支配者たるもの
もの凄い難産で時間が掛かってしまいました……!
後で手直しするかもしれませんのでご了承ください!
それはあまりに異様な光景だった。
一連の爆弾犯である宍戸四郎が何の前触れもなく唐突に、誰も居ない空間に向けて会話を始めたのだ。
最初こそ気が触れたのか、若しくは薬品の副作用かなんて事が頭を過ったが、それにしてはあまりに理性的な様子の宍戸四郎という男性の姿に、その推測は違うのだと判断する。
(……悪意も害意もなくて、巧妙な認識阻害だったから気が付くのが遅れたけど、微量の異能の出力があの人に向けられてる……これは、精神干渉の力……?)
幻覚、幻聴、あるいはそれに類するものを今の彼は見ているのだろうと、そんな風に私は目の前の光景に当たりを付けた。
そして、そんな異能出力の探知すら困難にする巧妙な認識阻害で、私ですら未だに現状に確信を持てていないのだから、当然異能の探知すら出来ない他の人達は目の前で何が起きているのか理解できていない。
唐突な宍戸四郎という犯人の異様な挙動に、飛鳥さんも含めた私以外の人達は何が起きているのか分からないようで、彼の言動を警戒するように見続けている。
直ぐにでも制圧に動くべきなのか、それとも宍戸四郎が落ち着くのを待つべきなのか、そんな迷いが彼らの足を止めている。
普通であれば致命的な隙と成り得るこの時間だが、突然介入してきた姿の見えない異能持ちの存在を考えると、ある意味手を出さないというのは最善手であると思う。
(どうする……? このまま手をこまねいて状況の推移を見守る? この姿を現していない異能持ちの目的は私が今持っている情報で推測できるもの? それとも後先の事を考えるのを放棄して、無理やり逆探知を行ってマキナと一緒に全力で攻撃を仕掛ける……?)
頭の中で幾つかの候補を出してみても、どれも正解とは思えないものばかり。
前触れも無く唐突に現れた姿の無い存在に対して私が出来る事はそう多くないのだと、私は現状を認識する。
無理に出しゃばって返り討ちが、一番最悪のパターンだと言うのを私はよく理解しているのだ。
「……何が起こっているの? 燐香、分かる?」
「……本当に微量ですが、異能の出力が感じ取れます……」
「……出力元を辿れそう?」
「阻害が激しくて……でも、やります。逆探知します。相手の全貌が見えないので、気が付かれないように注意して……」
こっそりと話を聞きに来た飛鳥さんに私はそう返し、じっと異能の出力に関する分析をしていく。
姿の見えないこの相手の異能の種類は私の精神干渉に近い。
対象に直接思考を届けるタイプの異能の使用をしていて、今のところそれ以上の何かをやれるような出力はしていない。
異能の出力先は北北東の方角から行われており、その距離は……。
(……駄目だ。20㎞以降は阻害が酷くて場所の特定が……大体、この阻害のやり方といい、異能の出力といい。なんだか……)
集中して頑張ってみるが、阻害が酷く“白き神”の時のように上手くはいかない。
恐ろしい事にそれだけで、この相手が非常に異能の扱いに長けた人物である事が分かってしまう。
自分よりも異能の扱いが上の可能性を視野に入れ、そうなるとこのまま逆探知を続けることさえ危険かと、私は直ぐに手を引いた。
人生諦めも肝心。
というか、私の異能で情報を取るのが難しい相手とか、私単体では闇に潜んで後ろから刺す以外勝ちの目が見えない。
「チッ、何が起きているか分からねェが、さっさと叩きのめすのが一番な事には変わりねェ! そうだろ!?」
「待て柿崎!」
凍り付いた状況に痺れを切らした鬼の人が、重戦車のような筋肉の体を一直線に宍戸四郎の元へと突進させ、巨大な腕を思いっきり振り抜いた。
姿の無い誰かとの会話で、碌な警戒もしていなかった宍戸四郎は鬼の人の強襲に反応すら出来ないまま殴り飛ばされる……なんて、そんな筈が無かった。
「ぅ、ぉ……!」
宍戸四郎の顔目掛けて振るわれた鬼の人の拳が不自然にブレ、狙っていた場所から大きく逸れる。
寸でのところで床を殴る前に腕を止めた鬼の人が、立ち眩みに戸惑うように自身の頭を押さえて平静を取り戻そうとしている。
思っていたよりも攻撃的ではないが、やはり妨害対策は施しているようだった。
目的も力も不明、それでも手を打たないなんて選択肢は選ぶべきでは無いだろう。
精神干渉系統の異能は始末が悪い。
自分の異能ながら心底そう思うからこそ、私は格上の可能性があるこの相手に対して一つカードを切る事を決める。
(……マキナ、出力の消費は考えなくていい。あの人に干渉してる奴の出力を辿って確認して。手を出すかどうかはその報告で考える)
(おおっ!? 久しぶりの御母様からの委任カ!? マキナに任せロ!! どんな奴でも地の果てまで探し出してボコボコにしてやるゾ!! むんむん!!)
(ボコボコは待ってっ、思ったよりもヤバそうな相手だから……!! 私が辿れたのは20㎞まで、北北東の方向。お願いマキナ)
私では危険だとしても、マキナは違う。
過去の私が溜めに溜めたマキナという切り札の一つ。
マキナに備蓄された異能出力は膨大の一言であり、その性質も強力かつ凶悪。
まともに太刀打ちできる人間なんてそういない。
例えこの目の前の異様な異能持ちに対しても、遅れを取るなんてことは無いだろうと思ったのだ。
そして、そんな私の想定に誤算は無かった。
私の指示に従うまま、マキナは即座に自身の肉体とも言える電気経路に感覚を働かせ、目の前の微量な異能出力の元を迅速に探し当てた。
ここまでは計算通り。
私にとってのただ一つの計算違いは、探し当てた後のマキナの反応だった。
(…………御母様?)
(え、何? どうしたの? 何か異常があった?)
(??? ……脈拍体温心音異能出力、相似性96%)
(マキナ……?)
(御母様、御母様が……??)
明確な動揺を示すマキナに私は不安を覚え、どういう事か詳しく話を聞こうとして。
――――直後、深海の底に落とされたようなおぞましい異能の出力が部屋に満たされた。
ぶわりと、冷や汗とともに総毛立つような感覚が全身を襲う。
全力で危機を知らせるような体の反応に、同様の感覚を感じ取った隣の飛鳥さんが引き攣った声を上げる。
「は、ぁ!? 攻撃っ!? ここから回避してっ……!!」
「……っ」
(違う、これは攻撃じゃない……!)
私はこれを良く知っている。
この感覚に、この技術。
私はこの異能の使い方には覚えがある。
昔、自身の異能を試していた時に、私はこれを実際に試したことがある。
例えば、迫害され監禁されていた、“浮遊”の異能を開花させきれていなかった衰弱した少女に対して使ったような、そんな技術。
随分昔に使い、試行錯誤して使うべき技術ではないと決めたもの。
誰に話した事も無く、誰も知る筈の無いものが目の前で使用されている。
咄嗟に、私は異能の対象となっている宍戸四郎に干渉し彼の視界を共有した。
『貴方は神様に選ばれなかった。けど、私は貴方を選んであげるわ』
そして、宍戸四郎の目を通して私はその人物を目の当たりにする。
尊大で、ふてぶてしく、自分がこの世界の王であるかと思っているようなその姿。
まるで昔の私を鏡写しにしたような、幼い少女の姿がそこにあった。
‐1‐
宍戸四郎から異能の出力が噴き出した。
体内に取り込まれ、放出する術を持たない宍戸四郎の体を内側から傷付けていた異能の出力が噴き出し、渦を巻くように彼の周囲に漂い出す。
血液によく似た赤黒い異能の出力は、異能の感知が出来ない人達の目にも映ったのだろう。
突如として現れた赤い霧のような異能の出力を目の当たりにして、多くの警察官が驚愕を露わにしている。
異能に関する才能が微塵も無い宍戸四郎では、ある程度の才覚があれば異能を開花させられる薬品を過剰に摂取しても手に入る事が無かったその力。
それがほんの数秒の間に、生まれ変わったかのように才能を開花させた事の異常性を正確に認識出来た者は少ない。
「なんだあれ……? 武器でも、爆弾でもない……?」
「みょ、妙な行動をするな宍戸四郎! 抵抗する素振りを見せるなら、こちらは発砲する事も厭わないんだぞっ!!」
「待てお前ら! これは、危険だっ!」
平衡感覚を取り戻した柿崎による制止の声は届かない。
突如として目の前で起き始めた非科学的な現象に恐怖を覚えた警察職員達が、堪え切れずに手に持っていた拳銃の引き金を引いてしまった。
引き金を引かれた拳銃は使用者の指示に従い銃弾を撃ち出し、妙な行動を取ろうとした宍戸四郎を数多の銃弾が無力化しようとした。
だが。
「……ああ、使い方は分かった」
発光と高熱の放射。
それは科学的には起こりえない爆発だった。
宍戸の周囲を取り巻いていた赤黒い異能の出力を元にした大爆発が、飛来していた銃弾全てを吹き飛ばす。
発生した爆発にあらゆる方向から悲鳴が上がる。
何が起きたのか分からない周囲の警察官達と同様に、爆炎と黒煙の中に立つ男が自分自身の引き起こした現象を目の当たりにして、信じられないように目を瞬かせた。
「これが……異能の力」
まじまじと自身が引き起こした現象を眺め、両手を確認し、自身の頭に異常が無いかを確認するように髪の上から手で触れて確かめる。
まるで頭に穴でも開いているのではないかと疑うようなそんな仕草を経て、ようやく手にした力以外自分の体に何も変わりがないのを理解して、誰も居ない警視総監席を見遣った。
視線の先に、爆発で机や椅子が転がっている以外に何も無いのを確認し、困惑した表情を浮かべる。
「……あの少女は……」
「宍戸お前っ、異能の力をどうして突然っ……!」
「チッ! 怪我人を部屋から運び出せ! こいつは俺達が何とかするからお前らはここから脱出しろ! 下の階の爆発の火災はどうとでもなる! 灰涅の奴が逃げ遅れた奴らを回収している筈だ!」
「もう、いないか……。本当に、俺がやるべきだと思う事をやれと、それだけの為に」
そう一人呟き、彼は口を噤む。
そして“爆破”の異能持ち、宍戸四郎は状況を理解して身構える神楽坂と柿崎に対してゆっくりと向き直った。
かつては共に寝食を共にした相手でもある彼らへ向けたその姿は、もはや一分の迷いすらない。
「……柿崎、やれるか?」
「……誰にものを言ってんだ?」
この二人も、少なくない縁を持つ宍戸四郎の行動を自身の手で止めたいという想いがあったのだろう。
異能と言う、理外の力を得た目の前の男の危険性を理解しながらも、彼らは同時に駆け出した。
砲弾のように迫る柿崎よりも数歩分早く神楽坂が宍戸の元に辿り着く。
速度をそのままに震脚のような踏み込みにより、高速で宍戸の背後に回り込んだ。
神楽坂がそのまま全身をコマのように回転させ、後頭部を刈り取るような回し蹴りを放つと同時に、正面から迫っていた柿崎が肉薄し丸太の様な腕を大きく振り抜く。
前後からの襲撃に一瞬だけ焦りを浮かべた宍戸だが、直ぐにそれは牙を剥いたような笑みに変わる。
「小難しく考える必要は無いか」
「っ!」
「くそっ!」
自身の手に纏わせた出力を爆破させながら、前後からの強襲に対して容易く対応する。
目の前で起きた爆風と高熱に二人は体ごと浮き上がり、攻撃の中断を余儀なくされた。
長身の二人の警察官が、まるで圧倒的に重量差がある相手にあしらわれたかのように、床を転がり体勢を崩している。
完璧な連携。
完璧な技術。
そして警察内部でも限られるほどの高い身体能力。
それらを持ってしても、異能という超常を相手にするには足りない。
それもその超常を持っているのが素人などではなく、神楽坂達と同様に訓練を受けた人間なのだから。
「……形勢、逆転だ」
神楽坂と柿崎という二人の武闘派を容易くあしらい、宍戸という男の周囲を爆炎が意志を持つかのように取り囲む。
炸裂する火花が躍るように周囲を取り囲むその男の危険度は、もはや通常では手に負えないほどまで跳ね上がっていた。
彼が手に入れた力は単純な“爆破”の力だ。
現状は、自身の異能の出力自体を爆破するしか出来ない程度の練度しかないのだろうが、それでも殺傷能力としては充分以上の力を有している。
科学的な調合や面倒な手順を要せず、さらには不可視で周囲を爆破できるその異能の危険度は現段階でも非常に高い。
そしてこれから、練度が上がり、出来る事が広がればどれほど危険になるかは分からない程の力。
そして自分自身でもその事を充分に理解しているのだろう。
手にした力に驕る様子も無く、自身が手にした理不尽なまでの力を噛み締めた宍戸は、先程と変わらない眼光を神楽坂達に向けた。
「お前らの事は尊敬している。お前らの能力も信念も、得難いものだと俺は信じている。……だけどな、どうやらこの力は随分不公平で残酷なものらしい……神楽坂上矢、柿崎遼臥。今の俺は、お前らじゃどうしようも無い」
そうやって、心底忌々しそうに宍戸はそう吐き捨てた。
臨戦態勢を継続する神楽坂達から僅かたりとも注意を逸らさないまま、宍戸は自身の異能を確かめるように出力を張り巡らしていく。
そんな一触即発の状況で、フードの少女が声を上げた。
「待って下さい。宍戸四郎さん、このまま貴方が手にした異能で抵抗を続けても意味は無い筈です」
「……また君か」
「当初の貴方の計画遂行は不可能に近いですが、過去の事件の暴露や隠蔽事件の関係者達への楔を打ち込む事には成功した訳です。このまま異能を使って暴れても、これ以上貴方に得る物があるとは思えない。この場で貴方が異能を使用し抵抗する意味は無いように感じられます。どうして今になって異能を手に入れたのかは知りませんが、貴方にとってこれ以上の犠牲者を出す必要性は無い筈。少しでも良識があるのなら、これ以上この場にいる過去の策謀とは関係の無い人達を傷付けるのは止めましょう」
現状を考えれば宍戸の目的はほとんど達成されているようなもの。
“紫龍”と言う、異能を持った犯罪者を異能持ちの戦力として使う前例があるのだから、これ以上被害を出すのは止めて、出来る限り軽い罪のまま“紫龍”と同じような立場に落ち着くのが一番。
そう言外に伝えた少女は異能持ち同士の大規模な戦闘の発生を抑え、姿を現していない“百貌”の迎撃準備に取り掛かりたかったのだが、そんな彼女の期待は虚しく潰える。
「……君のそれは確かに正しいんだろう。俺が最も果たしたかった、警察や政府の不正を暴露する事や事件に関わりのうのうと過ごしているだろう犯人や隠蔽工作を行った者達への20年前の“北陸新幹線爆破事件”はまだ終わっていないというメッセージは正しく実行できた。少なからず、この国の状況を変えようとする者達は出てくる筈だ。これ以上俺がここで抵抗して犠牲者を出す必要は無い。だが……」
「……」
「正しさだけを追求できるのなら、そもそもこんな事件など起こす筈が無い。感情論こそ、人を動かす最大の動力になりえる。そして、俺は何一つ満たされてなどいない。俺を突き動かした感情は、今なお俺の中で燃え続けている」
(……やっぱり駄目か……)
少女は少しだけ肩を落とし、これから始まる戦闘の発生を阻止できなかったことを悔やむ。
ボタンを掛け違えただけの人だから、もしかしたらと思ったが、そう上手くはいかないもの。
だが、決裂したのならやるべきことは、これまでと同じだ。
周囲に視線をやり、先程あった正体不明の異能持ちの出力が近くに無い事を確認し、思考を冷たく切り替えていく。
(……“爆破”の異能なんて放置したらどこまで被害が出るか分からない。正体不明のアイツを警戒しないなんて出来ないけれど、目の前のコイツも野放しには出来ない)
だから。
燐香が最終的に辿り着いた結論は。
(マキナ。これから宍戸四郎を制圧するまでの間、周囲からの異能出力を全力で排除して)
(む、むん……)
(攻撃は出来なくても妨害は出来る、そうでしょう?)
燐香に対してマキナは攻撃する事が出来ない。
それはマキナという存在を作り上げた際に規定した絶対の規律であり、マキナ自身では覆しようがない(試みたことも無い)法則ともいうべき事項である。
だが、あくまでそれは攻撃をする事が出来ないのであって、燐香を防衛する上で攻撃性を持った異能の出力を遮断できないという訳ではない。
それを理解した燐香の指示は、現状の妥協策としては最善に近いものだ。
言い淀むマキナに一方的にそう指示を伝え、燐香はそっと隣へと視線をやった。
燐香と飛鳥の視線が一瞬交差する。
今この場に必要なのは、絶対的な暴力措置なのだとお互いの意見が一致した。
いつか、“白き神”と呼ばれる存在の手駒である複数人の異能持ちを同時に相手取った時と同じ一手を打つことを、お互いが無言で了承する。
“飛翔加速”の異能を、一時的に一つ上へと押し上げる。
「貴方の想いは分かった」
「っ!?」
空気が変わった。
“百貌”が行った異能行使が深海に突き落とされるような感覚を与えるものであったのなら、今の飛禅飛鳥の異能行使は落雷が目前で起こったかのような感覚を与えるものだ。
破裂したような暴力的なまでの巨大な出力が警視庁本部全体を軋ませる。
異能を感知出来ない筈の者達が何かに怯えて尻もちを突き、尋常ならざる感覚と脳内を駆け巡る警鐘に宍戸が思わず息を呑む。
「私はもう、貴方を手折るべき犯罪者だと断定する」
膨大な出力が漏れだし、火花のような現象となって飛鳥の周囲を取り囲む。
そもそも強大だった飛鳥の出力がさらに膨れ上がり、異能の感知を行えるようになったばかりの宍戸に恐怖さえ抱かせる程巨大な出力を放出し始めた。
「これはっ、なんだっ!? これが、異能の出力っ……!? いやっ、それにしたってこれは……!?」
次の瞬間宍戸は、自身の視界一杯に広がった手に顔を掴まれ、そのまま壁に叩き付けられた。
瞬間移動と思えるほどの速度の飛鳥の攻撃は、宍戸の認識能力を完全に上回る。
状況も分からないまま、白目を剥きぐらりと体勢を崩した宍戸の体は倒れる事さえ許されず、全身が杭を打ち付けられたように形無い力によって別の壁へと叩き付けられる。
そして、自爆を警戒し、次の瞬間には宍戸から大きく距離を取った飛鳥が破壊された瓦礫や家具を高速で周囲に旋回させ始めた。
高速で旋回するそれらは、まるで巨大な電動ノコギリのような様相を見せ、歪な高い金属音を発しながら壁に磔にされた宍戸目掛けて高速で迫る。
「待て飛禅! 殺しは駄目だ!」
「……何言ってるの。こんなものじゃ終わらないわよコイツ」
咄嗟に叫んだ神楽坂に対して微笑みを消した飛鳥がそう断言し、自身が操る巨大な電動ノコギリのような瓦礫の刃をそのまま宍戸に差し向ける。
「…………随分、手荒い実力行使だな」
ほんの一瞬。
迫りくる瓦礫の刃に合わせて最大規模の爆発を周囲で起こし、壁や天井もろとも飛鳥の攻撃を破壊した宍戸が、血に濡れた顔を上げる。
自身の爆破による衝撃で全身にやけどを負い、血に塗れながらも、宍戸は獣のように牙を剥いた好戦的な笑みを浮かべている。
これまで見せていた、卑屈で従順なだけの上っ面が剥がれ落ちている。
「だが、悪くない。丁度、手にしたこの力を全力で使いたかった……!」
「ようやく化けの皮が剥がれたわね狂犬が」
お互いが皮肉を吐き捨てる。
そして両者が持てる限りの異能を全力で行使し、二つの力が大きな衝突を見せた。
閃光と熱と爆風と。
轟音が飛び交い、爆発と共に建物が砕け散る。
宍戸が周囲に爆破を起こし攻撃を行えば、飛鳥がその発生した爆発すら操り反撃に転じ、その反撃を宍戸が異能と自身の身体能力で凌ぐ。
繰り返されるそんな攻防は激化の一途を辿り、異能を持たない者達はもはや悲鳴を上げて物陰に身を隠す事しかできない状態だ。
一見拮抗したような戦況。
だが、自身から発生する出力を爆破するしか手段を持たない宍戸は、出力の探知が可能であり、その出力すら“浮遊”させる事が出来る飛鳥に対して圧倒的に不利。
宍戸は己の不利を覆そうと、天井や壁、床に至る建物の形を爆破によって変えて、あるいは手にした銃器を使って状況の打開を図るが、何一つとして飛鳥を上回ることは出来ない。
爆発と破壊が飛び交う派手な光景の中では傍目でこそ優劣が分かりにくいが、明確に状況は傾き始めていた。
「はあっ、はあっ、はあっ……!」
「……」
宍戸は徐々に追い詰められていく。
走り回り、異能を酷使させられる宍戸の消耗はかなり大きく、それに対して常に状況を有利に立ち回る飛鳥の消耗は軽微だった。
爆破により発生した建物の瓦礫が次々新たな武器となって飛鳥の手足のように宙を旋回する。
現状を打破しようと弄した策のほとんどが、見透かされていたかの様に前段階で潰される。
飛鳥の行動は的確に宍戸を追いつめる一手のくせに、宍戸のあらゆる反撃は碌な成果を上げることが無かった。
あらゆる面で宍戸を上回る飛鳥の卓越した戦闘センスは、天に愛されたと言っても過言ではないのだろう。
それでもだ。
(こいつ……)
それでも飛鳥は肩で息をする宍戸の姿を警戒する。
これまで飛鳥は、遊んだり手を抜いたりなどしていない。
入れようとした決定打はいくつかあるし、決まると思った場面はいくつかあった。
それが為せなかったのは、宍戸の対応力が巧みであり、想定を越えて急激に異能の扱いを上達させ始めているからだった。
(……長引かせるのは危険ね)
「異能を手に入れてもっ、ここまでお前を上回ることは出来ないかっ……!!」
そう結論付けた飛鳥に対して、いっそ楽しそうに宍戸は吠える。
「だったら手段なんてもの選んでいられない、そうだよな!?」
不吉な言葉を叫んだ宍戸が、飛鳥に向けていた異能の出力を手に集め壁に触れる。
宍戸が触れた壁には異能の出力が伝わり、その異能の出力は溢した水のように、下へ下へと流れ落ちていく。
「実際に異能を手にして分かったっ! この力は無限に理不尽な力を使えるようなものじゃない! 原理があって制約があって限界だってある! つまりは、無尽蔵に思えるお前の異能にも、限界がある筈なんだよ!! 飛禅飛鳥ァ!」
つまり。
宍戸が辿り着いた逆転の一手は。
「さあっ、お前の異能はどこまでの重さを持ち上げられるんだ!?」
「これだから変に頭の回る奴はっ……!!!」
次の瞬間、これまでの比ではない程の大きな爆発が起きた。
だが、この爆発は直接飛鳥に向けられた訳では無い。
発生源は飛鳥達の周囲ではなく、宍戸が触れた壁から伝わった建物の支柱部分。
ただでさえ仕掛けられていた爆弾により、様々な部分が破壊されていたこの建物の柱がさらに広範囲で破壊された。
警視庁本部は建物としての形が保てなくなり、建物全体が大きな傾きを見せ始める。
18階建ての、巨大な建物の倒壊が始まった。
「1tや2tなんかじゃ利かないっ……! 鉄筋を使われた18階層のビルの重さは数万tにも及ぶんだよっ! このままこの建物が倒壊したら周囲に集まった野次馬や報道、この建物に残っている警察官達がどうなるかは考えるまでも無いだろう!? お前はこれを、見過ごせやしないよな!」
「宍戸っ……! テメェ……!!」
「建物全てを持ち上げられるなら持ち上げて見ろ! だが、異能の全力をそちらへ回した時が、お前の終わりだ飛禅飛鳥!」
宍戸の推測通り、飛鳥の異能は無制限に物を浮かせられる訳ではない。
様々な制限や限界はあるが、何よりも浮かせる物の重さはとても重要な要素の一つだ。
普段の飛鳥であればせいぜい1t程度が限界であるし、それ以上の重さを持ち上げるのなんて早々実行しようともしない話だ。
いくら燐香による補助により出力が上昇していたって、数万tを軽々と持ち上げるなんてことは非常に難しい。
少なくとも、他の異能持ちを相手取りながらなんて片手間で出来るような話ではないのだ。
だから、宍戸のこの逆転の一手は間違いではない。
ぐらりと建物全体が揺れる。
足場が崩壊していく感覚の中、多くの人がまともに立っていられなくなり、床を転がり、壁だったものにぶつかって、地面に叩き付けられる未来を絶望と共に確信するしかない。
外にいる報道や野次馬達は何が起きたのかと呆然と口を開けたまま、自分達目掛けて倒れ込もうとする巨大な建物を見上げ、体を硬直させるだけだった。
――――警視庁本部という巨大な建物が完全に倒壊した。
‐2‐
数百人規模の被害が出る。
過去に、大して親しくも無い先輩警察官一人を助けるために最後の異能の力を振り絞った飛鳥さん。
そんな彼女が、自分が見過ごせば多くの人が犠牲になる状況に置かれれば、飛鳥さんが自分自身の身が無防備になるのも厭わず建物の倒壊を停止させるのは必然だなんて、考えるまでも無い事だった。
だから、宍戸四郎が思い描いていた通り、彼女は全力で異能を行使した。
「ぐぅぅうっっ……!!!!」
飛鳥さんが自身の限界以上に異能を酷使する。
俯くようにして極限まで異能を酷使する飛鳥さんからは、頭に走る痛みで目に涙が溢れ、鼻からは血が流れ出し、食いしばった口からは悲鳴のような声が漏れだしている。
大勢の人達目掛けて降り注ごうとしていた巨大な建物を。
大きく傾いた建物から投げ出された何人もの人達を。
飛鳥さんは全ての落下を止めて、誰も居ない安全な場所へとゆっくりと移動させた。
誰も犠牲者を出さずに、巨大な警視庁本部の倒壊を済ませて、飛鳥は力尽きたようにその場に座り込んでしまう。
彼女の細身の体から滴り落ちる血液が地面を赤く濡らして、痙攣染みた震えで立つ事すらままならない。
そんな満身創痍な飛鳥さんの姿が、倒壊した警視庁本部の中心にあった。
周りの状況を理解していない報道陣や野次馬達が、飛禅飛鳥という有名人が登場したことに沸き立ったが、それらを黙らせるように大きな爆発が彼らの頭上で発生する。
飛鳥さんの目の前に、発生させた爆破による推進力を操って宍戸が着地した。
すっかり荒地のようになってしまった瓦礫だらけのこの場所で、宍戸四郎は汗と血で濡れる飛鳥さんに片手を向ける。
「上空から確認したよ。建物に残っていた人も、落下する瓦礫からも、怪我人すら出ていない。あの崩落から、たった一人で多くの者を救い出した。本当に大したものだよ、お前は」
「……く、そ」
「本当に…………お前は、正しく英雄だよ」
「っっ……」
「……だが、お前は多くの命を救ったが、これで同時に俺の勝ちは確定した。ここからお前に逆転の芽は無い」
異能の性能差ではなく、状況を利用して飛鳥さんに異能を限界まで行使させた。
飛鳥さんがこれ以上に異能を使用するのは難しいと言わざるを得ない筈だ。
やり方に問題はあっても、宍戸四郎が勝利条件を達成した事には変わりない。
それが分かっているからこそ、飛鳥さんも恨み言を言わずに汗と血で濡れた髪の隙間から宍戸四郎を睨むのだ。
「……お前は」
「建物全てを爆破するなんてとんでもない事をしてくれましたね」
だから、完結してしまった二人の戦闘を邪魔するように、私は会話に割って入った。
突然現れた私の存在は二人にとってあまりに予想外だったようで、動揺する二人の視線を受けながら私は彼らに近付いていく。
それもそうだろう。
常識外れの、どうしたって異能を持たない人では太刀打ちできないような、人外染みた戦闘を目前とした筈なのだ。
いかに飛鳥さんが危機的な状況だったとはいえ、そんな彼らの間に割って入ろうだなんて決断を行う人間がいるだなんて、普通はあり得ない事だと思う。
私だって本当なら、こんな場で目立つような行動なんてしたくないのだ。
報道や野次馬の衆目がこんなにも集まっている場に、変装している姿だからといって簡単に出ていけるような精神構造を私はしていない。
だけど。
今も宍戸四郎に読心を仕掛けているから、無いと分かっている。
宍戸四郎の思想的に、彼は飛禅飛鳥さんのような人を敵視している訳では無いから、不必要に命を奪うようなことはしないと理解している。
思考誘導によって、飛鳥さんに対する行動を私がある程度制限している状態だから、窮地であっても飛鳥さんの安全は確保されている。
だがもしも。
もしもこの男が何らかの要素で飛鳥さんを危険だと思い直し異能を使用することがあれば。
もしも姿の見せない異能持ちが干渉し私の思考誘導を阻害したら。
もしも何かしらの要因で満身創痍の飛鳥さんが攻撃されるとしたら。
もしも想定外の何かしらの要因で飛鳥さんが命を落としてしまったら。
物理現象に干渉できない私の異能では、そうなってしまった後に飛鳥さんを救う事が出来ないから、多くの衆目があるこの場所でも私は行動しないなんて事が出来なかった。
「どうして君がここで出て来れる……?」
瓦礫の中。
崩落を受けて状況を理解できない人達が呆然と私達に注目する中で、私一人が飛鳥さん達の元に現れた事に宍戸四郎は衝撃を受けたようにそう口にした。
そしてそれは飛鳥さんにとっても同様のようで。
飛鳥さんから向けられる、「なんで出て来たのか」なんていう驚愕の視線に私は肩を竦ませる事で返事する。
この状態で私が飛鳥さんを助けに出てこないと思われていた方がショックだ。
「あれだけの崩落で……状況を理解して、異能も持っていないような君がここでっ……」
「約束しましたから」
理解できないと言わんばかりに動揺する宍戸四郎と声も発せられないくらい満身創痍となっている飛鳥さんに対して、私は告げる。
お兄ちゃんと私を火災から助けてくれた飛鳥さんとした約束。
私は忘れたりなんかしていない。
「私は地獄までお供するって、飛鳥さんと約束しましたから」
「っっ……」
私は、瞳を大きく揺らした飛鳥さんを真っ直ぐ見ながらそう言った。
飛鳥さんは自分の疲労さえ忘れたように私を見て、宍戸四郎も信じられない物を見るよう口を噤んだ。
そして私は、ある人物がこの場に近付いてきた事を察知し、咄嗟の策が達成された事に安堵する。
私が作るべきだったのは時間であり、“爆破”の異能を持ったこの男に妙な行動を取らせない精神的な拘束だった。
この場で私が行うべきなのはそれだけであり、現状を打開する術はもう別に用意している。
「さて、貴方はこの惨状を勝利だと思っているようですがそうではありません。建物が倒壊して周囲は瓦礫の山となりましたが、それは同時に建物からの避難が完了したという事でもあります」
「……何が言いたい? 言っておくが、俺は君が異能を持っていなくとも、君に手を掛ける事には何の迷いもない。もしも手心なんてものを期待しているのなら……」
「つまらない冗談ですね」
私は大仰に両手を広げる。
出来る限り私に注意を惹き付けるように思考誘導し、あたかも超然とした態度を維持して周囲を両手で指し示した。
沈黙していた周囲の報道陣や野次馬は、私が作った異様な空気に息を呑む。
「周りを見て下さい。警察官の、状況すらまともに理解していない呆けた姿。この場の危険性も理解せず、自分達は守られると妄信する無知な民衆の姿。彼らは怪我も無く、死者も無く、きっとなんらトラウマになるような事も無いでしょう。彼らのようなものが無事にこの場にいるということは、彼らを殺めようとした貴方の悪意から誰かが救い出したからに他ならない。まずこの一点で、貴方は飛鳥さんに敗北しました」
「……それは屁理屈だ。これは道徳や倫理の授業じゃない。過程や精神論、綺麗ごとはなんら力を持つことは無い。現に今、彼女は俺の前に膝を突いて成す術も」
「そしてもう一点」
言い訳のような宍戸四郎の言葉に被せるように、私は言った。
「平地となったこの環境において、貴方を確実に無力化できる術を私達は準備することができたということです」
「……!?」
私達の周囲を煙が舞う。
砂埃のような薄汚れたその煙が、徐々に白さを増していき、白煙と呼べるようになった段階でようやく宍戸四郎は異常に気が付いた。
その煙に含まれる、異能の出力に気が付いた。
「避難が完了したという事は、避難に割いていた人員に余りが出来たという事。そちら側へ回していた人員が、貴方の敵と成り得るという事。貴方の敵は飛禅飛鳥さんや神楽坂上矢さんといった警察組織だけではなく――――」
宍戸四郎が異能を臨戦状態にして周囲を警戒する。
火花を散らし、異能の出力を拡散し、いつでも周囲を爆破できる態勢を作っている宍戸四郎に対して、多くの警察職員達の視線や報道陣のカメラに囲まれながら私は標的を定めた探偵のように指差した。
「――――貴方を疎む、他の異能持ちも含まれるという事です」
「お前が訳の分かんない爆弾を用意したイカレ野郎か?」
掛けられたのは苛立ち混じりの男の声。
私の背後から噴き出すように、さらに白煙が拡散し、この場に満ちていく。
白く白く、地を満たし、そして何処にでもいるような男が私の隣に姿を現した。
「居心地の良い俺の部屋を奪いやがって……! 肩書ばっかりのゴミ警察官が多いと、善良な警察官は大変だなぁ?」
「異能犯罪者の臨時職員かっ……!」
“紫龍”、灰涅健徒。
この場で避難活動を行っていた彼の意識に干渉し、私が強制的にこの場に呼び込んだ。
これは、『首輪』による即時洗脳だ。
一度洗脳し切って『首輪』を付けていた彼の自由意志のほとんどを奪い、私の手駒として機能させた。
彼自身の意志で動いてはいるが、その判断や決断、思考のほとんどは私が手中に収めている状態。
万が一にと用意していた、私の手駒だ。
「“紫龍”。彼は“爆破”の異能を使います。貴方の煙は水分、高熱とは相性が悪い。まともにやり合えば不利にしかなりません」
「は? お前、ならどうしろって……」
「収納している鉄材と煙を融合させ使ってください。分かりますね?」
「…………ああ」
呑み込みの悪い“紫龍”に強制的に話を理解させて、以前彼と戦った時のような、薬品により異能の出力を強化した状態まで私が補助をする。
鉛のような色に変貌していく“紫龍”の煙に警戒した宍戸四郎の意識の隙を操り、飛鳥さんを意識の外に持っていく。
そして、これ以上妙な策を弄されないよう“紫龍”に周囲の瓦礫を収納させ、環境を完全に平地の状態とさせる。
これで、“紫龍”にとっての好条件を整え切った。
「……ウチのボスを攻略したのは大したもんだが、搦め手でようやく程度のお前は怖くない。俺はこれまでもっと怖い奴を見て来たんだ。お前はその中でも最底辺だな」
鉛色が混じった煙は、煙であって煙でない。
蓄えた鉄と混ざり合った煙はこの世の自然界では絶対に存在しない、煙と鉄の両方の性質を併せ持つ『超常』だ。
それが宙を満たし、形を変え、数多の龍へと変貌していく。
無数の龍のような形に変貌した鉛色の煙。
その中心に立つ“紫龍”に、私が付与した自信はその異能に相応しい態度を形作らせる。
野次馬や報道陣、それどころか状況を理解していなかった警察官や宍戸四郎までも、目の前で起こっている現象とそれを操る人物に圧倒された。
それほどまでに、今の“紫龍”の姿は絶対的だ。
「正義面をするつもりは無いが、俺みたいな屑にも譲れない一線はある。例えば、ようやく見つかった割と居心地の良い職場とかだな」
「……ああ、糞。何もかも誤算だらけだ……」
吐き捨てるような宍戸のその言葉を皮切りに、旋回していた灰色の龍の群れが一斉に襲い掛かった。
鋼鉄のような硬度で煙のように柔軟な、この世ではあり得ない材質で構成された龍の群。
その顎は宍戸四郎の爆破程度では傷一つすら付ける事が出来ず、最後の抵抗のような幾度かの爆発を経て、呑み込まれるように爆弾犯『宍戸四郎』は完全に沈黙する。




