18.しかたないわね
気がつけば彼らは居なくなっていた。
フィーネは森でひとしきり笑って、顔を上げる。
頬を何度かペチペチ叩いて、心をすべて切り替えて、魔女らしくニィと笑った。
切り替えの早さはだけは自慢できる。くよくよ悩むのは性に合わないのだ――……
なのに。
「――どうしたんだ? 浮かない顔して」
指摘され、フィーネは目を丸くした。
「あら、わかるの?」
「わかるもなにも、憂いを帯びた表情って言うのは今の顔を言うんだぜ」
コトリ、とグラスが置かれる。
今日は無色透明、レモンの添えられた炭酸水。しゅわしゅわと音を立てて浮かんでくる泡が涼しげだった。
フィーネは久しぶりにガレスの元へ来ていた。
用があった訳ではない。ただ、あのまま家に帰るのが嫌で、街へ出てきただけだった。
ガレスが慇懃な態度で頭を下げる。
「不精、酒場のガレスにできる事があればなんなりと」
「そうねぇ……」
頬杖をついたまま、軽口に乗ったフィーネは考える。
アストリードの事は言わない。でも、ガレスの申し出が嬉しかった。
「色んな話、聞きたいわ」
「そんな事でいいのか?」
「貴方の話は色々と参考になるもの」
「そりゃ、光栄だね」
ニッと口角を上げたガレスが自分用の飲み物も用意し、どっかりとフィーネの隣に座った。
「仕事はいいの?」
「今から俺の仕事は話をする事だ」
グラスを煽り、ガレスは最近仕入れた情報を話し始める。
東部の騎士隊に新設された隊があるらしいという話。南部からのキャラバンが増便された話、最北部の孤島で揉め事が起こっているという話などなど。
「最北部で揉め事って……、この辺りは大丈夫なの?」
「まあ、大丈夫。と言いたいところだが」
ガレスは一度言葉を切り、「これはまだ入ったばかりの情報なんだがな」と続けた。
揉めているのは組合と商人達らしい。
最初はお互いの取り分で揉めていただけだったのだが、それが段々と商売の方針や商品の権利など、複雑で、取り決めによっては利益が大幅に変わってくる話へと範囲を広げていったらしい。
そうすると今まで話に加わっていなかった人達も口を出す様になってきて、話が一向にまとまらず、組合の機能がほとんど停止してしまっているのだとか。
最北部の組合で取り扱いされている主だった商品は二つ。
織物と農作物。農作物の中には冷花も含まれる。
「冷花は北部が最初に輸入し、最終的には国全体へ流通させただろ? そのお陰で組合は北部を優先してくれているが、他の地域は欠品状態。常に品薄な冷花の売値は高騰し、北部への卸値を大きく超える――。そうなれば、まあ、わかるよな」
「高く売れる方に品が流れるわよね」
「そう。辛うじて機能している組合からは、「適正に収めている」と報告があり、北部の商本部もそれを認めている。なのに、この北部一帯の街に卸されている冷花は少ない。その差の分はどこへ?」
流れるように語るガレスが、学問を教える教師のようにフィーネの解答を待つ。
「……いわゆる、噂の場所へ?」
貴族や富豪を思い浮かべたが、明言を避ける。
疑いが濃厚であっても、証拠もないのに口にすべきではないと思ったから。
ガレスが愉快そうに口角を上げた。
「まあ、ほぼ正解なんだがな」と頷き、「――ただ、今回の問題はそちらじゃない」と続けた。
「どういうこと?」
「端的に言うと、お偉いさん方が使う分以上に抜かれている――そういう話」
フィーネは眉をひそめた。
必要以上抜かれている――……お金儲けの為だけなら、不快だった。
「監査人はどうなっているのかしら?」
「冷花の場合、つつくとお偉いさんが出てくる可能性がかなり高い。誰も怖くて言い出せないのさ」
カランとグラスの中で氷が崩れる。
じわじわと溶けゆく氷は、時が経てばすべて消えてしまうだろう。
この件も、早く調べなくては同じようになると、フィーネにも分かった。
「……目星は付いてるんだがな」
「なら、捕まえなさいよ」
「無理言うなよ。俺はただの酒場のおやじだぜ? お役人に睨まれるのはごめんだ」
「意気地がないのね」
「しかたないだろ?」
人のしがらみは複雑かつ、面倒だ。
フィーネには無縁な話だが、聞き流すには気分の悪い話だった。
ガレスがふぃーと長く息を吐き出す。
「どうにかならないもんかね」
「それを私に言うの?」
もちろんフィーネだってどうにかしたいと思う。
街で冷花が品薄だと聞いていたから、温毒の薬を早めに作り始めた。品薄によって、薬を冷花の二の舞にしない為だ。
だが、薬が役立つのは温毒が流行ってしまった時。つまり後手の対策だ。苦しむ街の皆を思えば、冷花の不正を暴く方が一番良いと分かっている。
こんな時、自ら請け負うような発言が出来ない事が本当にもどかしい。
正直、採取と薬以外の事は専門外だ。
それでも秘密の鎧が本物なら、「しかたないわね」と言えたかもしれないのに。
ガレスはそれ以上この件には触れず、違う話を始めた。
きな臭い話から穏やかな話に変わったというのに、フィーネの気持ちは浮上しない。
気ままに自分の好きなようにやるのが魔女なのに、自分にはその力がない。弱い魔女だと、つきつけられた気分だった。
――なんだか、ものすごく腹が立つわ。
腕力はなく、運動能力は平均値。魔法はしょぼく、動物は言う事を聞かない。
加えて言うならフィーネは音痴だった。
『魔女』というものに対するイメージはフィーネに優しくない。
らしくあろうとするだけで、本当は自分が何をしたいのか見失いそうになる。
言葉でその不満を漏らす事も、否定する事も出来ず、ただただ秘密を積み上げてはそれに綻びがでないよう細心の注意を巡らせる。
息苦しい時もある。
普通の女の子だったらと夢想する事もある。
だけどフィーネは魔女だ。
その事実はどうあっても変わらないし、それはこの先も同じ。
手を伸ばしても届かぬ幻を追い続けるよりも、今を懸命に生きる方がいい。
そしてなによりも、魔女として出来る事をする自分をフィーネは誇りに思っていた。
だから、魔女の自分が苛立つのなら。
それを無視するわけにはいかない。
ガレスがグラスを手に取り、溶けた氷ごと口に含んだ。
ガリガリと氷を噛み砕く。それがままならない現実を噛み砕くような仕草に見え、フィーネのくすぶっていた心に火をつけた。
「――しかたないわね」
ガレスが「ん?」目を見開き、こちらを見た。
ニィと口角を上げるフィーネ。その表情はまさしく魔女。
「……フィーネ、機嫌が悪い?」
「そうね。多分悪かったんだと思うわ」
「気付かなくてすまない。好きなもの作ろうか」
「結構よ。それより、さっきの話をもっと詳しく聞かせなさい」
「さっきの……って、冷花の事か!?」
「それ以外何があるの」
フィーネは炭酸水を一気に飲み干し、カツンッとグラスを置いた。
ビクッと肩を揺らした大男は無視。不愉快そうに眉をひそめたまま続けた。
「さあ、早く教えなさい」
お読みいただきまして、ありがとうございました!




