第三十二節 狡猾な罠
親父と共にトータン領主邸、テナーの屋敷に向かう。
表の目的は、バリトン邸の侍女を氷漬けにした犯人を探す協力者を得るため。
裏の目的は、エメラルド・タブレットの企みを阻止するに足る人員を得るため。
そうして辿り着いたところで、屋敷の玄関に人が集まっていた。
テナーとパース、カウとサーヴァン。それに、知らない男がそこに居る。
「お待ちしておりました、バリトン殿」
その知らない男は、威嚇でもしているかのように、口角を高く吊り上げていた。
親父に対して敵意があるのは明らかだ。
他の者たちは、敵意とまで行かないまでも警戒心を滲ませていた。
テナーに至っては俯き、親父から目を背けているようである。
「マニ、なんのつもりだ」
俺の知らぬ男はマニと言うらしく、当然ながら親父とは面識があったようだ。
静観する他の者らにではなく、親父はその男・マニを睨む。
「なんのつもりと、そう仰いますか?貴方様も薄々勘付いておられましたでしょうに。いや、勘付いていて受け入れられないか、この犯罪者!」
もはや微塵も敵意を隠さず、マニは礼儀正しかった態度を一転させた。
同時に、親父を犯罪者と高らかに称したのだ。
「犯罪者だと?この私が?」
「白を切っても無駄だ!お前が奴隷を取引した契約書が、俺の手の中にあるんだよ!」
親父の言い逃れを打ち負かそうと、マニは自信満々に1枚の用紙を取り出した。
その紙には、『奴隷売買契約』と、これ見よがしに記されているのだ。
奴隷の取引はラビリンシア王国において犯罪とされている。
人の権利を蔑ろにした行為だと、世界各国でも重罪として扱われているのである。
だから、奴隷を取引した経歴がある者は世界各国で重犯罪者として、居場所を追われ続ける事になる。
マニはまさしく、親父の地位と名誉を奪う決定打をその手にしていたのだ。
それが、バリトンの物であったなら、の話だが。
「お前の侍女が俺に密告してくれたよ。奴隷に足を掬われるとは、お笑いだなぁ!あっはっはっはっ!」
マニから指名されたように、白髪赤目の女性、バリトンの侍女が歩み出る。
その侍女もマニの高笑いに釣られたのか、怪しい笑みを浮かべていた。
俺は、違和感を覚える。
マニはその侍女を差して奴隷と言った。
しかし、その侍女は奴隷ではない。ホムンクルスだ。
話がどうにも噛み合っていない。
「はぁ……。嵌められた訳だな、マニ」
親父はマニから語られる噛み合わない話に、冷めた様子で溜息を吐いた。
嵌めた。誰が誰を嵌めた?
いや、深く考える必要はない。
バリトンの侍女が、マニを嵌めたのだ。
「そうだ、お前は嵌められたんだ。この俺に!」
しかし、その事実を理解したのは親父と俺だけ。
マニは相変わらず、道化となっている。
「どうして農民如きが成り上がれたのか、不思議でしょうがなかったが。その答えも分かった。これだな?この、エメラルド・タブレットだな!?」
マニは紙と別に、もう1つ高らかに掲げた。
翠玉の宝石板。親父が昔から大事に抱えていた物。知識を授ける者の魂が宿る入れ物。
どうやら、マニもその宝石板の事を知っていたようだ。
「この宝石板は所有者に英知を与える。だが、その英知で成り上がった者には破滅を約束するという、貴族や金持ちの一部で伝え広められていた曰く付きの品だ」
なんと、あの宝石板にはそんな縁起でもない言い伝えがあったらしい。
宝石板に宿る魂は人の没落を愉悦としていると、親父も評していた。
なるほど、性格の悪い奴が封じられているのだな。
(おい、今こっち見ただろ)
気のせいだろ。
「もう茶番は良いだろう。もう私は飽きたぞ、エメラ」
「はぁ?ついに自身の侍従長が死んだ現実も逃避―――」
「そうでございますね。もうよろしいかと思います」
「……は?いっ!?」
唐突に、マニの両腕が凍った。
「あああああああああああ!!!俺の、俺の腕がぁああああああああああ!!!」
痛みに耐えかねたマニは、持っていた物から手を離し、凍った両腕を抱えて蹲る。
そして、マニの傍に控えていたはずの侍女が、落とした紙と宝石板を拾い上げた。
元より、そういう予定だったのだろう。
「おま、お前!何をっ……。こんな事をして、主人の犯した罪がなくなるとでも思っているのか!」
「いいえ、なくなるとは微塵とも。そもそも、ご主人様はなんの罪も犯しておりませんので」
「主従揃って現実逃避か!?」
「紙面のここを、良くご覧ください」
バリトンの侍女が、『バリトン』と書かれた部分を差し、その名を撫でる。
するとどうだろう。その『バリトン』という文字列が、『マニ』に書き変わっている。
違う。その紙は、実はマニの物だったのだ。
彼が奴隷を取引した、売買契約書だったのである。
「そ、そんな……まさか……」
自身が嵌められていた。
ようやくその現実に直面したマニは、しかしあり得ないと放心する。
「ま、そんな落ちではないかと予想してましたよ」
逸早く動いたのはパース。
真の犯罪者を縄で縛ろうと、マニに近付いていたのだ。
「くっ!『トリートメント』!」
ここでまさかの回復魔術。マニは腕の凍結を治していた。
続いて、治した腕でマニは札を投げる。
その札は魔術式が刻まれた物。マニは符魔術を使おうとしているのだ。
「『サモン』!」
残念ながら、パースはテナーの守護を優先し、魔術行使の妨害は間に合わなかった。
マニの行使した魔術が、その効力を発揮する。
その魔術の効力は、驚くべき事にスライムの召喚だった。
「魔物の召喚!?」
パースすら驚いているように、召喚魔術は希少だ。
使い手は伝説の中にしか居ない。
あらかじめ札に魔術式を刻んでおく符魔術とはいえ、一般人が行使できる代物ではない。
事態の急変に、俺はすぐ聖剣を掴む。
「気を付けてください!このスライム、核が複数あります!」
エクスカリバーは俺の体を乗っ取って、まず周りに注意を促した。
召喚されたスライムは、特殊な個体だったのだ。
「こんな街中で、勘弁してもらいたいんですけどね!『ファイアボール』!」
パースは街への被害を懸念し、魔術の威力を抑えていた。
それでも、的確に特殊個体スライムへと命中させる。
スライムは分裂し、核1個の消耗で済ませていた。
「加勢、します!」
カウも加わり、スライムの核を潰す。
主が加勢すれば、従者も続くもの。サーヴァンもスライムの核を切った。
そこにエクスカリバーも居るとなれば、正直過剰戦力だ。
特殊個体スライムが、呆気なく討伐される。
「犯人、逃しまいましたねぇ……」
スライムは問題なかったが、その召喚者が問題だった。
マニの姿は、もうどこにもない。




