11.薬草の魔女
「ふぅ、これで最後ね」
木々の隙間から強い陽の光が差し込む森の中。
採取した薬草をポーチにしまい、フィーネは額の汗を拭う。
生い茂る森の中、かつ、まだ比較的早い時間帯だというのに、すでに身体はじっとりと汗ばんでいる。今日は各段に暑かった。恐らく動物たちも木陰でのんびり過ごしているのだろう、一向に採取の邪魔をされる気配がない。
足元にはまだ沢山の薬草が生えている。だがそれは森を維持していく為に必要な分だ。フィーネは踵を返し、自宅へと戻ってゆく。
「――おかえり、首尾はどうだった?」
「いつもどおりよ」
そっけないけれど、きちんと答える。
フィーネは採取カゴを床に降ろし、井戸へ向かった。
アストリードがタオルを持ってついてくる。
「シャワー浴びる?」
「いいえ、先に薬草を干すわ」
桶に張った水でタオルを濡らし、顔に押し付ける。
ひんやりとした感触が気持ちいい。続けて首元を冷やして、フィーネはここにオアシスを見た。
今日は暑くなりそうだというアストリードに、「ええ」と短く答える。
ここ最近、じわじわと最高気温が伸びているのを肌で感じている。もうすぐ本格的な夏になるのだ。やはり採取を進めて正解だと、フィーネは一人頷いた。
採取の日々は続く。
同じ場所から大量に採らないフィーネの採取方法はとても時間がかかった。
広大な森から少しずつ恵みを受け取る為、かかる時間のほとんどは移動時間。加えて森に泊まらず毎日帰る事にしていたので、いつもよりさらに時間がかかる。
「べ、別に貴方が居るからじゃないわよ!」
森に入る人間がいないのなら、森を破壊するのも守るのもフィーネの役目。
フィーネが森に滞在すればその分資源を使う。だから帰って来ているのだと言えば、アストリードは笑って、「おかえり」と言ってくれる。
それが何故だか、嬉しくて恥ずかしくて。
結局フィーネはいそいそと採りたての薬草を干す作業に没頭する。手持無沙汰になったら、どうしたらよいのか分からなかったのだ。
「――フィーネ、水分補給」
ん。と、返事をして、差し出されたカップを受け取る。
採取から帰った日中。いつものように濡らしたタオルで涼をとっていると、アストリードが差し入れてくれる。
――本当に気がきくわね。
良く冷えた水。ほんのり感じる爽やかな香りは、きっとレモンだろう。
フィーネは苦笑を浮かべつつ、「貴方、良い主夫になるわよ」とつい口にした。
アストリードがキョトンとした表情になる。
「そうか? そんな事を言われた事無かったな」
「心の中ではみんな思っていたんじゃない?」
「想像できないね。俺は結構身勝手な人間だから」
「まあ、魔女の家に押し掛けるぐらいは図々しいわよね」
「それを承知しているからこそ、対価の家事労働なんだろ?」
一応、図々しい自覚はあったのか。
フィーネは彼への評価を書き変え、ふむと頷いた。
「なるほど。……で、初めに戻って、良い主夫になるって事ね」
たとえこの気遣いが対価であるとしても、良く出来たものである。
そうフィーネが一人感心していると、アストリードがにこっと笑った。
「ありがとう。じゃあ、もらってくれる?」
さらりと言われた事にフィーネは目をパチクリとさせた。
一瞬、意味が分からなかったのだ。
「今は家事労働しかしていないけれど、一応剣も使えるから護衛にもなるよ」
こちらの反応を見つつ、彼は続ける。
そしてようやく、フィーネはその意味を理解して。顔が一気に茹で上がったのを自覚した。
「な、な、なっ!?」
「ん? 良い夫になるといったのはフィーネだよ?」
「おっ、夫じゃなくて、主夫!! 主夫よ!!」
「どっちも同じだろう?」
「違うわ!! 大違い!!」
なんで、急に、そんな。
フィーネはカップとタオルをアストリードに押し付け、ずんずんと歩いてゆく。
一回だけ睨みつけてやろうと、目を吊り上げ振り返れば、そこに居たのは穏やかな笑顔を浮かべるアストリード。途端、また顔が熱くなってフィーネはまた彼に背を向ける。
からかわれているだけ。
分かっているはずなのに、火照りが引かなくて。フィーネは井戸水を頭からかぶりたくなった。
◆◇◆
軽口を警戒して、フィーネが距離を取ろうとするのに、アストリードの態度はまったく変わらなかった。いつものように家事をこなし、笑顔でフィーネに話しかけ、そして、優しくしてくれる。
「~~んんん!! 届かない!!」
背伸びをして上段にある本を取ろうとして。後ろからスッと手が伸びてくる。
「ん? これ?」
突然聞こえた声にフィーネが息を止めると、「どれだい、フィーネ?」と声が降ってくる。
――近い近い近い!!
手を伸ばしたまま動けない。
背中に感じる体温を意識すると軽くめまいがする。
「フィーネ?」
すべての元凶は彼にあるのに、何事もなかったような態度が恨めしい。
まるで避けている自分が馬鹿みたいだった。
フィーネはスイッチが入ったようにキッと後ろを振り返った。
「右から三番目の本を取って頂戴」
ムスッとした、低い声。
明らかに不機嫌であると主張したような声色だ。
ただ、アストリードはそれを気にした様子もなく「三番目ね」と、軽い声を出し、一歩足を踏み出した。
「~~~~!!」
本棚と彼の間に閉じ込められる。
ふわりと香るのは自分以外の香り。一人一人が持つ、その人の香り。
スイッチがまた切れて、顔が真っ赤になる。
素のフィーネが顔を出して羞恥を煽るのだ。
そんな状況など知らぬ主夫男は本を手に取ると、一歩足を引き、元の位置に戻った。
「結構重いね、これ」
「……ず、図鑑なんてそんなものよ」
平常心平常心。
頭の中で複雑な調合手順を思い浮かべながら、フィーネは静かに答える。
彼がこちらを見ていなくて良かった。本ありがとう。
アストリードが見ても良いかと尋ねてくるので、どうぞと返事をする。
本はとても古いものだが、そこまで珍しいものではないと曾祖母が言っていた。
はらりはらりと紙を捲る音が聞こえる。
「これは……王立図書館にでもありそうな本だね」
「……そうなの?」
「ああ。文字が旧王国文字だからね。持ち出し禁止書庫にあるんじゃないかな」
「持ち出し禁止って……貴重ってこと?」
「図書館に持ち込んでみたらわかるよ」
「そんな事しないわ」
「だろうね。……この本、すごく丁寧に扱っているのが分かる。大事にしていたんだね」
「そりゃあ、もちろん……」
数少ない曾祖母の形見だ。大事にするに決まっている。
フィーネが理由を述べる前にアストリードが本を手渡してきた。
その流れのまま手を伸ばせば、うっかり指の先が触れ合ってビクッとする。
「あぶない!」
膝を折り、落ちかけた本を両手で捕まえると、アストリードが息をついた。
「ご、ごめん……」
「いや、こっちこそすまない」
立ち上がった彼が、今度は何故かフィーネの手を掴んだ。
思わず意識が手に集中し、汗が出そうになる。
「両手の方がいい?」
「は!? な、なにが!?」
両手を掴んでどうするつもりなのだと、心の内で慌てれば、アストリードは不思議そうに「本、結構重いよ」と言ってくる。
はらはらともやもやと。
いろんな感情が胸の内で混ぜられてフィーネは叫びたくなる。
その中ではっきりと理解したのは、避けているのは自分だけという事実。やっぱり馬鹿みたいだった。
「……貴方の神経って、やっぱり荒縄でできていたのね」
「??」
「なんでもないわ」
本を受け取り、一人げっそりするフィーネ。
棚から本を取ってもらっただけというのにこの疲労感。まったく、どうしてくれようか。
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