第十一節 幕の裏には思わぬ深淵
「クソッ!下手に出ていれば調子に乗りやがって!」
マニは苦々しい屈辱に耐えきれず、馬車の壁を殴りつけた。
馬車は御者を除けばマニしか乗っていない。この馬車は彼専用の馬車なのだ。
だから誰も居ないその場所で商売人の顔を剥がし、怒りを露にしている。
「あの農民上がりが、たかだか事業を1つ成功させたくらいで偉そうにっ」
バリトンに媚びへつらわなければいけない現状が、マニにとっては非常に不愉快だった。
自身より後に成り上がった、なのに自身よりはるかに利益を上げているバリトンが、マニは気に入らないのである。
だから蹴落としてやろうと、あの男と契約を交わし、その契約の所々に罠を張っていた。
「何故だ、何故上手くいかない!」
だが、その罠は全て見抜かれ、かかった試しがない。
それがよりいっそう、マニには不愉快だった。
「まぁまぁ、そうイライラするなって」
そんなマニの耳に声が届く。
御者の声ではない。そも、聞こえてきたのは御者台からではない。目の前だ。
マニの目の前にはいつの間にか少年の外見をした『何か』が座っている。
「っ!わ、我らが神!」
マニはその『何か』に対し、本性を晒すでも商売人の顔をするでもなく、崇拝者の態度を取った。
胸に手を当て、背筋を伸ばし、真っすぐ相対している。
「こんにちは、マニ君。元気かな?」
「貴方様の恩寵により、この通り壮健でございます」
「そうかそうか、それは良かった」
『我らが神』とマニより称された『何か』は、マニの壮健を心から喜んだ。
ただ、その喜びは親しい相手の無事に対するそれと、少し違うかもしれない。
実験動物の良好な経過を安堵するような、ともすれば、創造主が創造物に対するような感情だった。
その感情を、マニは正しく読み取れていない。
「ところで。上手く行ってないって言うのは、君の企ての事かい」
「はい。バリトンを蹴落とそうとしているのですが、中々に聡い相手のようで。申し訳ありません」
マニは己の非力を素直に認め、誠実にも謝罪を述べた。
しかし、その企ての遅滞についてマニも、そして『何か』も焦っていない。
「ま、そんな急く事でもないさ。『急いては事を仕損じる』と言うしね。こっちの準備は進んでるから、君もその準備が済み次第仕掛けると良い」
「ありがとうございます、我らが神よ。その好機に、必ずや我が企てを物にしてみせましょう」
『何か』はそもそもマニの企てに関わっていないからこそ焦っておらず、マニは崇拝する神の援助があるから焦っていなかったのだ。
同時に、マニはその援助のおかげで、企ての成功をほぼ確信してもいた。
そう確信を得ているマニに、『何か』は我が子がはしゃぐ傍に居る親のように暖かく見つめる。
「それじゃあ、僕はこの辺で。またね」
「また謁見できる機会を心待ちにしております。我らが神、『邪神フィーネ』様」
マニは『何か』へ、両手を胸の前で組む邪神フィーネ信仰の正式儀礼を行った。
『何か』は満足げな表情をしてから少年の外見を崩し、スライムの体となる。
そこに居た『何か』を人間ではなく魔物のスライムであり、遠くの者と意思疎通をとるための通信機だったのだ。
通信機としての役目を終えたスライムは、その粘体を以て馬車の隙間を抜け、するりと外に出た。
馬車の中にはスライムが居た痕跡など微塵もない。
「いつか、直接お会いしたいものだ」
マニだけが居た事を記憶し、そして『邪神フィーネ』本人との邂逅をいつの日かと夢に見ていた。
マニがしばらく謁見の余韻と哀愁に浸っていれば、馬車はマニの屋敷へと至る。
マニに負けずとも劣らない豪邸、ホーオでも有数の屋敷だ。
「お、お帰りなさいませ。マニ様……」
だが、その豪邸に反し、侍従たちは何処かみすぼらしい。
服装こそ高価な物であるが、彼らのやつれた見た目にはどうにも不釣り合いである。
「ちっ……」
その不釣り合いをマニも認識しており、機嫌を損なわせた。
崇拝する神と会った後であるから、その反動もあるだろう。
その反動で抑えられなかった舌打ちが、侍従たちを震え上がらせる。
侍従たち皆が、主人であるマニを恐怖していたのだ。
震え上がる様も見るに堪えなかったマニは彼らの出迎えを無視し、己の執務室へと足を早めた。
そこに1人の侍女だけが後を追う。
その侍女は身なりこそ綺麗だが、やはり恐怖しているのは他の侍従と変わらない。
「あ、あの、マニ様。お客様がお待ちです……」
「客?こんな時にいったい誰だ」
予定にない来客。
人の時間を許可なく奪う輩に、マニの機嫌はよりいっそう損なわれる。
「ば、バリトン様の使いだと、あちらの侍女の方が……」
「侍女を寄越すだと?さっきこちらが出向いてやった時に話せば良い事じゃないか!」
「ひぃっ」
マニはバリトンの無礼に怒りを煽られ、我慢できず振るった腕が調度品の皿を叩き割った。
廊下で控えていた侍従が更なる怒りを買わぬよう、すぐさまに割れた皿を片付けにかかる。
「そいつの用件は!」
「と、とある密告をっ、バリトン様の罪をお伝えしに参上したとっ……」
侍女の報告が、マニの足を止めさせる。
今、明らかに前後の繋がりがおかしかったのだ。
「……バリトンの使いではなかったのか?」
「そ、それを方便に、罪を密告しに来たとの事ですが……」
最初から全てを簡潔に報告しなかった侍女に苛立ちながらも、しかしその侍女への躾は後にし、客を待たせているだろう執務室にマニは急いだ。
そうして執務室に辿り着いたマニは、多少乱れた息を整えながらゆっくりと扉を開ける。
「君か、バリトンの罪を密告しようという者は」
「マニ様。突然のご訪問、お許しください。事は急を要しているのです」
応接室に居たのは、バリトンの側近とされるエメラではなく、多く居る白髪赤目の1人だった。
「端的にお伝えさせていただきます。我々は、白髪赤目を気味悪がられて売られた者であり、ご主人様に安く買い叩かれた奴隷なのです」
その密告に、マニはほくそ笑む。
なんだ、奴も私の同類だったのかと。
〈用語解説〉
『邪神フィーネ』
……『始まりの六柱』、その中で魔物の研究に執心していた1柱。魔物の合成や新種開発を行っていたが、そうして生み出した魔物を環境適応実験として野に放ったり、戦闘実験として人間にけしかけたりと、問題行動が目立つ。人間を魔物と合成するなどの禁忌も数多く犯していた。そのため、他『始まりの六柱』とは対立し、袂を別けたと伝えられている。しかし、己の欲望に忠実だった姿、欲望に従う事を良しとする精神性には、信仰心を抱く者が少なくない。教えは「愉悦」。




