13.年の功には敵わない
ある日。くたびれたドアノッカーを鳴らし、フィーネは扉を押した。
ツンと漂う独特の香り。それは自分の調合室と似た、薬草の香りだった。
「――おや、めずらしいお客だこと」
奥の部屋から老婆が顔をのぞかせ、ニィと笑う。
「こんにちは、ばば様」
「ああ、こんにちはフィーネ」
しわがれた声は懐かしい。
フィーネは曾祖母を思い出して、小さく笑った。
ばば様は曾祖母と取引をしていた薬師。
性格は辛らつだが、懐は広い。そんなハッキリとした性格が曾祖母に好まれ、街と魔女を繋ぐ役目を担っていた。
必然とフィーネの幼い頃も知っている街唯一の人物であり、曾祖母が亡くなった今、フィーネを最も知る人物でもあった。
「ねえ、ばば様。アメルの雫が切れてしまったの。分けてもらえるかしら?」
「アメルの雫? ああ、かまやしないけど……今回はガレスの坊から受け取ってないのかい?」
「いいえ。ちゃんと受け取っているわ。それがすべてなくなってしまったの」
「すべて? まあ、ようさん使ったのぅ」
背後の棚から材料を取り出しているばば様を見て、フィーネは「そうだ」と声を上げた。
「ついでにクロルの葉とリーンの根ももらっていこうかしら?」
あとは……と考えているうちに、ばば様が振り返り、小さな目をしばしば瞬きして「ああ」と納得したように頷いた。
「温毒の薬を作ったんだね、フィーネ。流行を前にして準備のいいこと」
「うっ……。だ、誰がそんなものを作ったって言ったかしら?」
「その発言はわしを舐めすぎだと思わんかね? 材料で予想がつくさ」
「た、例えそうだとしても、ぼろ儲けする為なんだから!」
「はいはい。必要になったらよろしく頼むのぉ」
「だから、ちがうんだってば……」
話半分といった体でばば様はフィーネの訂正を受け流す。
聞こえているはずなのに、聞いていない。これはばば様の得意技である。
「わしもそろそろ調合するかのぉ……」
「あ。材料は足りるかしら?」
「心配せんでもいい。お前さんと違って、つては多いからのぉ」
街一番の古株であるばば様の人脈と比べられたら、誰も勝負にならないのである。
「じゃあ、遠慮なくもらっていくわ」
「ああ。そうしなそうしな」
ばば様はゆっくりとした手つきで品物を袋に入れ始める。
袋詰めの間は雑談の時間。
フィーネはゆっくり動くばば様を見て、会話が始まるのを待っていた。
「そういやあ、フィーネ。最近、新顔が買い物に来るようになったんだよ」
「そうなの? 新しく越して来た人かしら?」
「うんや。どこに住んじょるかは知らんが、確か十日ほど前に初めて顔を出して、その後は三日置きぐらいで買い出しに来るんだよ」
「三日置き? 街外れにでも住んでいるのかしら?」
ここから隣街まで近い場所でもおよそ二日。
旅支度にしては間隔が早すぎるし、街中で生活しているならまとめて買う意味がない。
首を傾げるフィーネに、ばば様はチラリと横目を送り、「なんだ。知らないのかい?」と言った。
「お前さんも街外れだろう? だから、知ってるかと思ったんだが」
「まさか。少なくとも私が住む方には誰もいないわよ」
毒霧の森の近くに住もうなんて思う人間は、よほどの物好き。しかもそのすぐ傍には魔女の住みかがあるのだ。通常ありえない。
……と、そこでフィーネの頭には、物好きの主夫男が浮かんだ。
――いやいや、まさか。
そう否定しながらも、冷や汗が流れるのをフィーネは感じていた。
ばば様が続ける。
「その人は整った顔立ちでね。しかも笑顔が優しくて。たちまち街の人気者さ」
「へ、へぇ……」
「買ってゆく物を三日で割ると、大体二人分。夫婦で暮らしているみたいだね」
「ち、違うわ!!」
叫んで、慌てて口を閉じる。しまったと思っても、もう遅い。
「はて? なぜフィーネが真っ赤になる?」
ばば様は可愛らしくコテンと、首を傾げた。
小さな黒い瞳は一見、無害そうな感じがするのに、その瞳の奥に隠れるのは猛禽類の鋭さ。捕まれば、全てを暴かれる。
フィーネは何か言わねばと駆り立てられて、思わず声を上げた。
「そ、その男が全部三日で食べているのよ!!」
「男? わしは、それを伝えたかね?」
「!!」
失言。
フィーネは穴に入って埋まりたくなった。
これを墓穴というのだ。アホすぎる。
ばば様は「はて?」と、とぼけたような顔をする。
歳を考えれば、その態度に便乗して誤魔化す人もいるだろう。
だが、フィーネは知っている。
ばば様はボケていない。分かってやっている、たちの悪いおばばなのだ。
「……ばば様。対価なの」
仕事なのだと、多くを語らないフィーネ。
世間的に考えれば今の状態はとても褒められたものじゃない。
もちろん、そんな世間が思う事など何もないのだが、人の噂は真実も嘘もすべてごちゃ混ぜである。広まればロクでもない話になるだろう事は、フィーネにも想像できる。
ばば様の小さな目がすぅっと開く。
「お前さんを利用する輩ではないか?」
「違うわ」
「何故そう言い切れる?」
「だって、もう二週間以上いるのに何も言ってこないわ」
そう、彼の滞在期間は一カ月。あと二週間もない。
自分に何か要求があるのならもう動いてもいいはずだった。
フィーネはもう、アストリードを信じていた。
ばば様が自分を心配しているのは分かっている。とてもありがたい事。だからこそ、フィーネは信用に至るまでの根拠を説明しなくてはならなかった。
真面目で働き者。とても親切で、いつも穏やかな笑顔を浮かべているの。
説明を考えれば考えるほど、アストリードを褒め称えている気がして。フィーネは顔が赤くなってゆく気がした。――これって、説明になっているのかしら?
場合によっては惚気だと思われるかもしれない。実際は惚気を言うような間柄ではないのだが。
あれこれ考えているうちに、ばば様がふうと息をついた。
「では最後に。そやつは何故、お前さんに近づいた?」
ひゅっと、フィーネは息を呑んだ。
それは未だにわからない事の一つだった。
アストリードは多くの話をするが、自分の事はあまり語らない。
出身地や立場の事、彼が毒霧の森にやって来た理由も、すべては謎のままだった。
知りたいと思って、その思いを打ち消した事がある。自分には関係ないと。
今思えばそれは認めたくない気持ちだったから否定したのだと分かるし、知りたいと思った気持ちは本当だったと言える。そして、その気持ちが大きくなっている事も分かっている。
けれど片方で、このままでいいと思っている自分がいた。
下手に興味を示して、契約が早く終わってしまうのが怖かったのだ。
フィーネ。と、しわがれた声が呼ぶ。
「お前さんは優しすぎる。誰でも無条件に信じるな」
「無条件なんかじゃないわ!!」
「そこに目に見える形で証拠がないのだろう?」
ぐっと、言葉に詰まる。
アストリードが疑われている。悲しかった。違うと、ここで何度声を上げても、ばば様は証拠を求めるだろう。自分が感じただけでは、ばば様は納得しない。
「お前さんの力は、皆が喉から手が出るほどほしいものだ。それを忘れるな」
厳しい口調に、フィーネは視線を落とした。
分かっている。
毒霧の森に唯一入れる自分は強い魔女であらねばならない。
フィーネを守る鎧は自身の纏う秘密。
その一つ一つを見ればとても些細な事だった。
しかし、積み上げられた秘密はすでに山のようで、これが白日の下に晒された時、妖艶な魔女フィーネはいなくなる。作りだした虚像が消えた時、残るのは強者に囚われた籠の鳥。
フィーネは慎重に秘密を積み上げなければならなかった。――本当は、毒耐性があるだけの普通の女の子だと知られてはならない。
ばば様はそれ以上触れず、品物を包み終えた。
「気をつけて帰るんだよ、フィーネ」
「――うん。ありがとう、ばば様」
しっかりしなくては。
アストリードの疑いはあと二週間で晴れる。
そう、きっと。
――大丈夫。
すぅと息を吸い込んで、店のドアノブを握る。
ひとたび店を出れば、フィーネの態度はガラリと変わった。
皆から恐れられながらも頼られるフィーネは、妖艶な姿をもつ美しき魔女。
ひとたび歌えば、すべての生き物を魅了し、指を鳴らすだけで業火を操る。
森に住む動物は彼女の僕で、それは人里のそばにある毒霧の森とて例外ではない――。
フィーネは思う。
いつかこの秘密をすべて打ち明けられる人が出来たのなら――
脳裏に浮かぶのはアストリードの姿。
にこにこと穏やかな笑みを浮かべる彼が、その人になりうるのか。フィーネにはまだ分からない。
――今日、少しだけ聞いてみようかな。
踏み込むか迷っていた距離。
近づくのは、今夜かもしれない。
お読みいただきまして、ありがとうございました!!(*^_^*)




