17.動かぬ証拠
決定的な証拠を押さえる。
フィーネは望まぬ事実を掴むため、アストリードの後を追った。
彼が出発しておよそ三十分が経過している。追う三十分は少なくない時間だろう。
しかし、彼は毒霧の影響を受ける場所を避けるため、街へ出るのも大回りしなくてはならない。近道出来るフィーネなら時間差で追いかけても十分間に合うと考えた。
目印は彼が身につけていた毒を吸収する魔具。
フィーネの自宅は毒霧の影響が僅かにあり、彼の持つ魔具が常に作用していた。魔具の揺らめきは精霊の欠片の揺らめき。魔女であるフィーネは正しく感じ取る事ができる。
自分以外誰も通らぬ道を行き、目的地より少し離れた場所で足を止めた。
一度深呼吸して、ゆっくりと歩き出す。ドレスの裾を静かに捌き、気配を悟られぬよう、慎重に。
街道沿いの少し中に入ったその場所は、以前話を聞いてしまった辺りとかなり近かった。
――やっぱり、あのガラの悪いヤツと会うのね。
目の前が暗くなりそうなのを気力で振り払い、フィーネは静かに時を待った。
街道をいくつかの馬車が通り抜ける。速度がゆっくりなところをみると、傷みやすい食べ物をのせているのだろうか。この時期、食べ物の鮮度を保つのが難しく、商隊は苦労していると聞く。
しばらくすると、速度を落とした馬がやってきた。
ぱこぱこと鳴る足音がのどかで、平和そうで。フィーネは自分のしている事が憂鬱になってきた。本当はこのまま、何事もなければいいのにと思ってしまう。
足音はすぐ近くで止まった。
トンと地面を踏んだような音と、続いて聞こえる馬の足音。どうやら誰かが降りて、馬だけを先に返したようだった。
ガサガサ、ガサガサ。
草を気にせず人が歩いている。街道から外れて森の中に来る人物など、嫌な想像しかできなかった。
「――よお、新入り」
男の声だった。
軽薄そうな声の調子と、少し高い声。聞き間違えようがない。あの日の男の声だ。
「今日もクソあっついな」
「ほれ、見てみろ。わざわざこんなところまで馬を走らせたから、汗だくだ」
「まったく世話のかかる新入りを持つと大変だぜ」
男は一人しゃべり続ける。
会話というか、言いたい事を言いたいだけというか。
話し相手のはずであるアストリードの声は聞こえてこない。
まさかいないとは思わないけれど、一体何をしているのだろう。
フィーネの位置から二人の姿は見えない。
声の聞こえ方からして男がこちらを向いているのは分かるが、それだけ。状況は分かりづらかった。
フィーネはじれったい思いを閉じ込めて、声に耳を傾ける。
相変わらずアストリードの声は聞こえてはこない。本当にそこにいるのかと疑いたくなるほどに返事をしない様子は、今までの彼から想像できなかった。
しばらく男の一方的な声が続き。
それでも何も言わない彼に苛立ったのか、やがて不機嫌そうな舌打ちと共に、「首尾はどうだ」と言った。
ここからだと、思わず息を呑んだ。
「良い報告をもってきたんだろうな?」
「……前回も言ったはずだ。まだ報告する段階にない」
「お前が魔女のところへ行ってもう三週間以上が経った。それでも『まだ』というのか」
「魔女殿は用心深い。そう簡単にはいかない」
冷たい言葉。
声は間違いなくアストリードのものなのに、別人のようだった。
ふん、と馬鹿にしたような声が聞こえる。
「お前の口説き方が悪いんじゃねえの?」
「口説く以前に人間関係を構築するのが先だろう?」
「はっ!! くだらない!! 俺達は仲良しごっこをするつもりはない」
「良好な関係は必要だ」
「魔女が手に入るなら細かい事はどうでもいい」
はははははと、男が笑う。
フィーネは固まった。
『魔女が手に入るなら』
『細かい事はどうでもいい』
ゾッとした。
この男にとってフィーネの意志は、心は。すべてどうでもいい事なのか。
何かのたくらみに利用しようとしている。ここまでは想像出来た。
人々が噂する魔女フィーネは業火を操り、森の動物は僕。毒霧の森に入れるという、特異な能力がある。利用価値はさまざまだろう。
だがその扱いまでは思いの外だった。
ひどい扱いも厭わない発言は、強い魔女という秘密の鎧を信じていないのか。それとも、自分達はそれをも凌ぐと言いたいのだろうか。
アストリードは無言。
その沈黙はフィーネにとって耐えがたいものだった。
沈黙は肯定なのか。彼も、どうでもいいと思っているのか。
違うと言いたかった。
――ううん。アストリード自身にはっきりと否定してほしかった。
彼の笑顔は本物だった。穏やかに微笑み、気遣うのは、こちらを慮っての事。
いくら相手が魔女だといっても、その心をどうでもいいなんて、思っていないはず。そう思いたかった。
だけど、声はいつまで経っても聞こえない。
心がすぅっと冷たくなってゆく。
覚悟して追ってきたはずなのに、どこかで期待していたのだ。本当は何もかも勘違いで、アストリードは悪い人じゃないって、目的は何かあっても、接する態度に偽りはないって。
でもそれは都合のいい思い込みだったようだ。
アストリードはこの軽薄そうな男の仲間で、魔女を利用しようとしている。
それこそ、こちらの意志などどうでもよく、好き勝手にするつもりなのだ。
フィーネはしゃがみこんだまま耳を塞いだ。
男達の声が僅かに聞こえたが、意味は分からなかった。もう、どうでもよかった。
人は自分の信じたい事を信じる。
それが真実か偽りかは関係ない。
いくつもの不確かな事をそのままにして、そうであればいいと思う事を信じる。
フィーネもそうだったのだ。
明らかに不自然すぎる滞在の願い。それを問い質すこともせず、向けられる無条件の優しさに浮かれて、信じたい事を信じていたのだ。
――馬鹿みたい。
笑いが込み上げてきた。
悲しいを通り越して、己の愚かさに笑いたくなった。
自分に利用価値がある事を、魔女にはそれしかない事を忘れていた。
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