15.月のない夜
フィーネは気付けば自宅にいた。
帰り道の記憶がない。そして、アストリードもいなかった。
「……いつも夕方なんだから、まだいなくて当然よ」
声に出して言ってみる。
アストリードの買い出しは三日に一回。朝、いつもより早めの朝食をとり、その後、夕方まで帰って来ない。
――でも。
よく考えれば、買い出しだけでそんなに時間がかかる?
リュック一杯の食べ物は、街のお店とキャラバンから買っているとフィーネは聞いていた。だが、両方を梯子したところで、かかる時間など知れているだろう。――じゃあ、残りの時間はなにを?
そんな事を考え始めた自分にフィーネは嫌気がさした。
信じていると、心の中で言ったのはだれ?
雑念を払うように頭を振った。
置き場のない不安。考えても答えは見えず、胸が苦しくなるばかり。
フィーネは乱れている髪を直し、軽く汗を流して、調合室へと閉じこもる。
集中して薬を作り続ければ、余計な事を考えずにすむからだった。
◆◇◆
ノックの音でハッとした。
「フィーネ? いる?」
優しい、穏やかな声が聞こえる。
フィーネは手を止めて、扉を開けた。
「ただいま、フィーネ」
「お、おかえりなさい……」
笑みを浮かべるアストリードを見ていられなくて、フィーネは俯いた。
心なしか、声も小さかった気がする。動揺を抑えないといけないのに、これではいけない。
「おや?」と彼の纏う空気が変わる。
「調合の邪魔してごめん。ご飯出来たら呼ぶよ」
「え、ええ」
――どうして、何も聞かないの?
疑問は素直に口にして良い時と悪い時がある。
彼は土足で人の心に踏み込むような真似はしない。これはいつもの気遣いだと分かっている。――けれど。
今は、それが二人を隔てている溝のような気がした。
夕食も会話が弾まなかった。
アストリードはいつものように色々話してくれるのだけど、フィーネの反応が悪かった。
「ええ」「そうなの」しか言わなければ、会話はすぐに終わってしまう。
「――フィーネ、なんかあった?」
見かねたのかアストリードが尋ねてくる。
そんな彼をぼんやりとした気持ちで眺め、フィーネは目をそらした。
――ねえ、貴方はどこから来たの? 家族はいるの? 恋人は?
聞きたい事はたくさんあった。
自分が知りたかった事、色々聞いてみたいと思っていた。
――貴方の事、もっと知りたかったから。
帰り道に聞いた、冷たい声。
違う人だって思いたかった。聞き間違いだって思い込みたかった。
でも、この辺で『魔女』は自分しかいない。
――『機は熟していない』って、何の事?
信じていると、ばば様と話している時に心で言った。
それは本心だったし、今もそうでありたいと願っている。
だけど、だけど。
「――いいえ、何もないわ」
すべてにフタをしてフィーネは言葉を紡ぐ。
いろいろ聞いてみようと思っていた気持ちは、小さくしぼんでしまっていた。
アストリードが心配そうな表情でこちらを見ている。
何か言わなければと思うのに、喉が張り付いて声が出ない。
沈黙が苦しかった。
信じている。信じたい。ねえ、信じさせてよ。
なにか切り出してくれればいいのに、彼は何も言わない。
フィーネの聞きたい事を、なにも口にはしてくれない。
その日、初めて食事を残した。
「明日、食べるから」とだけ伝えて、早々に部屋へと引き上げる。
「調子が悪い?」というアストリードの問いには首を振って、「ちょっと、つまみ食いをしたのよ」と嘘を重ねた。
アストリードに嘘をつきたくない。
そう思っていたはずなのに、ようやく出た言葉にも嘘が紛れていて、フィーネは悲しくなった。秘密を積み上げる事に慣れた自分は、本当の事が言えなくなっているのかもしれないとさえ思った。
「――どうしたらいいの?」
月のない空を見上げて、フィーネは息をつく。
夜風に吹かれ、美しい黒髪が揺れる。憂いを帯びたその表情を、アストリードが見ているとも知らずに。
翌日。
ハッキリとした意志を持って、部屋を出た。
「おはよう、フィーネ」
「おはよう」
フィーネは決めていた。いままでどおり彼に接する事を。
「今日は軽めの食事にしておいたけど、どおかな?」
「ええ。頂くわ」
いつものように返事をすれば、アストリードはホッとしたように笑う。穏やかな、優しい笑顔だった。
フィーネは後ろめたい思いにフタをして、するりと席につく。
食事をしながらの会話にも気を配った。
いつものように。いつものように、と自分の行動を常に点検しながら、慎重に言葉を選ぶ。
――今までの私を演じるの。
昨日の気持ちを秘密にして。彼の目的を探る。
事がはっきりすれば、またアストリードを信じられる。そう考えたからだった。
「今日は採取に出るわ」
「そう。暑くなりそうだから水分を忘れずに」
世話焼きのセリフ。
これが本心だと早く信じたい。
フィーネは内心でゴクリと喉を鳴らして、自然に聞こえるようにある言葉を続けた。
「ついでだから、欲しい物があるなら言いなさい。気が向いたら採ってきてあげるわ」
彼の真意を測る、罠。
騙すみたいで、心に嫌な味が残った。
なのに、そんな事情など知らないアストリードは目をパチクリとさせた後、「特にないけど」と悩んだ素振りも見せない。
――本当に、森の資源は目的ではない?
ただ、この一言だけをとって、それを言い切って良いのか。
――一応は頼みやすい状況を作ったつもりなのだけど。
フィーネは「そう」とそっけない返事をし、自室に戻った。
身支度を整え、再び自室を出れば、水筒と包みが一つ。片づけをしていたアストリードが振り返り、「お昼に食べて」とのんびりと笑った。
やっぱり良い主夫になるわ。
フィーネは挫けかけていた心を立てなおす。
ありがとう、と小さくお礼を言って、彼の笑顔に見送られ。フィーネは毒霧の森へと入る。
必ず彼の目的を見出し、自分の納得できる結末を。
アストリードと暮らすのは後二週間足らず。フィーネは重ねたくない秘密を積み上げる。
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