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見たくなかった悪夢

大変お待たせしました!

今回も何とか更新することが出来ましたが、文字数がとっても多くなっております…!

時間のあるときにお読みいただく方が良いかな-と思いますので、よろしくお願いしますっ!


また、本作に「このライトノベルが凄い」「次くるライトノベル」に投票してくださった方々、本当にありがとうございました!

ランキング入りはできていないようですが、とっても嬉しかったです!

これからも頑張って更新していきますので、引き続き応援のほどよろしくお願いします!

 




 雪の積もったその日に、一組の男女が出会った。

 その男女の出会いは決して運命的だった訳でも、なにかに望まれたものでもなかった。

 本当にただただ偶然、何の縁もゆかりもない二人が同じ場所に居合わせたのだ。



『……あ、すいません。少しだけぼんやりとしていました。どちら様でしょうか? 普段お見掛けしないような……もしかして、旅館のお客様、ですか……?』


『分かります。雪が積もったこの場所からの景色は私も好きなんです。綺麗ですよね。……え、私が綺麗ですか? いえ、何分初めてそのようなことを言われたもので動揺していました。ふふへ……とてもお口がお上手なんですね』


『良いんです。私は家族の期待に何も応えられなかった。御父様や御母様、兄様には迷惑ばかり掛けていますから…………え、飴をくださるんですか? あ、いえ、ほしくない訳ではなくて……ご用意が良いんですね。ひ、非常食として持ち歩いているんですか……』


『その、佐取様はいつ頃までこの旅館にご宿泊されるのですか? …………あと三日、あと三日ですか……』


『あの、ここに居るのは危険です。今日の夕刻までに旅館からお帰りしていただいた方が……なぜ、ですか。理由は、その、言えないのですが』


『良かった、生きていてくださったんですね……大丈夫です。必ずこの儀式から佐取様を逃がしてみせます。たとえ叱責されたとしても、佐取様には私は生きて帰ってほしい』


『私も、一緒に? でも、私には行く場所なんて』



 地獄のように変わり果てたように高名な旅館の中。

 迷いながらも手を取り合って、まっかな怪物がひしめく山の中を駆け抜けたのを思い出した。



「――――…………随分昔の夢だったな……」



 目が覚め、見慣れた自宅の風景が目に入った。

 しっかりと眠れた筈であるのに思わず疲れたようにそう呟き、上半身を起こした佐取高介さとり こうすけは眉間を軽く揉んでしまう。


 それくらい、今の彼にとってあの時のことは思い出したくないものだった。


 勿論夢で見たそれは大切な記憶である。

 今は亡き愛しい人との、最初の出会いや共に過ごした時間の思い出。

 だが、そんな思い出を共有する相手がもう隣に居なければ、悪夢にもなり得てしまう。

 佐取高介にとって、その愛しい人との死別は十年近くの時が経っても割り切れるようなものではなかったから。



清華せいかさん……」



 物憂げに寝癖の付いた髪を掻く。

 それからゆっくりと壁に掛けた時計を見て、少し寝過ごしたことに気がついた高介は慌てて動き出そうとした瞬間、一階から争うような声が聞こえてきた。



「――――お姉結局帰って来なかったんだけどっ⁉ なんなのっ⁉ 糞お兄何か聞いてるでしょ⁉ ご丁寧に料理の作り置きしてるもんね⁉ 予定があって私に話をしないってことは消去法で糞お兄には連絡してる筈だもんね⁉ 糞お兄も何も聞いてないなら警察に捜索願出すから‼」

「桐佳暴れるなっ! 別に今日は休日なんだから外で泊まってきても良いだろ! 燐香だって彼氏とか友達とか出来ているんだろうから別に一日外に泊まるくらいっ」

「うるさい糞馬鹿っ! あの糞ポンコツお姉に彼氏なんてできる訳ないでしょ‼」

「さも貶しているように言うがなぁ、お前が姉離れできてないだけなのは分かってるんだ! 燐香もいつまでもお前に構える訳じゃないんだよ! 直ぐに帰ってくるからちょっとは我慢しろ!」

「はあああっ⁉ 姉離れできてないだけ⁉ ち、ちがっ、私がそんな訳ないでしょ! お姉が妹離れできてないだけだし! 変なこと言うな糞お兄っ!」

「き、桐佳ちゃん……流石にそれを通すのは無理なんじゃないかなって私でも思っちゃうなー……」



 バタバタバタバタと争う音が聞こえてきて、思わず夢のことを忘れて口元が緩んでしまった。


 子供達には幼い頃に母親を亡くしたことで寂しい思いも苦労もさせた。

 それなのにこんなに元気に育ってくれているのだからと、未だに割り切れていない別離について考えないようにして、いつも通りの何気ない顔でリビングへ向かう。


 そうしてリビングに辿り着けば、争いを制し兄の優助に馬乗りになっていた桐佳が真っ先に高介の姿に気がついた。



「あ、お父さん起きたんだ。おはよう……ねえ、聞いてよお父さんっ、お姉昨日から家に帰ってきてないんだよ! 私には泊まる予定とかちゃんと連絡しろって散々言ってくる癖にっ、本当に自分勝手だと思わない!?」

「おはよう桐佳。あはは。そうかもしれないね。でもほら、そういうのは燐香が帰ってきてから言わないと伝わらないからさ。優助に怒りをぶつけたってどうしようもないんだから、とりあえず今は落ち着いて」

「……まあ、そう、なんだけど……」

「父さん、その、いくらいつも通り燐香の自業自得だとしても当たり前のように娘を売るのはどうかと思うんだが……」



 父親からの言葉に朝から暴れていた末っ子の桐佳はしぶしぶ大人しくなる。

 優助が何かを言っているが、姉妹で解決できる問題のうちは変に干渉せず二人で解決させる方が良いだろう、というのが高介の姉妹間問題の方針である。

 特に長女の方は、最近は精神年齢がだいぶ下がっている疑惑はあるが、自分よりもずっとしっかりしているとさえ思っているほど、高介は彼女を信用していた。


 だからこそ、それほど朝からの争いもそこまで気にしていなかったのだが、それを見たもう一人の大人の女性は面白そうにクスクスと笑いを溢していた。



「ふふっ、高介さん朝ご飯の用意はしてありますよ」

「あ、ああ、由美さんすいません。いつもありがとうございます」

「いいえ。とは言っても今日は私が作ったものはほとんどなくて、燐香ちゃんが作り置きしていたものを出しただけなんですけど」

「そうなんですか? まあ、燐香はやり過ぎなくらい用意の良い子ですからね。燐香の部屋なんて災害対策みたいなものばかりですし、いつか用意しすぎて失敗するんじゃないかとは思っているんですが。……あっ、すいません、起きるのが遅れてしまって」

「いいえ。心労もあったでしょうし、少し寝過ごすくらい普通だと思います」



 警察署に呼ばれた自分に負担を掛けないよう相談していないのは分かるが、燐香はいったい何処に泊まったのだろうと思いながら高介は席に座る。

 そして、テレビで針山旅館の営業再開挨拶の状況が報道されているのを見て、どうしたものかと顔をしかめた。


 当時の事件の全ての真相を、高介は知っている訳ではない。

 旅館の客としてあの場に宿泊し、怪物達が徘徊する旅館から彼女を連れて逃げ出しただけなのだ。

 つまりどういう理由、どんな原理であの旅館に怪物達出現したのかは知らないのが高介の現状なのである。

 だが、針山旅館の管理人は神埜家であり、その一族の内情をよく知る彼女から、『怪物が生まれた原因は神埜の一族にあり、知るのも関わるのも危険』だと言われていた。


 いつかはこうなると分かっていた。

 けれど、神埜の一族が現存しており、あの旅館の真相が解き明かされないまま営業が再開されるのであれば、犠牲者はさらに出てしまうのではないかという不安が、とうとうやってきたこの時に芽生えてしまうのだ。



(……いくら不安になっても、選択の余地なんてないのに)



 そう、いくら不安になっても意味なんてない。

 だって高介には国宝級の高名な旅館の運営再開を邪魔するだけの手段も、根拠も持ち合わせていないし、無謀な行動を取って家族を危険になんて晒したくない。

 内情を知る彼女も今はもういない上、つい先日犯人としての疑いを掛けられた自分が何か行動を起こそうとしようものなら、次は何を疑われるか分かったものではない。


 だから結局自分ができるのは、ただ指をくわえて経過を眺めることだけ。


 そうやって、高介は自分の不安を搔き消そうと、頭の中で理由を並べたてながら朝食に手を付けた。



「……ポトフか」



 口にして気がつく、よく見ていなかった目の前の料理。

 印象に残っている料理ではないけれど、これは確か生前の母親に燐香が唯一教わった料理だった。

 なんでもできる子だった燐香がボロボロに煮崩れした自分の初めての料理に顔を引き攣らせていたのを、生前の彼女は珍しく大笑いしていたのをふと思い出す。


 いつの間にか味も見た目も完璧になってしまっていた娘の料理。

 娘の成長を嬉しく感じると共に、連日続いた最近の出来事に少しだけ複雑な気持ちも湧いてきてしまう。



(彼女が、清華さんが亡くなってから、自分はちゃんと娘達に向き合えていたんだろうか……実の母親のことを子供達に何も話さず、神埜の実家が不干渉になったと信じ切って……こうして警察に呼ばれて怪しまれる事態になって子供達に迷惑を掛けているのは、自分が何もしなかったからじゃないか……?)



 彼女、亡くなってしまった妻を思い出すと共に後悔する。


 病によって子供達が幼い内に失ってしまった大切な女性のことを引きずり、家族とちゃんと向き合うこともせず仕事に打ち込むだけで役割を果たした気になっていた。

 自分と妻の出会うこととなった始まりのことも、付いて回るだろう問題さえ子供達には何一つ打ち明けることをせず、ただただ平穏に過ごせるようにと願っているだけだった。


 その結果が、警察に呼ばれて過去の犯行を疑われ、最悪の形で家族に秘密にしていたことが知られてしまった今の状況。

 子供達が何か一つ早とちりすれば、家族関係が崩壊していた可能性すらあったのだろうことは高介だって自覚していた。


 話す必要はないと思っていた。

 警察もまともに取り合ってくれなかった自分の話を子供達に聞かせる必要は無いだろうと思ったし、彼女もそれに同意してくれていた。

 神埜という家が関わってこないなら、子供達は凄惨な話なんて何も知らないまま普通の生活を送って欲しいと思っていたのだ。


 けれど、こうなってしまったら話は別だろうと高介は覚悟を決める。

 これから何が起こるのか高介には想像もつかないが、秘密にしていたことをここまで悪い形で家族に知られた以上何も説明しないなんてことはあまりに不義理な筈だ。



「……燐香が帰ってきたら、ちゃんと話をしないとね」



 だからこそ、長女の作ってくれた料理をゆっくり味わいながら、高介はぽつりと呟いた。

 呟かれた父親の言葉を聞いて、色々と騒いでいた桐佳やどこか一歩引いて推移を見守っていた遊里もほっとしたように表情を和らげる。

 外の問題はともかくとして、取り敢えず家族間の問題は何事も無く収まりそうだと優介が安堵したのも束の間だった。



『――――じゅ、銃撃されましたっ! たった今、針山旅館のオーナーである神埜源晴さんが銃撃されましたっ!』



 テレビから悲鳴が聞こえてくる。


 針山旅館の営業再開を宣言する式典に銃を持った高介の姿をした何かがいて、一人の男性を銃撃している。


 テレビを通した先に、もう一人の佐取高介が存在している。

 獣頭の人間を統べて、式典の人々を無差別に襲わせているようなもう一人の高介の姿に、リビングにいた四人は息を呑んだ。



「なっ、なにこれっ……! お父さんは今ここにいるのにっ、どうしてテレビにお父さんがっ⁉」

「高介さんに凄く似た別人……? で、でも、それにしてはあまりにも似すぎている気が……テレビ越しだからそう感じるだけなの……?」


「……これ、多分異能の……桐佳ちゃん達のお父さんが狙われているってこと?」

「針山の営業再開の挨拶を狙った襲撃に、数日前には父さんが犯人として疑われるだけの証拠が提出されているだと……最初から濡れ衣を着せることが目的だったのか」



 それぞれ異なる反応を示しつつも、四人全員の視線は自然と高介へと向けられる。

 家族から視線が集まっているというのに当事者である高介は何も言わず、じっとテレビに映る自分自身と襲撃している獣頭の怪物達の姿を見詰めていた。


 獣頭の怪物達。

 高介があの夜に何度も目にした異形の存在。

 そんな存在が人々を襲っている姿を数秒見詰め、何かに対して確信を持った高介は、テレビの中で銃撃され倒れている神埜家の当主に対して、家族ですら見たことが無いほど鋭い目を向けたのだ。



「偽物に、人の形をした怪物達。……やっぱりそうなのか。やっぱり神埜の家が、裏であの怪物達を意図的に作り上げていたのか……旅館への宿泊客を大勢殺めていた。だから清華さんはずっと……」



 高介が呟いた言葉の意味を誰かが問い掛けるよりも先に、現状を正確に把握した優介が慌てて立ち上がった。



「まずい……まずいぞっ、父さんに罪を被せるのが犯人の目的なら警察からの監視が一時的に無くなってしまっている今は最悪のタイミングだっ! このテレビに映る父さんの姿をした何かがこの場で拘束されずに逃亡したなら、間違いなく父さんは襲撃犯として警察に捕まることになるっ……!」

「え、でも、お父さんは目の前にいるんだから、そんなに焦る必要はないんじゃ……。そもそもテレビには警察の人達も一杯映ってるし……」

「事実がどうであるかなんて関係ない! この場合は襲撃した側の視点に重きを置いて考えろ! わざわざ全国放送されていて厳重な警備がなされているこの挨拶の場を狙って姿を見せ襲撃させた以上通常では拘束できないような逃走手段を用意している筈だっ! そして逃走された場合、嫌疑を掛けられた犯人による逆恨みという動機と、全国放送に犯行の一部始終が残っている父さんの犯行証拠は不動のものとなって、嫌疑を覆すのが至難になる……!」



 焦ったような説明に、全てを理解できなくともまずい状況なのだと悟った桐佳達が徐々に慌て始める。

 そんな彼らを落ち着かせる余裕も無く、優助は直ぐさま最低限の外出準備を整えていく。



「お、お兄っ、じゃあどうすれば……? 何かやれることってっ」

「俺達だけじゃどうにもならない以上警察の監視下に入るのがベストだ。家から出て、できるだけ近所の人達に姿を見られつつ警察署に向かうのが現状できる最善の手段。今すぐ父さんは外出の用意をするんだ。本当なら父さんに嫌疑を掛けられていることすら近所の人達には知られたくなかったが、こうなってしまった以上……」



 そう言って、苦渋の決断をしようとする優助に、桐佳はぐっと唇を嚙み、由美は全員の心配をするようにそれぞれの顔色を窺い、高介は複雑な感情で顔を歪ませていた。


 そして、何かを信じてじっと犯行の現場映像から少しも目を逸らそうとしなかった遊里は混乱する針山旅館にもう一人の人物が現れたことを確認して、ふにゃりと表情を和らげた。



「優助お兄さん、この事態を想定していた人もいたみたいだよ」

「遊里さんっ、今は悠長に静観している場合じゃっ……」

「うん。私達もできることはするべきだと思う。でも、想定して準備して、何とかしようとしている人がいるから、全部がどうにもならない訳じゃないと思うよ」



 そう言って、テレビに映る男物のコートを着た正体不明の人物を指差した。

 罪を被せられようとしていた佐取高介の真偽に疑いを掛け、被害者の筈の神埜源晴に犯人としての疑いを掛け、証拠となるいくつもの要素を揃えてきていた人物。


 混乱する場の雰囲気を制し。

 目の前の襲撃犯しか犯人はあり得ないと思われている状況をいとも容易く打ち砕き。

 大規模に埋めていた外堀で真犯人の逃げ場を封じた。

 物理的な襲撃の手すらも、たった一人で止めてしまっているその人物に、テレビ越しだというのにこの家の全員が圧倒されてしまう。



「……こっ、子供、なんだろうか? 超能力を取り締まる警察の関係者……? あの時の旅館で、逃げるしかできなかった怪物達を止めているのか……?」

「小さく見えますけど、周りの人が大きいだけなんですかね……? でも、襲撃されている場をこの人が一人で……」

「私、この人SNSで見たことあるよ。“ブレーン”って呼ばれる人……前の、警察署を爆破しようとしていた犯人に対して煙を使う超能力の人を従えて出てきた、凄いって噂の人……」

「“ブレーン”、か…………本当に大層な名前だな」



 どのくらい事情を知っているのか。

 それによってそれぞれ反応は異なっている。


 だがそれでも、テレビの先では佐取高介の罪を認めていない人が隠されようとしている真実をつまびらかにしようと戦っている。

 その事実に、全貌の見えない悪意に晒されるしかなかったこの家族の表情は少しだけ緊張が和らいだものになっていくのだ。


 そして。



「……本当に凄いよね」



 遊里は憧れを隠そうともしない目で、テレビに映る正体不明の“ブレーン”を見詰めていたのだ。





 -1-





 “血”の異能。

 燐香や雨居探偵が仮定した、神埜の家が持つ異能の力はこれまで彼女達が遭遇した特異な要素に合致した。


 例えば人を襲うまっかな怪物。

 血液を元として怪物を作っているなら色合いが赤というのは当然である。


 例えば自立している怪物に読心が通用しないこと。

 意思の存在しないものを形だけ怪物に整えているのであれば心など読めるはずが無い。


 例えば怪物から異能の出力を感じ取れないこと。

 異能の出力を運ぶ役割を持つ血液を自在に操れるのであれば、体内の出力が漏れ出さないよう操作するのだって訳はないのだろう。


 そして例えば、針山旅館殺人事件を始めとしたおかしな死体の数々。

 怪物達を作り上げるのに血液を集めているのだというのなら、血液を抜き取られたミイラのような干からびた死体が出ていたのも納得がいく。


 どれも“血液を操る”異能と仮定した時に辻褄が合う。

 さらにそれを踏まえた上で、神埜の家系が代々この地で無数の人を殺めていた理由を考えると一つの仮説に辿り着く。



【人間の血液を集め大量に保管することで、血液を操る異能の規模が拡大する可能性】



 異能は一部の人間が発現する希有な才能だ。

 心臓で出力を作り、脳で異能の現象へ変化させる。

 異能出力を作る工程は画一的であり基本例外はなく、脳で変換する異能現象は個別的であり個人によって多種多様な異能が存在する。

 つまり、どのような異能も元を辿れば同一の出力であり、必ず異能の出力を脳に運ぶ役割を担っている血液には等しく同じ機能が存在していることとなる。


 それが、【異能の出力を保管・運搬する】機能。



「……異能で操作できる血液を集めておくだけが目的だったら、もっと他にやりようはあった。わざわざ山という場を大々的な処刑場としてまで数多くの血液を染みこませ蓄積させてきたのは、保管すら困難なほどの巨大な異能の出力を欲していたからよね」



 出力の製造機能に、現象への変換機能。

 細かく分ければ、異能持ちとなるにはその二つの才能を持っている必要があり、同時に持ち合わせていなければ異能の発現はありえない。

 だが、個別差が明確な変換機能はともかく、異能持ちが等しく有している製造機能なんてものが、同じ生物である人間に全く備わっていないなんてことがあるのか。


 答えは、否である。

 異能という現象に届きうる出力量を製造できないという可能性はあれど、出力を全く製造できない人間はいない。

 人間であるだけで、異能出力を製造する機能は間違いなく存在している。

 つまり無差別であろうと、異能出力を運搬する役割を持つ血液を大量に収集すれば、異能の共通の源である出力も収集することとなる。


 そしてその成果が、目の前に広がる地を埋め尽くすような怪物の群だった。



「あ、ああ……」

「なんだこれは……この世の地獄か……?」

「きゅ、救援は……救援はまだか……飛禅飛鳥さんは……」

「……ははっ、はははっ、はははははっ! 終わりだ終わり! もう終わりだ! 救援なんかでこんなもんどうにかなるもんかよ! 夢でも何でも良いから全部嘘であってくれよ! あははははっ! あははっ……頼むよ……」



 人型の怪物。

 首と手足が異常に長い四足歩行の怪物。

 百足のような形状で足の代わりに手が無数に付いた怪物。

 単純に蜘蛛を巨大化させたような怪物。

 複数の動物の体の部位を無理矢理掛け合わせたような怪物。

 八つの頭と尾を持った巨大な龍のような怪物。


 多種多様な形状をしており、それらの体色は等しく血のような赤。

 三桁にも上るようなソレらはさらに次々数を増やし続けており、そして、その頭部は全て獣の頭だ。


 熊、羊、猿、牛、豚、狼、馬、山羊。

 大きさも形も不揃いで、体躯が巨大な怪物の頭に付けられたものは引き延ばされ、無理矢理接合されたような歪ささえ感じ取れてしまう。

 一目で、この世に存在してはいけないものだと理解してしまうような悍ましい怪物達の姿。


 それらはあまりに不気味だった。

 異能だなんて、超能力だなんて、そんな生優しい表現とは掛け離れた、いにしえから囁かれる闇夜に紛れて人を襲う異形のモノ。


 人の身では抗えない、怪異という恐怖の具現。


 そんな存在を作り出しているであろう男に対して、針山旅館殺人事件について捜査を進めていた大染が声を張り上げた。



「っ、神埜源晴っ! お前の反抗の意思と共にコイツらが現れたのはこの場にいる全員が確認しているっ! もし自らの意思でコイツらを操っていないのなら抵抗の意思を捨ててその場に伏せろっ!」

「何故私が供物である者達に対して平身低頭する必要があるというのか。……いいや、この言い方だと語弊があるな。大いなる力の一部となることができる者達に対して、か」

「ち、力の一部になることができるだと……?」

「そうとも。単純な死とは違う。意思も力も役割も残る。ただ地を這って生きているだけの生よりもずっと有用だとは思わないか?」

「……そうか。やはりその人物の、“ブレーン”の言う通り、お前が多くの人達を死に追いやった犯人だったのか。これまで俺はお前に誘導に乗せられて、彼を疑わされていた訳か……」



 公安という、科学的な検証に基づき犯罪を解決しようとしていた自分達が、非科学的な力を有する者に誘導される結果となっていた。


 認めるしか無いその事実に大染は強く歯噛みする。

 世間で騒がれ、世界的に認知され始めている超常の力に、警察の捜査能力が容易く欺かれた。

 どれだけ報道されようと、伝聞で異能の脅威について知ることがあろうと、それでも科学的な高い検証能力を有すれば犯人を特定し、逮捕することは可能だと信じていた。


 だが、そんな下らないことを信じていた大染のような人間は、悪意を持って異能を行使する者としてはこれ以上ないくらい扱いやすい相手だっただろう。

 だからこうして、警視庁公安課に所属する大染達は捜査の手を真犯人によって掻き乱されたのだ。



「力を持ったが故に一族で偏った思想を重ね、他人を害するようになったのか。国家や法より家のしきたりに重きを置く人は何人か見てきたが、ここまで偏った奴はいなかった……妄想に取り憑かれた者に分相応な兵器を持たれると、ここまで厄介なことになるのか」

「……口を慎めよ、無能な犬」



 神埜源晴がグルリと頭だけを大染へと向けたと同時に、作り出した怪物達が首を伸ばして大染の周囲を取り囲んだ。


 亡骸である獣の頭が、周囲を漂うそんな光景。

 赤い霧のようなものが意思を持つようにより色濃く広がり、視認での確認を徐々に困難なものへと変えている。

 この場に広がる赤い霧は、まるでこれから起こる惨劇を隠そうとするような、意図的に作り出されたモザイクのようにすら感じてしまう。



「知っているか……? 最初に襲われる者よりも、次々血に沈む者達を見させられた最後に残された者の方が見るに堪えない酷い顔を晒すのだ。貧相で覇気の無い顔をした男が血の化生どもに追われ情けない顔を晒し、ありもしない希望を持った女が絶望に打ちひしがれる様は、噴飯ものの光景だった」



 人前で出すことを躊躇うような嗜虐的な冷笑を浮かべた神埜源晴は、自身に利用されていたことをようやく理解しながらも未だに自分の職務を果たそうとしている大染を見ながら目を細めた。



「この場の最後に残った者がどんな顔を晒してくれるのか、見物だな?」


「――――う、うわあああああっ!」



 一人が許容の限界を迎えた。

 視界が赤で狭まっていく状況と、本能的に死を連想させる異形達の生物とは思えない動きを目にして、恐怖に駆られた警備の者の一人が手にしていた銃器を合図もなしに乱射してしまったのだ。



「っ、全員発砲しろ! 目の前の怪物どもを狙い撃て!」



 SATを含めた銃を持つ警備の者達による一斉発砲が始まった。


 ぷつぷつぷつぷつ、と。

 乱射された弾が、手応えのないようなそんな音を立てて怪物達の体に命中する。

 だが、そんな小さな鉛弾をいくら増やそうが何の痛手にもならないのか、怪物の一つだって血に倒れることはない。


 意味の無い抵抗を嘲笑うように、怪物達の獣頭から笑い声が響き始めた。

 鉄を爪で引っ掻いたような不快感を覚えさせる甲高い音を鳴らし、怪物達は一斉に蠢きだした。



「ひっ……⁉」

「な、なんでっ! いやだっ! いやだっ‼」

「超能力なんてものにこんなのが効く訳がないだろっ! 糞っ! くそぉ‼」

「発砲を止めるなっ! 一人が逃げた場所が穴になる! 弾幕を維持して、維持をしないとっ……あ、なんでもう、目の前に……」



 惨劇が始まる。

 怪物達が次々動き出し、抵抗する者達を優先して襲いかかり始めた。

 悲鳴が飛び交うそんな光景を見て、昨夜に怪物の一端と遭遇していた筈の雨居探偵と丸眼鏡の少年が顔を引きつらせた。



「お、叔父さん、昨日の夜の怪物どころじゃないっ……! こ、こんなの、僕達にはどうしようもっ……‼」

「っ、昨日の怪物だけならなんとかと考えていたがっ、まさかこんなに別種の怪物達が……! 千年規模で蓄えられた力はここまで強大だったのか……あの男、神埜源晴を証拠で追い詰められるなんて甘すぎる見通しだったっ……! 何もできないように即時拘束するのが正解だったなんて……山田ちゃんっ! 何か対策はないのかっ……⁉」


「…………」



 騒ぎ立つ周囲に目もくれず、消えてしまった偽物の佐取高介が居た場所をじっと見詰め続けていた“ブレーン”は、彼を掴んでいた自分の手の平をぎゅっと握り込んで目を閉じた。

 目の前の危機に対する雨居探偵からの問い掛けにも全く反応を示さず、そのまま数秒黙り込んだ“ブレーン”は、少ししてそっと目を開けた。



「――――本当に不快」



 発せられたその一言で、全ての知性体の動きが停止する。


 目前に迫った怪物の口や、振り下ろされようとしていた錆び付いた刃物さえ、何もかもが停止する。

 異能を持つも持たないも関係なく、何か巨大なものによってこの場にいる者達は全身を押さえつけられたかのような光景。


 それは、圧倒的な異能出力による暴力によるものだ。

 深海の底に突き落とされたような重圧を持つ異能の出力が、無差別に撒き散らされた。

 逃げ惑っていた人達は急にのし掛かってきた重さに耐えきれずに地面に転がり、攻撃姿勢を見せていた怪物達はピタリと体を硬直させる。


 突然の重圧に何が起こっているか分からないというような人や怪物達の様子。

 逃げ惑っていた人達は少しだけ冷静に周囲を見渡し、それまでの生物的でない怪物達の不気味な挙動は意思を持つ生物的なものへと変えられた。



「……な、なんだ? なぜ、コイツらの動きが止まった? 私はそんな命令は一つも……」

「怪異。異界。百鬼夜行。一見するだけなら異能とは掛け離れた心霊現象に近いものに見えるけど、結局は形だけそういう風に整えた異能による創作物でしかないわ」



 さっと動きの止まった怪物達を見回し、自分の異能が正しく作用していることを確認する。

 自分の異能が、怪物達による被害を最小限に抑え込んでいることに何の感慨も浮かべないまま、“ブレーン”は言う。



「その異能の創作物の仕組みは解明済みだし、ベラベラ喋っている間にいくらでも細工ができた。これまで抵抗手段を持たない人達を襲っていたからどうにでもなったんでしょうけど、私からしたら対処の簡単な相手でしかない」



 そう言って“ブレーン”は、片手を上げた。



「“意識混濁ソウルシェイカー”」



 ――――天地がひっくり返った。



 少なくとも、生み出されている怪物達は間違いなく。


 落下する。

 数多の怪物達が一斉に空目掛けて落下していく。

 何かにしがみつこうと考える思考すら許されなかった怪物達が現状を何一つ理解できないまま、それぞれの巨体を空という奈落へと墜としていく。



「“感覚裁断ブレインシュレッダー”」



 黒い罅が地面から空へと落下していた怪物達へ降り注ぐ。

 空高く落ちていた怪物達を、無数に枝分かれした真っ黒い罅が裁断した。


 文字通り、怪物達の残骸である血の雨が降りしきる中、生み出していた怪物達がほんの一瞬で破壊されたことに、作り手である神埜源晴は目を見開き硬直してしまう。



「さあ、仕切り直しよ」



 人々を襲う百を超える怪物達が即座に塵となった。

 赤い霧と雨の中、議員や記者達は自分達が持っている撮影機材がいつの間にか通信障害を起こしていることにすら気が付かないで、何が起こったのか分からないまま視線を釘付けにされる。

 同様に、人間を襲撃させよう怪物達を作り出し一方的な蹂躙を確信していた神埜源晴も、目の前の事態が理解できず硬直した。


 当然だ。

 なぜなら実際に攻撃を受けた怪物達以外に、“ブレーン”の攻撃は何一つとして知覚されていないのだから。

 上空へと落下した理由も、怪物達を引き裂いた黒い罅も、それらを作り出した異能の出力すら、異能の対象となった者以外知覚は許されない。


 ただ、誇るように晒していた怪物達が有効打の一つもなく片付けられた。

 人を傷付けることも、誰かを見せしめに殺めることも、人質に取ることすらできなかったことだけが、純然たる事実としてこの場の者達の鼻先に突きつけられる。


 そしてさらに、“ブレーン”は手の平の上に黒い罅を作り出す。

 今度その罅を知覚させられたのは、この事態の首謀者である神埜源晴だ。



「貴方だけね」

「っっ……⁉」



 ふー、と。

 手の平を差し出すようにして発生していた罅に息を吹きかけた瞬間、いくつにも枝分かれした真っ黒の亀裂が空気を引き裂き、神埜源晴へと殺到した。


 それは常人の反応速度では対応しきれない黒い雷。

 両腕、両足、右肩から左腰骨に掛けて、空中であらゆる方向へ捻じ曲がっていた黒い罅が神埜源晴のそれらを引き裂いた。

 真っ黒の罅によって正確に引き裂かれた神埜源晴の体は当然支えを失ったことで地面に転がり、綺麗に整えられた高価な衣装をさらに血と泥でぐちゃぐちゃに汚れさせた。



「あ、がっ……? な、なんだ、これは、痛みが、ない……?」

「無様ね、神埜家の当主さん」



 倒れ伏した姿に掛けられた屈辱的な言葉。

 状況を理解できない困惑よりも、引き裂かれた全身の痛みよりも、見下されたことに対する怒りが先走り、青筋を立てて声の主を睨もうとすれば、その人物は既に目の前にいた。


 おぞましい光を灯した冷たい目で、倒れ伏す自身を冷酷に見下ろすその人物に、一瞬怒りを忘れてゾクリと背筋が凍る。



「き、きさまっ……‼ 誰を見下ろしてっ!」

「“感情波ブレインシェイカー”」

「ガッ……!?」



 だが、ただ見下されることが我慢ならなかった神埜源晴が本能的に感じ取った危機感を押しのけて攻撃の意思を示すが、即座に何らかの異能を行使され、ぐちゃぐちゃに意識が揺らされる。


 ギリギリ意識を失わなかった、というよりも、意識を失わせないように調整された。

 自身の精神異常に苦しむ神埜源晴の姿をじっと観察していた“ブレーン”は、何か納得したように「……なるほど」と口にした。



「貴方も異能による創作物の一つかと思ったけど、そういう訳ではないみたいね」

「と、当然だっ……! 私は正当な神埜家の当主であり、私はそれだけの資質を持ち合わせた人間でっ」

「貴方が獣頭の怪物達と同質の創作物でないのは理解できたけど、貴方が全ての黒幕というのも少し違和感があるのよね。言ってしまえば、狭いコミュニティの中で持て囃されて、良いように使われているだけの飾り物のような」

「この私が、かざりものだとっ……⁉」



 違和感。

 代々一族に引き継がれてきた目的があったのだとしたら、一族の総力を用いて目的の達成に当たるはずである。

 神埜源晴という人物が真に一族を背負い立つだけの器を持っているのであれば分からなくもないが、“ブレーン”の目からはそれだけの傑物というようにも見えない。

 一族の命運全てをこの男一人に託すというのは、どうにも妙に感じてしまうのだ。


 だが事実として、神埜の一族はこの源晴という男を除いて誰も生存していない。

 それは、“ブレーン”が昨夜直接神埜の本家で確認した事だ。


 どちらにしても神埜源晴以外に、神埜の宿願を果たそうとする一族は残っていないことは確か。



「追い求めてきた異能をたまたま開花させた故に一族の誰もが逆らうことができずに皆殺しにされたっていう、独断による暴走の可能性……それはちょっと無理があり過ぎる気がするけれど、自覚が無いって言うのは面倒ね。…………まあ、どちらにしても貴方を排除すれば妙なことをされる可能性が減るのは間違いないか」

「っっ‼ 愚か者めっ、たかだか血の化生どもを片付けた程度でこの私を制圧したつもりかっ!」



 血の性質である【異能出力の保存】。

 千年以上にわたって一族が霊山に血液を注ぎ続けた理由は、その血の性質を利用して、自分達の家系から再び血を操る異能に目覚めた者が出た際の巨大な源泉とするためだ。

 つまり、この針山と呼ばれる地は、到底個人では太刀打ちできないほどに巨大な異能出力が保管されているということ。


 神埜源晴が望むように、霊山から巨大な出力が放出される。



「血の針によって串刺しになるがいい!」



 地を這うような体勢のままの神埜源晴が吠えた次の瞬間、大量の針が地面から突き上がった。


 鼠一匹通せないように。

 無数の血の針が、“ブレーン”が居た場所を埋め尽くす。

 回避する時間も隙も無い、完璧な奇襲に成功したことを確信して、神埜源晴は笑みを浮かべたものの、その笑みは傷一つ無い状態でいる“ブレーン”の姿を見たことで凍りついた。



「言ってしまえばこの霊山は外部記録装置。足りない出力を補う為の貯蔵庫。自分達の家系が千年規模で積み重ねてきた貯蔵の総量はどれほどかは、どうせ使っている貴方にも理解できていないんでしょう?」

「な、なぜ、貴様は……」

「総量にしてマキナの五倍程度。まあ、これが多いか少ないかは考え方次第だけど、どちらにせよ貴方には過ぎた遺産ね。どうやって有効活用するべきかよりも、貯蔵された出力を減らさないための回収方法だけを考えている貴方程度には」

「ふ、ふざけるな! 私が手にしたこの権能はっ、誰も逆らうことのできない神域の権能だっ! 神埜が代々引き継いできた本物の神の力でっ……! 貴様のような身の程を弁えない無能などっ!」



 怒りよりも焦りが先行する。

 幼い頃から言い聞かされてきた、神埜の家の始祖の話。

 誰も逆らうことができず、誰も立ち塞がることもできない絶対的な神の力。


 そんな絶対的な力を自分は手に入れた筈なのだと、神埜源晴は“ブレーン”に向かって霊山に溜め込んだ異能の出力をさらに次々解放する。



『始祖の血液。これを取り込めば始祖の力に目覚める筈なのだ』


『血縁者以外が取り込んだときの拒絶反応は激しく手に負えないものばかりだったが、血縁者であればその症状は軽い。だが、当然血縁者であろうと命を落とす可能性もあり、これまで数人の血族が命を落とした記録が残っている』


『源晴。お前はできの悪い妹とは違って優秀であり我が一族の当主に相応しい。将来は我が家を取り仕切る必要がある。神の権能を得る機会を失いたくは無いだろうが、命の危険があるこの儀式をお前に行うわけにはいかない』



 始祖の血液を取り込む神埜の儀式。

 目の前でそれを行った妹が、軽い拒絶反応だけで死ぬことも神の権能を得ることも無かったのを見た。

 神の権能を得ることはおろか、死んで神埜の礎になることもできず、ただただ痛みを訴えるだけで家に何も貢献しない出来損ないの妹。


 自分が儀式を受けたならばきっと、神埜源晴はそう何度も考えながらこれまでずっと生きてきたのだ。


 そして、その考えを証明する機会がこの歳になってようやくやってきた。



『――――これが、今世に出回っている異能を開花させる薬の原材料。君達の一族が引き継いできた儀式に併せて使えば、異能開花の確率は跳ね上がるだろう。神埜源晴さん、貴方にはその才能がある』



 受け取った薬の原材料。

 始祖の血液を用いた儀式に併せてその結晶を使用した。

 確信していた自身の才能を試す機会が訪れて、親族の制止にも耳を貸さないまま儀式を執り行えば、語り継がれてきた神の権能を発現した。


 やはり自分は神埜の王なのだと。

 始祖に最も近い存在で、誰もがひざまずく世界の支配者なのだと確信した。


 だってそうだろう、幼い頃からそうやって言い聞かされてきた。

 神埜の求める力を得た代は世界を支配する。その、来るべきその時まで神埜を継ぐ者は用意を整えるのだと教え伝わってきた。


 だから神埜の始祖の力を得た、神埜源晴という存在には誰も逆らうことなどできない。



 ――――だが、そうであるなら。もし本当にそうであるのなら。



 神の力を簡単にあしらう目の前の存在はいったいなんだと言うのだろう。



「何もかも脆弱ね」



 神の力、血液の異能による攻撃を真正面から踏破される。

 ノイズを周囲に纏わせたフードを被った人物はギラギラと輝く双眸で神埜源晴の姿を捉えて離さず、距離を詰める足はほんの少しも止めようとしない。

 土地の利や溜め込まれた膨大な出力を活かした神埜源晴の攻撃を、初めから知っていたかのように潜り抜け、傷も汚れも何一つ負うことがない。


 目の前の存在は危険だと、全身のあらゆる細胞が脳に伝えてくる。

 支配者である自分が後れを取るなどありえないと、積み重ねてきた価値観が吠え猛る。

 逃げるべきだと、投降するべきだという感覚の判断を、自身への選民思考という理性が無理矢理抑えつけた。


 犯罪者として周知され、神埜という家の名を地の底まで落とされ、悲願であった始祖の力さえ容易に対処されている状況下。


 それでも神埜源晴は自分の窮地を認められない。



「追い詰められている……? ……いや、そんなはずはない。地の利は私にあり、神埜の財産も豊富であり、神の力も手の中にある……! ありえない! ありえないありえないありえない!」



 怨嗟のような声を漏らしながら、ジロリと周囲を見回した。

 山の中、利用できるような機材はないし、味方となる人間もこの場にはいない。

 もはや正体不明の“ブレーン”とやらの言葉を疑っていないのか、警戒と恐怖に染まった目でこちらを見る者ばかりである。

 そして、佐取高介に嫌疑を向けるために使った雨居紘一という証拠が、神埜源晴を悪であると確信してこの場にいる。


 この場にいる者全てが、恐怖と警戒に染まった目で神埜源晴を見ている。



「……ああいや、もっと簡単な方法があった」



 思いついた。

 思いついてしまった。

 そうだ、わざわざ真正面からぶつかる必要なんてなかったのだ。

 そもそもの目的を果たすためには目の前の人物の打倒なんてものに執着する必要すらなく、自分はその目的だけの行動をしていれば良かったのだ。

 そうすれば、被害を最小限に抑えようとする正義の味方気取りの馬鹿な人間は勝手に自滅する。


 そう考えを広げ、神埜源晴は地を這いながら暗い笑みを浮かべた。



「……“ブレーン”とやら、これまで幾度となく血族以外の者に始祖の血を入れてきたが、どれほどの量で拒絶反応が出たか予想できるか?」

「…………」

「およそ、0.1㎖だ」



 大体0.05㎖が一滴ひとしずく

 もし神埜源晴の言葉が本当であるなら、拒絶反応というものが出るのはたった二滴だけ。

 それほどまでに始祖という人物の異能出力が膨大なのか、それとも許容量以上の異能出力が人には猛毒となりえるのか。

 どちらにしても、目に見えた液体を体内に取り込む必要すらなく拒絶反応というものが引き起こされると言うことを神埜源晴は口にしていた。


 そして、神埜源晴が何を言い含めているのかに気がついた“ブレーン”が周囲を見る。


 周囲に漂うまっかな霧。

 もしもこれに、始祖の血というものが含まれていたのなら。



「察しは良いようだがもう遅い……!」



 拒絶反応や始祖の血。

 嫌な予感を持たせるそれらの単語の意味は、周囲の者達の変化を見れば直ぐに分かった。



「な、なんだ、体が重い……?」

「お、お前なんだか顔色がおかしいぞ……何か、血管みたいなものも浮き出ているし」

「体が重くなって……この赤い霧が何か悪いものでも含んでいるんじゃ……?」



 雨居紘一が獣頭の怪物から液体を掛けられたときと同じ症状。

 時間差はあるものの、この場にいる者達のほとんどに葉脈のような赤黒い罅が浮き上がり始め、肌の色から急速に生気が抜け落ちていく。


 荒い呼吸をして動けなくなっていく。

 痙攣し全く自由が利かなくなっていく。

 視界が滲み、呼吸が乱れ、自分の内側をナニカに壊されていく。


 最初こそ困惑だった声が、次第に悲鳴や絶叫へと変わり始めた。


 あまりの激痛と怠さにその場でのたうち回るしかなくなった人達が悲鳴を上げながら近くに居る者にしがみつき、しがみつかれた者もその赤黒い罅割れに感染したように状態が悪化する。

 次々、爆発的に広がっていく罅割れの症状に、先ほどの襲撃の時とは比にならない混乱が巻き起こった。



「こ、れは……! 俺があの怪物に液体を吹きかけられた時と同じっ……⁉ ち、治療方法はっ……!」

「はっ、ははっ、治療方法だと? そんなものはこの世に存在しないっ。拒絶反応を引き起こした者は抜け殻へと変わり、溢れだした血液は血の化生どもへと変わり果てる。まさか儀式の失敗をこんな風に使うことになるとは思わなかったが、血液の回収だけを考えるならこれほど都合の良い方法はない」

「まさか、針山旅館殺人事件で干からびた死体があったのは……」

「雨居紘一、貴様にそんなことを考えている余裕なんてあるのか?」



 被害を増やせば、それを止めようとすることに労力が割かれる。

 これだけの人間が一斉に苦しみだせば、それを何とかしようとするだろう“ブレーン”は神埜源晴に向ける攻撃の手を緩めざるを得ない。


 何よりも簡単で効果的なその手段を何故忘れていたのかと、神埜源晴は高笑いしそうになる気持ちの高ぶりを抑えながら、目の前の惨状に関する事情を知っていそうな探偵に対し用意していたもう一つを突きつける。



「何よりも優先するべきものはもう手元に無いのだと、まだ気がついていないのか?」

「……なんのことだ」

「貴様の隣にいるその子供が偽物になっていることに、まだ気がついていないのかと言っているのだ」


「…………え?」



 ポカンと、驚いたような顔をしたのは偽物と言われた丸眼鏡の少年の方だった。

 一瞬、“ブレーン”と呼ばれていた人のことかと思ったものの、完全に敵対状態にあるのだからありえないかと思い直し、ようやく自分のことを指しているだと理解した。

 何かの嘘かと思ったが、そんなことを言い出した相手は地に這いながら嫌らしい笑みを浮かべている。



「この私がわざわざ貴様のような価値のない者の事務所まで足を運んだのは、貴様の身辺の一人を人質にして、確実に始末できる態勢を整えるためだった」


「もしもこの場におびき寄せられなかったのなら、もしも何かしらの危機に気がついて生き延びたのなら。そんな不安要素をこの私が残しておくと思うか? 確実に貴様を殺す手段を用意するのは当然だろう? 人質として、兵器として、私が行使できる血液の貯蔵庫として、貴様の隣にいるソレを用意したのだ」


「今、貴様の隣にいるソレは人間などでは無い。この私があの子供の血液を用いて一から作り上げた、血の化生の一体だ。尤も、中身も脳の血液を元として記憶も複写するよう作り上げた故に、ソレ自身には自分が怪物である自覚はないだろうがな! はははははっ! さぞかしいつも通りの、貴様を手助けしようとする献身的な助手だっただろう⁉」



 神埜源晴の発言に対して、丸眼鏡の少年が最も信頼する叔父は何も言わなかった。

 うだつの上がらない、それでもいつも自分の気持ちを汲み取ってくれる優しい肉親。

 そんな彼が、ここまで荒唐無稽で酷いことを言われているのに、自分を擁護すること無く黙ったままだなんてあり得ない。


 雨居涼は、そう信じている。



「……嘘だ。僕は、だって……嘘だよ。ねえ、叔父さん。僕は、お父さんとお母さんが、事故で亡くなって。叔父さんが、僕を引き取ってこれまでずっと育ててくれたんだ。誕生日にケーキを買ってきてくれることも覚えているし、クリスマスにはサンタの仮装をして驚かせてくれたことも覚えてる。だから、僕が怪物なんてそんなことある訳がなくて……」

「……涼」



 だからきっと、神埜源晴の言葉は本当なのだろうと思った。

 どうやってかなんて分からないし、自分の記憶ではそんなはずがなかったとしても、これまで積み上げた叔父への理解の方がずっと強い。

 口では否定の言葉を吐いても、心の中で自分はきっと怪物なのだろうと理解した。



「信じられないというのなら、本当に自我の無い怪物に変えてやろう。なに、直ぐに他と同じような獣の頭を被せて貴様を襲うようになって嫌でも理解するだろう」



 自分が怪物なのだという残酷な真実を知って絶望する少年をせせら笑い、神埜源晴は血液で擬似的な手足を作り出すとゆっくりと立ち上がった。

 苦しみのたうつ異能を持たぬ者達を、絶望に打ちひしがれる雨居涼の偽物を、自分が作り出した苦しみを見せびらかすように、“ブレーン”に向けてその両手を広げてみせた。



「さあ、“ブレーン”。貴様がこのまま何もしなければ多くの者が死に絶えるぞ。この場だけではなく、貴様が手の届かないところにも被害は多く出るだろうなぁ?」



 これまで世間で騒がれていたただ異能を悪用する者達とは違う。

 権力を使い、コネクションを駆使し、貯蔵された財物を消費し、策略を巡らせてきた。

 短期的な目的では無く、世代を超えた長大な計画による侵略は、想像を絶するほどに甚大である。


 だからこそ、止められない。

 血を媒介にして拡大していく“血液”の異能である以上、犠牲が出れば出るだけ“血液”の異能はさらに勢力を増していく。


 一人が二人を、二人が四人を、四人が八人を、殺めるための道具になる。

 山から町へ、町から街へ、街から都市へ、都市から国への足掛かりとなる。

 そして、この島国を中心に世界へと侵略を広げていける。


 異能出力を持つ人間という種が生存している限り、無限ともいえる力を振える“血液”の力は世界を侵略するのに最適な異能の一つなのだ。


 それこそが、神埜という一族の始祖が思い描いた世界侵略。

 人々が苦しみのたうつのを神埜が見下ろすこの光景こそが、その悲願の縮図。



「貴様はどうやら特異な力を持っているようだが、愚かな正義の味方気取りの貴様では神埜の権能に対して何一つ対抗することはできはしない!」



 事態はもはや一族の悲願である力に目覚めた神埜源晴にすら止められない。

 遙か昔に強大な力を振るい、この地を制した始祖の血はそれほどまでに危険で、独立性を持った妄執なのだ。


 神埜源晴という当主はきっかけであり、世代を超えた計略の始まりに過ぎない。


 そんな幾代も続く強烈な悪意を目の当たりにさせられて、その場で立ち尽くしていた“ブレーン”は諦めたような溜息を吐いた。



「愚かな正義の味方気取り、ね。確かにそうかもしれないわ。場当たり的に被害を食い止めようとしている私の行動は考えなしに近いものに見えるでしょう。私だってこんな醜悪な奴が大きな顔して蔓延っている社会なんて、野放しにするのは馬鹿みたいだって思うもの」

「……何?」



 期待していた反応とは違う。

 それどころか、物憂げながら、自身の言葉を肯定するような素振りさえ見せている“ブレーン”という存在に神埜源晴は困惑してしまう。



「悪意の一つや二つ、湧いてから解決するを繰り返すのなんて、無駄な労力と無用な犠牲を生むだけ。もっと根本から解決しなければ幾つもの悲劇が生まれてしまうのは目に見えている。現に今、神埜という他人を犠牲にしてきた腐った家系がここまで誰にも咎められること無く続いているなんて、これ以上無いくらいの証左でしょう?」

「それは、どの目線での話をしている……?」



 正義の味方。

 神埜源晴は自分で言ったその単語を目の前に人物に当てはめることに強烈な違和感が生まれ始める。


 何か、世間で言われている正義の存在とは決定的に違う。

 もっと上位的で、もっと大局的で、もっと世界を根本からひっくり返そうとする者のようなその言葉。

 世間一般的に持て囃されている“ブレーン”の像とは掛け離れた、野望を内に秘める同族のようなコート姿の人物に神埜源晴は鼻白んだ。



「でもまあ、どうやら今回は何とかなりそうだから、いいんじゃない?」

「……先ほどから何を言っているんだ? 貴様は私に何を言いたい」

「雨居涼のすり替えに血液での変異。貴方の犯行をここまで読んで、雨居紘一の処理を防止されている以上、それらの解決方法を見つけ出されていないと考えるのは短慮が過ぎるっていう話よ」



 何気なしに返された言葉を神埜源晴は理解できない。

 これほどまで大規模の計画を遂行して見せているのに、短慮が過ぎるというのは自分には到底当てはまるような言葉とは思えなかった。

 そんな中、“ブレーン”は真実を知らされて膝を落としている丸眼鏡の少年に向けて、他人事のように指を向けた。



「雨居涼のすり替えについては事前に把握済み。幾つかの不審点があって“彼”については異能で調べておいたの。だから既に“彼”は貴方の異能の対象外。貴方が何をしようとしてもあの子が変異することはない。貴方の異能が元にはなっているけれど、あそこに居る雨居涼という子はもう血の化生とやらではなく、一つの命として確立した存在よ」

「ば、馬鹿が、そんな妄言。何故作り主の関与しないところで、存在の在り方自体が変わる。ただ決められた動作をするだけの無機物に命など吹き込まれるものか。そんなことある訳が…………ある訳、が……」



 力を行使しようとした神埜源晴の表情が丸眼鏡の少年を見たまま固まる。

 まるでカップの水を溢れさせてやろうと思って注いでいるにも関わらず、水が溢れるどころか増えることすらしないものを見るかのようなそんな顔。

 何が起こっているのか分からない丸眼鏡の少年は神埜源晴と“ブレーン”の二人を交互に見ているが、どちらもその疑問に解答することはない。


 さらに、“ブレーン”は続ける。



「異能による変質は一度雨居紘一が被害を受けていてその治療を施してあるの。その証拠に雨居紘一はこの状況で変質を受けていないでしょう? ここまでの人数が同時にとなると多少骨が折れるだろうけど、ま、高度な計算能力を持つモノが治療状況を観察していて、同じように異能を行使できるなら問題は無い。ほら、もう苦しんでいた人達も落ち着いてきたわ。本当に優秀ね」

「いや……いや……ありえない。治療法など存在するはずがない……貴様は少なくとも、治療のために走り回り、無駄な労力を割く必要が……」



 周囲で苦痛にのたうち回っていた人々が徐々に静かになっている。

 限界となり意識を失ったのでも死を迎えたのでもなく、全身に入っていた血管の浮き上がりが落ち着いて、肌に生気が戻り始めている状況。

 痛みも消えてきているのか、驚いた表情で自分の体の調子を確かめている姿は健康体そのものである。


 回復しているといっても良いだろう彼らの様子を見て顔から色を失っていく神埜源晴に対し、“ブレーン”は「それから」と言った。



「あとは本物の雨居涼という誘拐された少女だけど、人質としての役割もある以上、完全に雨居紘一が始末できるまでは手の届く場所で生存させているのは分かっていたの。彼女ももう保護が完了しているから、雨居紘一への人質にはなりえない」

「…………」



 神埜源晴があえて言及していなかったことの対処まで済んでいると、はっきりと断言されてしまった。

 もはや何も言えなくなり黙り込んだ神埜源晴は、ただ目の前の怪物に圧倒されてしまう。


 血液を操る力。

 一族の悲願であるその力を自身が得たのは確かに最近のこと。

 しばらくは身を潜め、土台を築こうと考えたのはこの力に対する理解が及んでおらず、始祖ほど扱い切れているという自信を持っていなかったからだ。

 だからあらゆる準備を重ね、搦め手を使い、神埜に仇なす可能性のある人間を排除しようと動いてきたのだ。


 確かに、自分自身の練度は低い。

 だがそれでも、大々的に神埜の行いを告発され力によって抵抗せざるを得ない状況になったとしても、これまで積み重ねてきた財産があれば制圧は可能だと考えていた。



「終わりね、チェックメイトよ」

「…………」



 万策が尽きたことを自覚した。


 この場にいる者達を排除することはできないし、この場にいる者達の一人でも逃がしてしまえば報道が真実であることを証言され国家規模で対策が練られてしまう。

 この場にいる者達の血肉を利用することもできない。

 神埜の信用は既に地に落ちてしまっている。


 そして何よりも、自分は目の前のこの人物にはどうやっても勝てない。



「貴様はなんなんだ……本当に警察程度の組織に収まる人間なのか……? 誰かの下に付くような人間には到底……」

「さて?」

「……貴様は……貴様、は……? いや、まて、私は、貴様を見たことがある……」



 気がついた。

 フードの陰から見えた幼い顔。


 どこか、幼い頃の出来損ないな妹の面影がある少女の顔。

 幼い頃の記憶と、失踪した妹を捜索した者が入手した写真に写っていた子供の顔が脳裏に蘇える。


 十年近く前に、当時の当主が出来損ないの妹が産み落とした子供達を回収しようとして失敗に終わり、それまでの血族間の結束が瓦解するきっかけとなった出来事。



「写真で見たぞ……あの、あの出来損ないの妹が駆け落ちして作った子供……! 何故忘れていたんだ……! あの男を陥れて、出来損ないの妹が作った神埜の血を継ぐ子供達を本家に連れてこようとした時……‼ 貴様かっ、あの時神埜の血族達を歪めたのは! 当時の当主を含めた者達が日和見主義へ傾倒し、神埜の責務を投げ出すようになったのは貴様が原因かっ! 一度ならず二度までも神埜の邪魔をしていたのかっ‼ おのれおのれおのれおのれおのれぇ‼‼」



 原因不明だった過去の事実に気がつき、なりふり構わず叫び散らす。

 冷静さの欠片も無い豹変した姿に事情を知らない者達は困惑するが、対して何を言われているのか理解した“ブレーン”は自分のフードの先を摘まみ、顔を隠す素振りをする。


 挑発するかのような仕草に、神埜源晴はさらに激高する。



「出来損ないの妹と貧相な男の間に生まれた貴様など、私は高貴な神埜の一族とは認めんぞ! 調査した結果高い能力を持っている子供達だから養育しようと話していたが、結局は臆病者どもの血を引き継いだ品格のない屑なのだと私はずっと反対していたんだ! ああ理解したぞ! 貴様は神埜の財産を狙って、神埜の地位を引き下げようと画策してきたのだな! 貪欲で恥知らずの疫病神が!」

「……ああ、そう。もういいから口を閉じて」



 相手が不気味な怪物ではなく、散々見下し蔑んできた妹の子であると理解した。

 その瞬間、それまでの態度を一変させ、目の前の人物を明確な蔑む相手として傍若無人に暴言を吐き散らす。



「出来損ないの妹が貧相な男の脱出を手助けし共に逃げ出した時はそこまで腐っていたかと思ったが、その子はさらに神埜に害する存在になるとはな……! 何の役にも立たない妹を人並み以上に育ててやったのにも関わらずこれほどまでに家への恩を仇で返すなど、子のしつけもできないなど、あの出来損ないの妹はどこまでっ…………」



 髪を掻き乱し怒りを露わにしていた神埜源晴はそこまで言うと、じわじわと悪意に満ちた笑みを浮かべ始めた。



「……はっ、はははっ……だが、だがな、“ブレーン”。貴様がここに居るということは、貴様は今あの貧相な男を守ることができないということだ……」

「…………」



 この場は負けた。

 策略も、拡散する被害も、直接的な力の行使でも、神埜源晴は目の前の存在に後れを取った。

 それは認めるしか無い事実である。


 だが、目の前のコレが佐取高介の、出来損ないの妹の子であるなら、少なくとももう一つの策は成功する。



「神埜の始祖の血は今、私の手元にない。これがどういうことか分かるか?」



 神埜源晴が紡いだ不気味な言葉。

 身を寄せ合うようにしていた雨居探偵と雨居涼を模した存在が何かを察して、沈黙したままの“ブレーン”へ心配するような視線を向けたのだった。










 近くに商店街がある通り。

 行く手を塞ぐように突然現れた一人の女性に、警察署へ急いでいた彼らの足は止まっていた。


 彼らを家まで迎えに行ったスーツ姿の男性警察官が、突然現れたその女性に警戒するように距離を取った。

 地面から湧き出すようにして現れたこの女性は明らかに普通の人間ではない。

 そう理解している警察官が近付かないようにと周りに手で制すが、その女性を見た一人の男性は警察官の制止も聞かずに表情を凍らせたまま女性に近付いてしまう。


 目を見開き、一瞬たりとも目を逸らさず、信じられないものを見たような顔でその男性、佐取高介は唇を震わせながら女性に呼びかける。



「……清華さん?」



 雪が降り始めた。

 昔、一組の男女が出会った時と同じように。

 どこか神楽坂がよく知るあの少女や、桐佳と呼ばれる少女に似た顔立ちを持つ女性が、ゆっくりと顔を上げて佐取高介を見詰めた。






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― 新着の感想 ―
燐香ちゃん強い、かっこいい! 相手を完封してらっしゃる…! 本当に大好きな作品です…!これからも応援してます!
ポンコツのマッマが痛がっただけで能力発現してなかった……これ逆なんじゃないか? 今までの奴は異能適正が足りなかったから神埜の始祖の血液操作が本人の異能上書きしてあらわれたけど、 こっちは適性が高すぎて…
文字数が多いのは!大歓迎です! あの、もう世界を支配したんですよラスボスは…… というかこれつまりポンコツが神埜の血という出力ストックを手に入れたわけなので、このラスボスどんどん強化されていくんだけ…
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