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指し示される真実

 




 台所の灯りだけが付いた家の中。

 食卓に並んでいた料理にラップをかけて片付けた私は、すっかり静まってしまった我が家のリビングで一人お父さんの帰りを待っていた。


 お父さんが公安部を名乗る警察官に連れて行かれてからもう四時間以上。

 壁に設置している時計が、深夜帯が近付いてきている事を示している事を確認しながら、私は小さく溜息を吐いた。



「重要参考人ね……お父さん、今日はもう帰ってこれないのかな」



 お父さんが突然連れて行かれ、中止となってしまったお疲れ様会。

 料理やら何やらを頑張って準備した訳だが、事態が事態だけにどうこう文句を言う気にもなれないし、今の私にとってはそんなことどうでも良い。

 中止となってしまったお祝いの場のことよりも、普段から身近に関わっている人が警察に連れられていったという場面に遭遇した家族達の心情が私は心配なのだ。


 不安そうだった桐佳達の様子を思い出す。

 お父さんが連れて行かれ、和やかだった食卓がぎこちない沈黙に満ちてしまっていた。

 妹達にとって苦しいだけの思い出にしたくないと思って行動していたのに、よりにもよって最悪の形に収まってしまった現状は本当に悲しい。

 この一件がどういう形に落ち着くのかがまだ分からないが、家族のトラウマになるような事態になるのはどうにかして避けたい。



「今日来た人はお父さんを犯人だと疑ってた。陥れようとしてじゃなくて、職務に忠実に。警察官の人が来るなんて……どんな事情でかは知らないけど、どうしていきなり……?」

『……御母様……元気出しテ』



 気が付かぬうちに私も不安げだったのだろう。

 私の様子を携帯電話から見守っていたマキナが、励ますように声を掛けて来る。



『御母様の父親は今も警察署ダ。手荒に扱われず、丁寧に聞き取りが行われていル。神楽坂の奴がいる限り警察組織による悪意ある攻撃が行われる訳は無いと思うが……今日はもう帰ってこないと思ウ。マキナが見てて何かあったら起こすから、御母様は休んデ……?』

「……うん。マキナありがとう……」



 お父さんの状況に危険が無いかを監視させているマキナの報告に、私は少しも安心できないままそう返答した。


 冤罪、そうであると私は信じている。

 だって、私達のお父さんである佐取高介さとり こうすけは誰に対しても優しく、争いごとなんて好まない、攻撃性を持たない素朴な大人である。

 私のひ弱な性格の大部分はお父さんから受け継がれているものだと思うくらい、誰かを殺害するどころか、他人に暴力を振るう事だって考えられない。


 そういう人だから、殺人事件の犯人であることなんて私には想像もできなかった。

 何かの間違い。過去の未解決事件の疑いが今更強まったというのなら、何か別の要因が悪い方向へ働いたと考えるべき状況。

 だから警戒するべきはお父さんが犯人であることではなく、警察官による自白の強要だと思い、こうしてマキナに監視をさせているのだが、今のところそういう素振りも無い。


 お父さんの安全確保及び状況把握。

 取急いで対処するべきその二点はマキナによって行えている訳だが、これで安心という訳にはいかないのを私は分かっている。



「燐香、大丈夫か? 暗い中で携帯電話を弄っていると目を悪くするぞ」

「あ、お兄ちゃん……」



 二階から降りて来たお兄ちゃんが携帯電話とノートパソコンを小脇に抱えながら私に声を掛ける。

 元々難しい顔をしていたのに、お兄ちゃんは私の姿を見るなりさらに眉間に皺を寄せ、持ってきていた携帯電話やノートパソコンを私の隣に置いた。



「桐佳も由美さんも遊里さんも、取り敢えず自室に戻って休んでる。事情は分からないけどすぐ戻ってくるかもしれないし、明日また落ち着いて話をしようって言っておいた。三人にはあくまで参考人として話を聞かれているだけって説明したから、話を合わせておいてくれ」

「……うん、それでいいと思うよ。ありがとう」

「それから、俺の知り合いや大学のOBに法曹関係の仕事に携わっている人が何人かいるから、その人達にはもう連絡を取ってる。いつでも協力してくれるって返事があったから、父さんの弁護に関係することは安心していい。あの穏やかを絵に描いたような父さんのことだ、数十人規模の殺人事件を引き起こした犯人だなんて想像も出来ない。冤罪はまず間違いないだろう。二十年も前の事件の冤罪だなんてどうせ大した証拠も無い筈だ。すぐに疑いは晴れるさ」



 そう言いながらノートパソコンを私が見えるように開き、お兄ちゃんはメールの送信状況を見せてくれた。

 何件ものメールのやりとりがあり、そのどれもがお兄ちゃんに対して丁寧に協力する旨の返答をしている。

 この連絡を取り合っている多くの人達と有効な関係を築けていることが、そんなやり取りだけで読み取れた。

 お兄ちゃんが作り上げて来たコネクションの一旦が垣間見えて、私の中にわだかまっていた不安感が少しだけ和らいでいく。



「……そっか」



 私からもすでに神楽坂さんへ連絡を入れて、助けを求めている。

 警察内部からは神楽坂さんが、法の専門家による弁護にはお兄ちゃんが、それぞれから手を尽くしてくれるなら私がやれる事は少ないだろう。

 そう思い、私が脱力し背もたれに体重を掛けたのを見て、お兄ちゃんは少しだけ表情を和らげながら何かを考えるように顎に手を添えた。



「だが、少し不可解なんだ。どうして今更になって父さんにこんな捜査があったのか。これまで俺達が過ごしてきた中で、警察がこんな家に捜査に来たことなんて一度もなかっただろう? 事件現場となった針山旅館とこの家は距離も離れすぎているし何かきっかけが無い限り、押しかけるようなことは無いとは思うんだが……」

「それはそうだね……」



 二十年も前の未解決事件に関する不可解な捜査。

 それがわざわざ私の家族に及んでいる今の状況は、正直に言って理解しがたいとお兄ちゃんは口にする。

 それは私も同意見だし、現にマキナに集めさせた【針山旅館殺人事件】についての情報を軽く見ても、突然私達の父親に捜査の手が伸びたきっかけのようなものは見当たらなかったのだ。

 つまり、表に出ている情報にお父さんに捜査の手が伸びる要素がないのなら、表に出ていない情報にそれはあるのだろう。


 ……例えばだ。



「……悪意を持った第三者が偽の証拠を警察に流した」

「燐香……流石にそれは……そんなことをして誰に何の得が……」

「……疑われているってだけでも広まれば、お父さんは大変な事になっちゃうよね」

「それは……そうかもしれないが」



【針山旅館殺人事件】。

 それは様々な物語の題材にもなっているほど有名な大事件。

 テレビで度々特集が組まれる二十年前の未解決事件、ほとんど解決が諦められていたそんな事件の捜査上に浮かんだ人物というだけで、報道や取材が押し寄せる可能性も、ネット上に情報が拡散される可能性も充分ある。

 世間の関心を集めるだろう事態というのが問題で、お父さんが犯人であるのか、冤罪であるのかはこの情報に飛び付くだろう者達には関係ない。

 そしてそこから向けられる私の家族への好奇の目や根拠のない攻撃は、きっと容易く私達の平穏を壊しかねないだろうと思うのだ。


 桐佳達が周りから白い目で見られ、お父さんは職場を去らないといけなくなる。

 そんな未来を私は幻視して、同時にソレを望む人物が今回の事態の引き金を引いた形を想像した。



「むしろそっちが本命。犯人として仕立て上げることを成功させるよりも、そうやって考える方が合理的」

「……我が家を陥れたいのならまあ分かるが、その先がよく分からないな。この誘導をした人物はどういう利があって、どういう展望があるのかが……単純な復讐なのか? 復讐にしても、ずいぶんと遠回りな方法を選ぶ……」



 本当に悪意を持った第三者がいるのであれば私の関係だろうか、なんて。

 抱いた不安が現実でないことを祈りながら、私は考えを巡らせているお兄ちゃんをじっと見詰めた。


 そうやって考えを口に出して二人して色々と悩んだ末に、お兄ちゃんは頭を振りながら疲れたように小さな溜息を洩らした。



「……もしも。もしもそうなら正直止めようがない。情報社会の今、お父さんの個人情報を持った奴が悪意を持って警察に情報を流したのなら、同様のことをインターネットに流すはずだ。今回の件の犯人を特定できても、俺達へ及ぶ被害はどうしたって抑えようがない。インターネット全体を封鎖するような国家規模レベルの活動でも出来ない限りはな。だから俺達がその可能性を追うのは最後の最後でい————」


「マキナ」

『了解。ワード【佐取高介】、【佐取】、【針山旅館殺人事件の真犯人】、これに類似する思考をした人物の補足と封殺を設定すル』

「情報の削除は可能な限り流れる前に、インターネット上に乗った後は閲覧した人の処理も行って、ここに遠慮も躊躇もいらない」

『任せロ』


「————……今何をした燐香」



 マキナによる情報統制。

 昔私が精神干渉という異能の情報がインターネットを通じて集積しないよう講じた対策を、同じような形で今回の事態にも適用させた。

 これによりインターネット上での拡散を防ぐことはできた訳だが、これではまだ不十分である。

 インターネットを介さない口頭による噂話が地域に広がるだけで、この場所に住む私達の生活には大きく影響が出てくるだろう。

 依然として、事態の早期解決が求められているということを私は理解している。


 だから私は呆然とこちらを見詰めているお兄ちゃんに、静かに意思を示す。



「正直ね、お父さんが【針山旅館殺人事件】とは全くの無関係だなんて私は思ってない。何かしらの接点が無い限り、偽の情報だったとしても直接結びつけられるようなものじゃないと思うから」

「…………それは、俺も思っていた。最悪の場合、父さんは……」

「多分、お父さんは居たんだと思う。【針山旅館殺人事件】が発生した時、現場となったあの場所にいて、何かしらの関わりがあったんだと私は思う。そして、その接点が利用されて、今回の下らない疑惑に繋がった」



 二十年も前の事件に関する捜査の手が唐突に伸びるのは理解できない……だが同時に、この事件とお父さんに関係性が全く存在しない訳ではないだろうとも思っていた。

 あの警察官に連れられる前に目が合った時、お父さんが抱えていた何かを隠すような焦りの感情を読み取ってしまった私は、その危機感を抱いていた。


 少しでも事件に関わりがあるのなら、疑いは長期化する可能性がある。

 そして長期化すれば、故意的かそうでないかに関わらず私達に大きな不利益が降りかかるだろう。



「いずれこの事態を引き起こした人には相応の報いを受けて貰うけど、今はその犯人の特定はどうでもいい」



 悪意を持ってお父さんを陥れようとした犯人なんて、マキナがインターネット上の監視をしていればいずれ勝手に見付け出せる。

 それよりも今私がするべきなのは、既に起きているこの事態に収拾を付ける事だ。


 疑念など欠片も残らない早期的な事態の解決を、私はする必要があるという事。



「お兄ちゃん。明日から数日の間、お父さんと家のこと任せていい?」

「……お前……」



 意図を察したお兄ちゃんが何か言うよりも先に、私は宣言する。



「私が、二十年前の未解決事件【針山旅館殺人事件】の真相を見付け出してくる」



 相手が偽物の疑惑を作り出そうとするなら、私が疑いようの無い真実を探し出せばいい。

 驚きに染まったお兄ちゃんの目を見返しながら、私はそう告げたのだ。





 ‐1‐





 簡素な机にパイプ椅子。

 壁はくすんだ色のコンクリートで、窓の縁は小さな錆が点在している。

 お世辞にも立派とは言えないそんな部屋の中で、中年くらいの一人の男性に対して複数の警察官が囲むように位置取っていた。

 複数人の警察官が一人を取り囲む、それはあたかも威圧し自白させようとする状況だ。

 だが、複数の警察官の様子は威圧してやろうというよりも、逆に中年くらいの男性を恐れ過剰に警戒する様子を見せていた。


 一挙手一投足を警戒し、何か不審な動きがないかと恐がる警察官達。


 だが、それもその筈だ。

 何故ならこの場所で複数の警察官に取り囲まれている中年の男性は、長年未解決で科学的には犯行不可能だと考えられていた【針山旅館殺人事件】の犯人の疑いがある人物なのだ。

 もしこの男性が犯人であれば、世界を騒がせている“異能”と呼ばれる理不尽な力を所有している可能性が極めて高いなんてこと、今この場にいる警察官達全員が理解していた。



「佐取高介さん。夜分にこうして近場の警察署まで同行して頂いたのは先ほどもお伝えしましたように【針山旅館殺人事件】についての話をお聞きする為です。こちらからお聞きする前に高介さんから何か話したい事はありますか?」

「……いいえ、ありません」



 そんな【針山旅館殺人事件】の重要参考人である佐取高介に対し、氷室警察署の取調室を利用して相対する警視庁公安部所属の警察官は他の警察官と違い落ち着いていた。


 まるで異能などという非科学的なものは信じない。

 そう言うような態度を隠そうともしない彼は、非力な中年男性にしか見えない佐取高介に対して過剰に警戒する素振りを見せなかった。



「結構、それでは今回二十年前の事件についての参考人としてお呼びした理由ですが、当時の針山旅館の宿泊者名簿に貴方の名前が残っていたこと。そして、貴方が事件のあった日の夜間、針山旅館から貴方と女性が慌てて逃げていく姿をしっかりと捉えた証拠を提出して下さった方が現れたからです」

「証拠、ですか」

「なぜ事件当日、針山旅館に宿泊していたのか。その夜逃げ出した理由は何故なのか。単独で宿泊していた貴方が共にいた女性は誰なのかを、回答頂きたいと思っています」

「……それは過去にすでに話した内容です。貴方方は私の話など信じることは無いでしょう。実際、当時お話しした時は一切聞く耳を持っていなかったのを私はしっかりと覚えています。ですが同時に、私では実行不可能の事件だったとの判断もその当時の警察の方々は済ませていた筈です。今更、あの旅館から逃げている証拠が提出されたというだけで……」

「当時の状況は記録として残っています。《恐怖による幻覚を見た生存者二名が精神病院へ通院》《生存者二名が犯人である疑いは薄い》《トラウマからの異常行動も見られる》と。ですが、当時と今では私達の捜査能力に大きな違いがある。過去どういった基準で判断されたかの記録は残っておらず不明ですが、今の貴方の話を信じるかどうかを決めるのは昔の警察官でも貴方でもなく私達です。話を聞かせてもらえませんか?」

「……」

「ああ、こうして複数名で囲ってしまっている状況を見て、どうせ証言を信じられないだろうと仰られているのでしたらこちらの落ち度です。異能という存在を、今の私達の組織は過剰に警戒していましてね。佐取高介さんを犯人として決めつけている訳ではありませんから、ご安心を」



 ただひたすらに殺人事件の被疑者として。

 公安の警察官は異能を持った殺人犯の疑いがある佐取高介に対し、臆することなく会話続けていた。


 ある意味で、犯行手段も明確に分かっていない状態でコイツが異能を持った犯人だと決めつけるよりは、先入観を持たない公安の警察官の態度は正しいものだっただろう。

 しかし、だからといって重要参考人である佐取高介の口から事件詳細に関する話は紡がれることは無い。

 家族達に話を聞かれたくないからと警察署まで同行こそしたものの、何も語ろうとしないまま顔を俯けてしまった佐取高介は身じろぎ一つしなくなってしまった。


 これは長引くだろうな、と。

 静寂が続いているそんな取り調べ室の様子を監視映像越しに眺めながら、突如として呼び出しを受けた柿崎遼臥と“紫龍”、飛禅飛鳥の三人は小さく呟いていた。



「チッ、前に聴取した奴らのせいで完全に警察が信用されてねェな。碌に話も聞かなかったんだろう。あのオッサン、何かを話したらそのまま犯人に仕立て上げられるとすら考えてるぞ」

「そうなのか? 俺にはそこら辺のことは分からないけど、柿崎さんが長引くって言うんならそうなんだろうな……というか、やっぱりあのおっさんから異能の力が感じ取れねぇよ。飛禅さんもアイツから異能の力を感じ取れないだろ? もう俺らいらないだろうし帰っていいんじゃねぇ? こんな時間だし、長引きそうだしさ。な? な?」

「まあ、私も異能の力を感じ取れないのはそうだし、出来ることなら早く帰りたいんだけどね。でもそんなこと許される訳じゃないだろうし、個人的には気になることあるし…………佐取高介、佐取かぁ……」

「馬鹿野郎。例え本当にそうだとしても、お前らだけが感じ取れる感覚の根拠をどう上の連中に提示するってんだ。今回のは異能を持つ警察職員が立ち会いを行う事例だろォが、形式的だけでも最後まで見守って、上の連中からの心証を悪くしないよう立ち回るのが正しいんだ」



 一刻も早く家(牢屋)に帰りたい“紫龍”と首を傾げ被疑者の警戒に集中していない飛鳥に対して、柿崎は強めに釘をさす。

 異能に対する抵抗手段を持つ二人があまりにも危機感を持っていない状況は、異能の力を感じ取れない柿崎にとっては非常に危うく見えて仕方ないからだ。


 柿崎のことを微妙に怖がっている“紫龍”だが、それでもまだ不満があるのかモゴモゴと口を動かしていた。



「針山旅館殺人事件ねぇ……あの事件の手段が未だに判明しないから異能によるものって判断して、俺らを立ち会わせるのは分かるけどよぉ……寝ようとしていた俺の身にもなってくれよ……」

「アンタって今三十半ばくらいの年齢だっけ? ということは、その事件当時は高校生くらいだった訳ね」

「あー……憶えてる憶えてる。一か月くらいずっとニュースで同じような報道が流れてたんだよ。うん十人と死んだ事件で、旅館の外観にも分かるくらい血がそこら中に溢れてたショッキングな映像があったような……って、飛禅さん二十歳くらいなんだっけ……? あ、あの事件って生まれても無い時の話になるのか…………」


「……何でこいつらはこんなに緊張感ないんだ……異能の出力を感じ取れるっていうのはそんなに正確性のある感覚なのか……? 今度来る予定の神崎未来とやらは、もう少し異能を持たない側の感覚を理解して、真面目に仕事をしてくれる奴だと良いんだが……」



 異能の出力を全く感じ取れない異能を持つ存在。

 飛鳥も“紫龍”も、そんな例外はごくごく僅かしか遭遇していない訳で。

 世界で最も異能の扱いに長けていると言われる、ヘレナ・グリーングラスですら自分の体から漏れだす異能の出力を完全に遮断する事はできていない。


 だからこそ佐取高介への僅かな警戒心こそ残しつつも、自分達の持つ異能を察知する感覚を信じている飛鳥達はどこか気楽にこの取り調べを見ているのだ。



「何とかして自分達の手柄にしたい公安部の奴らは私達に今回の情報を話そうとしないけど、そもそも二十年も前の未解決事件の異能が関わる事件の証拠が今更公安部の方で見付かるなんてことあるとは思えないしね。私達の異能対策部署の方で、異能に関する情報網で引っ掛かるとかなら可能性としてはあるんだろうけど。正直言って、公安部が握った証拠とやらの正確性を私は信じてないわ」

「ああ、そうそうそう! 俺もそう思ってたわ! 流石飛禅さんだ!」

「まあ、異能の力が感知出来ない訳で、状況証拠しかないなら犯人として逮捕は不可能。手柄が欲しい公安部としては何とか決定打に繋がる証拠を話させたい膠着状態が今の状況なんでしょうね。進んで事情を話そうとする素振りも無いけど抵抗する素振りも無いし、今日このまま身柄を確保し続けるなんて無理な話だから……あれ?」



 沈黙し口を開きたく無さそうな様子を見せている佐取高介に対して、この取り調べで事態の進展は見込めないと判断しようとした飛鳥が、警察署の廊下から響く足音に気が付く。


 こんな夜の時間帯に早足で近付いて来るその足音はどこか聞き覚えがあった。

 そしてその足音の人物は、ほんの少しの躊躇も無く取り調べ中の扉を開き、複数の警察官達がいるその場に乱入する。



「————失礼、交通課の神楽坂上矢だが、少し待って欲しい」


「っ……⁉ どうしてアンタがっ⁉」

「悪いな。俺も関わらせてくれ。少なくとも役には立つ筈だ」



 走ってきたのか、少し乱れたスーツ姿をした神楽坂上矢が現れたことに、公安部所属の警察官を含め佐取高介を囲んでいた警察官達は動揺を隠せなくなる。

 自身の姿を見て酷く驚く佐取高介を一瞥し無事を確かめて、神楽坂は心底忌々しそうに詰め寄ってくる他の警察官達を正面から見据えた。



「神楽坂お前っ、また担当でも無い事に首を突っ込みやがってっ……!」

「お前の出る幕じゃない! さっさと取調室から出ていけっ!」

「いいや首を突っ込ませてもらう。【針山旅館殺人事件】については俺も公安時代に捜査したことがあった。直接担当した訳じゃないが、それでもそれなり以上に情報を持ってる。異能についても、【針山旅館殺人事件】についても話が分かる。当時ゴタゴタで碌に公安部の引き継ぎができなかった俺の落ち度もある、関わらせて欲しい」

「馬鹿がっ、誰がお前なんか……!」

「そんな屁理屈はどうでもいいんだよ! お前は自分が厄介者だということを自覚しろ!」



 公安課に所属する警察官だけではなく氷室署の事件を担当する者達すらも、突然姿を現した神楽坂に対して怒りの表情を浮かべ、排除しようと動き出す。

 数人がかりで取調室から神楽坂を追い出そうとしている氷室署の警察官達と突然の事態に困惑している重要参考人である佐取高介の構図を、公安課の警察官はしばらく眺めて溜息を吐いた。



「……いいや、良いでしょう」

「大染警部補っ⁉ な、何故っ⁉」



 自分達の行動の担保として見ていた公安課警察官の言葉に、氷室署の事件を担当する者達は驚きの声を上げる。



「そもそも今、佐取高介さんは事情を深く答えるつもりもないようだった。これ以上自分達が追及を続けた所で、目ぼしい情報を得られるとも思えない。何やら自信ありげな神楽坂巡査長に、無駄な聞き取りをしてもらうのも一つの手だ」

「それは……そうかもしれませんが……」

「妄執に取り憑かれて公安部を追い出された警察官の腕前を拝見させてもらおうじゃないか」



 そう言って席から立ち上がり部屋から出ていこうとした公安の警察官に対し、神楽坂はすれ違いざまに声を掛けた。



「すまない。大染、ありがとう」

「勘違いするなよ。アンタを信用しているわけじゃないし、アンタの行動が正しいとも思っていない。ただこの場で警察官同士が争うような光景を見せて、これ以上参考人に不信感を持たれたくなかっただけだ。彼の証言をまともに聞いていなかった、過去の警察官の怠慢がアンタに味方しただけだ」

「ああ……俺もその判断は正しいと思う」



 神楽坂の肯定する言葉に、不満げに鼻を鳴らした公安の警察官は取調室を後にし、公安に少しでも自分の顔を覚えてもらおうとこの場にいた他の警察官達も慌ててその後を追っていった。


 神楽坂と佐取高介だけが取調室に残る。

 あっという間に二人だけになった取調室で、神楽坂が机を挟んだ先にある椅子に腰を下ろすのを見て、佐取高介は数か月前のことを思い出しながら神楽坂に話し掛けた。



「貴方は、以前変質者から娘達を守っていただいた……」

「守ったというと語弊がありますが……お久しぶりですね、佐取高介さん。改めまして、私は神楽坂上矢と申します。このような形での再会は望んでいませんでした。急なことで申し訳ありませんが、ここからは私がお話を聞かせていただきたいと思います。面倒をお掛けしますが、ご協力いただければ助かります」

「いえ、それは全然構わないのですが……」



 他の警察官とは明らかに毛色が違う。

 それどころか、以前自分の家に不審者が入った時に対応してくれた警察官であることを理解し、緊張していた佐取高介の表情が見るからに大きく和らいだ。



「お子さんの一人は確か今年受験生でしたよね。受験時期にこのような取り調べをさせていただいてとんだご迷惑を……」

「ああ、いえ、つい先日志望校への受験は終わっているので後は結果待ちです。お気になさらないでください」

「そうですか、それでしたら良かったです。確か……佐取さんの娘さんはとても賢そうな印象がありましたので、それほど心配は必要ないかもしれませんが」

「ははは、多分それは姉の方ですね。受験生の妹は反抗期真っ盛りでして、まだまだ警察官を相手に理知的に会話できるようなメンタルはしていませんよ」

「おっと、そうでしたか。すいません。私の記憶違いのようで」



 神楽坂から振られたそんな雑談に佐取高介の態度も軟化する。

 娘達の受験という大切な時期に二十年も前の事件の聞き取りをするのは不親切だっただろうなという、神楽坂の徹底した目線合わせは少なくない安心感を与えて来るのだ。


 そして、そんな警察官である神楽坂だからこそ、佐取高介はこれまで重く閉ざしていた口を開きたくなってしまう。



「……神楽坂さんはオカルト……いえ、今の状況からは異能と呼ばれるようなものの存在と言った方が良いですね。それらを信じているのでしょうか?」

「ええ勿論。個人的な話になりますが、その主張を続けたために公安部から追い出された事情がありまして……その、先ほどの、他の警察官からの強く言われていたのはそのためでした。もし困惑させたなら……」

「いいえ、むしろ……神楽坂さんであればどんな荒唐無稽な話でも無下にしないんだろうなと、安心してしまいました。それに、それだけ汗を掻いているのを見る限り、私の為にここまで急いでくれていたことはよく分かります」

「私が過去にいた公安で引継ぎがあまり出来ていなかった事件というのもありますが、どのような事情であれ以前娘さん達の無事に安堵していた、普通の父親である貴方が殺人事件を引き起こすようには思えなかった。それに、異能に関する事件に幾つか関わっている自分なら、公平な目で貴方を見る事ができると思っただけです」



 完全な嘘のつもりはないが……と神楽坂は自分の隠し事に居心地悪く頭を掻く。

 まさか貴方の娘さんから助けを求めるメッセージが届いたからなんて言える筈がないことであるし、動機はこれに違いないのだからと神楽坂が自分を納得させていると、佐取高介は目を細めて笑みを溢した。



「……ふふ、自分の人助けの行いを過少に見積もって大したことないかのように口にする。神楽坂さんは私の知る誰かさんにそっくりです」



 どこか懐かしそうにそう呟いた佐取高介は何かを思い出すように目を閉じた。



「……神楽坂さんにはきっと、私の子供達は大層懐くのでしょうね」

「……? すいません、言葉の意味が少々……」

「何の意味も無い独り言です。困惑させたなら申し訳ありません」



 一呼吸の沈黙を挟む。

 遠い昔の記憶を整理するかのようなその空白を、神楽坂は黙ったまま見守った。


 そして、佐取高介はゆっくりと話を始める。



「……大学生だった当時、私は似非ではありましたがフリーのジャーナリストとして活動をしていました。日本各地の話題になりそうな場所を行脚して、地方に密着した話や逸話といったものを搔き集め、その情報を売ることで日銭を稼いでいました。それは私の趣味でもありましたし繰り返し遠出する理由作りでもあったんです」



 唐突に始まった佐取高介という男性の一人語りに、神楽坂は耳を傾け無言で先を促す。

 佐取燐香という神楽坂が良く知る少女にどことなく似ているこの男性が、この場で無駄な話をする訳がないだろうという確信があるがゆえに、話を遮るなんていう選択はあり得なかった。



「よくある青い自分探しの旅というものです。やりたいことが何も見つからなかった当時の私は見た事のないものや刺激的なものを求めていましたし、自分が何か行動を起こしているという安心感が欲しかった。それ故の趣味が似非ジャーナリストとしての活動を兼ねた旅だったんです。目的を持った旅であれば無駄な時間を過ごす事は少ないですし、お金を稼げるならそれに越したことは無いと思っていた。様々な経験を得られている自分の行いを、当時の私は正しいものだと確信していました」


「そんなことを繰り返していた頃、私は懇意にしていた取引先からとある噂について調査してほしいと依頼を受け、噂の高級旅館へ数日宿泊することとなったんです。不気味な噂ではありましたが、当時の私からは考えられないほどの高級旅館への宿泊は魅力的だった」


「それを取引先が肩代わりしてくれるなんて、それも噂に関する情報によっては報酬まで貰えるとなれば、非現実へ逃げてみたかった若い私にとっては願っても無い事だったんです。だから承諾以外考えられなかった。それが日本有数の最高級旅館、針山旅館と呼ばれていた場所だった」



【針山旅館殺人事件】に繋がった佐取高介の過去語り。

 神楽坂でさえ子供であった頃に起きた殺人事件に直接関わり、当時の背景を知る者の証言はかなり貴重だ。

 自身の公安時代には知らされなかった、佐取高介という事件関係者が持つ多くの情報に神楽坂は思わず聞き入ってしまう。



「針山……あの頃は、神埜かみの山と呼ばれることが多かったあの場所は霊山としてあまりに有名で、神聖で残酷な歴史を持つ稀有な土地でした。あの場所はあまりに有名な土地でしたから前々から興味はあったんです。古い歴史と神話と逸話と、それを守ってきた人達がいる場所というのは非常に興味深かった」


「至高の体験でした。荘厳で重々しく、神秘的で隔世的な、神殿として作られた建物を旅館に作り替えられたあの場所はまさしく最も神域に近い場所として奉られていた。公開される儀式や古くから受け継がれている遺物の展覧はより一層私を神秘の魅力に引き込んだ。非現実を形とするそんな旅館は、年若く青かった私にとって物足りないなんて事ある訳が無かった。現実離れした体験に当時の若い私は何の疑いもなくただ魅了されていたんです」


「――――そんな私の現実逃避は何も始まっていなかった最初の数日だけでしたがね……」



 そう話しながら、佐取高介が嫌なものを思い出すかのように、脂汗を浮かべてぎゅっと目を閉じた。


 それはまるで鬼気迫るようで、苦しみを絞り出すかのよう。

 到底嘘をついているとは思えない、あまりに生々しい佐取高介の語りに神楽坂はこの話が真実なのだと信じたくなってしまう。



「……一つ教えてください、神楽坂さん。異能と呼ばれるものは、化け物を作り出せるような力なのでしょうか? この世に存在してはならないような埒外の怪物を作り出せるような力が、異能と呼ばれるものなのでしょうか?」

「ば、化け物、ですか……? いえ、確かに異能と呼ばれるものは人が超常的な力を振るえる機能ではありますが、埒外の怪物というのが何か分からないことには……ただ、異能を持つ人というのは佐取さんがおっしゃるような怪物ではないとだけは……」

「人の生命を容易く弄ぶアレが異能というのなら、そうであるなら私は…………異能というものが恐ろしくて仕方ない。あんなものが日常のどこかに潜んでいて、またいつか私の大切な人達を傷付けるんじゃないかと思うと、不安で仕方ないんです」

「……」



 どこにでもいる普通の父親のぽつぽつとした一人語り。

 その最後は、きっと子供達には見せられないだろう弱弱しい不安の吐露だった。



「私はね、神楽坂さん。私はあの日、おぞましい非科学的な存在を見たんです」



 神楽坂の答えを聞き切る前に、佐取高介は自身がその日遭遇した異常を口にする。



「————まっかな怪物が人を殺すのを、私は見たんです」



 それこそが、佐取高介が忘れられない最悪の超常現象だった。






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― 新着の感想 ―
[良い点] ホラゲかな?? [一言] 異能出力感知はなぁ。できないやつを警戒してもしゃーないんだよな。兄の発明をはよ実装せんとな。
[良い点] 更新お疲れ様です!! [気になる点] さとりんまっまも旅館に居たわけで、更にさとりんに家族を守るように言ってたはずで、それは異能の出力を検知していたと考えれば…… [一言] サイコスライム…
[良い点] 更新早い。お疲れ様です。 [気になる点] 神楽坂おじさんは相変わらず交通課なんです? [一言] お父さん異能アレルギーなの?長女と義理の娘が異能持ちなんですが、カミングアウトしたら家庭崩壊…
感想一覧
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