マウントを取る練習をしよう 上級生編
当然ながら、この専門学校には新入生以外にも生徒はいる。
彼らはさらに過酷な鍛錬を重ねながら、より強大な相手へマウントを取る練習を重ねていた。
「食ってみろ……食ってみろぉ!」
飢えた狼のたくさんいる学校である。
餓狼神話、最終段階。すなわち飢えた狼が大量に入っている檻の中へ、自ら入り込み座り込む。
そして、鍛えた眼力ですべての狼を威嚇するのだ。
その眼力は、まさに幾多の死線を乗り越えた男の眼力。
比喩誇張抜きで、実際に狼に食われて、トラウマになって、それを乗り越えて、それでも食われて、それでもあきらめなかった男の眼力。
いや、もはや漢の、雄の眼力だった。
その視界、視野は既に全方位死角なし。
前を見ているだけではなく、後方だろうと上方だろうと、全く問題なく威圧していた。
飢えた狼たちは、飢餓をも抑え込まれるほどの恐怖によって、どうしても前に進めない。
彼の周囲に不可視の力場が展開されているかのように、遠ざかろうとしてしまう。
まさに、一歩も進めなかった。
「おう、それぐらいにしときい」
「教官……うっす」
頭に着けていた肉をとり、それを檻の中に残して上級生は出た。
檻を構成している鉄の棒をひん曲げて出て、再び戻す。
幾多の苦難を乗り越えた彼の体は、まさに偉丈夫に近づきつつあった。
「教官、オレぁ……心配なんです」
「なにがじゃあ」
「俺だけ卒業試験、不合格なんじゃないかって」
「ふっ……下らん。ハーレム主人公がそんなことを気にするとはのう?」
「オレらは誓った……絶対に全員で、この学校を卒業して見せると……それなのに、俺だけ眼力がまだまだで……」
「ふっ、眼力だけじゃあないのう。おんしは一番肝心なことを忘れちょる」
上級生の苦悩を、教官は鼻で笑っていた。
「おんしは、これが眼力の試験じゃと思っとたがか? これはマウント力を高めるための試練であり、それを確かめるための試験じゃあ!」
「はっ!?」
「己が上位だと示し、相手をこき下ろす! 究極のダブルスタンダード、己の行為をすべて正当化し、相手に難癖をつけまくる。それがマウントじゃあ!」
落雷を受けたような衝撃だった。
そう、上級生は技におぼれて本質を見失っていた。
自分がやりたかったことは、眼力眼光による威嚇ではないのだと。
相手が言葉の通じない動物だったのでそうしていただけ、自分が目指すべきは……。
「教官……オレぁ、バカでした。自己正当化と、相手を下に見る心……ハーレム主人公としての心意気を忘れていたなんて……これでこの学校を卒業できるわけがなかった!」
「ふっ、世話の焼けるガキじゃあ……ホレ」
教官は、一つの簡素なカギを上級生に渡す。
「教官、これは?」
「卒業試験、『ペルセウス・ファンタジー』を練習するんなら、そのカギで『大資料室』に行くんじゃな」
「オッス!」
「死んでも骨は拾わんけえ、自分の始末はつけるんじゃぞ」
※
大資料室。
そこは、大監獄ともいわれる、危険な魔物が多く保管されている建物。
その中でもひときわ危険とされる魔物は、教官の許可がなければ相手をすることが許されない。
「マウント力の卒業試験、『ペルセウス・ファンタジー』……オレがまだ、一度も成功していない試験」
内部と外部を完全に遮断している鉄扉、それを開けて上級生は奥へ入っていく。
暗い部屋、その奥には鎖につながれた化物が。
「見た相手を石化させる魔物、メドゥーサ。そのメドゥーサを逆ににらみ殺すこと!」
蛇の髪を持つ女怪が、その双眸で上級生を捉えていた。
鏡の盾など持たない彼は、それを気合と『マウント力』で耐える。
「ふん! 鎖につながれた哀れな怪物が……怪物如きが!」
目の前の怪物よりも、自分の方が上。むしろ、比較することさえおこがましい。
そう信じて、上級生は目と心に力を籠める。
「この俺を、石にするだと? 笑止!」
びしりびしりと、体や服が石になっていく。
鎖につながれているメドゥーサが、心底愉快そうに笑っている。
「お前がなぜ笑う? 俺に睨み殺されることもわかっていない、下等な魔物如きが!」
耐えるのではない。耐えようとすれば、逆に石化は進行する。
石化しているとしても、それを否定する。自分がこんな化物を相手に、石化されるわけがないと信じる。
気のせいだと、断じるのだ。
「一芸だけが取り柄のお前が、この俺の眼力に屈するなど信じられないか?」
耐えるのではなく、のしかかる。
拮抗しようとするのではなく、圧迫する。
精神的に、相手を下に見る。
「ならば教えてやろう……本当の眼力をな!」
メドゥーサが、震えた。
かのじょとしてはありえない見つめ合うという状況が、そのうえで自分が重圧を感じるという状況が、彼女の精神をむしばんでいく。
相手は自分の力で石になっているはずなのに、なぜ自分が威圧されているのだ。
「今更気付いても、もう遅い!」
しかし、上級生の石化は進んでいく。
やはり自分は駄目なのではないか、その疑念が『マウント力』を萎えさせていく。
そして、それは表情に表れ、さらにメドゥーサの精神的な余裕さえ生む。
「ぐ……せ、石化が進んで嬉しいか? だが、このままいけば、先に屈するのは……!」
駄目だ、既に心が負けている。
拮抗するなど、マウントの取り合いでは敗北を認めているようなもの。
拮抗を肯定するのは、相手を対等としている証拠だった。
「お、オレは……オレは……ハーレム主人公だ……たかがメドゥーサ、たかが雑魚敵なんかに……!」
その時だった。
背後から、猛烈なマウント力を感じた。
「おいおい、なんだか知らんが、『ペルセウス・ファンタジー』ごときで苦労している奴がいるらしいぞ?」
「新入生でもあるまいに、メドゥーサ如きをにらみ殺せない生徒がいるのか?」
同級生の声だった。同じ苦労を分かち合った、同期の桜の声が聞こえてきた。
この大資料室に、いるはずのない友の声だった。
「はっ、その面を拝んでやろうか?」
「おいおい、必死になって頑張っているのに、邪魔したら可哀そうだろう?」
「それもそうだな、俺たちなら鼻歌を歌いながらこなせる簡単な試練だが、そうでもない奴もいるっちゃあいるんだしな」
そのマウントは、学友からの激励。
こんな簡単なこともできないのかという、マウント力を込めた『鼓舞』だった。
「おいおい、俺がここにいると誰から聞いたんだ?」
石化が引いていく。
だんだん眼力が、マウント力が増していく。
「やれやれ、俺のハーレムに同級生なんて入れるつもりはないんだがなあ……!」
メドゥーサの髪である蛇が、どんどんしおれていく。
メドゥーサ自身の眼光も、どんどん衰えていく。
「太鼓持ちが増えるのも、ハーレム主人公の宿命ってことか!」
そこにはもう、石化に苦しむ未熟なハーレム主人公候補はいなかった。
余裕たっぷりに笑い、自信満々に見下す、傲慢不遜なハーレム主人公だけがいた。
その眼光をもってすれば、ゲームの雑魚キャラとしてよく出てくる敵など、睨むだけで簡単に殺せる。
否、殺そうとするまでもなく、勝手に死ぬのだ。
蚊が泣くような、断末魔の声。
それは千年の年月を経たように、おぞましさの中で美しさもあったメドゥーサは一瞬で老い朽ちていた。
「ふっ……そうとも、お前如き最初から……『眼中になかった』のだ」
この時、彼はようやく理解した。
真のマウントとは、相手を見下すのではなく無視すること。
視界に収めている相手、視野に入っている相手を、意識することも認識することもないこと。
それこそが、真に自分を高みに置くということなのだか。
「……借りを作ったつもりか?」
振り向いて、問う。
しかしその視界には鉄扉しかなく、その先にももはや気配は残っていなかった。
だとすれば、きっと……。
「余計な世話をする連中だ……全く」