黒幕の裏側
大変お待たせしました!
今話から11章、2部4章となります!
時間が掛かるとは思いますがお付き合い頂けると嬉しいです!
その日、日本国内では国会に多くの注目が集まっていた。
数ヵ国に渡って被害を出した『航空G174ハイジャック-新東京マーケットプラザ襲撃占拠事件』を受けて、早急に対策となる政策の必要性が叫ばれた事による新法案の審議。
その佳境ともいうべき最終審議が今この時の国会で行われており、日本国内に住む者達は多くが作業の手を止め、中継されている報道画面を見詰め自分達の住まう国の行く先に注視していた。
そして、その時はやってくる。
『————現在、正式に超能力使用に関する法案が国会で可決された模様です。先日のショッピングセンター占拠籠城事件や世界的に超能力犯罪が増加している事を受けて早急に進められていた超能力所持者の保護及び超能力使用を保証する内容の法案に、国会内では慎重な意見も多くあったようですが、今回の可決をもって超能力を持つ方の保証を国が行う事になると思われます』
現場のリポーターによって届けられるそんな新法案成立の情報。
多くの者に望まれて可決される事となった新たな法案なのだが、実際の所それを知った国民はその新法案で情勢がどのように変化するのか不安に思う者が殆どであり、法案に賛成した議員達さえ一概に喜べてはいないのが現状だった。
そして、世論にあるそんな不安を理解している報道リポーターも、硬い表情を崩さないまま締めの言葉を口にする。
『……これからこの法案を可決した事で私達の生活にどのような変化がもたらされるか。その推移を注意深く見守りたいと思います』
暗い雰囲気だ。
いち早く情報を得ようと国会の周りに集まっていた者達も、中継で国会の様子を説明しているリポーターも、どこかその表情には影があった。
それもその筈。
今の世界は、身勝手で、凄惨で、抵抗なんて出来ないような事件が簡単に身近で起きうる状況なのだと知らしめられてしまった。
先日のハイジャック犯によるショッピングセンターの占拠で、世界で起きている凶悪犯罪をどこか他人事と捉え気にもしていなかった一般人の危機感が、急速に高まり始めているのが今の状況なのだ。
異能が存在する事を知った。
異能を使って犯罪を行う者が居る事も知った。
名を馳せていた高名な者が実のところ異能を持っていて、国家として異能を使用しての犯罪行為に対処するための議論や対策が進められていて、警察官による世間に向けた警鐘にも似た復讐を目の当たりにした。
それらを積み重ねた上で、自分達の身近なものとして親しまれている飛行機とショッピングセンターを襲った犯罪は多くの者に冷たい危機感を抱かせる事となったのだ。
どれだけ日本が世界に比べて異能犯罪の被害数が少ないと言われようとも、どれだけ先日のハイジャック犯による犠牲が少ないと言われようとも、今までの犯罪とは受けた衝撃の種類が違う。
飛行機やショッピングセンターという身近なもので少なからず死者が出たという事実に、自分達だけは何の不安も無く平穏に過ごせると信じていた者達には少なくない衝撃が走った。
だから。
「もし自分の近くで同じような事があったら」
「もし身近な人が同じような犯罪に巻き込まれたら」
「もしも同じような事で見知った人が命を落としたら」
そういった事を考える人が、世間では多くなり始めている。
そんな、“連続児童誘拐事件”が解決していない時よりも数段悪い空気感は誰かが意図している訳でも無いのにひっそりと世間に広まりつつあった。
「……こ、こんな早急に法案が成立? ちょ、ちょっと、私全然内容を理解して無いんスけど、ウチらにとってこの法案は良い事なんスよね!? 異能持ちの立場を国が認めるってことは正式にウチらの部署の土台が国に保障されるってことっスもんね!? 全然話も降りて来てないっスけどそう言う事っスよね!? ねえ、柿崎さん!?」
「うるせェ、俺だってまだ話の半分も理解できてねェよ。話が表立って出始めてからまだほんの数日だぞ。お前と立場のほとんど変わらない俺が何か知る訳ねェだろ」
「そ、そりゃあそうなんスけど……柿崎さんなら何か私よりも知ってるかなーって……」
そして、今の情勢に不安を抱くのはなにも日常生活を送る一般人だけではなく、この新法案によって直接影響を受ける者達も含まれている。
異能という科学では証明できていない現象に対応する部署でもいつもとは違う空気感が漂っていた。
部屋に備え付けられたテレビを眺め、手元に広げた仕事を放置して動揺する一ノ瀬和美に、上司である柿崎が忌々しいとでも言うような溜息を吐く。
テレビを通して初めて知る自分の仕事に直結するだろう情報に混乱する一ノ瀬の姿だが、柿崎は相変わらずだと思いつつも、同時に仕方ない事かとも思うのだ。
世界の動きに対応するために国の上層部が秘密裏に制度を整える為に動いて、末端の人員が制度が成立してから知ることになるなんて、よくある事だ。
それは警察という立場ある組織だからという訳ではなく、国に属する以上どんな組織でも急な方針転換に振り回されるというのは珍しくもない。
どんな能力を持っているにせよ、末端である者達は自分達の上に立つ者の方針にある程度適応する必要があるし、組織人としての義務だとも柿崎は思っている。
だがそれは、経験豊富な柿崎だから思える事であり、社会人になってまだ数年の一ノ瀬が思えるようなことでは無いのも柿崎は理解していた。
だから少しでも一ノ瀬が呑み込みやすいように、何も不思議な話ではない今回のこれを、柿崎は整理する為に口にする。
「だが、そうだな。この法案の意図を大雑把に捉えると、超能力、異能持ちの事だが、こいつ等の犯罪以外の異能使用を国が正式に保証する事で名乗り出やすい状況を作ったんだろうな。厚遇する事で異能を使用しての犯罪行為よりも、国の保証の元で異能を使用し社会の役に立つ方が得る物が多いと思わせようとしてんだろう」
「な、なるほどっス……それにしても、どうしてここまで急に……」
「前々から大まかな形は考えられていたみたいだが、確かに正式なものになるまでの流れが速すぎる。詳細は分からねェが俺らが知らない急がなくちゃいけない理由もあったんだろう。今の俺達には何もかも情報が足りてなさすぎる。流れに不自然さはねェ。先日の事件がある、世界の異能犯罪による被害が多い、ウチの国の体質的なものを考えると成立までが早すぎる気もするが事情が事情だ、特段やり玉に挙げるようなおかしさはねェ……」
だが……、そうやって結論を口にしようとした柿崎は何の疑問にも思っていなかった今回の件の結果に、少しだけ目を見開いた。
単純すぎるが故の見落とし。
柿崎はポツリと、辿り着いてしまった結論を口にする。
「だが……結果だけを見るなら今回の法案が通った事で、一番得をするのは異能持ちの奴らだ」
「そ、そりゃあそうなんでしょうけど……? 何が言いたいんスか? ま、まさか柿崎さん、この法案を成立させるために誰かが裏で操ったとでも言うんスか? 異能持ちの誰かが、情勢を操作して自分の住み心地の良いように世論を導いたと? そんな大それたことをやった奴がいると考えてるんスか?」
「いや…………そうだな。疑心が過ぎた。最近は疑いすぎて変な癖が付いてやがる。異能とやらがなんでもありだと思うと妄想をやたらに膨らませちまう。忘れてくれ」
「別に私は良いっスけど……柿崎さん最近疲れすぎじゃないっスか? 休みを貰った方が良いんじゃないっスかね?」
本気で心配する部下の姿に柿崎は自分の気持ちを切り替えようとカジカジと頭を掻いた。
陰謀論染みた大それた推測をした自覚はあったし、それを部下の前で吐露した事への恥ずかしさが相まってまともに一ノ瀬の顔を見られない。
これ以上考えるのは辞めようと思い直した時、ふと以前聞いたとある異能持ちの話が柿崎の脳裏を過った。
「……顔の無い巨人、か」
思わず口にしてしまった、あまりに大それた陰謀を本当に出来るとしたらと考えた時に必ず出て来る存在。
以前ICPOから齎された情報にあった、にわかに信じがたいその最悪の異能持ちの話は柿崎の記憶によく残っている。
世界を股にかけ億単位の人間を洗脳したといわれるその存在であればあるいは、なんて、そんな事を考えたがゆえに、直接様々な異能に接する機会があった柿崎の脳内で連鎖的に現状への疑問が湧き出した。
(もし、本当に国際警察の奴らが言う“顔の無い巨人”とやらが情報の通りの狂った異能を持って存在するのなら、今の状況はソイツが意図的に作り出しているものの可能性はないか? 自分自身の手で世界を支配するよりも、自分の望む形に世界を作り替えるよう時間を掛けて裏で操作していたとは考えられないか? そうであるなら、過去に世界を手中に収めておきながら今まったく関与を見せないのは……実際に世界を手中に収めた時の不都合を修正するためにやり方を変えたと考えるべきか?)
考える。
今の状況を柿崎は考える。
異能によって世界は混沌と化し、異能の危険性を世界が周知して、異能を持つ者達が住みやすい世界作りが行われていっている状況。
結果から逆算して、もしも現状を“顔の無い巨人”という異能持ちが整えたものだとしたらと考えると、柿崎の頭の中には恐ろしい想像が形を為して現れた。
(……つまり、なんだ……過去の世界を支配したという“顔の無い巨人”は完成形ではなく、成長している途中の存在だった。強大な異能を持った完成された存在だと思われていたものが、実のところ本人にとっては成長過程だったと考えるとどうだ。もしそうであるなら、強大な力を持ちながらも、組織に属さず、成長を続け、自身の欠点を認め修正する厄介な人物像が見えてくる)
柿崎が得ている“顔の無い巨人”の情報は酷く断片的だ。
そもそも殆ど情報を残さず悪事を為したというその存在の情報自体少ないのもあるだろうが、その存在を捕まえようとすらしていない柿崎の下に僅かに残された情報すらまともに入ってくる訳が無い。
だから思い描くのはほとんど妄想に近いものだし、そもそも今の状況を“顔の無い巨人”が作り出したと考えるにはあまりに根拠が希薄ではあるが、“顔の無い巨人”と呼ばれる存在が成長途中だったと考えると何故だかカチリと嵌る物があった。
そこまで考えた柿崎は“紫龍”が自分の机で顔を隠すようにしてこっそり眠っている姿を一瞥した。
あれだけ理不尽で超常的な力で罪を犯していながら、異能を持たない者に逮捕されたと言われている男の姿を見て、柿崎は思うのだ。
(……今の俺達は、何処までがソイツの手のひらの上なんだ?)
嫌な想像だ。
現状の情勢悪化だけで手一杯なのに、過去の未解決事件である“顔の無い巨人”の世界侵略が再び起きうるのではないかという考えが脳裏に染み付いた。
目的や手法、思想や行動原理。
それらが分からない世界最悪の異能持ちが身を潜め、世界を思うがまま操ろうと深謀遠慮を巡らせている可能性を考えると寒気さえ覚えてしまった。
だが、と柿崎は思う。
伝聞でしか知らないそんな存在なんて、どうこう出来るような相手では無い。
一介の警察職員が介入できる話でも無いだろうし偶然街中で出会えるような相手でもないのだから、流石に今の自分ではどうにもできないだろうと柿崎は考えを呑み込むしかなかった。
「はあ、やっと終わった……」
成立した新法案の報道に異能対策部署内が異様なざわつきを見せている中、この部署の統括を任されている飛禅飛鳥が外から戻って来た。
きっちりと整えられた髪型やナチュラルメイクこそいつも通りだが、血色が悪そうな肌や気だるそうな所作から、蓄積している疲れが隠し切れていない。
自分の席に着き、片腕を枕に机に置かれた『ブレイン』(存在しないのに何故か世間では根強い人気を持っている存在)のぬいぐるみを弄り回し始めた飛鳥に、同期である一ノ瀬が近寄っていく。
「お疲れ様っス。良かったっスね、今回の法案が可決されて。これで幾分かやりやすくなるんじゃないっスか?」
「……まあ、確かにプラスではあるわよ。でも、精々異能を使って事件を解決なんてするな、なんていう頓珍漢な少数意見を封殺できるだけで、今の私達の仕事上に直接影響が出るようなことは無いわ。悪くは無いけど手放しで喜べるような法案じゃないし、ここから変に特権階級だって異能持ちへの嫉妬を拗らせた奴らが出てくる可能性もあるから……ううん」
「はえー、先の事まで考えてるんスね。私は取り敢えず喜んでおこうで良いと思うんスけど」
「だからアンタはお馬鹿の域を出ないのよ。ま、私的には扱いやすいからそのままで良いんだけど」
純粋に疲れている同期を心配して声を掛けたにも関わらず、返って来た酷い言葉に一ノ瀬は「なんだとぅ!?」と怒りを露わにする。
流石に階級的に差がある以上あまり表立っての反抗的な態度は控えようと、頬を膨らませながら自分の席に戻っていく一ノ瀬。
入れ替わるように、『ブレイン』と呼ばれる存在がどういう成り立ちかを知る柿崎が今なおぬいぐるみを弄り回している飛鳥に微妙そうな顔をしながら声を掛けた。
「そのぬいぐるみはいつ作ったんだ?」
「昨日完成したのよ。私の自作よ、あげないからね」
「いらねェし、そもそもソイツについては可哀想だからお前の立場でいじるのは止めてやれ。ウチの部署の奴らの中の、一ノ瀬辺りはマジで少し信じてる節があるんだよ」
「知らないの? 世間ではウチの部署のトップはこの子だと思われてるのよ? 柿崎部長の上司でもあるんだし、こうして私がちゃんと偶像を作ったんだから、ちゃんとこの子に敬いなさいよ」
「……」
フードを被った状態で眼鏡をしている半目のぬいぐるみを柿崎は見下ろす。
何の意志も無い筈の半目のぬいぐるみから、何故だか悲壮感を感じてしまった柿崎はそっと視線を逸らした。
警察内部でさえ極秘の存在であり、日本の異能犯罪の発生が低い理由とさえ言われているコレを無理に否定すれば、警察内部の士気さえ下がりかねないのだから、もう放置するしかないだろう。
「……もういい。それより、今回の新法案の推進は誰が主導だった?」
「さあ? かなり力を持った議員が裏で根回しして成立させたようだけど、根回しが上手すぎて誰が大元か分かったものじゃないわ。ほんと、国政に関わる奴らって妖怪染みてるわよね。なに? 柿崎部長が公安まがいな事もする気になったの?」
「かなりの力を持った誰かが裏で手を回したのは間違いないと思っていた。そうでなければ、こんな性急な法案成立だ。神経質なまでの反対意見がもっと多く出てねェとおかしいだろう。で、そこまでの力を持った誰がどうしてこんな法案を押し通す必要があったのかと思ったんだよ」
「私も同意見よ。でも残念ながら尻尾を出さなかったわ」
ばっさりとそう言い捨てた飛鳥に柿崎はそうかと小さく返す。
元々期待していた訳ではないが、少しでも不穏だと思う点を排除できれば考えるべき事も減るのにという落胆がどうしても出て来てしまう。
一ノ瀬、柿崎との会話を済ませ、一通りぬいぐるみを弄って精神を落ち着かせた飛鳥は手を叩いて部屋にいる職員の注目を集め、全員に向けて指示を飛ばす。
「ともかく、今回の法案で強制的に異能持ちにさせられた人達の保護をウチが行う事になったわ。例のハイジャック犯が薬品を使って異能を開花させた二名。高校一年生の男子生徒と十歳程度の男児、どちらも子供だからサポート担当の人員を割いて、私生活が異能を持ったことで乱れないように調整する。で、それを優先した上で、状況を見て私達の事件解決に協力してもらう形になるわ。子供に協力してもらうなんてと思うかもしれないけど、方針としてはそうなってるから了解してね」
「じ、人員を割くんですか? でもこれ以上ウチの部署に余裕なんて……」
「勿論後から予算とか人員とか増える予定よ。急遽決まった法案に対応するためにも、異能なんていうものを押し付けられて混乱している子供を助けるためにも、私達は即座に対応する必要があるの。ちょっと無理を通す訳だから皆には苦労を掛けるけど、お願いね」
基本的に警察を志す者達は善人だ。
泣いている子供や困っている人を助けたいと思って警察を志す。
だから異能を押し付けられた被害者を助ける為なんて言われたら、いかに負担が酷くても無理とは言えずに黙り込むしかない。
その内情を分かっているからこそ、飛鳥は部下に被害者を盾にした労働をさせるし、異能持ちという自分の最強のカードを切ってでも、予算や人員の増加を上層部に呑ませる腹積もりであった。
(まあ、こんなことしていれば部下からの信頼は失うだろうし、上層部からは良い顔されないでしょう。別にこの仕事にしがみ付きたい訳でも無いし、そもそも特例で成り上がったこんな小娘追い出したいっていうのが全員の本音だろうから、追い出されそうになったらさっさと辞めてやるわ。その後は燐香の奴に粘着して、何か異能を使った商売でも……)
そんな風な幸せいっぱいの未来を皮算用していた飛鳥だったが、ふと思い出した連絡事項を続けて部下達に伝達する。
「————あ、そういえば、詳しくは分からないけど、ICPOが何か情報収集する為にちょっと近くを回るって連絡があったわ。別に大したことじゃなくて協力も必要ないらしいけど。近場をウロチョロする可能性があるから連絡だけするって話みたいだから知っておいてちょうだい」
この一つの部署の中でさえ色んな思惑が錯綜する。
違う方向を見詰めた思惑がいくつもあって、いくつかの変化はあっても、どれも大きな事件を引き起こすような引き金には見えないものばかり。
だが、世界を取り巻く情勢が、日本を中心として大きなうねりが起き始めている事は確かだった。
‐1‐
「……また彼らは集まっているんですね」
車窓から道路に並んだ者達を見遣った運転手が呟いた。
運転手と高齢の男性の二人しかいない黒塗りの車に響いたウンザリとしたような言葉。
彼等の視線の先にあったのは、年齢や性別、国籍に共通点が無い様々な国の多種多様な者達の集まりで、それらは国会議事堂前の歩道を占領するようにして膝を突いている。
百にも届きそうなその集団が一様に膝を突く姿はまるで神様に祈りを捧げているかのようであり、実際彼らの目的を思えば祈りであると思うのは間違いではなかった。
「無許可で集まる国内外問わない者達の集まりか。ここ数週間は毎日のように集まっているね。“Faceless God”による救済を求める者達の集まりの数は、ここ数日でさらに数を増やして、このままいくと数千数万と増えていく事も時間の問題かもしれないね」
「はぁ……良い迷惑ですよね。何でわざわざ日本に、その上国会前に集まるのか。議員の方々の迷惑ですし、運転をする自分としても邪魔で仕方ない。自分の国の犯罪くらい自分の国だけで収めろって話ですよ」
異様な集団をそう評するのは、彼らが集まっている国会議事堂から出て来たばかりの阿井田博文議員とその運転手だ。
異様な集団を見ても柔らかな表情を変えず感情を覗かせない阿井田議員とは異なり、運転手である男の表情には若干の苛立ちが浮かんでいる。
運転手にとって、国会議事堂での本日の審議が終了した政界の重鎮、阿井田博文を自宅へと送迎をするこの仕事は何よりの大役だ。
そんな責任ある仕事だからこそ、身勝手とも言える動機で仕事の障害となりえる異様な集団の存在を、運転手である彼は許せない。
だからこそ、ここのところ毎日集まり通行の妨げになっている宗教染みた団体を、運転手である男性は若干の怒り口調で揶揄する。
「彼らの境遇は分かってますよ。異能犯罪の被害に遭った人達がほとんどなんですよね? 俺だって異能犯罪の被害に遭ったっていう事には同情するだけの心はあります。異能犯罪も無くなれば良いなって思いますもん。でも、だからと言ってありもしない神頼みの為に他の国の政権中枢施設にすら迷惑を考えず集まるなんて……そんなんだから応援しようと思えないんですよ。まあ、そもそも俺は自分の国の事件くらい自分達の力で何とかしろって考えですしね」
「……」
つらつらと吐露される不満。
小さな頃から周囲よりも努力を重ねて来た人物だからこそ、運転手である男性は他力本願のようにしか見えない集団に対して苛立ちを露わにする。
多数に賛同されるような意見ではないかもしれないが、日本人的な感覚からすればあながち間違ってもいないだろう意見を聞いて、そんな運転手に同調することなく阿井田議員は穏やかな表情を維持していた。
「異能による犯罪の凶悪化。多くの犠牲者が容易く産まれ、かつ一部の先進国以外は自国のみでは対応も難しい力の行使。国際警察や対異能戦力を保有する国の助力が必要不可欠な今の状況が続けば、いずれ異能犯罪を用いた国家間競争に発展するのは間違いない。国家間における覇権争いが、異能という才能を用いたものに変わり始めている世界情勢にどう対応するかが昨今の課題だ。だがそれはあくまで国家運営を行う者達の視点であり、日常生活を送るだけの者達の多くは異能犯罪という自分達の脅威に対する恐怖からの脱却を望むだろう。その証左があの光景だ。“Faceless God”、つまり“顔の無い巨人”による再支配によって、強制的にでも世界平和が為されることを望んでいる」
「えっと……? あまり難しい話は分からないですけど、あー、阿井田先生もあの人達が邪魔って言いたいんですよね?」
運転手の男性は話が噛み合っていない事に気が付き、動揺した様子でそう問い掛けるが、阿井田議員は視線すら運転手に向けなかった。
まるで最初から、運転手である彼の言葉など聞く気も無かったというように、何一つ運転手に対する反応を示さない。
それでも阿井田議員の独り言は続く。
「二年前……いや、もう三年前か。“三半期の夢幻世界”と呼ばれる世界に犯罪や事故が何一つ無かった期間。当時こそ異様な状況に恐怖する者は多かったが、振り返ってみれば悪事を為さない者にとってこれ以上無いくらい過ごしやすい時だっただろう。その事が今になって身に染みて、その頃が忘れられない者達が集まり宗教のような団体へと変質してしまっている。その数は日に日に増えている事は、今世界を取り巻く問題の一つでもある訳だね。とはいえ仕方のない部分もある。あの中には先日のハイジャックで親しい者を亡くした者も含まれている。追い詰められた人間には縋るものが必要になる。だからどうしても、私達人間は求めてしまうんだよ」
「は、はあ……」
“顔の無い巨人”を信望する名も無い集団は今、世界各地で数を増やしていっている。
彼らの目的が“顔の無い巨人”の再臨なのであれば、現在異能犯罪の数が圧倒的に少ない日本を居住としている可能性は考えるだろうし、その場所に赴いて願いを伝えようとするのも不思議ではない。
だから、それらの事情を知る阿井田議員は一概に彼らを否定しようとは思わないし、小馬鹿にするようなことも無いのだ。
「私はね、彼らの考え方を否定しようとは思わない。三年前の状況に戻っても、それはきっと悪くは無いだろうと思うよ。たとえあの存在が悪しき者だったとしても、少なくとも今ほど誰かの欲望がぶつかり合う事も、今よりも犠牲が出る事も、そして唐突に誰かに命が奪われるような事も無くなる訳だからね…………さて、貴女はどう思う?」
「はい? え、わ、私ですか? えーっと…………」
長い独り言の終わり。
そして続けられたのは、誰かに向けた質問。
当然、その質問は運転手などに向けられたものでは無い。
問い掛けられた解答者もそれを理解していた。
「————正体不明の現象に縋るような行為は身を滅ぼすだけよ。自分の無力を棚に上げ、誰かに救いを求めるだけの人達を私は好ましくなんて思わないわ」
解答があった。
車内にいる筈の無い幼い少女の声が響く。
呆然と目を見開いた運転手とは正反対に、阿井田議員は最初から分かっていたように一切の動揺を見せず、少女の返答に対して苦笑いを溢す。
「辛辣な回答だね。私が知ってるあの人はそこまで冷淡では無かったと思うのだけれど?」
「心変わりくらいするわ、多感な時期だもの。というか、いきなり居るかも分からない私に話し掛けるなんてどういうつもり? まあ、さっきの法案を成立させたんだから私が顔を出すと思ったんでしょうけど……取り敢えず、そこの運転してる人は邪魔だから少しの間“人形”になっていてもらうわね」
阿井田議員の隣の席に唐突に現れた少女が気だるげに視線を運転手である男性に向ける。
その瞬間、先ほどまで苛立ちや困惑を浮かべていた運転手の男性が何事も無かったかのような普通の顔で運転に集中し始めた。
まるで後部座席での会話や突然姿を現した少女に気が付いた様子も無く、ただ黙々と自分がするべき運転だけに意識を向けている。
何の前準備も無くそうなるように彼の精神を操作してみせた少女に、阿井田議員は呆れたような顔を向ける。
「本当に異能というものは馬鹿げた力を持っているんだねぇ。予備動作も無く人一人を操る力なんて、世界を揺るがしかねない力だと思うのだけれど?」
「才能って残酷ね」
「……ちなみに、運転手の彼は精神が死んでいたりはしないよね? 性格は悪いがあれでも運転手としては重宝しているんだ。ちゃんと元に戻るのだろうね」
「現実って残酷ね…………冗談よ。そんな顔で私を見ないで貰える? 私は割と性格が良い方だっていう自負してるの。いきなり人の精神を壊したりなんかしないわ。やったとしても、せいぜいちょっとだけ私の都合の良いように書き換えるだけよ」
「性格が良い人は他人の家に勝手に上がり込んできたり、勝手に車に乗り込んできたりはしないものだよ」
「マナーを守るかどうかに性格は関係しないわ。その時その場所で必要がなければしないし、必要があればするだけよ」
「ふう……もう良いから、さっさと用件を済ませて欲しいね。何が望みかな」
ああ言えばこう言う……と、げんなりした様子の阿井田議員が隣に座る少女を見遣る。
仲間でも、同士でも、協力者でも、共犯者でも無い。
あまりに危険な少女の姿を見遣り、阿井田議員は目を細めて慎重に問い掛ける。
「私は君に協力しないと言った筈だし、君もそれに納得しただろう? こうしてわざわざ会いに来るなんて……始末しに来たとでも言うんじゃないだろうね?」
「……事情を知る協力しない相手は不穏分子。貴方も今まで散々政仇達を陥れてきたんだから。それはよく分かっているでしょう?」
少女がニタリと悪意に満ちた笑みを浮かべ、阿井田議員の耳元で囁く。
「————辞世の句を読む時間くらいはあげるわ」
「っ……」
空気が凍った。
目に見えないナニカが肌を撫でた。
隣に座る自分よりも二回り以上小さな少女から不気味なノイズの様なものが溢れ出す。
処刑台のように冷たい言葉に体を強張らせた阿井田議員が血の気の引いた顔をゆっくりと少女に向ける。
無限にも感じた短い時間。
だが、この状況を作った当の本人は悪気も無いようにクスクスと笑いを漏らして「冗談よ」と口にする。
小学生程度の背丈しかない少女に振り回されている事を自覚し、阿井田議員は思わず心底疲れたように溜息を吐いてしまった。
「知ってはいたが、貴女の冗談は笑えない……」
「頭が回る癖に妙な事を口走るからよ。貴方の冗談に乗ってあげただけなんだからそんな疲れた様な顔をしないで欲しいわ」
「抵抗手段を持たない相手に対して捕食者が舌なめずりをするような行為は笑えない冗談なんだよ。本当に反省して欲しい」
「ふふっ。まあ、それで要件なんだけど」
本気で疲れている阿井田議員を適当にあしらった少女は落ち着く時間も与えずに、自分の目的である話に入る。
「今回の新法案、裏で根まわししたのは貴方ね? 私に協力しないと言いつつ、異能持ちの立場の保障と優遇を行うなんて随分大胆な行動をするのね」
「……別に貴方が気にするような思惑があった訳じゃ無いよ。異能というのは資源だ。人に備わっているだけの、いわゆる意志を持った動く財産。地球上に数が限られていると言うのなら、自らの意志で他国からこの国に来てくれた方が今後の国力と成り得る。そして優遇とは言うが、同時にそれは国の手元に置くと言う事。飴であり、名誉であり、檻であり、首輪である。様々な理由から法案成立を急いだ訳だけど、あくまで国益を考えただけの事だ。貴女が危惧しているようなことは誓って無い……とは言え、異能排除派の意見を潰したのは少し恩を返す意味合いもあったのは確かだね。あの人にどういう思惑があるかは知る由も無いが、敵対するつもりはない」
少女はおぞましい光が宿った目をしばらく阿井田議員に向けた。
見た目の幼さからは到底想像できないほどあらゆるモノの中身を見通すような、冷たく鋭い目をした少女はようやく納得した様子を見せて、そっと視線を逸らす。
「敵対するつもりは無い、ね。まあ、目的が違うだけで私と貴方の境遇は似ているんだもの」
「境遇は似てるかもしれないが、私は貴女が思う程あの人に尽くしてはいない。恩は感じていても、金銭での対価は支払った。あくまで二の次、三の次、国益に沿う形であの人の役に立てればとしか思っていないんだよ。貴女の本当の目的は、分からないけれどね」
「私の目的は……そのうち分かるわ。別のアプローチがどうしても必要だったから時間が掛かっていたけど、その準備ももう少しで終わるの。世界が一変するけどほんのちょっとよ。気にすることではないわ」
「…………では私は、貴女の計画が失敗する事を切実に祈っておくとしよう」
話したいことが終わったのか、少女はその場で唐突に立ち上がる。
少女のそんな行動を予知したように運転手が車を道の端に停車させ、外を歩いていた赤の他人が車の扉を開いて少女の降車の補助を始めた。
そして、車から降りていこうとした少女はふと思い出したように阿井田議員へ振り返る。
「そう言えば、ずっと聞きたかった事なんだけど、ご家族との関係は良好? また不信感を持ったりはしてないわよね?」
「……良好だとも。おかげでさまでね。言っておくが貴女に対して言っている訳ではないよ」
「ええ、知ってるわ。でもそうね、それは良かった。ご家族を大切にね」
「…………」
安心したように柔らかな微笑みを見せた少女の背中を、動き出した車の窓から見えなくなるまで見送った阿井田博文は疲れたように口を閉ざして目をつぶった。




