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まっかな山のまっかな嘘を

大変遅くなりました…何とか更新することができましたが、文字数マシマシとなっていますので時間があるときにゆっくりお読みくださればと思います!


それから、ほんのちょっとだけホラー要素がありますのでご注意ください!

 




 流れる景色の中に白い雪が多く残っているのが見える。

 ずいぶん多くの雪が降ったものだと思いながら、ほとんど初めてと言っていいだろう新幹線を使った移動に私は落ち着かない気持ちで周囲を見回した。

 新幹線内も天候や環境が異なる土地も、どれも私にとっては物珍しく、少しだけ目的を忘れて目に映る景色を楽しんでしまう。


 遠出なんてしたことない。しようとも思わなかった私にとって、肉眼を通して入って来る情報は何もかも新鮮だった。


 基本的に旅行をしない主義の我が家では修学旅行以外に東京の外に行くような用事も無く、私も“精神干渉”の異能を使った第六感での探知以外では遠出なんてありえなかった。

 だから初めての新幹線の乗り継ぎは少しだけ難しかったし、ちゃんと目的地にたどり着けるのか不安もあったために、少しだけ挙動不審な動きをしていたのだろう。


 そんな私を、頭に響いた機械的な音声が正気に戻す。



『御母様、旅行は不安カ? 見知らぬ土地に行くというのは確かに不安かもしれないが、マキナがついてるから安心していいゾ! 必要な物や目的地まで経路なんかもマキナがしっかり案内してやるからナ‼ 目的地まであと二駅! 時間にして二十六分ダ!』


(……マキナはいつもにも増して元気だなぁ)


『ムンムン! マキナは旅行みたいな、情報を調べ上げる必要がある時こそ真の活躍ができるんだゾ! ついにマキナの真の活躍が発揮されるのは嬉しイ! なのに御母様は、基本的に引きこもりだかラァ……』


(らっ、ラァってっ……その呆れた感じの語尾何なのっ⁉ うるさいっ、家から離れたくないだけで私は別に引きこもりじゃないしっ……! というか、これは別に旅行じゃなくて私のお父さんの無罪を証明する為の証拠集めなんだから、もう少しマキナは緊張感を持ってほしいなってっ……)



 家族に掛けられた嫌疑を一刻も早く晴らしたい私とは異なり、マキナという電子生命体は気楽に私の遠出を楽しんでいるような節がある発言ばかりする。

 マキナにとって自分を生み出した私だけが重要で、それ以外の事象は些事なのかもしれないが、それでも私の家族のことなのだからもう少し緊張感を持って言葉を発して欲しい。


 最近マキナは度々桐佳について話していたから(ほとんど愚痴というか文句ばかりではあったが)、割と私の家族に対しても親近感に近いものを持っているのかと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。



(……とはいえ、緊張してばっかりでも気が滅入っちゃうのは確かだし、マキナが私を気にしてあえて気楽な感じで振る舞ってくれているんだったら私は感謝しないとなんだけども……)


『――――ちなみにナ。観光名所と呼ばれる場所は針山周辺にはほとんどなくて、針山内に立ち入らないことには有名な絶景には巡り会えないゾ。折角だから行ってみないカ? マキナいっぱい案内するし、いっぱい写真保管もすル!』


「……ふう、絶対にそんなこと気にしてくれてるとは思えないね。マキナはアホの子だから私がしっかりしないと……」



 そんなことを言いながら、絶景スポットと呼ばれていた過去の針山の写真を見せつけてくるマキナを見て、私は自分がしっかりしなければとグッと気持ちを引き締め直した。



(……マキナから聞いたこの事件というか、お父さんが神楽坂さんへ話していた内容を考えると、過去の殺人事件に異能っぽいなにかは関わっているみたいだし……油断はするべきじゃないよね)



 警察の動きを監視させていたマキナから届いたお父さんの証言。

 お父さんが未解決事件である【針山旅館殺人事件】に関わっていて、その殺人事件を起こした犯人を見ていたという私もこれまで知り得なかった話。

 その情報から得られる犯人像は本当に断片的なものだったとはいえ、話の中にあったその現象は異能に近い形をしているように私には思えた。


 その話の中で特に顕著だったのが、【まっかな怪物】といわれた存在である。



(……時には人型で、時には四足歩行で、時にはこの世の生物のどれにも該当しないような異形の怪物だったって話だけど……単純に考えるならあの“死の商人”みたいな分身系統か、それともサイコパス看護師みたいな手下を作り出す系統か。どちらにしても対処が面倒くさい異能が潜んでいる可能性は拭えない。現場に行ってみてみないことには判断が難しいけど…………うーん……)



 そう考えながら、私は自分の異能の感覚を確かめていく。


 胸部から送り出される異能の出力が、一部の乱れもなく頭部へと送られる。

 異能出力の操作性も、起動も行使も全て問題なく、いつも通り良好である私の異能の状態。

 疲労や不調を微塵も感じさせない、自分を決して裏切らないこの力の感触は、お父さんという身近な大人の危機的な状況に抱いていた、私の不安な気持ちを和らげていくのだ。



(……中学からのブランクはともかく、ここ一年はかなり異能の酷使をしているつもりだったけど全然状態は良い。ううん、むしろ……)



 ここ一年私は多くの犯罪事件に遭遇し、異能の度重なる酷使が続いていた訳だが、私の才能はそんな過酷な負荷にも負けず、摩耗や消耗といったことはなかった。

 今もいつも通り出力は完全に抑え込めており体の外から感知されることはないだろうし、出力は弱っていないどころか飛躍的に向上しているのが手に取るように分かる。

 神楽坂さんと出会った時が自分を中心として半径五百メートルの範囲が読心距離であったが、今の私であれば十キロメートル程度までは届かせることができる自信がある程だ。


 私のチビチビとした進捗の体力増強計画とは正反対に、伸ばす気の薄かった異能の力がメキメキと成長しているのはいっそ皮肉だろう。



(今の成長した私の状態なら大抵の異能持ちを相手取ることになっても大分楽に立ち回れそうだけど……まあ、私の異能は精神に干渉するだけの力。どれだけ強力になったところで物理現象を前にすれば抵抗する手段がないし、一歩間違えれば為す術もなく倒れちゃうんだから結局出力の大小なんて誤差みたいなものだよね。さて、異能の調子は良好。これでどうやって厄介な現象に対処するかなんだけど……)



 私の異能の場合重要なのは、出力の強さではなく手札の多さ。

 力押しではなく、相性の良い手札を先出しで行うからこその私の異能の強さなのだ。

 だから、これまでのように準備に準備を重ねて、相手を知ることこそが私にとって何よりの必勝法であることに変わりは無い。


 つまり、異能の調子を整え、手札を揃えてある今の状態でするべきことは一つだ。


【針山旅館殺人事件】で判明している事実から使用されたであろう異能を逆算する。

 或いは、これから行く場所の地理情報を少しでも頭に入れて有利な立ち回りができる準備をしておこうと、私は自分の鞄からいくつかの紙を取り出して確認していくことにした。


 地理的な情報。事件の関係箇所。

 そして、広まっている事件詳細と簡単に目を走らせた私は、ある一つの点で視線が止まった。



「……これさ、針山って名称。昔はほとんど使われてなかったんだね? 針山旅館殺人事件って名前が凄く有名なのに変な話だよね……」



 目的地であるその場所を、私は自分が集めた資料に目を通しながら呟く。

 図書館の資料やマキナに集めて貰ったネット情報をそのまま印刷したものに軽く書き込みを入れただけの稚拙な私の資料だが、それでもこんな疑問点を浮き上がらせるくらいの効果はあったりする。


 事件の内情には直接関係の無い疑問点なのかもしれないが、それでもこれから向かう場所の背景を少しでも知ることができればとそのまま考えを巡らせる。



「以前の名称の神埜かみの山っていう名前の方がこの事件以降使われなくなってるのは何かしらの意図がありそう。事件に関係があるかという微妙だけどね……うーん、神埜、神埜かぁ。どこかで聞いたことはある気がするんだけど、文字で見たのは初めてだったかなぁ……? 私結構記憶力ある自信があったんだけど、中々思い出せないなぁ……」

『ムム……まあ、マキナはそういう人の思惑的なものに対しては詳しくないが、神聖な名前を血に濡れさせないようにという考えはありそうダ。神の字は尊きものの意、埜の字は自然の意ダ。あからさまに宗教的な色が強そうな名だとマキナは思うからナ』


(……それはありそうなんだよなぁ……名前が変わってることを考えると、宗教的というか、土地の迷信的なものというか、そういうのが絡んで情報が変化してる可能性も読み取れる。つまり、出回ってる情報は正しいものだけじゃなくて、都合の良いように捻じ曲げられている可能性がある訳で。そうなることを望んだ立場の人がどこかにいる。可能性として高いのは、この家の人達かな。あ、え、でもそんな露骨なことってあるのかな。でも実際にソレで成功している訳だし変に疑われているような話も聞かないから…………ううん、ややこしい……)



 針山、あるいは神埜山。

 その歴史は古いらしく、その地を統治した神埜という家系がこの霊山の管理をしていたという話は昔の書物を調べるとすぐに出て来た。

 だが、その神埜家という一族がいったいどんな家系で、どんな働きをしていたのか書かれたものは何処にも資料として残っていなかったし、マキナによってネット内情報を探させても見つかることは無かったのだ。

 つまり、神埜というのは確かにこの事件に深く関わる名前ではあるのだろうが、現地に行ってみるまでは神主や巫女といったものだろうとして考えておくしかない。



(今を生きる異能を持つ奴らの対処だけで厄介なのに、もう生きていない過去の異能持ちのことも考えなくちゃいけないなんて……)



 いっそ袖子さん辺りを連れてくれば喜んで調査をしてくれたのだろうかなんて、今は学校で授業を受けているだろう友人に想いを馳せる。

 あの野生動物的な直感と不可解な事象に対して強い好奇心を持つ彼女ならきっと、目を輝かせながら意味わからない情報を分捕って来るに違いない。

 そんなことを思うから、事情を話して協力を仰げば良かっただろうかと、今更になって若干後悔してしまう。


 まあつまるところ、こうして色々急ごしらえで用意してはいるのだが、私は今回の自分の準備不足をこれ以上ないほどに自覚していた。



(分かっていたことだけど情報が足りない……。そもそも調査しようと思ってた事件じゃなかったし、全く関係のない終わった事件だと思ってたから一般的に知られている以上のことは知らないしなぁ。もっと世の中のいろんなことに興味を持つべきだった。…………それにやっぱり、こうして行動に移す前にせめてお父さんの心を読むべきだったのかな。色々隠していたのは判明した訳だったしな。まあただ、私達には知られたく無さそうな雰囲気だったし、家族には異能を使わないっていう私の信念を曲げてまですることではない気がしたんだよなぁ。できる限り早い行動をしたかったし、仕方ない部分もあるけど)



 これは自分の身近で起きた事件ではない。

 目の前で現場を見た訳でも、犯行に使われた異能を感知した訳でもない。

 完全に無関係で、吹雪の中でほとんど消えてしまっている足跡を探すような、そんな状況。

 普通であれば何の情報も持っていない私ができることなどほとんどありはしない。


 とはいえ、である。

 私は人の心を操るというズルができて、ある意味情報をたくさん持っている警察以上の解決策を持っているのは間違いないので全然八方塞がりになるだろうとは考えていなかった。

 いざとなれば、色々知っているだろう地元の人達を纏めて洗脳して情報を湯水のように吐かせれば解決するし、犯人を見つけ出しさえできれば自白させることも容易。


 足りないものは現場で調達すれば良いし、それが出来るだけの力が私にはある。

 私の精神干渉は、制限のない腹の探り合いのような場面では無敵だ。

 だから、今回みたいな知っている人が全くいない土地への殴り込みでも、誰にも疑われる事無く潜入が出来てしまう。


 ……まあ、実際に知っている人が全く居ない土地への殴り込みなんてやったことはないので、理論上の話ではあるのだが。



(神楽坂さんにお父さんの身近な部分をフォローしてもらって、飛鳥さんにも一言くらい言っといた方が良いよね。あと場合によっては、あの政治家のお爺さんに連絡を取って本当に味方として動いてくれるのかの確認をしても良いし……あ、そういえばマキナ、アレはどうだった?)


『御母様の父に関する証拠を提出した奴のことだナ? 雨居紘一あめい こういちという四十代の男らしいが、コイツを見つけ出して連絡手段の諸々を確認した結果外部からの依頼ということが分かっていル。コイツ自身は過去の事件には何も関係なイ。自称探偵業をしている奴ダ』


(外部からの依頼した奴ね。依頼者とそのへっぽこな探偵さんの足取りは……?)


『勿論、外部から依頼した奴も、証拠品を提出した奴も、マキナによって端末を監視中で位置情報を捕捉してル。今はどちらも針山旅館周辺で動きありダ』


(ふうん……私の家に直接手を出してきてないのが分かれば良いや。どっちも目的地近くにいるのならそれは好都合。引き続きマキナは私の家族に攻撃があった際は即座に反撃してね)



 私の異能であれば見知らぬ場所に突撃をかけても上手く立ち回れるだろう。

 だが逆に、私以外に異能を持っている人が遊里しかいない家族周りのことを考えると、神楽坂さんと飛鳥さんを計算に入れても、我が家周りの危険が高まるのも事実。


 家族周りの防衛がおろそかになる。

 それは私にとって見過ごせないものではあるが、だからといってお父さんが冤罪という間接的な攻撃を受けているのをただ見てはいられない。

 だからこそ私は、マキナに敵の位置を補足させつつ出来る限り迅速に、再び表舞台に上がろうとする二十年前の未解決事件を解決する必要がある訳だ。



『ムッ、もう少しで目的の駅に到着するゾ! 目的地まであと十分! 降りる準備だけしておくんだ御母様!』

「……どうしようかな……まず何処から攻めるべきか……」

『勿論黒幕がいるだろう事件現場に突撃ダ! やるぞ御母様‼ 全員をギタギタにしてやろウ! マキナと御母様がいれば最強ダ! ムンムンムン!』

「……じゃあそろそろ降りる用意しないと。えっとえっと、リュックよーし、コートよーし、出してた資料の片付けよし。忘れ物は無い、筈。え、無いよね……? あ、チケットってどこだっけ。ちょ、ちょっとまって不安になってきた。わ、わ、わ、忘れ物は……!」



 初めて一人で乗った新幹線。

 勝手の分からない私は、結局慌ただしく荷物をまとめながら目的地でバタバタと降車するのだった。





 ‐1‐





 無事に新幹線を乗り継いで、最寄りの駅から数十分歩いた場所にある大きな山。

 ぐるりと一周囲うようにしめ縄が巻かれた木々が立ち並び、あたかも禁足地のような様相を見せているその場所が、私が向かっていた針山と呼ばれる地である。


 針山は昔、神秘的な雰囲気を纏った霊山として有名で非常に多くの観光客に恵まれていた場所だ。

 だが、二十年以上前に発生した凄惨な殺人事件からその賑わいは消えて無くなり、忌避される場所と変わり果ててしまっている。

 その地で数十人規模の死者が出た殺人事件が未解決であったことを考えると、それはまあ当然の事なのかと思うし、私はその部分には特に疑問は持っていない。


 だが、その部分を当然と捉えていたからこそ、私がその針山に辿り着いた時、ちらほらとこの地の人ではない者達の賑わいがあることに驚かされた。



「……人が多いってほどじゃないけど、何か数人観光客らしい人がいない? 未解決の殺人事件現場なんだけど、なんでこんなところに……?」

『年月は人間に忘却を促すものダ。当時の恐怖は既に好奇心へと変化を遂げて、歴史、ミステリ、オカルト。それぞれの好事家やライターが未解決事件に神秘性すら感じて訪れるようになっているんだろうナ。ククク、人間はあまりにも愚カ……』


(えっ、昔の私の中二病思考に近付いてるような発言っ。あ、あのね、正直私のダメージにもなってるし普通に控えて欲しいというか、最近ファンクラブみたいな変なの運営して会員一人増えるごとに一喜一憂してる姿を見てる私から言わせてもらうと、マキナだけには人間は愚かとか言われたくないと思うんだよなぁ……)


『アっ! アっ! 御母様今酷い事考えタ! マキナに対して酷い事考えタ!』


(……取りあえず、この山全体を網羅できるくらいの感知能力なら今の私にある筈なのに今のところ異能の出力は全く感じないなぁ。異能の関わらない案件なら楽ではあるけど……どうなんだろう)



 マキナの抗議の声を無視した私はさっとこの山の状況を確認する。

 一応山全体を立ち入り禁止にしているとはいえ、別に入ること自体ができない訳ではない。

 フェンス柵のようなものもないし、木々に張られたしめ縄だって何かの侵入を妨げられるようなものでもない。


 その上、車両が入れるよう木々と土を軽く整えられた道すらあることから、恐らくどこからでも入ろうと思えば入れる程度の封鎖なのだろうと思う。


 名目上だけで物理的にはされていない立ち入り禁止。

 まあ、山全体を封鎖なんてする労力を考えれば仕方ないのかもしれないが……。



(なんだか露骨な気はするよね……侵入されても良いというか、むしろ興味を煽っているような。そんな感じの意図が見える気もするけど、流石に考えすぎかな? こんな感じの曰く付きの場所って、冒険したい気持ちを抑えられない若者とかが集団で肝試しとかしそうだけど、そんなことないのかな……?)



 山を興味深そうな様子で眺める数人の観光客のような人達。

 この場所に少なからず興味を持っている人達であるため、私は少しでも情報になればと読心を使って彼らの思考を確認しつつ、どこからこの山に侵入していこうか探していく。



(参考になりそうな考えを持った人はいないね。本当にただの興味本位の人達みたい。ちょっとこの場所に入ってやろうかみたいなことを考えてる人もいるみたいだけど……まあいいや、取りあえず様子見するよりも現場まではどんどん先にいこう)



 派手な格好をしたそんな四人組には関わらないように、できるだけ距離を取って彼らの背後を通り過ぎた私は自分を認識させないよう異能を行使しながら、しめ縄を潜り森の小道に足を踏み入れたのだ。


 今は陽がもう徐々に傾き始めている時間帯だ。


 未知の世界。人々が容易く立ち入れない新緑の景色。冷たく清涼な空気が満ち、鳥の囀りが響く禁足地という名の聖域を私は一人歩いていく。

 人の気配が微塵もない、大きな木々の隙間を通る道というのは確かに絶景と言っても差し支えないのかもしれないなんて思った。



「…………山道とか歩いたのなんていつ以来だろう。既に若干足の疲労があるような……例の旅館はそんなに山頂じゃなかった筈だけどあとどれくらいで到着するのかな。異能の対策とかは事件詳細の資料とかの準備はしてたけど、山登りの準備なんて全然してなかったよ…………あれ、道が?」



 大きな木の根を踏み越えながらしばらく森の小道を進んでいくと、苔むした石段に真っ赤な鳥居が延々と連なっている道にたどり着いた。

 神様の通り道と呼ばれる物にも見えるそんな石段の道を前にして、私は思わず足を止めてじっと観察してしまう。



(む、正式な参拝コースに合流したカ。御母様、その道を通った先が針山旅館と呼ばれる場所だゾ。距離にして二百五十メートル程度ダ)


「あー……これが観光客が針山旅館に向かうための正式な道だったんだね。なるほどね」



 石段の両側に平行するよう並び立てられている小さな祠の数々。

 お地蔵さんのような像もいくつか点在しているし、ひのきや松、さかきなどがこれ見よがしに植えられている光景は圧巻だ。

 過剰なくらい神性を強調するものを溢れさせたこの場所は一見すると確かに、世間一般的に言われたというように、“神域”と呼ぶに相応しい場所のように思える。

 この場所が一般に開放されていたのなら、確かに多くの観光客が訪れることは不思議では無い。

 美的感覚がそこまで鋭くない私でさえそう思うのだから、きっとこの“聖域”は正しく神聖で美しい場所なのだろうと思うのだ。


 だが、である。



(神聖さってここまで過剰に押し出すものなのかな。……うーん、こういう場所の普通は分からないけど、なんだかわざとらしい気がする。【人が嘘を吐く時】と同じようなものを、この場所から感じる気がする……)



 だが逆に、どうしてこんなにも神聖を訴えたいのだろうかと考えると、私にはどうにもここにある全てが疑わしく見えて仕方なかった。


 全てが騙りで全てが偽物。

 神の名を騙り、自分達の立場を堅持しようとする紛い物達が必死に作り上げた虚構。

 何の中身も無い、私がよく見る人の内面そのもの。


 聖域と呼ばれるこの場所が、私にはそんな風に見えてしまったのだ。



(……私、なんだかここ嫌いだな。早く全部終わらせて帰りたいかも……)



 マキナの解説を聞き流しながら、私は止めていた足を動かして石段の道を上り始める。


 周囲を見渡し、異能の感覚を鋭敏に。

 それでも、どこまで警戒して周囲を気にしていても、異能の探知能力を最大限まで張り詰めさせていても、この場所は不気味なまでに何もない。

 未解決の殺人事件があった場所とは、異能の存在が関わる場所とは思えない人気が一切無いこの場所に、私は薄気味悪いものを感じてしまう。


 なんだか異能探知には未だに何も引っかからないし近くに人は見当たらない。


 そのことがだんだんと怖くなってきた私はキョロキョロと周りを見渡しながら、両手の指をふにゃふにゃと組み合わせる。



「こ、ここ、お化けとか出てきそうじゃない……? え、もしかして異能とかじゃなくて、そういう心霊現象が関わってる可能性あったりするのかな? そ、そういうのはちょっと、私の専門外かなーって……や、やっぱり神楽坂さんにはこっちに助けに来てもらった方がいい気がしてきちゃった」


(もー、御母様ってバー。お化けなんて非科学的なもの、この世にはないだロー。そんなの信じてるのカ? ププフー)


「……ひ、非科学の権化みたいな奴が何か言ってる……」



 木の葉の揺れる音、鳥や虫の鳴き声。

 それだけの音しかしない、都内の日中では到底考えられない静寂に包まれた世界の苔生した石段を私はぷるぷる警戒しながらもひたすら登っていった。


 そうして、静かな石段をしばらく登り続けて十分程度。

 ようやく私の視界に、目的地である旅館が見えてきたのだ。


 霊山に建設された和風建築の宿。

 古風でありながら、清廉とした佇まいを維持している二階建ての大きな旅館。

 多くの人の命を奪い、私のお父さんが疑われている未解決事件の現場となった、【針山旅館】その場所だった。



(無事到着できた。事件現場の針山旅館がこれかぁ。立ち入りできないように封鎖されてはいるけど建物の中で作業している人は居るみたいだし、なんなら鍵も掛かってなさそうだから入れはしそう。ただ、事件現場となった場所に核心に迫るような証拠が残っているかと言うとなぁ。取り敢えず旅館の中の人は掃除とかをしているみたいだけど……気を付けないと)



 チェーンで周囲を囲われているその古ぼけた旅館。

 見るからに古さは感じられるものの、門や塀、庭園の池、また植栽の景観はしっかりと整えられており、古さすら趣として捉えられるように設計されている。

 そんな整えられた形容を外から眺めているだけにもかかわらずじんわりと嫌な予感を感じてしまう。


 私はこの場所から異能の出力を探知していないし、異能に近い現象も発見できていない。

 具体的な危機感の元を見付けられていないのに、なんとなく直感的に嫌な場所だと思うのはきっと殺人事件の現場となった場所だという先入観故なのだろう。


 だが、いくら直感的に嫌か予感を感じていても、お父さんに妙な疑いが掛けられている中で足踏みしていられない私は、さっそく強引な侵入を試みた。


 私は探知と読心を広範囲に広げながら、自分を起点に異能を行使する。

 認識されないように、人や物に情報として残らないいつものやり方で、いつかぬいぐるみの館に侵入した時のように変に音を立てないように細心の注意を払って足を動かす。


 侵入は簡単だった。

 この場所を囲っていたチェーンも形だけの物だったし、旅館はどこにも鍵が掛かっておらず入る場所には困らなかったのだ。


 そして意外にも中は綺麗に整頓されており、スリル的な面白さを求めた柄の悪い人達の溜まり場になっている様子も無い。

 すぐにでも営業を再開できるのではと思うくらい、綺麗に整えられているこの場は、多くの人に忌避され使われなくなった旅館としては妙である。



(うーん。まるで直ぐにでも営業再開するつもりなんじゃって思うくらい綺麗だね。埃もないし、壁と床とか天井にも破れとかがない。もう二十年も前の事件から営業停止してる旅館には全く見えない……)



 もう使わない旅館なら取り壊し、ないし完全な放置がされるべき筈。

 そう考えたとき、つい先日あったお父さんの出来事が私の頭をよぎった。



(……ここの経営してる人達は犯人となりえる人を見付け出せて、この旅館の営業再開に合わせて良い話題を作れるっていう確信があったってことなのかな? その犯人となる人物がお父さんなら、この旅館を経営している人達がより一層疑わしいことになるよね。また旅館として使おうとして整理しているこの場所に過去の事件の証拠となる物は残ってなさそうだし、ここの調査は無駄足になりそうだけど……)



 それでもまあ、と。

 一通り旅館の部屋は回ろうと視線を巡らせたタイミングで、私は誰かが大階段を降りて来るのが見えた。


 清掃作業員風の服装をした、二つの人影。

 事前に探知していた二人の登場に私は焦ることなく物陰に身を隠し、小さな声で喧嘩をしている二人の様子を観察する。



「本当にこの場所怖いんですけどっ……! 過去に殺人事件があったこんな場所なんて普通の人は来ないって……! なんで雨居叔父さんはあんな依頼を受けたんですか!」

「仕方ないだろう、お金が無かったんだし。怪しいとはいっても、実際に逃げる姿が映像で残っていて、しっかりとした証拠だった。そして、依頼主からの未だに捕まっていない犯人と思われる人物に警察を通じてに見付かるのが怖いという話は理解できるものだったじゃないか」

「それは……そうなんですけど」



 少年とも言って良さそうな声の片割れが、もう一人の男性に対して不満をぶつけている。

 不満を示した少年を宥めるようにもう一人の男性が丁寧に説明するものの、何か思うところがあるようで少年は納得できなそうに口をへの字に曲げた。



「だから俺がしたのは、映像を警察に提出しただけだ、依頼人にとってはお金で解決できる相手であれば誰でも良かったんだろう。だからこそ俺も変な間違いがあったら悪いと思ってこうして現場で事の真偽を確かめに来ているんじゃないか」

「事の真偽なんてかっこよく言っても、清掃の依頼が出てたから取ってきただけじゃないですか! それにたかだか、無名の探偵に警察に事件証拠を届けるだけで二桁万円の報酬の依頼なんて普通じゃないですし、ちゃんとした証拠があるならもっと別なところに依頼しても良いんじゃないかって…………も、もしかして雨居叔父さん、超能力の絡む事件を調べてみたいって前々から言ってたけど、ここを調べるためにわざと胡散臭い依頼を受けた訳じゃないですよね……?」

「…………超能力犯罪。興味深い話だろう? いずれにしても、これから探偵として食べていくためには避けられない存在だ」

「超能力なんてもの、単なる無名探偵の叔父さんには絶対に手に負えないって……」



 丸眼鏡を掛けた少年と中年程度の男性というヘンテコな二人組。

 年の差はあるようなのに、親しい間柄のようなやりとりを交わしている二人は単なる仕事仲間ではないのだろう。


 そして、彼らの顔に見覚えはなかったけれど、彼らの会話の中に出てきた名前は私には覚えがあった。



(雨居……? もしかしてあれが?)

『ああ、そうダ。警察に妙な証拠を届け出た奴だナ』



 ひげを生やした売れないヘンテコ探偵。

 汚れた清掃員のような服装をしているせいで実年齢よりも幾つか老けて見えているだろうが、それでも神楽坂さんよりも一回り程度年上だろう男性の素性を理解した私はじっと観察を続ける。


 私のお父さんを苦境に追いやっている原因の一人をじっと物陰から見詰めていく。



『元凶その一を早速発見だナ! 取るに足らない小者とはいえ御母様の父を陥れた悪の一端ダ。ボコボコにしてやろう御母様……!』

(……そうだね)



 私の敵。

 私の家族の敵。

 私のお父さんを追い詰める存在の一端。


 ドロドロとした悪意が自分の胸に広がって、ズキズキと頭に痛みが走り始める。

 指先一つだって動かす必要なく、報いを受けさせることができる状況であるのだからと、私は衝動的にこれまでの犯罪者に対して行ってきたように自分の異能を起動させようとしたのだ。


 だが異能を使う直前になって、私はふと妙な引っ掛かりを覚えてしまった。


 自分の衝動的な悪意が、根拠もない私の心の何かに引き留められた。

 だから私は少しだけ理性的になって、自分の悪意による異能の起動を取りやめる。



(…………あれは、なんていうか、考えなしに依頼受けた駄目な人って解釈で良さそうかな……? 異能の出力は感じないし、お父さん個人を陥れようという考えもなさそうだし、アレに対して感情任せの思考停止で攻撃を仕掛けるメリットは薄いと、思う……)

『エッ⁉』



 マキナから驚愕が伝わってくるのをよそに、私は冷静に、もう一度清掃作業員のような恰好でお粗末な潜入をしている二人を見た。

 服を用意したり、危険そうな場所に乗り込む行動力こそ立派ではあるが、それ以外の何も足りていない、私が憎むべきお父さんを陥れようとした者達の一端。

 だが一端であるだけで首謀者ではなく、こいつらを叩いた程度で事態は何も変わらない。

 むしろこいつらに何かあったら、警察からお父さんへの心証は悪くなる一方だろうと判断する。


 もちろん、この二人を叩き潰すのは難しくないのは間違いない。

 けれど、私の異能であればそれよりも有用に彼らを使えるのだからと、自分の逸りそうになる気持ちを、理性を持って抑え込むことにした。



「……直接攻撃して叩きのめすよりも……お望み通り、情報収集役として利用させてもらったほうが良いと思う。そっちの方が利用価値があるし、事態収束のための近道になる」

『むぅ……まあ、マキナはそれでも別に良いと思うが、そういう我慢はよくないんじゃないかとマキナは思うゾ』

「我慢じゃない。敵を間違えて情報を落とすのが一番不利益な事態だからこそ。私が今倒すべき敵は利用されただけのあんな小物じゃないってこと」



 私の精神干渉による他人からの情報収集は、別に心や考えを読むだけに限られない。

 自分達の仲間と私の存在を誤認させ、自主的に情報を吐かせるという手段も存在するのだ。

 手間も時間もかかる訳だから普段使いはしないが、人気の無い見知らぬ土地でのこの二人は私にとって情報を抜き出す以上の価値がある。


 肉壁や情報収取をするデコイとして、或いは大怪我しても構わない障害物として。

 私は、清掃作業員のような恰好をしている二人の認識に干渉を仕掛けることにした。



 《探偵業を営む四十代の男達の下には助手として働き出した少女がいる》

 《この場所に来たのはその三人でその仲は悪くない》

 《自分達は助手の少女の発言に違和感を持たない》


 《助手の少女の名前は————山田沙耶》



 取り敢えず、私は二人の認識をこんな風に塗り替えた。

 それから、以前高い買い物となってしまった男物のコートを着込みながら何気なく二人の隣に歩み寄り会話に参加する。



「お二人の体調は問題ありませんか? どうにも立地というか、環境というか、気分の問題なのかもしれませんが、ここにいると少し気分が悪い気がするんですよね」


「――――山田さん分かります! そうですよね、何だかちょっと肩が重いというか……空気が悪いような」

「――――山田ちゃんはともかくりょうの方は、認知バイアスとかプラシーボ効果の類だと思うよ。涼は思い込み激しいからさ」

「な、なんだとぅ⁉」



 私の声掛けに対して当然のように返答する。

 私という存在が元々隣にいたかのように、私という存在が自分の過程に入り込んだことにこの人達は何の違和感も抱かない。

 何の疑いも無く、私の話し掛けに対して親し気に応じる二人。

 この場所に二人で来た筈の彼等にとって、既に私は昔から知る親しい間柄のように思ってしまっているのだ。


 本来の関係性を考えればありえないが、私の異能の結果としては当然。


 もうこの二人は私を信じて疑わない。

 私の精神干渉という異能によって、彼らの認識はその形に変質させられたからだ。



(――――成功。さて、どう誘導するべきかな)



 木を隠すなら森の中。人を隠すなら群衆の中。

 そんな基本的な戦略から自分の身の安全性を高めた私は、彼らの行動を自分のやりたいよう方向へ誘導しようと提案する。



「この旅館で何も情報が見つからなかったとなると、あとは神埜とやらの屋敷を見に行く必要がありますよね」

「まっ、そうだな。元々外部業者に清掃依頼を出している以上まともな情報が旅館に残っているなんて考えちゃいなかったが、結局は山田ちゃんが言っていたように神埜の本家を探ってみないことにはどうしようもなさそうだな。今日はもう暗くなってきたから一旦下山するとして、明日屋敷の方に清掃完了の報告にいく時にでも、軽く神埜の屋敷内調査をするか」

「ま、まあ、山田さんが言うのなら間違いなく神埜の屋敷を調査するのが良いし、最善なんだろうとは僕も思いますけど……」



 無意識的に私への信頼を強固なものとしている二人は特に逆らうことなく、私の提案の通り動こうとする。

 だが懸念はあるようで、難しい顔をした眼鏡の少年は恐る恐る私とヘンテコ探偵の顔色を窺いつつ、声を上げる。



「ただ……神埜の家は普通に人が住んでる家の筈ですよね? もしかして、雨居叔父さんが注意を引いてる間に僕達がこそこそ屋敷中を探し回るんじゃ……や、山田さんも出来れば、雨居叔父さんにここの調査を諦めさせるよう誘導してくれると僕はとっても嬉しいなぁなんて」

「神埜家は最近この旅館の清掃依頼を出していたり、出歩くのを見かけなくなったとか不審な情報が一杯あったし、見に行くのは前々から話してたでしょうに。それでも着いてくるって意固地になってたのは涼自身だろう。まったく……」

「なぁっ……⁉ あ、雨居叔父さんから目を離したら勝手に野垂れ死にそうだからだよ! 僕がいないと危ないことばっかりするんだから!」

「はいはい。まあ、何も情報が見付けられなかったらそれまでだよ。必ずしも真犯人は別にいるわけではないし、危険が無い範囲で事実確認できれば良いと思っていただけだからさ」

「そっ、それならまあ、いいですけど……」


(……私とは事件解決に対する熱意が違うのは分かってた。この二人に事件の真相を絶対に見付け出さ無くちゃいけない理由は最初から無い。自分の後始末が動機みたいなこと言ってたけど、所詮は自分の罪悪感解消)



 その事実に若干腹が立ったものの、それでも、と自分を落ち着ける。



(まあ、元々この人達が神埜の屋敷に報告に向かう予定だったのなら好都合。この二人についていけば違和感なく屋敷に入り込めるし建物の構造も把握しやすそう。事件解決の熱量とか関係なく、徹底的に私の調査の足掛かりとしてだけ利用させてもらえばいい。……外部業者を本家に招いて報告させるほど開放的な一家だったってことは想定外だけど。神埜の家って勝手に閉鎖的なイメージを持ってたな。まあ、いっか……それにしても、だけど)



 神埜という家の情報がほとんど出回っていない以上排他的な家系なのだろうという私の勝手な推測が外れたことを少しだけ意外に思いつつ、私はふと周囲を軽く見回した。


 恐らく外部業者に委託して清掃作業をさせるくらいなのだから事件の証拠なんて残っていないだろうと思っての、なんとなくの周囲の観察だったのだが、一つ妙な点があることに私は気がついた。


 柱一つ、壁一つ。

 木材のような見た目をしながら鉄骨かと錯覚するほど硬質なそれらに、私は妙な違和感を覚えた。



(…………なんか、受付周りとか、ずいぶん頑丈そうな作りじゃない? 強盗とかから従業員を守るための構造? というか全体的に、堅そうな材質を使用しているような気が……景観を損ねないようにしてはいるけど、ここまでの道のりをあれだけ神聖な雰囲気を出すよう徹底していたのに、この旅館だけ少し違う作りをしてるのって…………変なような気が)



 一度そう考えて始めてみると、これまで積み重ねてきた予測とこの旅館の構造にある隔たりに対して、私の中で次々考えが生まれていく。



(何かしらの意図? 頑丈な作りにする必要があった? もちろん、過去の殺人事件を反省して旅館の作りを厳重にしたっていうの考えも理解できなくはないけど、この山を管理している人が神聖さを最重要視しているという前提を考慮すると、あんまり納得できるような物じゃない気がする。もっと合理的というか、管理者の思想面を想定して辻褄が合うのはもっと直接的な理由の気がする。例えば……)



 軽く指先で近くの硬質な壁を叩く。

 トントントンと、指先に返ってくる硬質な感触を確かめながら私は可能性の続きを考える。



(例えば、そう――――旅館の管理者にとって【何か】がこの場所で暴れることが想定の範囲内の未来なのであれば。その【何か】は……)



【まっかな怪物】。

 お父さんが神楽坂さんに話していた、不気味な存在が私の思考の先に浮かび上がった。



(お父さんの話の中にあったソレは確か――――)



 ――――その瞬間だった。


 風船が破裂したような、誰かの絶叫。

 どこか遠くから誰かの金切り声がこの場に届けられた。

 性別も分からないようなその絶叫は、耳にするだけで生物の死そのものを連想させる。


 そして響いたその声の終わりとともに、私は感知した一つの事実を噛みしめる。



(――――……思考が一つ、完全に途切れた)



 前にも感じ取ったことのある、連続していた思考の断絶。

 お兄ちゃんの大学で、半グレ集団の思考が突然感知できなくなった時と全く同じ感覚に、私の背中に冷たい予感が走り抜けた。


 私が旅館の構造から悲鳴の上がった方向へゆっくりと目を向ける中、不気味なこの場所にいる緊張感をほぐそうと何気ない会話を続けていたへっぽこ探偵達は表情を凍り付かせる。



「な、何ですか今の声……? 声の出所は外、ですか……?」

「待てっ、涼っ! 下手に動くなっ! 今の声は普通じゃない……!」



 夕暮れの陽で赤く染まった旅館の外。

 窓から見えた悲鳴の出所に、着物を着込んだ長身の人物が立っているのが見えた。


 ダラリと佇む、まっかに染まった亡霊のようなその人物。

 優美な着物には到底似合わない大きな鉈からは何かの液体が滴り落ちているのが見えてしまった。


 そいつは最初から気がついていたかのように、窓から自分を見詰める私達へとゆっくりと向き直っていく。



「…………あれは、人……なんですか?」



 大きく、歪で、人間とは掛け離れたその頭部。

 その存在が異常であり、異様であり、ソレが異端そのものである何よりの象徴。

 切り落とされた【熊の頭部】をそのまま頭に被った異形の存在が、私達を窓越しに覗き返していた。


 それはまるで、お父さんが話していたあの存在。

 夕暮れの光に染まった、【まっかな怪物】がそこに居た。






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― 新着の感想 ―
オラッ催眠!!
[気になる点] まさかとは思うけど異能で精神乱された?こんなに衝動的な娘だったっけ?それとも土地に何かあるのかな? [一言] たしかに異能があるなら心霊現象あってもおかしくないか……メタ的になさそうな…
[良い点] 文章が多い…!! 無理はしないで欲しいですが嬉しいです!! [気になる点] マキナビ優秀。 【まっかな怪物】を警戒しちゃいますけど、さらっと記憶改竄してるラスボスがいるんですよねぇ…。 …
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