笑顔のまま、心の傷を埋めるのは家族への復讐心
天使の章
「この本加賀友禅の着物、やっぱり奮発しただけあるわ。お相手の〇〇さんのお母様が金沢の出身だと聞いて、わざわざ新調したのよ。お嫁に行くことになったら、袖を短くして、そのまま嫁入り道具の一枚として持っていけるわね」
上機嫌な母が、やけに饒舌に話しをしている。
朝早くから美容師を自宅に招き、髪を結い上げる。髪のセットが終わると美容師の指示に従い薄紫の振袖に袖を通す。着物を着るのは二年前の成人式以来。
部屋の端では、5歳年下の妹が口を尖らせて眺めている。
「お姉ちゃんってさ、ついてるよね。私たち姉妹はどっちみちお見合いでしか結婚させてもらえない運命じゃん。お姉ちゃんのお見合い相手はイケメンで、私の好みなのに、私の相手じゃなくてお姉ちゃんの相手なんだよね。私の相手はきっと私の大嫌いなタイプの人が充てがわれるんだよ。やな感じ。お姉ちゃんだけ、こんな高い着物も買ってもらってさ。ほんとずるいよ」
お見合い相手の〇〇さんは妹好みの顔か。
大手銀行頭取の次男、27歳。慶応幼稚舎エスカレーターで経済学部主席卒業。大手広告代理店勤務。見た目もかなりのイケメン。妹好みの顔。まるでテレビの中で踊っているアイドルのような爽やかさ。
妹は小さい時から誰もが美人顔だと褒め称える端正な顔立ちで、物怖じしない性格もあり皆に愛され育ってきた。特に父親の溺愛ぶりは異常で妹の願いは叶わぬものなどないかのように聞き入れられてきた。正直、姉妹なので比べられることも多いが、私は妹を僻んだことなど一度もない。まっ、妬んだところでどうなるものでもないと理解するだけの知能は小さな頃からあったということかもしれない。
父がこのお見合いの話を持ってきた時、写真を見て妹が立候補したいと嘆いていた。流石にその願いは聞き入れられなかったが、妹は、よほど〇〇さんの顔が好みなのだろう。今でも未練があるようだ。
「〇〇ちゃん、お兄様になる方よ。親戚になるんだからあまり変なこと言わないでちょうだいね」
「お兄様か」
「お父様が〇〇のような素敵な方をあなたが大学卒業した時に紹介してくれるわ」
「私の相手が、〇〇さんだったらよかったのにな」
「いつまでそんなこと言ってるの。お父様に〇〇の支度できましたと伝えて頂戴」
妹の好みと私の好みはいつも違う。妹は華やかな見た目のイケメン男性が好き。私は派手な容姿の男性よりも人柄重視。誠実さが何より大切だと思っている。妹はファッションに敏感で流行を追うタイプ。中学生の時、ビジュアル系ロックバンドにハマり、家族のど肝を抜いたこともあった。私は子供の頃から清楚な服装が好きで流行よりも自分のスタイルを頑なに守って貫いている。流石に両親も服装に関してだけは、清楚系ファッションを好む私をいまも支持している。我儘で自我の強い妹。今まで両親に逆らったことなど一度もない私。勉強だけはいつも優等生の私といつもギリギリの成績で進級してきた妹。大会社経営一族の娘という肩書きがなければ名門女学院には通えていないだろう。
DNAが同じ両親から生まれてきた姉妹なのに何もかも正反対。聞き分けの良い子より手のかかる子の方が可愛いと昔から言われているが、我が家にもその法則がピタリと当てはまる。両親は妹に甘い。
髪を結い、着物の帯を締めてもらっている鏡の中の私。親が決めたレールを歩けば、幸せな人生が送れるんだ。何も怖がることなどない。鏡越しの私に向かって鏡を見ている私が勇気つける。
「ほら、〇〇笑って。〇〇だって、そこそこ可愛いんだから。さぁ、ここからが勝負だよっ」
誰も見ていないときを見計らい、鏡の中の私に向かって口角の端をきっとあげて微笑んだ。
「変なの、なんだか女優になった気分だ」
本当の私を押し込んで、〇〇という私の人生の幕が開けられる。華やかな振袖を着てもまったく馴染んでいかない心は無機質な鏡の中で笑っている。
すべての支度を終えると、私は両親に連れられてお見合い相手である〇〇さんが待つ高級ホテルへと出掛けるために玄関を後にする。
「おねえちゃん。〇〇さんのこと気に入らなかったら私に譲ってね」
妹の冗談とも本気ともわからない声だけが玄関にこだまする。