北の幻影
明治四十一年、旧幕臣榎本武揚は死の床にあった。余命幾ばくとない脳裏を突如としてよぎったものは、若き日に達成しようとして果たせなかった、蝦夷共和国の創立の夢だった。
榎本は涙した。血の涙である。自らの分身といっても過言ではない開陽丸が極寒の北の大地に沈んでいく光景をまのあたりにしたからである。
「おお、開陽が開陽が沈む」
次の瞬間榎本は短刀を抜き、自らの喉をきろうとした。だが制止するものがいた。元新撰組副長土方歳三である。
「おやめなさい今貴方が死んで、こんな地の果てのような蝦夷まで信じてついてきた皆は、どうすればいいんです」
「だまれ、お前ような単純な男に俺の気持ちなどわかるか」
榎本の言葉に土方の表情が険しくなった。かって洛中で怖れられていた時分の、虎の眼光が瞬時よみがえった。
「放せ愚か者」
榎本は土方の手を振り払うと、銀白の大地にひざまずき、そして慟哭した。
幾日かが過ぎ、榎本は久方ぶりに最果ての地を照らす星々を仰ぎ見た。突如として榎本の目に飛び込んだのは無数の流星だった。
「不吉な、この蝦夷の地に希望を託した仲間が多く散る前兆か、いやそんなことはない」
だが、榎本の予感は的中した。箱館戦争は日をおうごとに戦況が悪化した。江差、松前と榎本軍は敗走に敗走を重ねた。
「総裁(榎本のこと)、俺はもうだめだ楽にしてくれ」
木古内の戦闘で重傷を負ったのは、榎本新政府で歩兵組頭並を任された伊庭八郎だった。江戸幕末四大道場の一つ練武館で心形刀流を学んだ剣の達人で、幕末箱根坂における小田原藩との戦闘で左の腕を失った、いわば隻腕の剣士である。胸部に被弾した伊庭の容態は名医松本良順をもってしても、もはや手のほどこしようのないものだった。
「なにをいう頑張るんだ、これを見ろ」
それは伊庭が描かれた一枚の錦絵だった。伊庭の箱根における片腕を失うほどの力戦奮闘ぶりは、江戸市中に聞こえ、ついには錦絵にまでなったのである。
「そうか、こいつは名誉だな今は悔いはない。総裁紙と筆を貸してくれないか」
「どうするつもりだ」
伊庭は片方しか残されていない手で、何事かを書きあげ筆を置くと、静かに目閉じた。榎本の表情がさらに険しくなった。
「そうか、わかった俺もすぐにいくから待ってろよ」
榎本は刀をぬくと、伊庭の喉もとめがけて振りおろした。伊庭が最期に榎本に託したものは辞世の句だった。
待てよ君 冥土もともと思いひしに しばし遅るる 身こそ悲しき
弁天台場が陥落し、榎本軍に残されたのは千代ヶ丘台場と五稜郭のみであった。中島三郎助は旧幕府において造船学、航海学、砲術などに長じた、優秀な能吏であった。ペリーの浦賀来航に際して、自ら黒船に乗りこみ幕府側の代表を任せられるほどの逸材だったといわれる。その三郎助が千代ヶ丘台場に息子二人とともに立てこもった。
「お前達、恐らく今日が最期の日となるだろう。思い残すことはないか」
「いえ、父とともに死ねれば本望にございます」
そういうと長男恒太郎は次男栄次郎を振り返った。栄次郎もこっくりと頷いた。だが三郎助は密かに、蝦夷の地に息子二人を連れてきたことを後悔していた。二人を胸に抱くと、
「どうしてお前達は、かような時代に生まれてきたのだ」
と無念を口にした。
中島三郎助親子の最期は壮絶だったといわれる。大量の火薬をつめた大砲に跨り自爆せんとしたが、雨のため大砲が使用できず、やむなく白兵戦となりついには三人とも戦死したと伝えられる。
「伊庭君、中島君…」
不意に榎本は病床から目を覚ました。
「聞こえる、聞こえるぞ蹄の音が」
榎本は医者の制止も聞かず、街頭が灯る夜の街へ飛び出した。榎本がそこに見たものは「誠」の籏をひるがえし粛々と行進する部隊の姿だった。先頭の将とおぼしき人物は、西洋風の軍服をはおり、色白ながら剽悍な顔つきをしている。かすかに榎本のほうをかえり見ると微笑をうかべたが、二度とふりかえることはなかった。
「土方君待ってくれ」
榎本が叫んだときには、すでに全てが消えていた。
「蝦夷共和国万歳!」
三度叫ぶと、突如として吐血した。
榎本の死は明治四十一年十月二十六日、享年七十三歳だった。