9.フィーネという女の子
あの日以来、フィーネの態度は少し軟化した。
過度にツンツンする必要性を見失ったのだ。
魔女としての尊大な態度は忘れずに、それでも人としての礼儀も忘れずに。
両者を組み合わせれば、少し偉そうでツンとしたフィーネが出来上がった。これは本来の性格にかなり近い。
一度、「私に関して余計な事を言ったら、ただじゃおかないわよ」と釘を刺した事がある。
なのにアストリードの解答は、「フィーネの事、誰にも話す気ないけど」とさらりとしたものだった。
これはフィーネの実態に配慮した言葉なのか、そもそも興味がない話なのか。それは考えても分からないけれど、いずれにしろアストリードが外でフィーネの事を面白おかしく話す姿など想像できなかった。
結局のところ信用するしかないのだと思えば、もうそれは口止めをしたところで結果は同じ。アストリードの良心を信じるしかない。
――彼にはもう、色々見られているし。
泥だらけの姿も、田舎娘のような姿も。ちっとも魔女らしくない姿を見せているのに、彼の態度は変わらない。きっとそれが答えなのだと、フィーネは思う事にした。
今日は珍しくアストリードが街へ買い出しに行くと言いだした。
「一緒に行く?」
「えっ!? ……って、まさか。行かないわよ!」
慌てて断ったフィーネにアストリードは笑みを残し、「じゃあ、夕方までには帰ってくる」と出かけて行った。いつもより少し早めの朝食を食べた後すぐだった。
久方ぶりに一人になったフィーネは、アストリードが食後に用意してくれていた紅茶を飲み、息をついた。
――そうか、彼が来てもう一週間。
フィーネはしみじみと思い、たった一週間でころっと変わってしまった自分の気持ちに戸惑った。
――ひょっとしてアストリードも人たらしなのかもしれない。
家事全般の能力は言うまでもなく、ささやかな気使いと、穏やかな性格。色んなところを旅しているのか、各地方の事も詳しく、博識だ。遠くへ行けないフィーネにとってそれは様々な事を聞くチャンスでもあるし、そしてなにより話は聞いていて楽しかった。
「……ガレスとの会話とはまた違うのよね」
そう。決してガレスとの会話がつまらないという話ではなくて、彼と接している時のフィーネは性格をかなり偽っている。だから話をしていても少し感覚が違うのだ。
妖艶な魔女フィーネではなくて、ただのフィーネとしての会話。
そんな会話が出来る日がくるなんて、ある意味夢のような話だった。
フィーネは正面の空席を見て、溜息をつく。
一週間前の自分ならいなくなって精々しているはずなのに、今はその空席が少し寂しい。
「早く帰ってくればいいのに……」
ぽつりとこぼれ出た本音にフィーネは慌てて口元を押さえて。これは絶対に秘密にしなきゃと、心に誓う。
◇◆◇◆
夕方になるとアストリードが帰って来た。
「ただいま、フィーネ」
彼は穏やかな笑顔で家の中に入ってくると、背負っていた荷物を床に置いた。
リュックからネギがはみ出ている。若い男性がそんな恰好で街から帰って来てくれたのかと思うと、フィーネは堪らなくなった。
「今日は街にキャラバンが来る日でね。結構珍しい物が手に入ったんだ」
にこにこと笑みを浮かべながら、「ほらこの果物めずらしいだろ?」なんて言って、フィーネに見せてくる。彼の背負っていたリュックはずっしりと重そうで。きっと中には様々な食料が入っているのだとわかる。
二人の食事を作る為に。
こうやって、フィーネに珍しい物を見せる為に。
フィーネはその沢山の荷物を見て、小さな声で言う。
「おかえりなさい、アストリード」
言って、少し照れた。
名前を呼ぶのは初日に命令した時以来だったし、あの時とは呼び方がまるで違う。
最初アストリードは驚いた表情をしていたけれど、すぐにいつもの笑顔になって。もう一度「ただいま、フィーネ」と言ってくれた。
――そういうところが、人たらしなんだと思う。
フィーネは赤くなった顔を見られたくなくて、「わ、私、仕事があるから」と慌てて部屋へと逃げ帰った。もちろんウソ。
なのに、背後からは「ご飯できたら呼ぶよー」とのんびりとした声がかかって。
本来ならば外から帰って来たアストリードが作るのではなく、フィーネが作る方が良いと思うのに、
彼はまったく不満を見せずに、そんな事を言う。
アストリードは優しい。
フィーネはドキドキとする胸を押さえて、ベッドに突っ伏した。
夕食に出た果物は南部に流通している、「パイナップル」という名前だそうだ。
ツンツンとした髪のような葉っぱと、とげらしいものがある実の部分。もはや、どこをどう切って良いのやらさっぱりと分からない果物は、アストリードの手によって、一口大のカットフルーツに変わる。
「すごく甘いわね」
「うん。かなり熟した物を買ってきたから」
へぇ、と感心した声を上げたフィーネにアストリードは笑う。
「南部のお祭りではさ、この実をお面に使うんだ」
まず縦に半分に切った後、実の部分をくりぬき、目の部分と口の部分を切り取って作るらしい。
確かに実は面長だし、髪らしいツンツンした葉もある。お面には向いているだろう。しかし。
「……顔が果汁だらけよね」
「うん、たまに痒くなる人もいる」
そりゃそうだろうと、フィーネは思う。
「まあ、通常は作った後、内側に防腐効果のある薬草を塗りつけて、天日に干すらしいけど。短い期間で作ったやつは、フィーネの言う通り顔中が甘くなる」
想像して、ちょっとげっそりする。
もし自分がそのお面をつけて毒霧の森に入ったのなら、ラルフとガルガンドにすごい勢いで舐められる気がする。彼らはあれでいて甘いものに目がないから。
「ん? 何考えてる?」
しかめっ面を目撃したアストリードが言い、その解答をフィーネは素直に答える。
「森にいる狼を思い出して」
「森って、毒霧の森のことだよな? あそこに動物居るのか?」
「居るわよ。沢山じゃないけど」
もちろん必須なのは毒への耐性。
どういう経緯で耐性を習得したのかは謎だが、幾種類かの動物にフィーネは出会った事がある。
毒の濃度は森の中心に向かえば向かう程濃くなる。その為、森の中心近くに動物はほぼ居らず、外側に近い場所では比較として多く生息する。
小型の動物ならリスやウサギ。フィーネのランソルドッドを盗ったイタズラ好きのカラス。中型なら野犬もいるし、大型なら狼といったところ。もちろん数はとても少ない。
ちなみにラルフとガルガンドはかなり強い毒の耐性を持っているため、森の広範囲を移動できるのだ。
「――へぇ、そうなんだ」
「まあ、普通知らないわよね。毒の濃度なんて」
森の毒は最強クラス。
たとえ濃度の薄い外側と言っても、森に立ち入れば通常人間は命を落とす。
そんな毒の濃度など、むしろほとんどの人間に関係ないだろう。
「だから貴方。もう二度と森の中へ入ってはダメよ」
「わかってる。俺だって死にたいわけじゃないからな」
笑顔のまま頷くアストリードをジト目で見つめ返す。
柔軟な態度を見せつつも、結構頑固者だと悟ったフィーネとしては、言葉を額面通りに受け取れない。
――いくら魔具があったからと言って、よくもまあ致死毒の漂う森に入ったわよね。
へらへらと笑っているけど、一歩間違えば死んでいたとわかっているのかしら?
生き物が避けて通る毒霧の森。
誰もがその全容を知らず、すべては霧に包まれたまま。
例外は森に住む一部のモノのみ。
それでも彼らは森から出ない。森から出るのは魔女ただ一人。
フィーネだけが毒霧の森と外界を繋ぐ――。
……と、そこでフィーネはポンと手を打った。
「そっか!! 吹っ飛んだネジは危機感ね!」
「ん? 何の話?」
自信満々に頷くフィーネと、頭に沢山の疑問符を浮かべるアストリード。
同居が始まって一週間。
二人の夜はこうして更けてゆく。
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