き継いだ名家だろうと、偉大な祖先が存在しようと、お前らの家から何も与えられてない彼らの営みを邪魔する理由にはならない筈だ。神埜という一族の内々でどのような取り決めがあったのかを俺は知らないが、一族の外にいる彼らに干渉し、何かを強要するというのはおかしな話に聞こえる」

「始祖たる我に子孫が尽くすのは当然のこと。それに、器にはなれずとも、死した後は我の一部になる。我の名である神埜を継ぐ一族の宿命であり、名誉だ。血族でもない貴様には分からない価値観かもしれないが、現に他の子孫は喜んで自身の身を差し出したぞ」



 鼻で笑い、話にならないとでも言うように【神埜】はそう吐き捨てた。

 大人しそうな女性の顔からは考えられない、見下したような表情を浮かべている目の前の存在を見詰めて、神楽坂はやはりと思う。


 器として血液を注がれた者は死ぬ。

 そしてそのことに目の前の【神埜】という人物はなんの罪悪感も抱いていない。

 これまで数々の異能を持った犯罪者を見てきた自身の経験からくる目の前の存在の人物像の予想が何人一つ間違っていなかったことを理解し、神楽坂は苦々しく思った。


 そして、前提となるそれらの要素が神楽坂の予想通りであるなら、次に【神埜】という人物が行うのは超常的な力による強制の筈だと神楽坂は考える。



「さて、話はもう良いだろう」



 そしてそんな神楽坂の考えは正しかった。



「器は丁重に扱う必要がある。故に、まずは他の邪魔な者達を排除しよう」



 未だに騒ぎ立てている周囲の無関係な者達に一瞬だけ視線を流し、【神埜】はそう言う。


 何かする。

 問答無用で多くの被害を出すことのできる、罪悪感の欠片も持ち合わせていない者が何かしらの行動を起こす。


 【神埜】という人物像に、この人物が持っているだろう超常的な力。

 異能に関して一定以上の知見を持つ神楽坂は正しくその二つの要素を併せ持った人物の危険性を把握しているからこそ、未だに何も被害を出していない相手に対して咄嗟に行動を起こした。



「――――っ⁉」



 即座に距離を詰め、神楽坂は予備動作すらない最短距離で裏拳を振るった。

 まともな威力の期待できないそれは、相手の意識を奪うためのものではなく相手の体勢を崩すためだけの阻害行為。

 そして、周囲の騒ぎ立てている者達へ意識を逸らしていた【神埜】は神楽坂の攻撃に対して回避することもできず顎の先端をまともに打ち抜かれた。


【神埜】がグラリと体を傾けたと同時に、周囲にいた者達の首を何かが切り裂いた。



「あ、あああっ、ああああああ! 痛いぃぃぃ‼」

「血がっ、血が出てるっ…! だ、誰か、救急車を、早く……‼」

「ば、化け物だっ、早く逃げろぉっ‼」



 血が飛び散り悲鳴が飛び交う。

 だが、人々を切り裂いたそれは、神楽坂が関与したことによってザックリとした致命傷とはなっておらず、どれもが僅かに肉を裂く程度の軽傷に収まっていた。

 それでも、これまで近くで成り行きを見ていた通行人達が、自分達にも危険が及ぶのだとようやく理解し悲鳴を上げながら逃げ惑い始めたのを横目に見て、神楽坂はホッと安堵の息を漏らした。


 少なくとも死者は防ぐことが出来た。

 悲鳴を上げられて、逃げ出せるのであれば、治療はきっと間に合うだろう。

 そう予想しながらも怪我人への心配を隠し切れていない神楽坂に対し、思わぬ妨害を受けた【神埜】は笑みを消してギラついた目を向けた。



「…………貴様」

「……どうやら俺の判断は間違っていなかったようだな。お前のような奴なら、どれだけの被害を出そうが気にすることはないし、衆目を浴びている状況でペラペラと手の内を口にするのはこの場にいる者達を無事に帰すつもりが無かったからだ。そんな人間性を持った奴が起こそうとする行動なんて、大方予想がつく」



 一瞬にして剣呑な雰囲気となった【神埜】に対して、神楽坂は何一つ物怖じすることはない。

 規模に違いはあれど、こういった人物を神楽坂が相手にしたのは一度や二度では無いからだ。



「お前の異能が血液の操作なら、多少扱いに長けていれば血液を操って人体を切り裂く程度も可能だとは思っていた。周りに人が多くいる状況で、警戒しないというのが無理な話だ」

「……随分と知ったような口を利くものだ」



 一度は周囲への被害を最小限に抑えることに成功した。

 それでも、自身が異能を持っていない以上、奇襲染みた攻撃で異能による攻撃から多くの人を守り続けるのは不可能だと神楽坂は理解していた。



(怪我人を全く出さないなんて事は出来なかったが、どうにか一度目の被害は食い止められた。だが、二度三度と同じ方法が通用するとは思えない)



 だがそれでも、この異能を持つ相手に対処する必要があるのなら。

【神埜】からの攻撃を受けたことで、周囲に留まっていた人々が危機感を覚えてこの場から逃げ出しているのを一瞥し安堵の溜息を漏らして神楽坂は考える。



「生憎、異能犯罪を取り締まるのは初めてじゃ無いんだ」



 だから、『役割を果たせ』と神楽坂は心の中で自分に言い聞かせ、じりじりとヒリつくような自分自身の危機感を無視して挑発するように笑みを浮かべた。



「お前が他の誰かを傷付ける異能犯罪者の一人だと言うのなら、俺はこれまで対峙してきた犯罪者達と同様に異能ごとお前を制圧してみせるだけだ」

「――――ほざいたな、愚図が」



 血が沸騰する。

 文字通り。言葉の通り。

 体が泡立ち飛沫を飛び散らし、赤い濃霧のようなものが【神埜】の周囲を取り囲む。


 視覚による確認が困難になる霧は、同時に蒸気が立ち上るまでの高熱。

 全身から溢れだし始めた、まともな血液とは思えないほど赤黒い体液がアスファルトの道を際限なく塗り潰していく。


 異能の特徴となるそれらの点を目視した神楽坂は、即座に距離を取りながら佐取家の者達を後ろ手で下がるように促す。



(血の霧が全身を取り囲んだ……先ほどの攻撃で切断性に優れた使い方をするのは確定していたが、これは完全な別ベクトルの異能の使い方だろうな……。それから血の霧から立ち上がる蒸気を見る限り熱も変動させられるのか? 毒性の可能性もあるだろうが、あの液体人間のように全身が伸縮自在の可能性は――――)


「喧嘩を売る相手を間違えたぞ小僧」

「っ゛⁉」



 だが、そんな予想を組み立てていた神楽坂の右肩に小さな痛みが走った。


 見れば、高速で飛来した血の棘が突き刺さっている。

 細く小さく、一見すれば重い傷にはなり得ないようなものであるが、それが異能を使う者の仕掛けた攻撃であることを理解している神楽坂は即座に右肩の棘を引き抜いた。


 しかし、遅い。



「血こそが我の権能の力の起点。すなわち、外界に露出した貴様の血は我のものということだ」

「なっ……⁉ ぐっっ‼」

「か、神楽坂さんっ⁉」



 服を僅かに滲ませる程度だった神楽坂の出血が、鋭いカミソリのように変貌する。


 服を切り裂き、腕を流れ伝いながらザックリと切り付けた。

 鋭利な刃物のようになった自分自身の血液が神楽坂の右腕と右胸のあたりをズタズタに切り裂いたことで、さらに多くの出血が神楽坂を塗らしてしまう。


 この出血も同じように刃物のように鋭利なものにできるのなら、自分は連鎖的に全身を切り刻まれるだろう。


 そう考えた神楽坂が咄嗟に近くにあった電柱の裏に身を隠すが、グラリとした目眩に襲われ電柱を背にして動けなくなってしまう。



(こんな時に目眩っ……⁉ いやこれは、血を大量に失ったことによる目眩というよりも……)


「ふん。身を隠すことで権能による影響を少なくしたか、妙な知恵を持っていて面倒な……だが、頭に血が上らなくはなっているようだな? すぐに立つことはおろか、考えることも出来なくなるだろうよ」

「……脳に血液を送らせないよう操作したのか……貧血のようなこの症状は道理で……」

「まだ喋る余力があるとは頑丈な男だ……やはり肉体が無いと思うようにいかんな。そもそも即座に細切れにしてやるつもりだったにも関わらず、腕の一本粉微塵にできぬとは」



 神楽坂自身の体を切り付けながら地面に落ちた鋭利な血液を見ながら、【神埜】は嘆きの言葉を呟く。



「異能を生涯使い続けてきたというのは伊達じゃない、か。これまでの相手とは手札の数が違うな……」

「遺言を聞く気は無いぞ小僧」

「俺もお前に聞いてもらう遺言はないさ……!」



 電柱を背に座り込んでいた神楽坂は自分を見捨てて逃げることも出来ずに立ち竦んでいた佐取家を一瞥して、砂利を掴んで一気に飛び出した。


 相手の血液すら操れるなんていう理不尽な力に対して身を守り続けても何一つ状況は好転しないし、このままでは時間稼ぎだってままならない。

 そう判断したからこそ、これ以上自分の状態が悪くならないうちに赤い濃霧に向けて攻勢を仕掛けることにしたのだ。


 相手の想定外を攻め、砂利で僅かでも相手に視界を阻害し、痛打の一つでも食らわせられたなら、身を隠し続けるよりもずっと時間を稼げると神楽坂は判断した。



「ほう、逃げずに向かってくるのか」

「っ……⁉」



 だが、電柱の影から飛び出した神楽坂の目に飛び込んできたのは、巨大なまでに膨れ上がっていた赤い霧。

 道を埋め尽くすまで膨れ上がっていたその巨大な濃霧から【神埜】の姿を見つけ出せないどころか、高熱により接近すら大火傷を覚悟するしかない。


 高い身体能力や手に持った砂利などでは到底太刀打ちなど出来ない。



「過去にもそういう奴はいたぞ。蛮勇に振り回され自ら命を投げ捨てた愚図と、自らの身を投げ打って時間を稼ごうとした愚か者。貴様はそのどちらだろうな」


(しまったっ……! 短時間の内にこれほど巨大な霧になるなんて――――)



 駆け出した足が止まるよりも速く、巨大な霧が眼前に迫る。

 高熱となった赤い霧という自然現象には存在しない凶器に、神楽坂は一瞬死を覚悟したが、そんな中に青年の声が響いた。



「神楽坂さん、そのまま突っ込んでください!」

「っ⁉」



 青年の声と共に、何か小さなものが神楽坂を追い越し赤い濃霧に投げ込まれた。

 次の瞬間、ビーという甲高い警告音が濃霧から響いたことで、投げ込まれたそれが『防犯ブザー』だったのだと理解する。


 だが、単なる『防犯ブザー』であるのなら、様子がおかしい。

 音が鳴り響きだしてから赤い霧の濃さが徐々に薄く、身を焼くような高熱が生ぬるい暖かさに変わり始めている。



「【異能出力阻害発生機】っ! お前のような広範囲に散らす程度の異能なら、効力を弱めることはできるぞ!」

「……音に権能の力を乗せているのか? 器用なことをするものだ」



 濃霧の中で立っていた【神埜】が驚愕した。

 鳴り響く『防犯ブザー』から発生している異能の出力が、血液を操作していた異能の力を阻害している。

 たかが小さな機械一つで、自分の身を守る防壁を切り崩されたという、あり得てはいけない事態に、それを引き起こした人物である佐取優助を凝視した。


 だが、いくら凝視したところで佐取優助からは異能を持つ者特有の気配など感じられない。

 その事実に、【神埜】は驚きと落胆が入り交じった表情を浮かべた。



「……貴様が権能を持っている訳ではないのか。カラクリでそのようなものを作り上げる知恵は大したものだが……」

「こっちだ!」



 そして、生まれたその隙を神楽坂は逃さない。


 霧に紛れて作り出されていた複数の獣頭の人型を回避し、神楽坂は【神埜】に肉薄すると砂利を顔目掛けて投げつけた。

 投げつけられた砂利に対して反射的に目を瞑った【神埜】の腹部に拳が突き刺さる。

 そしてその殴打の衝撃によってくの字に曲がった【神埜】の腕を取り、ズタズタに切り裂かれた右腕を使わないまま素早く地面に押さえつけた。



(普通の人間ならこれで無力化できている。だが、異能を持っているだけではなく、まともな人間としての構造を持っていない可能性のあるコイツに有効だとは思えない……!)



 おそらく数秒も稼ぐことは出来ないだろう。

 状況を理解し、反撃に転じてくるだろう瞬間を予想し、そのタイミングに合わせて【神埜】の頭に上着を被せながら体を離して距離を取った。


 神楽坂の予想通り、再度沸騰するように蒸気を立ち上らせ始めた【神埜】が自身に被せられた上着を熱によって溶かしながら立ち上がった。

 そのまま組み付いていれば、上着と同じように神楽坂は焼かれていたことだろう。



「どいつもこいつも悪知恵を働かせるものだ。腹立たしい」



 そして既に、距離を取った神楽坂は再度【神埜】が異能を使って体勢を整えるまでの間を使って、佐取家の面々の手を引き建物の影に身を隠している。


 視覚による探知能力から逃れることで異能による影響力を減らす。

 単純ながら有効であるこの対処を、神楽坂が徹底して行っていることで、【神埜】は幾度となく始末のチャンスを失っていた。


 目的を果たせていないし、誰一人として命を奪って血液の補充もすることはできていない。

 自分と同種の力も持たない男に翻弄されている事実を、認めざるを得ない。



「……貴様らの知恵は認めよう」



 鳴り響いていた『防犯ブザー』を踏み潰した【神埜】は告げる。



「認めた上で、我は貴様らの知恵に対応した力押しをしようか」



 ゾワリと、地面に広がっていた赤い液体から獣頭の怪物が染み出すようにして姿を現した。

 だが、その生み出された獣頭の怪物達は神楽坂達を追い掛け襲うのでは無く、その場に立ち竦んだまま口から大量の赤い濃霧を吐き出し始める。


 まるで複数の蛇口で一気に湯船を満たすかのように、先ほどまでとは比にならない速度で赤い濃霧が広がっていく。


 そして、その濃霧が周囲の地面を満たした瞬間。



「っ、桐佳っ!」



 深い濃霧に紛れて一瞬だけ姿が見えなくなった【神埜】が、一瞬で桐佳の背後に現われたことに気がついた優助が声を上げ、妹の体を押し退けた。



「…………え? お、お兄……?」



 次の瞬間、血潮が飛び散った。

 咄嗟に桐佳を庇うように動いた優助の体を血の刃が切り裂いたのだ。

 苦痛に顔を歪める優助の姿を驚いたように見た【神埜】だったが、すぐに周囲の赤い霧を掴むように手を動かした。



「予定とは違うが……まあ、貴様は厄介な物を扱っていた。先に処理するとしようか」

「させるものか……!」

「っ……神楽坂さんっ、まだもう一つ異能を阻害するブザーがっ……!」



 これ以上の危害は加えさせまいと神楽坂が飛びかかると同時に、苦痛に顔を歪めていた優助も先ほどの『防犯ブザー』と同じ物を懐から取り出した。


 反転攻勢。

 示し合わせた訳でない神楽坂と優助の連携染みた行動に、【神埜】は不可解なものを見るように目を細めた。



「……致し方ない。少々力押しをするとしよう」



 周囲の濃霧を掴み、身長ほどの長さのある赤い棘を引きずり出した。

 不気味に蠢き続けるその赤い棘が鉄や合金のような科学的なものでないのは一目瞭然であり、異能という力にある程度の知見を持っている神楽坂と優助はその棘の危険性を瞬時に察知する。


 ――――だが、遅い。



「串刺しだ」



 赤い棘を持つ手を振ることも無く、そんな一言を【神埜】が呟いた。


 ボンッと、手にしていた赤い棘が炸裂する。

 さながら毛細血管のように、数多の細かい棘が全方位へと放出され、迫っていた神楽坂と優助の体を貫いた。

 そして貫いた勢いを少しも弱めること無く、赤い棘が突き刺さった二人の体をそのまま壁に叩き付け、壁に縫い付けることで串刺しの状態にする。



「あ、がぁぁぁ……‼」

「っ゛……」


「知恵を絞り小細工を利かせる貴様にはこういった力押しが効率的だ。好みではないがな」



 優助が取り落とした『防犯ブザー』を踏み砕いた【神埜】は串刺しになった二人の姿を満足そうに眺めてそう言った。


 完全な無力化では無くとも、この二人のこれ以上の抵抗はあり得ないだろうと判断した【神埜】が、神楽坂達を縫い止める為に伸びている数多の小さな棘と手に持つ赤い棘を切り離す。


 そして、血を吐き動けなくなっている神楽坂と優助を見た桐佳達が悲鳴を上げるのを無視し、【神埜】は次の標的へと目を向けた。



「佐取高介。我が子孫を誑かした愚鈍よ。貴様の悪運もここで終わりだ」

「優助っ……神楽坂さんっ……! もう止めてください! 何でこんなことをっ……言葉が通じるなら会話で解決しましょうっ……! 私は、亡き妻に似た姿をしている貴女がこんなことをするのは見たくないっ……‼」



 亡き妻の顔をした【神埜】に対して、言葉による制止を呼び掛けるしかなかったが、そんなものでは【神埜】という人物は止まるはずが無い。

 これまでの状況を自分自身の目で見ていてなお、何とか言葉で解決しようとする高介に何の反応も返さず、手にした赤い棘を高介の腹部に突き刺すことで地面へ縫い止めた。



「高介さんっ……!」

「っ゛っ……」

「……また崩れた。血を固めただけのこの体を早急に変えなくては……」



 ドロリと再び崩れた顔を押さえ、【神埜】は視線を痛みで呻く高介から、遊里と桐佳の二人を守るように抱きしめている由美へと移した。


 広がり近付いてくる赤い濃霧で逃げ場が無い彼女達は、次は自分達が標的となっていることを自覚し表情を引きつらせる。



「目的を果たすとしよう。器になり得なければ、他の者達と同様に血を収集するまでだ」



 警察である神楽坂も、異能に対する知識を持つ優助も、身近な大人である高介でさえ、目の前の人外に為す術無くやられて血を流して動けなくなっている。


 自分達ではどうやっても抵抗のしようがない。

 顔を引きつらせた由美がそう状況を理解して、絶望の中、咄嗟に娘達だけは逃がそうと自分が囮になるよう考えようとする。



「ま、待ってください! この子達は――――」



 そんな由美の制止の言葉など、他者の命を容易に使い潰す【神埜】が耳を貸すわけも無かった。



「血縁関係の無い貴様ら二人は邪魔だ」

「――――あっ」



 一切の躊躇が無い行動。

【神埜】がそんな一言と共に自身の首を目掛けて赤い棘が振るわれるのを見て、由美は自分の死を確信した。


 迫る赤い棘が、あっという間に自身の首元に辿り着く。



「…………いったいどうなっている」



 だが、赤い棘は由美の皮膚を貫く事は無い。

 それどころか、由美の首に突き刺さるはずだった赤い棘が溶解していた。


 人の骨すら容易く貫通する赤い棘が何か外部からの力によって破壊されている状況が理解できずに、【神埜】は目を細めた。


 具体的に言うのであれば、急激に腐食させられたかのようなこの現象に、【神埜】は思い当たるものがないからだ。

 困惑する【神埜】や由美とは異なり、その現象に心当たりがある桐佳は目を大きく見開いて隣にいる友人へと視線をやる。


 そこにあるのは、あのショッピングセンターで見た腐敗の泡。



「……自分の事情で迷って傍観する。それで身近な人達が苦しんで、取り返しがつかないことになったら、絶対に後悔して自分自身を許せなくなるのなんて……そんなの最初から分かってたことなのにね」

「遊里……?」



 様子の変わった娘の姿に、由美が思わず声を漏らした。

 自分の娘を中心にシャボン玉のような泡が浮かび上がっていく光景は、まるで娘が世を騒がせている超能力を持っているかのよう。

 そして、由美のその信じられない想いを確信へと変えるように、遊里の周囲にさらに多くの奇妙な泡が一斉に浮き上がり始めた。



「誰かを傷付けるのは怖いし、取り返しが付かないことになったらどうしようっていう不安は消えてくれない。私が自分を助けようとしてくれていた友達を傷付けようとしたことは今でも頭にこびりついて離れない。だから、こんな力を持つようになってから何日経っても、優柔不断な私は覚悟のすることは出来なかったけど……桐佳ちゃんのお父さんやお兄さんを傷付けた貴女は、壊しても良い。壊してしまっても、後悔なんてしないよ」

「遊里!」



 桐佳の呼び掛けに対して、軽く目線を向けて微笑んだ。


 そして次の瞬間、遊里の顔付きが変わる。

 気が弱く、攻撃的な表情なんて見せたことの無かった遊里の、酷く攻撃的な顔。

 自分の幸せのために誰かを傷付ける事を決意した少女の恐ろしい顔に、誰よりも彼女と一緒に過ごしてきた由美が息を呑む。



「奇妙なこともあるものだ。我の血縁関係に無い者が、別の権能をもって身近にいるとはな。それにしても貴様、血を操る権能で無かったにも関わらず今の今まで権能の気配を完全に遮断していたのはどういう理屈だ?」

「私ね、自分の子供に暴力を振るう親って嫌いなの。自分の遠い子孫の桐佳ちゃん達に何しても良いと思ってる貴女みたいな人は、同じ括りとして本当に大嫌い」

「ふん、答えるつもりは無いか。我だけでなく我の子孫すべてが知らない技術となると興味が湧くが、どちらにしても我がこの時代に正しく再誕するためには貴様の存在は邪魔でしかない」



 異能を持つ者同士が言葉を交わし、一拍だけ間を置いてお互いを見据えた。



「引き裂いた貴様の血でこの場を彩ってやろう」

「あははっ、その気味の悪い血液ごと全部溶かしてあげる」



【神埜】が腕をいくつもの赤い棘へと変形させ、遊里が旋回させた数多の泡を動かした。


 棘と泡が真正面から衝突する。

 だが、その別種の異能と異能の正面衝突は即座に終わる。



「っ、なるほど、なっ……」



 腐敗の泡が血液を制圧した。

 人の腕を容易く貫いた赤い棘が、柔らかそうな泡に触れた瞬間腐り果て溶け落ちたのだ。

 拮抗や駆け引きの余地が欠片も存在しない程、腐敗の泡と血液操作の正面からのぶつかり合いには絶対的な格差があった。


 赤い棘ごと体を泡に呑み込まれたことによって、体の半分以上を抉られたように溶かされた【神埜】が、腐敗の泡をさらに作り出し続けながらも余力を残している遊里を見て目を細めた。



「……どういう原理かは分からんが、貴様のソレは制圧力という面だけで見るならば我が権能よりも優れている。いや、それどころか、制圧面に限って言えば貴様のソレに比するものなどこの世に存在するか怪しいものだ」



 周囲の人間達に向けたような切断力を持った血の刃も、溶岩のように高温となり人体を焼き焦がす血液も、腐敗の泡には何の効果もなく触れただけで崩れさせられる。


 自分の持つ力が全く効果を発揮できない、相性の悪い力を突き付けられた【神埜】は警戒感を露わにした。



「触れるもの全てを破壊する泡。随分と凶悪な力だ」

「……一瞬だけやり過ぎちゃったかと思ったけど、その状態で平気で話せるなんてやっぱり普通の人間じゃないよね」

「やり過ぎたかと思っただと? くくっ、そんな凶悪な力を身に宿していながらやり過ぎたとはどういう思考をしている。力と思想が合致していないではないか」



 警戒感を残しながらも、小馬鹿にするようにそう言った【神埜】は遊里に人差し指を向ける。



「貴様の力は強力であり凶悪。だが、その圧倒的な制圧力を有する力に似つかわしくない貴様の人間性が、その力を矮小化させるぞ」

「……」



【神埜】の言葉に、遊里は口を閉ざして自身の異能をさらに振り絞る。

 体の半分以上が抉られたような状態の【神埜】の言葉だが、その正しさを遊里はよく理解していた。



「それでも今の私は、貴女を壊すことに躊躇したりしない」



 その言葉と共に遊里は、赤い棘を生み出し操作しようとした【神埜】を腐敗の泡で纏めて押し潰した。


 腐り果て、溶け落ちる。

 普通であればそうであるだろう【神埜】の状況。

 だが、これまでの人外性を目の当たりにし、【死の商人】という飛び抜けた生存性を持った存在を知っている遊里は何一つ油断せず周囲を見渡した。


 そして周囲を見渡せば遊里の考え通り、赤い濃霧を吐き出す獣頭の怪物達は何も影響を受けていないのが確認できる。



『――――気を抜かず警戒している、か……。他の男達も同様だが、権能に対する経験や知識の多さはどういうことだ。この時代において、超能力犯罪とやらが世を騒がせているにしても、ここまでの思考と力を持つ者達が偶然一箇所に集まっているなど信じがたい』

「⁉」



 突然【神埜】の声がこの場に響いた。

 洞窟内に声が反響しているかのような状況に驚いた遊里が思わず呟く。



「……いったいどこから」

「言った筈だぞ」

「⁉」



 すぐ傍から声がする。



「血液には記憶が残っているものだと。つまり今の我は、自身の残した血液を人の形をしたものに注げばそれを一時的な器にできる」

「っ……」



 獣頭の怪物の内の一体。

 それが頭に被っていた獣の頭を脱ぎ捨てると、そこからはつい先ほどと同じ【神埜】の女性の顔が現れた。

 分裂とも、瞬間移動とも異なる【神埜】の出現に、遊里は目を見張りながらも慌てて泡を飛来させられるよう構えを取る。


 だが、自分に不利な異能を持つ遊里が構えるのを、【神埜】は特に妨害する素振りも見せずに眺めていた。



「いつの間にそっちを本体に……? ううん、元から代替えを利かせられるよう用意していた……?」

「注ぐ、という言い方をしているが、実のところそれほど大層なものではない。我の一時的な器にするためには多少の血液を摂取させるだけで済む故、ただ血液を人型に固めただけのものを利用しようとした際は我の血液をほんの微量垂らすだけで良いのだ。だからこそ、貴様はこの獣頭の人型に我が血を注いだことに気がつけなかった」



 いくら無事であったとはいえ、正面衝突は大敗し、体の一つが溶かし尽くされたのは事実。

【神埜】にとって状況は不利である筈にも関わらず、何一つ焦りを見せない様子が遊里にとって酷く不気味に見える。


 何か、圧倒的な優位性を確信しているような、そんな不気味な余裕が今の【神埜】にはあるように思えた。



「もう一度説明してやろう。我が子孫であれば耐性があるため必要な血液量は多いが、血縁関係にない人間であればごく少量で済む」



「具体的に言うと」と、神埜はそう呟いて指を立てた。



「ほんの小さくでも我の血で体を貫かれたのなら、意図的に注ぐ必要もないほどの少量だ」

「え……?」



 その瞬間、壁や地面に縫い止められていた筈の神楽坂と高介がグッタリと力が抜けた様子で立っている。

 赤い棘に貫かれた部分を中心に、全身に黒い葉脈のような血管を浮き上がらせた顔色の悪い状態で、二人は虚ろな目で遊里を見遣る。


 亡者のような、幽鬼のような、本人達の意思とは異なる別の何かに支配されているかのような彼らの様子に遊里はあのショッピングセンターでの光景が重なって息が詰まった。


 そんな状態の遊里に、神楽坂と高介の姿をした二人はゆっくりと口を開く。



「貴様のその力は攻撃する事に適していても、何かを守ることに適していない。攻撃してくる相手の身を守りながら制圧するなんてことは不可能な力だ」

「我は言ったな。貴様の権能は強力であり凶悪だ。だが、その圧倒的な制圧力を有する力に似つかわしくない貴様の人間性が、その力を矮小化させる、と」


「っ……⁉」



 本人達の意思に関係なく、二人が【神埜】の言葉を吐き出したことに背筋が凍る。

 味方であり守るべき相手である二人の異常な姿に、どうするべきか分からず後退りする遊里に対して、【神埜】が不気味な笑みを作った。



「我が記憶が色濃く残る血液を注がれた人間がいったいどうなるのか、話していなかったな。今の貴様の目の前にいる二人のように、耐性がない者は我の意思に従う他なくなる。全身に巡った我が血液に、逆らうことの出来る人間などこの世には存在しない」

「……洗脳」

「いいや違うな。その者の意思を関係なく、我の記憶で塗りつぶすだけだ」



 そんな風に【神埜】は否定するが結局は同じだ。

 以前遊里自身も受けた、人の意思に関係なく行動を強制する力と似たようなもの。

 細かい原理が異なったとして、腐敗の泡ではその力に対して対処が出来ないというのは変わらない。



「記憶の濃度が違うのだ。重みや深み、力や強さ。我の権能が侵食性を有している時点で、ほんの少量であっても水に墨汁を落とすがごとくその者の全てを塗り替える」

「少量であってもって……まさか、ずっと発生させてるこの赤い霧はそのための……」

「気がついたようだが、口を塞ぐ程度では対処にならんぞ。傷口があればそこから体内へ侵食させることも、肌の小さな隙間から細かい血液を染みこませることも出来る。直に貴様も――――」



 状況を理解した。

 その瞬間、遊里は煙を吐き出し続けていた獣頭の怪物達を話し続けていた【神埜】と共に、有無を言わさず腐敗の泡で溶かし尽くした。

 さらに、続けて作り出せるだけの腐敗の泡を発生させ、周囲に充満する赤い濃霧を消すために生み出した泡を旋回させた。


 だが、それを阻止しようと神楽坂と高介の二人が【神埜】が使っていたような赤い棘を持ち、遊里に襲いかかってくる。



「血の気の多い奴だ」

「何をそれほど焦る」


「っ……」



 身を捩ることで何とか体を貫こうとする赤い棘を回避した。

 建物の壁や電柱を容易く貫通する赤い棘を腐敗の泡で溶かし、高介と神楽坂の体には絶対に触れることの無いよう意識しながら攻撃をいなし続けるが、状況は何一つ好転しない。



「この知り合いの顔が自身を攻撃してくるのが怖いか」

「この知り合いの体にどれほどの害が及ぶかが怖いか」


「うるさい……!」



 赤い棘なんていくら溶かそうとも次から次へと赤い濃霧から供給される。

 自分が持つ腐敗の泡が少しでも体に触れた場合取り返しがつかないことになるし、自分に襲いかかる血液の攻撃をほんの少しでも受ければ、神楽坂達のように操られることになってしまう。

 神楽坂と高介二人の大人が、自分達が負っている怪我を気にもしないで自分に襲いかかってくる状況というだけでも最悪に近いのに、次に誰が操られてもおかしくない。


 遊里が大量の汗を流し、息を切らせながら、何か一つでも逆転の糸口を見出そうと必死に周囲を見渡して、それに気がつく。

 赤い棘によって壁に縫い止められている優助の傷口に、何か赤黒い液体が入り込んでいくのに気がついてしまう。



「――――だが、そうだ。貴様のその恐怖は正しい」



 赤黒い液体が見えなくなったと同時に、意識を失っていた筈の優助の口が動いた。


 何の説明をされずとも状況を理解してしまう。

 遊里が愕然とした表情で動き出した優助を見詰めれば、彼は気怠げに自分達を襲っていた【神埜】という人外と同じような口ぶりで言葉を続ける。



「我の血に耐性のない人間がそのようになれば、人の形を保てなくなるまでほんの数分だ。形を保てなくなり、液体の怪物と化したこの者達がただ貴様を襲い続ける人形になる。そうなれば、人としての生命は終わりだ。既にソレらの死は確定している」

「そ、そんな……」



 先ほど優助の体に入り込んだのが、【神埜】の記憶が刻まれた血液だったのだと、遊里は理解する。


 『器にする』。

 そう【神埜】が口にしていたにも関わらずこうなることを予想できなかった自分自身に後悔する。


 どうすればいいのか、どう行動すれば皆を助けることが出来るのか。

 そんな風に判断を迷わせている遊里に対して、優助は自分の体に突き刺さっていた赤い棘を自ら抜き取って、自分の体の調子を確かめるように首を回しつつ眼鏡を外した。


 乗っ取られた優助は神楽坂や高介の二人のような生気の無い姿ではなく、傷口から走る黒い血管も他の二人に比べると小さく収まっているように見える。



「ふむ、この体はこれまでの者達よりもずっと器としての適性があるようだ。貴重な知識を持っている上に身体能力も高い。使い捨てるには勿体ないな」



 奪い取った優助の体を【神埜】はそう評し、優助がこれまで見せたことの無い、他人を嘲るような表情を浮かべて満足げな笑い声を上げた。



「だが……はははっ、ようやくまともな肉体を手に入れることができた。これで我の権能も十全に扱えるようになる」



 ゾワリと、優助の周囲を赤黒い液体が取り囲む。

【神埜】という存在が優助の体を乗っ取ったことを歓喜するかのように、不気味に舞い踊る赤黒い液体の動きはあまりにおぞましい。



「さて貴様、黒川遊里か。未だに我の邪魔をするというのなら相応の覚悟をすることだ」


「打開などない。好転などしない。幸運など降り注ぐことはない」


「世界を侵す我が権能によって、貴様は惨めに朽ち果てることになるのだからな」



 髪を掻き上げた端正な優助の顔が、悪意によって醜悪に歪んだ。






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― 新着の感想 ―
大好きな作品なので楽しみにしてます
『非ななな』単行本第二巻購読させていただきました! ……厄介ファンさんこんなキャラだったな~、なんて思いつつ。ツンデレのツンの時代もやっぱりいいキャラしてたなあ(チラチラ)……なんて。 これからも作者…
 2巻目出版おめでとうございます(〃∇〃) 予約しました♪ 28日楽しみo(^o^)o♪ |ू•ω•)っ応援❀❀❀❀❀!❀✨
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