10.知ること
アストリードが元々上手い料理の腕を更に上げた。
今日のメニューは西部地方の家庭料理、とのこと。
名前が聞き取りにくかったのと、舌を噛みそうだったので覚える事は諦めた。
また食べたいと思えば、「辛い料理」と言えばすぐに伝わるだろう。フィーネはここまで辛いのにおいしいと感じる料理を食べた事がなかった。
「ごちそうさま」
ちゃんと食事の挨拶をするようになったフィーネに、アストリードは穏やかな笑顔を浮かべ「お粗末さまでした」と言う。
最初の頃は食事が終わり次第、いつも部屋に逃げ込んでいた。
自分がここに残れば、アストリードも部屋へ行かない気がしていたから。
「食後の紅茶はいかが?」
「ええ。いただくわ」
一度テーブルの上を片付け、アストリードは手早く茶器の用意を始める。
その後ろ姿にも、花柄のエプロンも見慣れてきて。彼が後ろを向いているのをいい事に、フィーネは小さく笑ってしまう。
二人のお茶会は、こちらが終わりを告げるまで続く。
「薬草とただの草の見分け方? そんなの見れば分かるじゃない」
「見て分かったら、今朝、間違えてサラダにしないって」
「ちょっと待って。その話の方向だと、草をサラダにしようとしていた事にならない?」
「まさか! ひょっとして魔女殿ともあろうお方が、食べられる野草をご存じない?」
「それこそまさかよ。知ってるに決まってるじゃない!」
雑談は楽しかった。
それはある意味夢のような話で、自分が普通の女の子のような気がしていた。
「しかたないわね。今度教えてあげるわ」
「うん。ありがとう、フィーネ」
ニコッと微笑まれると、つい、フィーネも笑いたくなる。
「お礼なんて必要ないわ。自分の食事の為だもの」
フイと顔をそむけて、可愛げのない事を言う。
もう、機嫌を損ねるかもなんて、心配しない。こんな態度をとっても、アストリードが変わらない事を知っているから。
フィーネは少しずつ、アストリードの事を理解していった。
家事全般が得意な、主夫男。たまに、保護者かと突っ込みたくなるほど、過保護だったりする。
のほほん笑顔は標準装備で気配り上手。かなりマイペースなところもあるけど、本当は頑固者。
最近発見したのは、冗談だとわかる意地悪な発言。こちらのセリフを上手に使って、言葉遊びを楽しんでいる節がある。
知れば知るほど、楽しくなってくる。
人と深く関わってこなかったフィーネは人の奥深さを知らない。
そんな自分が段々と人に詳しくなっている気がして、嬉しかったのだ。
ふと気がつけば、アストリードが来て十日が過ぎていた。
彼はあと三週間もしないうちにいなくなる。そう気が付いた瞬間、寂しいとフィーネは思った。
――いけない。
誰かがいる暮らしに慣れてきた自分に釘を刺す。
すぐにまた一人の生活になるのだ。慣れは禁物。
そう考えているのに、フィーネは食後の雑談を止められなかった。
以前は一緒の空間にいるだけで戸惑っていたのに、今は彼の存在に違和感を覚えなくなってきている。
まるでこの家の一部のような、背景のような。空気にも似た感覚。あって当たり前で、なくてはならないもの――……
そこまで考えてフィーネは首を振る。
なくてはならないことは、ない。そう自分に言い聞かせ続け、今日もまた、席についていた。
◆◇◆
食事を済ませ、雑談を切り上げたフィーネは、いつものように調合室に向かった。
片付けと、在庫確認。この部屋に関してはアストリードの管轄外なので、自分でそれらを片づける必要があった。
フィーネの行動は大きく分けると三種類ある。
依頼、調合、家事。依頼はお金を稼ぐため。調合は薬師として。家事は生活のため。配分はその時によって違うが、今は家事労働がゼロなので、自然と前者二つの時間が多く取れるようになる。
じゃあ今日は何をする? と自問して。フィーネは考えを巡らせた。
――ガレスのところには最近行ったばかりだし。
ランソルドッドの葉を届けたのは五日前。
残りの報酬を受け取り、あとはラテアートを見せてもらう予定だった。
楽しみにしていた。どんな風に描かれて行くのか目の前で見せてもらおうと思っていた。それなのに、ガレスがあんな事を言うから……。
赤くなりそうな頬を叩いて首を振る。
あの日はいろいろ限界で逃げ帰ってしまったけれど、依頼を受けて来なかったのは痛恨のミスだ。今はまだガレスの顔をまともに見られそうにない。
そうなるとやる事は一つになる。
色々作っておきたい薬があるので、それはそれで丁度いいのだが……。
フィーネは窓の外を見て息をついた。
しとしと降る雨が窓を濡らし、外がぼやけて見える。
小鳥のさえずりも連日の暑さもなりを潜め、森特有のしっとりとした重い空気が漂っている。
雨は昨晩から降り始め、今は大分弱くなってきたようだが、この調子だとまだ止みそうにない。
沼地の多い森はきっといつもにないぐらい足元が悪くなっているだろう。
雨の日に採取は向かない。
精々庭先の薬草を採っておしまいだ。
「これはもう、休めってことよね」
材料が置いてある棚を見て頷く。
壁の棚はかなり寂しい事になっていて、自分の思うものを作れそうにない。
調合室を出たフィーネはそのまま自室に戻らず、リビングに留まった。
リビングと言っても二人掛けのテーブルと本棚、そしてキッチンがあるだけの場所。
元々曾祖母と二人暮らしだったので広くはない。だが、これぐらいの広さが丁度いい事をフィーネは一人になって知った。
アストリードが使っている部屋は曾祖母が使っていた部屋だ。
たぶん一年前のフィーネなら、誰も入らないように封印して、当時のままにすることを選んだだろう。彼女が居なくなったなど、思いたくなかったから。
ただ、そんなフィーネの性格を熟知していたのか、曾祖母の遺品とても少なかった。いや、あれはほぼなかったと言って良いだろう。彼女は自分の死期を知っていたようで、フィーネの知らないうちにほとんどの物を処分していたのだった。
――布団まで処分しているなんて、思いもしなかったわ。
曾祖母はお気に入りの椅子の上で眠るように亡くなっていた。
前後に揺れる大きめの木の椅子に揺られながら、膝の上に何度も何度も読んでいた本をのせて。
穏やかな表情の彼女を見て、望んだ最期だったのだと確信した。
フィーネは曾祖母が望んだように後片付けをした。
常々彼女が示してくれていた通りに、その想いを丁寧に拾って。
「…………」
フィーネは亡き曾祖母の部屋の扉を眺める。
もう二度と内側から開かない扉は、主不在の証拠。それでもこうして見つめていたら、いつか扉が開いて、ひょっこりと曾祖母が顔を出すのではないかと思ってしまう。だって彼女は魔女なのだから。
考えると、まだ感傷的になる。
亡くなってもう一年。まだ一年。
もっと一緒に居たかったと思う。もっともっと、色々教えてもらいたかったと思う。
不意に物音がして。あっと、思った瞬間、扉が開いた。
「ん? どうしたの、フィーネ?」
出てきたのはアストリードだった。
扉の前に立ち尽くすフィーネを見て、驚いたように瞬きをした。
当たり前だった。
自分が彼にこの部屋を使うように言ったのだから。
それでもフィーネはなんだか悲しくなって、とぼとぼと自分の席に向かった。
「フィーネ?」
名を呼ばれても反応を返せなかった。
曾祖母の想いの一つは、過去に、自分に囚われるなという意味だと察している。
だからフィーネは曾祖母の部屋を違う形で使おうとしていたし、躊躇いを見せず、アストリードにも貸したのだ。これが正解だったのだと思う。きっと。
――だけど。
そう、分かっていても。
フィーネは手で目を隠した。
耐える。呼吸は努めてゆっくりと、腹の底から吐き出すように。音は立てず、静かに、感情の揺れをすべて外へと出してゆくように。
瞬きをしたらこぼれそうなそれを絶対に落としてはいけない。
だって、自分は魔女なのだから。
◇◆◇
どれぐらいそうしていたのだろう。
ようやく感情の波が収まって来て、フィーネは手をどかして視線を上げた。
アストリードはいなくなっていた。
部屋に戻ったのか、外に行ったのか。いずれにしろそれが気遣いなのだと悟った時、目の前の変化に気が付いた。
いつもはすべて片づけられているテーブルの上に、布を被った何かが乗っている。
ティーポットと伏せられたカップだった。
手を伸ばしポットに触れてみると、まだ温かい。猫舌なフィーネには丁度よい温かさ。
「私の、ために?」
つぶやいて、言葉を耳にして。
フィーネの心は温かくなった。嬉しくて、すぐにカップを上向けた。
紅茶はとてもおいしかった。
一人でいただくのが勿体ないぐらいおいしかった。
これは特別な茶葉? だけど、ここにそんなものはないはず。
『何も思いを伝えるのは言葉だけじゃない』
ああ、そうか。と、思う。
自分が相手の気持ちを察するのと同じように、他の誰かもフィーネの想いを察してくれる。
言葉をかわさなくても、たとえ、そばに居なくても、思いの込められた行動にはすべて温かな気持ちが残っている。
理解しているつもりだった。
でもそれはすべてには程遠く、まだ表面的なものしか見えていなかったのかもしれない。
フィーネは揺れる紅茶色を眺め、思った。
この温かな想いをくれた人を、もっと知りたいな。と。
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