受け継がれる赤い血脈
更新遅くなりましたが元気にしています…!
感想の返信できていませんがしっかり読んで励みにしてます!ありがとうございます!
今日も一日慌ただしかった国会議事堂からようやく帰路につこうとした時、同じ党内では比較的若い新人議員の姿が目に入る。
ふくよかな体躯のその新人議員は、まだ慣れていない議員としての仕事に漏れが無いよう、せっせと議会内容と明日の予定の再確認を行っているようだった。
「そういえば君は明日、針山旅館の再開挨拶に出席するんだったね?」
国会議事堂襲撃事件の関係で入院することとなった現職の総理大臣の代わりに、臨時代行として総理大臣の仕事を引き継いでいる阿井田博文がそう問いかける。
問いかけた相手である最近国会議員としての身分を得た男性は重鎮として君臨している阿井田議員が自分を認知してくれていることに嬉しそうに笑みをこぼすと、溌剌と返事する。
「ええそうです! 自分の選挙区である場所が針山でありますし、超能力云々が世の話題になっていて、過去の未解決事件が超能力によるものではないかと噂されている中、被害を受けたかの旅館の営業再開挨拶に立ち会うことはこれ以上ないくらいのメッセージを持たせることになる筈です!」
「そうかい。あの地域は今なお、神埜の家がかなり強い影響力を持っているからね。彼らと良好な関係を維持しておくのは、国会議員としての君の地盤を安定したものにするためには必須だろう」
「ははっ、阿井田総理は何でもお見通しですね。私が今回国会議員に当選できたのも、神埜の家の協力を取り付けられたのが大きかったです。相も変わらず旧家の影響力は計り知れない。そのことは重々承知しています」
「私は代行で総理ではないよ。立ち回りだけが重要ではないけれど、正しく立ち回らなければ機会すら巡っては来ないものだ。君が行った水面下での活動は正しいと思う。けれど少々妙だね……あの家の者達が何の利もなく君に協力したとは……」
少し意外だな、と考えた阿井田議員の脳裏に、以前会った【神埜】の者達の姿が思い浮かぶ。
以前顔を合わせた時も、閉鎖的で、一族の利を何よりと考えているような者達だった筈だ。
「彼らのことを知っているのですか?」
「ふむ。数度会ったことがあるだけだよ。私も自分のことは古い考えに囚われがちな人間だと考えていたが、あの一族はそれよりもずっと旧態依然とした考え方を持ち、独特な文化を代々継承しているようだった。一族だけの礼儀や作法といったもの、序列に、繋がり……それから独特な思想を内に秘めていた」
「そうなのですか? 自分が彼らと会談した時はこちらのことを高く評価してくれて、協力もすんなりと取り付けられたのですが……」
「裏がないとは思えないね。まあ、彼らは一筋縄でいくような甘いものじゃない。利用するなら最大限の警戒を払った上で付き合っていくことを推奨するよ。さて、私はそろそろ……おや?」
何かしら意図があるのだろうかと警戒心を募らせたものの、所詮は閉鎖的であり排他的、昔ながらの権威による影響力だけしかない落ちぶれた一族だから、と。
必要以上に強い警戒を持たず、今後のためにこの若手に適当に探らせるだけしておこうかなんて考えていた阿井田議員の個人携帯にメールが届いた。
携帯電話に手を伸ばして、連絡先を確認した阿井田議員が嬉しそうに表情を緩める。
「おっと、すまないね。可愛い孫からのメールみたいだ。特に食事を予定していたりもしていなかった筈なんだが…………」
そこまで言って、携帯電話の画面を一瞥した阿井田議員が口を閉ざす。
表情は何一つ変化させていないが、恐らく何か驚く連絡があったのだろうかと思い、新人議員は会話を打ち切ろうとする。
「ああいえ、長話させてしまい申し訳ない。お孫さんとやりとりされてください。私は明日の準備もあるのでこれで」
「――――いや、少し待ってほしい」
だが、新人議員のそんな配慮を、阿井田議員は制するように引き留めた。
いつも通りのゆったりとした話し口調で、困惑する彼に対して阿井田議員はお願いする。
「明日の件で、一つ頼みごとがしたいんだけれど」
-1-
針山旅館。
二十年以上前の未解決事件によって、営業を中止せざるを得なかった高名な旅館。
事件前は多くの人々で賑わっていたその場所が近々再開されるという情報は、世間を大きく騒がせた一つの時代の終わりを示すようであり、また現在の世界情勢的には別の意味も持つこととなる。
「……【異能という非科学的な犯罪に対して屈しない国家としての姿勢】を内外に示すための形式的な場として、この機会以上のものはそうない、か」
政治的にも対外的にも商業的にもそうであるのだろう。
警視庁公安部所属の大染警部補は、目の前で開かれている集まりを見ながらポツリと呟いた。
修繕が完了した針山旅館を背に今行われているのは、二十年以上前の未解決殺人事件の現場である針山旅館の営業再開を祝う式典だ。
地元の議員や警察官僚を含めた関係者に、報道や新聞などを手掛ける多くの記者達を集めたこの式典は、警備の数も含めれば総勢百名規模にまで上り、一行事としてはかなりの規模となっている。
大染もこの要人達の警備という名目でこの場にいるが、未解決事件の捜査をしていた時とは異なり、この仕事は彼にとって本意ではなかった。
警察官という立場を前提に広い視野を持って考えれば、昨今続いている世間から向けられる警察への不信感を少しでも緩和できるこの機会を歓迎こそすれ、不満など持つはずもない。
だが、今回【針山旅館殺人事件】に僅かでも関わった大染としては、何も解決できていない今の状況でこのような式典が行われることへ複雑な感情を抱いてしまうのだ。
(……結局、佐取高介という人物を犯人と裏付ける証拠も不十分で、聴取から得た情報からも別の真犯人へと繋がるようなものはなかった。結果だけを見れば出所の曖昧な情報に踊らされただけで終わった)
証拠として提出されたのは、血塗れの服で女性と二人現場となった針山旅館から逃げていた佐取高介の姿が映った映像記録だった。
事件当初、彼の証言はありもしないような妄言ばかりだと判断されて、捜査に当たった警察からまともに対応されなかった。
だが、逃走している状況が証言と合致しており、被害者達の血痕を全身に浴びている状況から犯人または犯人を目撃した者であると判断して再度捜査対象に上がった訳だが、証言は変わらない。
人ではないモノによる犯行であるという姿勢を崩さず、科学捜査での解決を否定することばかりしか口にしなかった。
(分からないことばかりだ。佐取高介の証言も、犯人の目的も、まったく合理性の欠片もない。いくら捜査を続けても…………異能などという、科学的でない力による犯罪がこれまでも幾度となく行われてきた証明になるような結果だけしか出てこない。その上、だ)
これまでの捜査は何か、妙な不気味さが、どこにでもついて回っているような気がしていた。
喉元に小骨が引っかかっているような気持ち悪さに、思わず顔をしかめてしまう。
(……まさか本当に異能という力が関わった犯罪事件だったのか? だが、例えそうだとしても、そんな力を持った奴が不特定多数の人々を無差別に殺めた目的がただの享楽的なものだった可能性以外考えられなくなる。金銭や怨恨以外での殺しに意味だと……? …………駄目だな、思考が凝り固まっている。こんな時、神楽坂先輩なら――――)
「大染君、気分でも悪いのかい? 表情が険しくなっているよ?」
「――――はっ、い、いえっ、申し訳ありません山峰警視総監っ! 少々考えごとをっ」
そして、表情を険しくしていた大染に対し、同様に警察の代表として式典に参加していた警視庁警視総監の山峰衿嘉が声を掛けた。
「祝いの式典だからね。色々と思うことはあるのかもしれないけど、表面上は何も出さないでもらえると助かるよ」
「は、はい」
「それから、神埜の現当主を邪魔されず観察できる貴重な機会でもある。君が事件解決を願うなら不審点の一つや二つは見付けられるよう努力するべきだと思うよ」
「……その通りです」
警察庁長官を除けば名実ともに警察のトップである衿嘉からの注意に、大染はただ頷く。
国会議員に、警察官僚の出席。
未解決事件の現場である旅館の営業再開式典となれば、警備の厳重さは相当なものである。
警視庁公安部に特殊部隊のSAT、県警の機動隊まで配備される徹底っぷり。
流石に警察に所属している形となっているたった二人(一人は犯罪者を働かせているだけなので厳密には一人)異能を持つ者達を県外の式典に参列させることはできなかったが、これだけの警備がある以上、襲撃なども考え辛い。
だからこそ、大染は過剰戦力ともいえる中での式典への警備参加など形だけのものなのだと頭のどこかで考えてしまっていたが、このような式典の場でもできることは存在する。
そう思い直し、大染は記者達が一斉にカメラを回し始めた先へと視線を向けた。
生中継もいくつかの局がしているだろう中、挨拶の場に立ったのはこの場にいる中では比較的若い、中年程度の着物姿の男性である。
(……あれが神埜の家の現当主。確か、神埜源晴。年齢は43歳だったはず、随分若い)
代々続いている名家の当主としてはあまりに若い男性。
冷たさを感じる切れ目。顔に刻まれた皺は年相応の老いを感じさせながら圧力すら与えるような貫禄が滲みだしている。
多くの肩書きを持つ者達や全国放送をしている記者達が自身を囲っている中、何一つ気圧されることなく挨拶を始めたのを、大染は注意深く見詰めた。
「この度は当旅館の営業再開の挨拶にお集まりいただきまして誠にありがとうございます。最初に二十四年前の事件での尊い命を失われた方々に対し、事件を未然に防ぐことのできなかった当旅館の代表として、謹んで追悼の言葉を申し上げます。当旅館は針山という霊山の神秘性を多くの方々に触れていただくことを目的に百年以上の営業を続けてきましたが、二十四年前の悲惨な事件によって今日という日まで営業を停止することとなりました。未だに解決していない二十四年前の事件を忘れてはならぬ事象として身に刻み、被害を受けた方々への追悼とともに前へと進むため――――」
長い挨拶の言葉だ。
そして、その言葉一つひとつはこれ以上ないほどに丁寧。
失言はおろか、別の解釈がされないようにすら気を気張った挨拶をする神埜源晴という男からは、育ちの良さだけではなく場慣れしていることすら伝わってくる。
口上としては非の打ち所がないのだろうと、専門家ではない大染が思う程度には完璧である。
だが、それだけ。
多くの犯罪者や被害者、そして犯罪を解決しようと必死になって行動する警察官達を間近で見てきた大染の目には、その挨拶が事件に真摯に向かい合った末に出た言葉には思えなかった。
(とはいえ印象程度の話で何か不審点があるという程のことではないな。実際に人間性がよくない……ん?)
だから、第一印象として仲良くなれそうにないな程度に考えていた大染だったが、ふと視界の端に映った人物に気がついた。
多くの記者の中に紛れ込んでいるその人物。
つい先日、自分が事情聴取のために家まで赴き会いに行った人物。
佐取高介の姿が、記者の者達に紛れ込む形でこの場にあった。
「佐取高介だとっ、いや、そんな筈はっ……⁉」
重要参考人であった彼は、嫌疑が薄いと判断したことによって拘束も監視もしていないのは確かである。
だがだからといって、疑われ警察署へ連行までされたあの大人しげな人物が、自分が犯人だと疑われていた事件の現場に現れるなど、ありえないことだと思っていた。
仕事もあって、子供もいて、家庭もある。
一時的にでも証拠不十分と判断された以上、犯人と疑われるような行動は控えるような人物である筈だと思っていた。
だからこそ、大染は「何故?」という動揺を隠せない。
そして、佐取高介と思われる人物が懐から黒い筒状の拳銃と思われる物を取り出したのを見て、全身の毛が逆立つような感覚に襲われる。
「――――まずいっ、伏せろっ!」
警告とともに山峰警視総監を掴み地面に転がると、ほとんど同時に破裂音が響いた。
誰が狙われるのか分からなかった故の咄嗟の行動だったが、その行動は何も意味をなさなかったらしい。
一瞬の静寂の後、悲鳴が響く。
誰が撃たれたと慌てて顔を上げれば、先ほどまで記者に囲まれて挨拶をしていた神埜源晴が胸元から血を流しながら倒れていく姿を目の当たりにする。
被害者と加害者。
これ以上ないその関係性を目の前で見せられて、拳銃を所持している佐取高介を捕らえる為に身を屈めながら佐取高介を睨む。
(拳銃なんてどこでっ、いや、そもそも佐取高介が犯人で正しかったじゃないかっ……!拘束を続けていればこんなことにはっ! くそっ……神埜の当主が撃たれた場所は胸か。早く治療できなければ……)
「な、な、な、なんだお前はっ、か、神埜さんがっ……!」
「拳銃を持ってるっ、拳銃を持ってるぞっ……! 逃げろっ、逃げろぉ!」
「いや、撃たれた神埜さんを放置するのかっ⁉ 早く助けて病院にっ……」
「何を馬鹿なことを言ってるんだっ、今生放送中だろっ、撮るんだよっ! 犯人の男と撃たれた神埜さんをしっかりと画面に収めろ! 大ニュースだ!」
拳銃を持った佐取高介に混乱する記者達と、自分の担当の要人をそれぞれ誘導し安全な場所へ避難させようとする護衛の者達。
被害者の救助か、犯人の確保か。
大染がどちらを実行するべきかと判断を迷わせていた時、覆い被さられていた山峰警視総監が犯人である佐取高介を見詰めながらぽつりと呟いた。
「……プランニングが成立していない」
「や、山峰警視総監っ、お怪我はありませんかっ? おそらくあの男が針山旅館殺人事件の犯人なんですっ、私はあの男を捕らえますので山峰警視総監はこの場から避難をっ」
「あの男が犯人であるならこの行動は妙……だが、事実こうして襲撃を……」
「山峰警視総監っ、早くっ……!」
何かに困惑する山峰警視総監に対して、大染は慌てて避難を促す。
相手が拳銃を持っている以上、標的とされた時に守れる保証がない。
この場には他に多くの要人もいるため、山峰警視総監のみを守ることができないのだからと思案を巡らせていた彼を無理矢理引っ張りその場から離れさせようとする。
そんな風に、避難しようとしていた大染達に向かって、佐取高介の視線が向けられた。
「……警察官僚、政治家、有名記者」
「っっ……!」
不気味な言葉を呟いた佐取高介が手に持っている銃口を大染達に向けようとした瞬間、配備されていた機動隊数名が一斉に襲撃犯である佐取高介を取り押さえに掛かった。
体格の良くない。
それこそ取り押さえようとしてきている機動隊員の誰よりも背は低く横幅も細い、優男のような佐取高介では筋力差は歴然。
殺到する完全装備の機動隊員達が、銃を持つ手を掴み、頭を押さえ、完膚なきまでに制圧する。
――――そんな誰しもが抱く予想が鮮血によって覆った。
「――――うわあぁぁぁあああっ⁉」
突如として姿を現した着物の集団に、機動隊の者達が防護服ごと切り捨てられる。
佐取高介の周囲を取り囲むように、湧き出すように。
異常なほど長身で、骨格だけのように細くまっかな手足をして、頭には獣の頭を被った集団がどこからともなく滲み出す。
細身であるはずなのに、手にしたナマクラの刃を異常な膂力で振り回し、防刃性能に優れている筈の装備を上から叩き切る怪物達。
到底人間とは思えないそれらの姿を目の当たりにして、大染は絶句する。
「な、なんだこの化け物どもは……?」
視界に広がる異形の者達。
そんな光景を前にして、事情聴取の中で神楽坂に話していた佐取高介のある言葉を思い出した。
『――――まっかな怪物が人を殺すのを、私は見たんです』
人型で、着物姿で、頭に被った獣の顔。
赤色とは異なるような怪物達の姿だが、どういう訳か、事情聴取の中で神楽坂に話していた佐取高介のその言葉を思い出す。
(コイツらが佐取高介自身が話していたまっかな怪物っ……⁉ いやだが、赤色が象徴的な怪物ではないし、それどころか佐取高介自身を守るように動いているコイツらとの関係は一体何なんだっ? 警察に対して自分の凶器を誇示するような証言をするなんてありえるのか……? ……駄目だ、思考の整理が追いついていない)
逃げ惑う者達。
襲撃犯達を制圧しようとする警察関係者。
そして、襲撃犯である佐取高介と彼を守るように湧き続けている獣頭の怪物達。
混迷する状況をどうにか把握し、とにかく要人の避難を優先させようと手近な部下達に指示を飛ばしながら、自分自身も山峰警視総監の避難誘導に動く。
(到底人間とは思えない怪物達……これは、まさか……神楽坂先輩が追っていたことが全て正しくて、神楽坂先輩は公安時代からずっとおかしくなんてなってなかったのなら、この目の前の奴らこそ神楽坂先輩の言っていた非科学的な力を用いて犯罪事件を引き起こす存在なのか? だが……)
「見付けた」
そんな大染の迷いすらいつの間にか目の前に現れた男が許さない。
獣頭の怪物達との混乱で姿が見えなくなっていた佐取高介が、いつの間にか目の前に姿を現し、手にしている拳銃を山峰警視総監へと向けてくる。
横も、後ろも、混乱した人の流れが壁のようになっている中、正面に現れた相手から逃げる術は存在しない。
(一体どこからっ、くそっ!)
撃たれる。
瞬間的にそう判断した大染は咄嗟に狙われている山峰警視総監に覆い被さるようにして庇ったが、どういう訳かいつまで経っても拳銃が発砲されることがない。
顔を上げ襲撃犯である佐取高介を見遣れば、その隣に誰か居る。
佐取高介の横合いから伸びた手が、その銃口を握って逸らしている。
「……本当に不愉快な紛いもの」
男物のコートを頭にすっぽりと被り、顔の造形も分からない小柄な人物が低い声で呟いた。
機動隊にも、SATにも、それどころか警察関係者にも見えないその人物。
襲撃前にこの姿の人物がいれば不審者として拘束したであろう者が、襲撃犯である佐取高介を押さえている。
見たことがある。
それは以前、警視庁を爆弾の超能力を用いて襲撃した犯人を捕らえたとされる瞬間に出てきた人物だ。
テレビで報道されたとしてネットで散々騒ぎ立てられていた、国家や警察の異能対策を裏で取り仕切るというありもしない存在。
警視庁の本庁で勤務する大染が知りもしない、存在する筈のない人物。
誰が呼び始めたのか、“ブレーン”と呼ばれるそれが、混乱していたこの場に現れた。
「君は……」
その人物の登場に驚愕と動揺を見せた山峰警視総監に対し、“ブレーン”は大染達を一瞥すらしない。
ピタリと獣頭の怪物達の動きが停止し、混乱していたこの場の者達の視線が強制されたようにその人物へ向けられ、この状況を撮影していた報道陣のカメラが目の前の光景を日本全国へと届けだす中、その人物、“ブレーン”は話し始めた。
「……偽物を用いた襲撃の計画。犯人に仕立て上げる相手をあらかじめ警察に届け出て、襲撃犯としての信憑性を高めるとともに警察の信頼低下、被害者である自分の味方作りを目的とした。状況によっては自分の死を偽装すれば今後好きに動けるとでも思ったのかもしれませんね」
逃げ惑っていた要人達や記者達はおろか、怪物と交戦していた警備関係者や理性のなさそうな獣頭の怪物達ですら身動きも言葉も止めている。
無理矢理にでも自分に注目を向けさせたソレが異常であると判断できる者はこの場にいなかったし、それは誰にも許されていない。
そしてそこまで言うとその“ブレーン”と呼ばれる存在は、佐取高介を押さえていない逆の手で複数枚の写真を取り出し、ばら撒いた。
それは、昨日の夜殺された者達の遺体を写したものであったり、神埜の本家で朽ち果てていた神埜源晴以外の血族達の死体の写真。
凄惨な写真に周囲の人々が息を呑むが、“ブレーン”はその中でも反応がないとある人物に視線を向ける。
「――――そうでしょう神埜源晴さん。自分の血族すら手に掛け当主の座を奪い取った、醜悪に血塗られた家系の末裔さん?」
「……」
“ブレーン”が襲撃犯である佐取高介に最初に狙われ重傷の筈の人物へ声を掛ける。
この場の者達の視線が倒れ続けている神埜源晴へと向けられるが、倒れ伏す彼はピクリとも体を動かさず、撃ち抜かれた傷から血を流し続けている。
「下手な演技を続けるなんて、誇りも尊厳も持ち合わせていない人ですね。別に良いですよ。まだ自分が逃れられると思っているなら、私が集めた全ての証拠をこの場に広げてしまうだけですから。神埜の家が代々血肉をこの山に捧げ続けてきた文化を持っているという証拠と、その儀式の場として旅館の運営をこれまで続けてきたという証拠を。二十年前の事件よりも前も、旅館の宿泊へ来ていた人が神隠しに遭うという事例がいくつか存在したのを、私は知っています。細々と、おぞましく醜悪な文化を継承してきた血塗られた一族」
「…………」
肌がひりつくような威圧感を放ちながら、“ブレーン”は冷笑を浮かべて「だからこそ」と言う。
「二十年前のかの有名な未解決事件は、その儀式の管理がお粗末だったがゆえに世間に露見してしまうほどの大事になった、貴方方にとっても想定外の出来事だったみたいですが」
「…………さて、何を仰られているのか理解しかねます」
傷口からドロドロと血をたれ流しながら、神埜源晴がゆっくりと立ち上がった。
痛みで呻くこともなければ、怪我が小さい訳でもない。
少なくない血を流しながら、それでもそれを気にも留めないで立ち上がり返答を始めた彼の異様な姿に、周囲の人々は思わず小さく悲鳴を上げてしまう。
だが、そんな周囲の反応を何一つ気にすることなく、神埜源晴はどういうことかと動きを止めた獣頭の怪物達を横目に確認しながら、眉尻を下げ申し訳なさそうにして、目の前の”ブレーン”と呼ばれる者の疑いを解こうと必死になる。
先ほどまでの世間一般へ向けた挨拶の態度と同様に、隙の無いように整えられた外面を貼り付けた彼は言い訳するように自分の傷口へ指を差した。
「そうですね。確かに、あまり深刻ではない傷でありながらこれまで私が起き上がらなかったのは何か作為があるように感じられたのかもしれません。ですが、襲撃犯が目の前にいる上、彼をここまで捕らえられなかった警備を信用することができなかったので、襲撃犯の目を誤魔化すためにずっと倒れたままでいただけです。神に誓って、貴方が仰られたようなことはありえません。我が一族は代々時代の流れや人々の意思に寄り添い、長年信仰を続けてきました。何か勘違いをされているかと――――」
「雨居紘一という、無名の探偵をご存じですね?」
「…………初めて耳にしたお名前ですね」
一瞬の無言を挟み、神埜源晴は首を傾げる。
誰が善で誰が悪か、それどころか人を襲おうとしていた怪物達が停止していて自分達の身に危険があるのかどうかすら分からないような状況に、周囲の者達はさらに混乱する。
「自分で言うのも憚られますが、私は生まれも育ちも“神埜”という名家。その道では有名である方ならともかく、全くの無名で、何かしらの実績もない人を私は知り得る機会がない筈です。何の証拠もないまま私の信用を落とそうなどという行為はそれ相応の対処をさせていただくことになりますよ。撤回して謝罪するならお早めに」
「私を黙らせたくてしょうがないようですね? それに、私は無名の探偵としか言っていないのに、彼の知名度について一定以上の知識があるようです。面白い口の滑らし方ですね。口封じができていると思って饒舌にでもなってしまいましたか?」
「……なにを……」
そのタイミング。
この場にそぐわない清掃員姿をした、年の離れた二人が“ブレーン”の背後から現れた。
覇気の無い中年くらいの男性と野暮ったい丸眼鏡をした小柄な少年。
彼らが誰か分からない周囲の者達とは異なり、神埜源晴の顔に紛れもない緊張が走った。
「どうしました、顔が強ばっていますよ? まるで会いたくない人を見てしまったかのような表情じゃないですか」
「…………」
あり得ない人物。
この場にいる筈のない人物。
生きていてはいけない人物。
自分が何重にも巡らした筈の保険が何一つとして機能していなかったという証明となるものを目の当たりにして、神埜源晴は口を噤んだ。
「わざわざ自分とは関係を持ち得ない、無名かつ存在を消しやすい人物を探して依頼した。そうすることで、いくつかの口封じを成功させれば自分と彼の関係性は疑われることはないですもんね」
「…………」
「けれど、彼らの証言と彼らが持っているメール文面、もしくは内容が簡記された依頼書などはまだ残っているでしょう。貴方が消したかったものは、まだ残っている。貴方が巡らせていた謀略を裏付ける証拠は何一つ消えていない。貴方を監視下に置き、捜査をすればいくらでも証拠は出てくるでしょう」
「……いや、私は……」
「はっきりと言いましょう。神埜源晴さん。自分の血族すら手に掛け当主の座を奪い取った、醜悪に血塗られた家系の末裔さん」
そう言って、フードでは隠しきれない鋭い目を覗かせながら、“ブレーン”は神埜源晴に向けてまっすぐ指を向ける。
「未解決である針山旅館殺人事件の犯行の一端を担ぎ、今回この襲撃を起こして罪を他人に被せようとした。それらの一連の犯人は貴方です」
「…………ははっ」
失笑したような笑いを溢す。
だがそれは、自身に突きつけられた推理を見当外れだと言うような笑いではなく、自身の抱えた怒りが隠しきれずに溢れだしたかのような、誤魔化すような笑いだった。
思わず片手で自分の顔を隠すように押さえ、体を震わせながら俯き、少しの間沈黙した。
しかし、長年闇に潜む術を身に付けてきた、この男はまだ認めない。
「……警察や警備の方々は何をされているんですか。早くこの不届き者達を捕まえてください。何が犯人ですか。何が醜悪な家系ですか。こんな確定的な証拠も何もない状態で、全国放送されている場で私や我が一族の名誉を傷付けるなど、到底認め難い暴挙です。改めて私は断言しましょう。語られた全ては誤りで、私は全くの無実です」
「なっ…⁉ 神埜源晴っ、お前が俺に証拠の提出を依頼したのは事実だっ! 実際に俺の携帯電話にはお前からの仕事依頼メールが残っている! 昨夜俺の命を奪い口を封じようとしたことも、俺がこの場に誘導された経緯も、全てはお前に繋がる筈だっ!」
「証拠の偽造をするつもりのようですね。無名の探偵など、金銭目的で何でもするでしょう。無名の探偵を金銭で利用しここまで大掛かりに私を陥れようとするなんて、どこか大きな組織が背後にいるようだ」
ギリギリまで追い詰められ、それでも最後の一線で認めようとしない男は、自分の最大の障害である“ブレーン”を暗く睨み付けた。
「この方が何者なのかは存じ上げませんが、本当に警察関係者であるならそれこそ問題です。こんな強行的で、冒涜的な捜査は認められるべきではありません。もはや謝罪も受け入れません。全面的に法廷の場で戦わせて頂きます」
本当に罪を行っていたのなら言い掛かりに近い反論。
確かに疑惑の解消にはなり得ない反論ではあるが、まったく正当性が無いわけでもないのだ。
法の守護。
法に則った制約。
法を利用しての処罰の回避。
自分が罪を行ったかではなく、捜査の違法性を追及して自分の身を守るという、法律を知る者ならよく使う手段の一つ。
だからこそ、神埜源晴の返答は予想の範疇であり、“ブレーン”は眉一つ動かさない。
「まあ、それが罪を逃れようとする人の常套手段ですよね。けれど貴方は今現在進行形で、実際に罪を行っている犯人であるんですから、その犯行を抑えるためであればどれほど強制力を持った捜査でも認められるんですよ。だって、目の前に人を殺そうとしている犯人がいて、明確な証拠がないから何もできないなんてことありえませんからね」
「っ……だからっ、今この場を襲っているコイツらが私の異能による物だなんて誰が証明できると言うんだっ! そんなこと誰にも証明できないだろうがっ! どこの誰とも知らないお前程度の人間がっ、神埜の当主という大きな影響力を持つ貴人に対して人権を無視した違法な捜査が許される訳がないっ! お前や警察程度がこの違法捜査の責任を取るとでも――――」
「――――せ、せせせせ、責任はこちらが取ろうっ」
そうして、当主としての仮面すら剥がれ掛けるほど激昂していた神埜源晴の前に現れたのは、ふくよかな体躯の初老に差し掛かろうかという男性だった。
神埜源晴が選挙で支援し、当選させた人物。
頭が鈍く、御しやすく、自己保身ばかりで大きな行動などできないだろう人物。
散々支援して扱いやすくしていた筈だと、あり得ないものを見るような顔でその議員を見遣った神埜源晴は、必死に目を合わせないように視線を泳がせている姿に表情を歪めた。
どう見ても、この愚鈍な男個人の考えによる発言ではない。
「か、神埜さんっ。貴方がもし無実であれば、このような捜査を認めた責任を取ろう。確かに明確な証拠もなく、強制力を用いるのは許されることではないっ。し、しかし、我が党の基本的な考え方として、異能を用いた犯罪事件に対して屈しないと決めたんだ。もしも神埜さんが異能と呼ばれる力を用いて、現にこの場で罪を行っているなら君の拘束は必要不可欠。未解決事件の解決の糸口が見えたこの機会を見逃すことはできない。だからこそ証拠が出てこないことが確定するまで、君は異能対策部署の監視下に置き捜査することを吞んで欲しい。神埜さんが異能を使うことなく、何も証拠が出てこなければ、君の無実は証明されるからね。だからこの場はどうかその人物の指示に従って……」
「…………貴方も私を疑うのか? 散々支援してきた、この私を……?」
「ち、違うっ、これは現内閣総理大臣の阿井田博文議員からの指示でっ、“ブレーン”と呼ばれるあの者が現れて捜査を行っていた場合、党の考えに相違が無ければ責任を持つから協力するようにとの厳命でっ、私個人としては神埜さんを疑ってなどは……!」
新人国会議員として知られる彼は、この場にいる唯一の政界の人間だ。
こんなことは言いたくないというのをありありと表情に出しながらも、それでも昨夜、自分が所属する党派の長に言い含められたことには逆らえない。
これまでこの男が議員となれるよう支援や便宜を図ってきたのは、一族に不都合が出そうな事態が迫った際の為の保険だった。
特に今回のような事態があった時、警察関係者を抑えるくらいは国会議員であれば容易だろうと考えていただけに、これはあまりに想定外。
大切に温めてきた保険も、必要な場面で機能しなければ無いのも同然である。
周りを見渡せば、ここに居る者達は全て神埜源晴に疑いの目を向けている。
既にこの場には、神埜源晴の敵しかいなかった。
「……襲撃を起こしている犯人の佐取高介がそこにいるのに……すぐそこにいるのに……その男を捕まえずに被害者の俺が疑われるなんて、ありえない……」
足をふらつかせながら、呪いの言葉のように最大の誤算である身の丈に合わない大きなコートを被った人物を見て、それからその人物が掴んで止めている佐取高介を見る。
「証人もいます。依頼したという物的証拠も彼らは持っているでしょうし、貴方が異能を所持しているかの検査も可能です。私は自分の考えを開示し、貴方が望んだ責任の所在も明確化しました―――――さて、何か言いたいことはありますか?」
「…………」
逃れようのない、確定的な証拠を並べられた訳ではない。
けれど、ここまで推理を並べ立てた“ブレーン”という者が主導で捜査をしたとして、証拠が出るか出ないかは誰よりも神埜源晴自身が理解している。
だからこそ彼は、ガリガリと強く頭を掻き、血走った目で襲撃の手を止めている獣頭の怪物達を睨む。
恐怖の対象ではなく、使い物にならない故障品を見るかのように、憎悪と憤怒を込めた目で獣頭の怪物達を見た。
そして。
「…………どうしてだ。どうしてどうしてどうしてどうして、どうして襲撃の手を止めてるんだゴミくずどもっ……! そんな命令をした覚えはないぞ……お前らの存在意義は……獣のように襲いかかることだけだろうっ……!」
「か、神埜さん?」
「まさか、本当に……?」
自白に近い言葉を聞いて、周囲がざわめいた。
落ち着き払った外向きの顔が剥がれ、攻撃的な素顔が曝け出される。
そして、追い詰められた犯人が豹変する姿なんて見慣れている“ブレーン”は、ドロドロとした暗い雰囲気を放ち始めた男を冷たく見据えていた。
「貴方がこの怪物達を作る異能を持っているんですね。異能の所持者は別で、どこかに隔離されている可能性もあるかと思いましたが、そうでないなら話は早いです」
「…………」
さっさと終わらせようという意図さえ感じられる“ブレーン”の言葉に対して、その男は酷くゆっくりと顔を向けた。
憤怒に憎悪。
侮蔑に憐憫。
興奮とともに不快であり、空虚であって諦観もある。
おぞましいほどに多様な感情が渦巻いているのを無の表情から覗かせた男は、酷く気怠げに口を開いた。
「……何も知らない者達は、自分達が理解し得ないものを総称して異能や超能力などと呼称しているようだが、我が一族の悲願であるこの力はそんな矮小なものではない。世俗に蔓延るような俗物的で程度の低い、子供騙しの超越的な力ではないのだ」
「我が一族の始祖が持っていた原初の権能。一族が多くの者達を支配するだけの力を持つこととなった神埜の始まりの王。そして我が一族は始祖亡き後、その力の継承を数百年にわたって手段を問わず求め続けることにもなった悲願の始まりでもある。なぜならその力さえあれば、この国を際限なく繁栄させることも、始祖亡き後我が一族に牙を剥いた愚か者達を処刑することも、我が一族で世界を支配することも可能だったからだ」
「この世には二通りの人間がいる。支配する側の人間と犠牲となる側の人間だ。自覚の有無は関係なく、進歩や安寧の下地には必ずこの二つの分類に区別される。これは古くから続く法則であり、自然現象だ。国家や一族の繁栄の為に、個人が犠牲になるのは当然のこと。全ての繁栄の為に努め続けた我が一族にとって、産まれる犠牲は些事でしかない」
「故に、私達には問われるような罪はない。私達が多くの者達の命を犠牲にしていたとしても、既に一個人の生死などという矮小な問題は私達の罪にはなり得ない。なぜなら私達こそが最も愛国者であり、世界平和の象徴であり、融和を愛する聖者であるからだ。多くの者達を繁栄に導く指導者としての役割が、私達神埜の一族の使命であるからだ」
「神に選ばれた人王の一族……いいや、人が思い描く神そのものが私達“神埜”であり、それ以外の者達は私達を支える犠牲の役割を担っている。それがこの世界の真理であり、法則だ」
ツラツラと口に出された神埜源晴という人物の本心。
それはあまりに先鋭的で、あまりに独善的で、自分本位で他者に犠牲を強いるような思想の数々だ。
紡がれた言葉の節々から、彼が自ら話している内容を心の底から信じているだと理解した者達がゾッと背筋を凍らせるが、神埜源晴はユラユラと体を揺らしながらも視線を“ブレーン”から外さない。
「……“ブレーン”。そんな存在が本当にいるとは思っていなかったが、どうやらそれは私の間違いだったようだ。身の程を知らず弁えも知らない愚鈍ではあったが、その頭脳は確かに脅威だった……だが、神埜を追い詰めるには一歩遅かったな。この状況程度であれば、どうにでも覆せる」
「へえ?」
「もう少し水面下で準備を整えてからと考えていたが」とそう言って、苛立たし気に髪を掻き上げた神埜源晴から異能の出力が滲みだし始めた。
これまでの本心を覆い隠そうとしていた態度を一切かなぐり捨てた男の異様な姿。
身の危険を感じた周囲の人々が思わず後退り、本能的にこの場から逃げ出す方法を模索し騒ぎ立ててしまう。
「赤い化け物に神埜の処刑の歴史だとっ……こ、これは、聞いていた証言と合致するぞ……あの佐取高介の証言に……! ま、まさか本当に彼が話していたことは真実だったのか……?」
「神埜さんっ! それは一体何なんですか⁉ まさか本当に神埜さんが針山旅館殺人事件の犯人なんですか⁉ 神埜の一族の歴史というのは一体なんなのか答えてくださいっ!」
「おいっ、どけっ! 犯罪がどうとかだったら警察とか神埜とかが好きに争えば良い! 化け物が跋扈するこんなところにこれ以上いられるか! 関係の無い俺はさっさと帰らせてもらう!」
「いや、それより異能対策部署へ救援要請は出しているのかっ……? 針山旅館殺人事件の犯人がアイツならまず間違いなく異能とやらが関わっているだろうっ……早く駆けつけてもらわないと……!」
「……ずいぶんと騒がしいな」
だが、それは既に意味のない行動だ。
状況を理解し騒ぎ出した周囲を一瞥した神埜源晴は不快そうに眉尻を歪めた。
「ああ、まだ理解できていない者達がいるのか。……この地に足を踏み入れた時点で、自分達が神埜の贄に選ばれたのだと、まったく理解できていない知性の欠片もない者達が」
そう言った瞬間。
この場で微動だにすること無く静止していた獣頭の怪物達が破裂し、赤い霧へと変わり果てる。
ほんの一瞬で視界が真っ赤に染まったことに至るところで驚愕の声が上がるが、さらに地面の底から何かが迫り上がって来たことを示すように足下に土が真っ赤に染まっていく。
赤黒く、滑り気を含み柔らかい。
地面から迫り上がってきた赤が、瞬く間に形を為し、様々な姿の怪物を作り始めた。
作り出されていく怪物達は大小様々。
膝丈程度のものもいれば大木のような巨大なものも居る。
どこか人や動物達を象ったものから、この世には存在しないような生物までがそれぞれ独立して動き回っている。
現代的な感性で作られたと言うよりも、様々な時代で思い描いたと思えるようなそんな怪物の数々。
怪物と呼ばれるものの歴史変遷を具現化するならこうなると言うような、そんな光景が赤い霧の中にさらに次々と現れていく。
その数はもはや数え切れない。
「ここは神埜の地。我が一族の領土。積み重ねてきた一族の歴史が眠る場所」
「世界の理も知らない程度の人間が、この地に足を踏み入れて逃げられることなどありえない」
「千三百年前に世に顕現し、誰もが逆らうことのできなかった圧倒的な権能を貴様らに見せてやる」
まっかに染まった地面から立ち昇る、瘴気と呼ばれるようなものに近い異能の出力。
あまりに出力があるが故に、異能を持たぬ者すら視認できてしまえるソレ。
異能を持たぬ者にとって、目視できてしまった暴力的な異能の出力は、あまりに禍々しく、あまりに凶悪な、悪意を持った自然現象だった。
同時に異能を持っている者には、この山自体が人間の心臓のように巨大な異能の出力を放出しながら脈動しているように見えるだろう。
際限なく立ち昇り続ける異能の出力によって、さらに次々作り出されていく怪物の数がこの場の人の数を完全に上回る。
「血を捧げろ。貴様らの血肉全てを贄として、世界に広がる手懸としよう」
神聖な霊山の全てが反転する。
山の全てが赤に包まれ、無数の怪物達が人々に襲いかかった。