沈みゆく手が掴むもの
“顔の無い巨人”の所在を掴む事は非常に難しい。
数年前に彼の存在にて行われた世界侵略の最中でさえ、兆しを察知できたものはいなかったし抵抗出来た者も、侵略方法を解明できた者もいなかった。
異能の性質上、神薙や和泉といった者達こそ逃れられたものの、当時彼の存在の障害として立ち塞がれたものは皆無に等しかった訳である。
だからこそ、彼の存在が世界侵略を停止し、世界に影響を及ぼさなくなった後も、彼の存在の情報は全くと言っていいほど出てこなかった訳であるし、存在自体を疑うものまで出る始末なのだ。
つまり、“顔の無い巨人”と呼ばれる存在は確かに強力な力を持っている訳だが、何よりも厄介なのは他者を制圧する力ではなく自身の情報を相手に知られない事こそにある。
では、そんな徹底した情報管理を行っている相手を見つけ出すためにはどうするのか。
非常に難しいとはいっても、今彼らが保有する技術や戦力であれば不可能ではないのだ。
『どうだ?』
『ううん……は、ハズレ、です。視界の中に強い異能持ちの素養がある人はいません』
『そうか、では次だな』
鋭い目をした青年のアブサントといかにも気の弱そうな薄幸少女のミレーが、黒塗りの車両の中で向かい合っていた。
勿論車内にいるのは二人だけではない。
通信や雑務を担当しているルシアもいるし、他にも運転担当の人員もいる。
ICPOの人員が四人も割り当てられた集団が乗るこの車両は、目立たない程度の大きさしかない何の変哲も無さそうな車だが、その内側には様々な配線が施された特別製のものだ。
そんなある異能を有効に活用する為だけに設計された車両機器を、補助要員として割り振られたルシアが逐一チェックしていく。
『スピーカーの調子は良好、異常無し。次はAF25地点に移動しますね。ミレーさんもアブもしばらく待機で』
『了解』
『は、ははは、はいぃっ……』
彼らがやっている事、それは二つの異能による探知範囲の増大だ。
“音”と“視覚”という、人間の五感に関係する異能を持つ二人の異能を相乗させることで、疑似的な超音波による高精度探知を可能にしていた。
つまり、言ってしまえばソナーのようなものだ。
音波の反射波による情報を視界情報としてアブサントが得て、それをミレーに共有する事で彼女の視界による探知を数倍もの範囲へと大きくする方法。
そしてその音波の範囲を少しでも広げるための装置が搭載されているのがこの車両。
これらにより、元は直線一キロメートルも無かったミレーの探知範囲を半径五キロメートルの円状に渡る範囲にまで広げる事に成功した訳だ。
技術と人材。
揃えられた優秀な探知方法。
これだけでもこれまでにないほどの利を得ている彼らだが、さらに、“顔の無い巨人”を追い詰める情報を彼らは握っていた。
『……“顔の無い巨人”が関わったと思われるのは、“千手”と“白き神”と神薙先生と先日の“死の商人”。いずれも捕まった場所はバラバラだけど、その全てが日本の東京都。つまり一つの地方、その関わったと思われる事件現場近くを中心にこのソナー探知をしていけば必ず“顔の無い巨人”が見つかる筈』
世界各地で起きていた過去の侵略とは違い、最近の“顔の無い巨人”の関わったと思われる事件は地域が限定されている。
どういう理由であるのかは推測の域を出ることは無いが、最も可能性があるとするなら、その周辺に“顔の無い巨人”の拠点が存在する事だろう。
幾らミレーの異能の探知範囲を広げられたとしても、全世界どころか日本という一国全てを探知して回るのはどうしたって難しい。
だが、日本の東京都。それも一部地域に限定できるのなら、“顔の無い巨人”をミレーの異能で見つけ出すのは不可能ではなくなってくる。
『探知が出来たとしても話し合いが、ましてや確保が出来るとは限らない。ルシア、俺達はあくまで捜索するだけだ。情報を集め終えたら、何があってもこの場を離れる。どうしても戦闘が起きる時は俺が時間を稼ぐから、ミレーを連れて逃げてくれ』
『……ええ、分かってる。無理はしないし、引き際を間違えるつもりはない。捕えた“千手”や“死の商人”の状態を見て、無理が通るような相手じゃ無い事は分かってるつもりだもの』
『お、おらとしては、いっそ見付からないで欲しいなぁ、なんて……』
だが、東京都内で探知の穴が生まれないようにと事前に振り分けた探知ポイントをここ数日掛けて順々に巡っているが、この方法を持ってすら目的の人物には辿り着けていない。
それどころか、もしかすると先に探知する可能性があると言われていた“百貌”さえ、いまだに足掛かりすら掴む事はできていなかった。
思うように進んでいない“顔の無い巨人”の捜査にもどかしさを感じつつも、ルシアは廃人状態の“千手”や“死の商人”を思い出して、気を急かないようにと自戒した。
実力的に劣るだろう自分達が気を急いてミスを犯せば、あの凶悪な異能犯罪者達を容易く廃人状態にしたように、奴が簡単に自分達を圧し折ることは目に見えているからだ。
気持ちを落ち着けたルシアは探知担当のミレーを確認する。
『見逃しは無いんですよねミレーさん』
『一応無い筈……これまでの探知してきた範囲ではあの薬を使えば異能を持てるようになる人は何人かいたけど、アブサントさん達ほど異能の才能を持っている人はいなかったですし。でもこんな異能の使い方をしたのは初めてで、いつもと違う感覚への戸惑いはあるから完璧かと言われるとそんなに自信は無くて……』
『そうですか……』
そんな風に問い掛けた訳だが、別にルシアは彼女の見落としがあるとは思っていない。
彼女の探知の異能がどれほどのものか、ICPOに加入する事となり実際に性能テストを行った現場に立ち会ったルシアは良く知っている。
ミレーの持つ異能の『視認状況を基とした能力・才能のデータ化』の性能は本物だ。
誰がどんな異能を持っているのか見ただけで判別できるし、本人すら知らない隠された才能(ルシアであれば空間把握能力の高さ)を見つけ出す事さえできる。
これまでの生物学ではまずありえない、どのような現代科学を用いても到達し得ないミレーの異能が持つ才能発掘能力の高さ。
探知としては充分過ぎるほどの性能を有し、一度彼女の異能の網に掛かれば最も異能の扱いが卓越しているヘレナですら隠蔽は不可能。
ミレーの探知から逃れる唯一の術は彼女の視界内に入らない事だが、それすらも他の異能と組み合わせる事で補えてしまう。
そんなミレーの探知能力をもってすれば、“顔の無い巨人”という分かり易い才能の塊など、むしろ見落とす方が難しいだろう。
だが。
(嘘を吐いている様子は無い。ヘレナ女史が心配していたような、見付けたけれど遭遇したくなくて見付けていないフリも多分していない。つまり、今の状況はたまたま見付けられていないという訳になるけど……これほどの広範囲探知を繰り返しているのに、本当にたまたま見付けられてないだけなの……?)
何か見落としがあるのではないかと、チラリと過ったそんな不穏な考えに悩みながらも連絡用の携帯電話にルシアは視線を落とす。
別動隊兼囮役として東京都内を調査しているだろう同僚達からも未だに連絡が無い事を確認して、取り敢えずは想定外の事態が未だに無い事にルシアは安堵する。
思うように上手くはいっていないが、彼の存在に敵認定されていない、あるいはまだ自分達の動きを察知されていないだろう今の状況はそう悪いものでは無い筈だ。
(大丈夫、まだ全然焦る必要は無い。要請のあった異能犯罪に対応しているヘレナさん達が一通りを終えて合流してからの方が私達だって都合が良い。やれる事は全部やっているんだから不安に感じる必要なんて無い)
見付けられる筈だという思いがある。
だって、これまでの傾向についての情報は正確で、様々な異能を持った人材は集まっていて、自分達が所有する対異能の技術や捜査能力は確かに向上している。
土台がしっかりと作られた今、理論や対策に間違いが無ければこれまでに影も踏ませなかった存在が相手だとは言え辿り着けない道理なんて無い筈なのだ。
少なくとも、相手が自分達と同じ人間であるなら。
そうやって自分に言い聞かせながら、自身の仕事に区切りがついたルシアがアブサントにこっそりと話し掛ける。
『それにしても、ヘレナ女史は昔“顔の無い巨人”に会った事があるという話だけど、本当に協力できると思っているのかな。その余地がなければそもそもこんな作戦を計画なんてしない筈だし……』
『ソイツがどんな考え方をする奴なのかは分からないが、精神干渉の異能で世界から悪意を消したと考えるならそこまで悪人という訳では無い可能性も考えられるな。傍迷惑な奴であるのは確かだが、話し合いの席に着かせられるなら協力体制を構築するというのは悪くない方針だろうと俺は思う。奴が現状の混沌とした世界情勢をどうにかしたいと思っているなら、少なからずこの目論見は上手くいくだろう』
『アブって何だかんだ“顔の無い巨人”の事嫌いじゃないよね。なんで……あっ、“白き神”の時に遠回しに助けてもらったから? そう言えばあの時、私達を逃がした時だけじゃなくて私の記憶が無い時にも干渉があったんだっけ?』
『む……いや、どうだったかな。正直あの時は俺も必死で、かなり血を流していたから意識も朦朧としていて鮮明な記憶がそこまで、な。飛禅飛鳥に助けてもらったのは覚えているんだが……もう一人手助けしてくれた人物もいたがよく覚えていない上に、ソイツが“顔の無い巨人”本人だったかも分からないんだ』
『そっか……』
以前対峙した“白き神”の事を思い出したルシアは改めて精神干渉の異能の厄介さに危機感を抱く。
他人の思考の干渉だけに留まらない、感覚や記憶を司る部分に至るまで干渉が部分的にも可能といわれるその力は、異能という常識外の才能の中でも一際異質だ。
相手にすればこれ以上無いほど厄介な異能。
“白き神”という似た異能を持っていた存在の強さを思い出せば、“顔の無い巨人”が実際に対峙した時どれほどの力を振るってくるのかという不安は拭い切れない。
『……相手は同じ人間。世間の人達が言うような神様の様な存在じゃ無いもの。大丈夫、見つけ出せるし、話し合いだってできる筈。戦いになったとしても、今の私達なら対抗くらいはできる』
次の探知地点に到着したことを確認し、ルシアは車に取り付けられた特別製のスピーカーの準備に動く。
未だに影すら踏めない最悪の異能持ちの姿を脳裏に映しながら、ルシアは自分がするべきことを一つ一つ確実に遂行していく。
‐1‐
白いベッドの上でずっと眠りについている女性の額に手を置き意識に干渉する。
じっくりと丁寧に、雑な精神の乗っ取りと悲しみや絶望といった激しい感情の波によって深く傷ついた女性の精神を確認し、女性が今なお寝たきりとなっている原因を探っていく。
何をすれば問題が解決するのだろうと思考を巡らせながら、私は本当に不本意だが、以前“白き神”を自称していた男がやっていたように自分の感覚を女性に繋げていく。
そして私は重い瞼を開いた。
視界が切り替わる。
直前の白いベッドの上で眠りについていた女性を見下ろす光景が、寝そべった状態で天井を見上げている光景へと切り替わる。
そうして私は、長年動かなかった事ですっかり衰えていた女性の体を指先からゆっくりと動かしていく。
繋がれた手の先にいる私がしっかりと目を閉じて意識を集中しているのを確認し、傍から自分の姿を見るのがこんなに違和感を覚えるのかと思いながら、その後ろに立つ男性に視線を向けた。
呆然と、今にも泣き出すんじゃないかというような顔でこちらを見詰める実年齢よりも老けた男性の姿を視界に入れ、私は何度か咳き込んだ。
「睦月……! い、いや、佐取、なのか?」
「最初からそう言っていたじゃないですかっ、けほっ。私は気が進まなかったのに試しにやって欲しいって言ったのは神楽坂さんですし、痛っつぅ……! ……あっ、駄目だ、体の至るところがガチガチだし筋肉が衰えすぎていて体も起こせないっ……! ちょ、無理無理無理辛い辛い辛い! 解除します解除!」
呆けた事を言う神楽坂さんに不満たらたらな文句を言おうとしたものの、それすら出来ないくらい辛い睦月さんの体の状態に、私はベッドの上でのた打ち回る。
動かし掛けた女性の体を再び楽な体勢に変えてから、私は行使していた人格投射の異能を即座に解除した。
私の意識がふわりと女性から離れていく。
繋いでいた感覚が離れ、自分が元通りの状態になったことを確認した私は女性と繋いでいた手を離して安堵の溜息を吐いた。
「ふう……神楽坂さん、取り敢えず診察が終了しました。状態は変わらずですし、私が体を動かしてみるなんていう荒療治も試してみましたが、それで彼女の精神が目覚めるという事も無さそうです。それに、やっぱりこの異能の使い方は私あんまり好きじゃないです。なんて言うか、別の誰かの人生を奪い取ってるみたいで」
「……ああ、悪い。無理を言ったな」
「謝らないでください。やることを決めたのは私です……うぅ、頭痛い」
慣れない異能の使い方で疲れた頭を癒そうと、飴を口に含む。
そうして、待ち望んでいた元恋人の目覚めを疑似的に見せつけられてしまった神楽坂さんが、肩を落としショックを隠し切れていないのを横目に見た私は少しだけ呆れる。
目覚めない彼女を強制的に動かすなんて、私としても疲れるし、神楽坂さんの精神にも少なからずダメージがあるのは最初から分かり切っていた事である。
了承した私も私だし、お願いしてきた神楽坂さんも神楽坂さんだ。
治療法は何でも試すという心意気は良いかもしれないが、無駄な事ならともかくマイナスになるようなことはするべきではないだろう、と私は思う。
もう同じことはしたくない……とはいえだ。
「……まあでも、これはあんまり良くなかったですけど、試行錯誤は大切ですからね。この試みでも得る物はあったと思いますし、そもそも急に睦月さんの状態を診るのを提案したのは私ですし」
気を落としている神楽坂さんに対し、必要以上に追い打ちを掛ける意味も無い。
私は適当にそうやってフォローの言葉を掛けながら、キョロキョロ警戒するように周囲を見回してしまう。
意図せずこんな行動をしてしまうのは、以前似たような場所でテロリスト集団による襲撃やらそこで働いていた者達がとんでもない奴らだったからである。
神楽坂さんの元恋人、落合睦月さんがいるこの場所はある病院の一室だ。
以前訪れた時とは少し場所は異なっていて、睦月さんの入院場所は比較的私の家からも通いやすい距離にある大きな病院に入院先を移していた。
元々“医神”と名高い神薙隆一郎の治療の為に、睦月さんを無理して遠くの病院に移していたのだ。
彼の医者が逮捕されて治療が出来ないとなれば、無理に遠くの病院に入院させている意味も無いと彼女の両親は考えたらしい。
多忙な神楽坂さん的にも通いやすい場所に移ってくれたのはありがたい話だろう。
「それでですね。精神状態を確認してみましたがやっぱり欠損というか、精神と肉体の部分の繋がりが剥がれているというか、そういう状態みたいですね。これだと目を醒ますのは難しいでしょうし、私の今の異能だけではどうにも」
「……そうか」
「……ごめんなさい」
「いや、佐取は何も悪くない。それに予想はしていたんだ。もっと別方面からのアプローチが必要だとは分かっていた。責められるべきはそれを探すのを怠っていた俺自身に他ならないだろう」
「いや、そんなことは……!」
ちょっとだけ雰囲気が暗くなったのを察した私は慌てて首を振る。
それでもそれ以上の言葉が出てこなくて、困ってしまった私はぼんやり寝たきりの睦月さんを眺めた。
何を言うべきかも分からないから、私は睦月さんの横顔を見ていてふと思った事を口に出す。
「……私もいつか、睦月さんとは色々お話してみたいんですけどね」
「ふふっ、佐取は良い子だからな。きっと睦月と仲良くなれるさ」
「まあ、神楽坂さんと仲良いんだから心配して無いです。言っておきますけど、もしも物凄く性格が悪い方だったら仲良くなれませんからね?」
「無理に仲良くなる必要なんてないさ。ただ睦月は末っ子でずっと妹が欲しいと言っていたからな。知り合った後、佐取を離してくれるかは微妙だぞ」
「飛鳥さん枠なんですか……? いやまあ、妹が欲しいと言っても私はお姉ちゃん属性が強いですからね、そういう対象には見られないでしょうけど」
兄と妹に挟まれている私の兄妹事情だが、碌に甘えなかったお兄ちゃんと、いっぱいお世話してきた妹との関係性を考えれば、私がどっち寄りかなんて考えるまでも無い。
ちょっとだけ、挨拶をした事も無い睦月さんとの会話が楽しみになりながら、私はベッドを挟んで反対側の椅子に座る神楽坂さんの微笑んだ顔を見遣った。
「……それでは、本題に移りましょうか」
「ああ、そうだな」
表情を切り替えた神楽坂さんが口元を引き締める。
神楽坂さんが私を呼んだそもそもの理由は、睦月さんの状態を診る事ではない筈だ。
今回私が呼び出された本当の理由である話を、神楽坂さんが言葉にするまでじっと待つ。
「俺が佐取に話したかったのは、だな。まだ予定段階ではあるんだが、俺はどうやら氷室署から別の場所、異能犯罪対策課である飛禅の部署に異動になるらしい」
「え!? そ、それは……良かったんですか?」
「そうだな、最初の異能犯罪を解決したいという俺の希望を考えたら良い事なんだろうとは思うぞ。今の佐取との協力体制が変わる可能性を考えたら、良い事ばかりじゃないんだろうが」
「そ、そうですか……」
最初から想定外な衝撃の話で、私は思わず動揺してしまう。
いや、その話自体は充分予想出来る事だった。
異能が公になる前から異能に類する手段で犯罪を行っている者が居ると言っていて、その上何人もの異能を持つ者を実際に捕まえている神楽坂さんの能力の高さは疑う余地が無い。
異能犯罪が世に出回り、世間一般に周知され始めた今の状況。
今の日本的、あるいは世界的な犯罪状況は異能犯罪によるものが目立ち始め、先日のハイジャックのような凶悪なものも多く出て来ている。
何より、今の警察のトップである袖子さんのお父さんの性格を考えると、合理的に最も異能犯罪を解決し得る組織体制を作ろうとするのも当然ではある。
一連の爆破事件の時に神楽坂さんが剣崎さんという警察の上層部と直接接触した事も大きいだろうが、いずれにせよ神楽坂さんの立場の変化は時間の問題であっただろう。
「そっか……そっかぁ……神楽坂さん、これからあんまり会えなくなっちゃうのかぁ……」
そうやって考えるとしんみりしてしまう。
それでも、私の個人的な感傷で神楽坂さんの進退をどうこうしようとは思わない。
以前のように神楽坂さんが私の為を思って関係を断とうとするのではなく、神楽坂さんが希望する仕事上の事情で私との関係が断たれるのなら、それは受け入れるべきことな筈だ。
勿論、神楽坂さんとの交流を完全に断つとかそういう話ではないのは分かるが、それでもどうしても今までより会って話す頻度は少なくなるだろう。
数カ月に一回、あるいは一年に一回程度になる可能性もあるだろうかと考えていた私を見て、神楽坂さんが慌てて訂正してくる。
「待て待て、待ってくれ佐取。そうじゃない、確かに立場が変化して中々会いづらくはなると思うが、俺としては何よりも佐取との協力関係に比重を置きたい。これまで散々な扱いしかしてこなかった奴らに今更全幅の信頼を置いて働くというのも無理な話だからな。俺が言いたいのは、異能犯罪や警察の機密情報、果てには国政に関する情報がこれまでよりも多く入ってくる可能性がある分、佐取には言えない事も出て来てしまうかもしれないっていうそういう話でだな」
「え……あ、そうなんですか? もうっ、神楽坂さんってば分かりにくい話をするんですから! ちゃんと不安にならないように順序立てて話してくださいよ、もうっ」
安心した私は勘違いの恥ずかしさを誤魔化す為「うへへ」と笑う。
神楽坂さんとしても私の協力は必要なものだと考えてくれていたようで、当然のように自身の進退よりも私との協力を優先したいという言葉に少しだけ嬉しくなってしまった。
いやまあ、これまで上手くいっていた事や私の戦績を考えても、神楽坂さんが持つ異能犯罪を解決する私という手段をここから無理に変える必要が無いのは当然といえば当然ではあるのだが。
「まあっ、天才燐香ちゃんとの協力を神楽坂さんが蔑ろにする筈ないですもんね! そりゃあそうですよ! だって滅茶苦茶有能でこれまでだって物凄い結果を残してますもんね! 私の手に掛かれば異能を持っていようと犯罪者なんてボコボコですし!」
「佐取、失敗パターンの調子の乗り方をしてるぞ」
「べ、別に今は何も計画していませんけど!?」
私の態度をもはや慣れた様子で落ち着かせた神楽坂さんが、頬杖を突きながら苦笑してこちらを眺めている。
その様子はどこか楽し気で、最初に私が神楽坂さんと出会った時の、どこか追い詰められているような焦燥とした色は何処にもない。
そう考えると、実際の回数はまだまだ二桁には届かないような私と神楽坂さんの会合だが、この会合の時間が嫌いではないというのは私も神楽坂さんも同じなのだと思えた。
だが、そんな私にとっても癒しとも言えた神楽坂さんとの会話がだんだんと不穏な方向へと転がっていく。
「それで、少し教えて欲しい事があるんだ。佐取、先日のハイジャックの事だが……正直俺は全くと言っていいほど関わっていなかった訳だし、佐取に情報を求めるのは筋違いかもしれないが、出来ればその時の話も聞きたいと思っていて、だな」
「あっ……あの件ですか……あ、あれはですね……」
油断していた顔に急に枕を投げつけられたような衝撃。
恐れていた話が急に飛び出してきて動揺する私を置いてけぼりに、神楽坂さんは顎に手を添えながら次々に自分の考えを口に出していく。
「新聞や報道では被害数の話をするばかりで碌な詳細が掴めない。解決した方法や人、どのような異能を犯人が持っていたのか分からないし、警察でも特に情報規制に力を入れている異能犯罪に関するものだから俺のような末端の警察官には何の情報も知らされない。担当場所から離れた所で、なおかつ事件解決がかなりの早さだったから直接現場に行く時間もなかった、良い事だろうがその点が本当に悔やまれる」
「そ、そうなんですね……」
「ICPOがあの時関わっていたという話もある上、飛禅の話では“百貌”を名乗る存在が姿を現し、たった一人であれだけ大きなことを引き起こしたハイジャック犯にはUNNとの関りがあったのかと気になる事が多くてな。佐取が何らかの形で関わっているんだろうとは思っているんだが……佐取、どうかしたか?」
「…………」
自分の顔から血の気が失われていっているのがよく分かった。
急速に気分が悪くなり始める。
何だか動悸が酷いし、強烈な吐き気がこみ上げて来ているし、体が小刻みにプルプル震えてしまう。
現実逃避して忘れようとしていた数々を突然目の前に叩き付けられたかのようなこの最悪な絶望感は、この前黒歴史ノートを見たと桐佳に謝られた時と全く同じだ。
「……ハイジャック……ICPO、御師匠様……“百貌”……UNN……うぶぅっ……!? ぎもぢわるい゛っ……!」
「佐取!?」
メンタルブレイクワードを心の癒しであった神楽坂さんに言われた事で、回復しつつあった精神が致命的なまでの衝撃を受けた。
椅子から崩れ落ちてしゃがみ込んだ私に神楽坂さんは慌てて駆け寄り背中を擦ってくれるが、そんなものではこのダメージを回復など出来ない。
自分が今置かれている状況を再認識させられたことで、私の平静は既に跡形もなく消し飛んでしまったからだ。
「ど、どうした? 何か変な事、いや不安な事でもあったのか?」
「神楽坂さん…………私からも相談が、あるんです……」
我ながら嘆きの亡霊のような声を出している自覚はあるが、今の私はそんなこと気にしてられない。
顔を引き攣らせる神楽坂さんの腕をガシリと掴み、逃げられないようにと力を込めた。
ゾンビのように神楽坂さんにしがみ付き、床からゆっくりと体を起こした私は静かに問い掛ける。
「神楽坂さん……へへ、神楽坂さんは私と一蓮托生ですよね……? 沈む時はもう一緒に沈みますもんね……?」
「…………選択を、間違えたか」
久しぶりに神楽坂さんの目が死んだ。
私と同じである、わーい。




