8.快適生活
……と、思っていたのに。奇妙な共同生活は驚くほど快適だった。
主にアストリードの家事能力と、全てにおいて穏やかである物腰が、フィーネの苛立ちを一定以上溜めさせないからだ。
最初はなにこいつ、と思っていた。
いつもへらへら笑って、ネジが吹っ飛んでいるとさえ思った。
だけどアストリードはただご機嫌をとっているわけではなくて、言うべき時はハッキリと物事をいうのだ。たとえば。
「ピーマンが嫌いだからといって残しちゃだめだ」とか。
「まだ足の傷、治っていないのだろう? ちゃんと消毒した?」とか。
いつものように妖艶さが出るドレスを着れば、「……もう少し、肌を隠してくれると助かる」と顔をそむけたまま言う。
お前は保護者か。と、言いたいのを飲み込んで、フィーネは渋々清楚なワンピースを着る。
ご機嫌を取るだけなら返事は「はい」か「イエス」だ。
つまりこの穏やかな性格は素で、彼の言葉は本心なのではないかと思ってしまった。
絆されてはいけない。
そう思いながらも、誠実な態度は好感が持てるし、小言のほとんどはフィーネを心配しての事。
嫌い続ける方が難しいとはまさにこの事だった。
◆◇◆◇
フィーネは十日ぶりにガレスの店へ行った。
カランコロンとドアベルが鳴り、大男が振り返る。
「よお、フィーネか」
「依頼の品、持ってきてあげたわよ」
すっとガラス管を三本、カウンターに乗せる。
ガレスは「おおっ」と身を乗り出して、期待に満ちた目でガラス管を覗き込んだ。
「これがランソルドッド……」
「知ってると思うけど、扱いには気をつけなさい」
念のため言っておく。
万が一ここで破損などしようものなら、泣きつかれるのは目に見えていた。
ガレスはわかっていると頷き、その手で上等な袋を取りだした。
残りの代金だろう。確認してくれと言われたので見てみれば、案の定金貨数枚と銀貨が入っている。ただ、聞いていた金額より多かった。
「気持ちだけど、色がついてるからな」
早いと金が……と、つぶやいていた事を思い出した。
そう、と短くフィーネが頷けば、受領のサインを求められる。
書き終えれば、依頼完了だった。
晴れて自分の持ち物となった品を見つめるガレスは、ガラス管を一本だけ目の前に掲げた。
綿花に包まれたランソルドッドの葉。フィーネの苦労の結晶だ。
「こうやって見ると、ただの葉っぱだよなー」
「……品を疑っているの? なら燃やすわよ」
「っと!! そんなわけないだろ! フィーネがニセモノを持ってくるわけないじゃないか!」
「信用にかかわるから、当然よね」
ガレスは慎重にランソルドッドをカウンターの裏に置き、ほうと息をついた。
「助かった。こんなに早く持って来てくれるとは」
「あら。私は報酬を期待してのことよ?」
「う……。ラテアート、だよな。なんていうか、まあ、一応、練習はしたんだが」
「したんだが?」
ガレスは言いにくそうにしながら、「書いても、ひしゃげたブタにしかみえない」と頬を掻いた。
「一応、何を描きたかったのか聞いてあげる」
「そりゃあ、まあ。クマ、かな?」
クマとブタ。
動物であるという共通点しか見いだせず、フィーネは笑った。
「ふふふ。ならそのブタ、見せてもらおうかしら?」
「だからクマだって言ってるだろ?」
でもブタなんでしょ? と返せば、ガレスは「むむむ」と悔しそうに押し黙る。
完璧主義者の彼にはその事実が許容できないと見える。
「あと十日。いや、一週間あれば、クマになる」
「ほんと? なら、待ってあげても良いわよ」
クスクス笑うフィーネに、「上手く出来たら褒美がでてもいいんじゃないか?」と、ガレスは調子に乗る。
元々は私に支払う対価のはずだけど。
フィーネはまあいいかと流し「何が欲しいの?」と気軽に尋ねてみる。
ガレスがニヤリと笑う。
「麗しき魔女様の口づけを」
フィーネは妖艶に微笑みを返す。
「考えておくわ」と席を立ち、扉へと向かった。
「もう帰るのか?」と声がかかるも、「練習の邪魔をしたくないわ」とそのまま店を出る。
フィーネはピンチだった。
なんとか自宅まで戻ると、自室のベッドへと突っ伏した。
――秘密その十。
キスは、まだ……
「うううう」と、一人唸り声を上げて、真っ赤になった顔をシーツに押し付ける。
ガレスのバカ!
なにが『麗しき魔女様の口づけを』だ! 自分は女をとっかえひっかえしている癖に!!
人たらしで、結構優しい。
自分のような金づるがいるせいか、金回りも良いし、体格の良い背格好も悪くはない。
女性関係はあまり長続きしないようだが、店はそれなりに繁盛しているし、何でも屋の仕事もキチンとしている。フィーネに面倒な奴らが絡んでこないのはガレスのおかげだし、人望がある事も知っている。
そう、あの大男はあれでいて結構やるのだ。
フィーネは赤くなった顔を指でつまんで引っ張り、痛みですべてを忘れようとする。
忘れなければ、どんな顔をして店に行けばいいのか分からない。
「――フィーネ。どうした?」
ハッとして振り返る。
壁に背を預けたまま立っているアストリード。そういえば帰って来た時に声もかけず、部屋へと走ったのだっけ。
心配してくれたのだろうか?
そんな気持ちが過り、ぽわんと心が温かくなる。
「な、なんでもないわ!」
でもそこは魔女フィーネ。素直にそれを喜んだりはしない。
アストリードが、こちらへとやってくる。
「あっ! 入っても良いなんていってないわよ!」
「――包帯、取れてる」
アストリードの声が落ちた場所を見て、フィーネは慌ててドレスの裾を伸ばした。
「見たわね!!」
「――ああ。巻きなおそうか?」
「結構よ!!」
「でも、苦手だろ?」
フィーネはぐっと押し黙る。図星であった。
本当は足なんて見られたくない。
なのにアストリードはフィーネの側に膝をつき、「触るよ」と声をかけてくる。
魔女らしく、魔女らしく……!!
フィーネはツンと他所を向き「勝手にすれば」とギュっと目を閉じた。
優しく、壊れ物を扱うようにそっとアストリードの手が触れる。
かああっと顔に熱が集まってきて、フィーネはそれを見られないよう、彼から顔を隠す。
「一度取って、巻きなおすよ?」
「ふ、ふん。勝手にどうぞ」
何をするでも確認をし、フィーネの意思を尊重するアストリードは紳士だ。
こんなにも不遜な態度で接しているのに、彼は腹を立てる事がない。普通なら怒って出て行くと思うのに。
――どうしてアストリードはここにいるのだろう。
名前以外知らない、穏やか過ぎる、人畜無害な男。
目的はなに? 何の為に、こんなところで暮らしているの?
貴方に帰る家はないの? 家族は? 友人は?
――恋人は?
そこまで考えてフィーネは首を振った。関係ない。私にはすべて関係ない。だけど。
チラリと視線を足へと向ける。
アストリードとは視線が絡まない。彼は下を向いたまま、とても大切そうにフィーネの足を支え、包帯を巻き直してくれている。
心配そうに足を見つめる瞳。微塵にも下心を感じさせない手つき。
そこにはただ相手を気遣う想いだけが見えて、フィーネはツキンと胸が痛くなった。
絆されてはいけない。
何度も何度も繰り返し、自分を守る壁を作り上げる。
でもその壁があまり長持ちしない事をフィーネは予感していた。
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