第二十一節 無邪気な邪悪
テノールたちが泉のスライムと戦っている時、危機が迫っている事を知らぬトータンの都・ホーオでは皆が平穏な日常を過ごしていた。
しかし、一部は平穏とは言い難い。
「我々のご主人様は常に身に着けている宝石板を手に入れ、そして侍従長であるエメラ様を迎え入れてから、その聡明さを発揮したそうです」
マニの執務室にて、バリトンの侍女とマニが密会し、バリトンを蹴落とす企てを計画しているのだから。
「宝石板がどのように関与しているかは分からんが、侍従長は確実に奴の参謀だろうな。最優先は侍従長だ。賢将を失った集団がどのようになったか、歴史が多く語ってくれている」
参謀頼りの軍が瓦解し、軍が全滅。
指揮官を失って指示系統が混乱し、戦争で敗退。
宰相に内政を一任していた国の情勢が悪化し、国ごと消滅。
そういった例は歴史にいくつも残っている。
だからこそ、マニはエメラを重視した。
そこが弱点であると、見抜いたのだ。
「宝石板の方は、いかがいたしましょう」
「盗めるなら盗みたいところだな。宝石である以上、高値は付く」
企てと関係ないためにその優先度は落ちるが、憎き敵が大事にしていた物。
バリトンの苦しむ姿が見たいのもあり、マニはつい欲張った。
それも宝石板を盗む事も目標に設定する。
「かしこまりました。他の侍女たちと協力し、盗みやすい状況をどうにか仕立てましょう」
「ああ、助かるよ」
聞き分けが良いと言うか、自身の侍従たちより優秀なバリトンの侍女たちに、マニは少々態度が軟化していた。
それもそうだろう。バリトンを蹴落とした後には、この優秀な侍女たちが自身の物になるのだ。
他人から奪う快感を覚えながら、優秀な人材によって精神的疲労が軽減される理想の職場ができあがる。
これ程喜ばしい事が他にないと断言できるくらい、マニは喜んでいるのである。
「日程はどういたしますか?」
「それに関してはまだ決められん。我らが神を待つばかりだ」
「『我らが神』?」
全てを自分本位で考えていそうな男が誰かを待っている。
しかも、『我らが神』とその誰かを呼称した。
あまりにも意味深長なものだから、侍女は復唱してしまったのだ。
「こればかりは、君たちにも私の口からは明かせない。そういう取り決めなんだ。とにかく、我らが神が事を起こし、発生した混乱に乗じてこちらも動く。我らは、その時を待つだけだ」
他人の事情に振り回されているはずなのに、祈りを捧げる敬虔な信者のように、神を絶対と信じる崇拝者のように、マニは穏やかだった。
その信心に応えるように、彼の執務室に少年が突然現れる。
「やぁやぁマニ君、こんにちは」
「我らが神!」
実に気安い挨拶をした少年に、マニはすぐ立ち上がって両手を胸の前で組む邪神フィーネ信仰の正式儀礼を行う。
そのマニの態度でバリトンの侍女は直感した。この少年は、『邪神フィーネ』なのだと。
「ん?こいつは……。珍しいお客さんだね。もしかして、あいつの落とし子の子孫かな。あいつが新造するとは思えないし」
「あ、貴方は……いったい何を……」
「その反応という事は、あいつが直接関与してる物ではないか。ま、どうでも良いや」
バリトンの侍女はフィーネの発言から意味を読み取れず、しかし聞いたところでフィーネは真面に取り合わなかった。
興味が失せたように、フィーネはマニへと向き直る。
「それで、この子を消さなきゃいけないんだけど、大丈夫?目撃者は少なくしたいんだ」
「っ!?」
存在に対する興味は失せていたが、目撃情報には関心があったらしい。
フィーネはバリトンの侍女の頭を片手で掴んだ。
握力も魔力もその手には込められていないのに、侍女は死が目前にあるような錯覚に陥る。
「お、お待ちください、我らが神!その者は私の企てに協力を約束してくれているのです!口封じもしますので、どうかお慈悲を!」
「あ、そうなんだ。危なかったぁ。さくっとやっちゃうところだったよ」
殺すか否かの話で、マニすら狼狽えたというのに、フィーネは動揺の欠片もなかった。
彼は人殺しに全く感情を動かしていない。
「協力者って事で話を聞いても構わないけど。もし僕がここに居たって他言したら殺すから、そのつもりでね」
「は、い……」
にこやかな様子からとても人が殺せるような人物には見えない。
だが、バリトンの侍女は彼の行動や言動から、本当に何の感情もなく人を殺せるのだと確信していた。
彼女は震える体を抑えるのに手いっぱいで、その部屋から退出する事もままならない。
「それじゃあマニ君、僕の用件なんだけど。ちょっと予想より早く見つかっちゃってね。動き出しちゃったんだ」
「見つかった、と言いますと?」
フィーネの企てについてである事は察したマニだが、その企ての詳細をマニは聞いていない。
「スライムだよ、山に隠してたスライム」
フィーネが今差している山とは、トータン領を横断する川の水源がある山の事。
そこに隠されていたスライムと言えば、現在テノールたちが対峙しているスライム。
つまり、あのスライムはフィーネの手によるモノだったのだ。
レオナルドが人為的存在ではないか疑っていたが、その疑いが的中した事になる。
「純粋なスライムを極限まで成長させたらどれくらいの脅威になるかって実験してたんだけど、極限まで成長させる前にその山が調査されちゃってね。調査員の護衛に勇者も混じって、なんか強い人も居て、無駄に冒険者も多いから、ちょっと全員殺すのは無理」
意外にも混じった強者、意外にも多い目撃者。
上記2つに領主の依頼というのも組み合わさって、フィーネでも証拠隠滅が難しくなったのだ。
テナーの采配とテノールの気まぐれが、奇しくも功を奏したのである。
「という事で、実験は前倒し。2日後にはスライムがホーオにまで辿り着いて、そこで衛兵とか冒険者で戦闘実験だね。どれくらい戦えるか楽しみだなぁ」
死人が出るだろう実験で期待に胸を膨らませるフィーネ。
およそ尋常の精神はしていない。
なのに、邪気が滲んでいなければ悪気も一切ない。
「そんなに強くないから、衛兵はともかく近衛兵の総長か2番隊隊長が来れば倒されちゃうでしょ。もしかしたら勇者でも行けるかな?とりあえずはそんな感じで」
「了解しました。では、その間にこちらの企ても進めさせていただきます」
「それじゃあ、よろしく」
マニの返答に満足がいったフィーネは、今回も通信用のスライムだったその身を粘体に戻し、どこかへと消えていく。
マニはそのスライムをただただ見送った。
見送りを完遂した後、態度を改めて席に着く。
「時は来た、というやつだ。2日以内にそちらの都合を付けてくれ」
「は、はい……。承りました」
フィーネの奇妙な威圧感から解放されたバリトンの侍女は、ようやく満足に息を整え、そうしてから礼節を弁えてマニの指示を受け取った。
彼女は恐怖を忘れるために、自身の仕事に専念するのだった。




