第七話「キャッチ」
「えっほ、えっほ、えっほ、えっほ……」
藤沢亮介は自転車を走らせていた。立ちこぎで、大通り脇の歩道を全速力で駆け抜けていく。会社員の帰宅時間であるため人通りは多く、進行方向を確保するのに少しばかり難儀しながら、それでも何とかスピードを落とさずに車輪を回していた。
コンビニの角を曲がり、裏路地に入る。
ビルとビルの間に入り、急にネオンの光が届かなくなった。街灯もないため、自転車のライトに照らされている場所以外は真っ暗である。しかし人通りはなくなり、進路をとりやすくなった。藤沢はさらに自転車を加速させながら、
「しかし――――やれやれ、まったく」
愚痴るように呟いた。
「まさか、こんなことでデートをフイにすることになるとは、ついてないったらありはしないな。折角とりつけた米橋さんとの約束だったのに。……まあ、この行動自体は、運命を捻じ曲げてでも女性を不幸にしたくないという俺の信条に沿ったものではあるけれど、ね。だから後悔はないさ。……それに正直なところ、最近女の子とのデートというものに少しばかり飽きてきてるのも事実だ。喫茶店、カラオケ、ボーリング、ビリヤード、ダーツ、ショッピング、遊園地、映画。高校生の娯楽っていうのは選択の幅が小さすぎる。定番っていうのが出来上がっていて、それ以上のものがない。一緒に行く相手を変えたところで、限界って言うものがあるしなあ。そろそろ新しい何かが欲しいところだ。う〜ん…………そうだ! 今度は女の子以外の人とのデートっていうのはどうだろうか? 例えば坂巻君とのデートとか? 二人で遊園地とかね。それはそれで新たな楽しみがあるのかもしれない。新たな喜びがあるのかもしれない。問題は、彼が俺の愛を受け取ってくれるかどうかだけれど――」
そんなことをぶつぶつ言いながら、藤沢は自転車をこぎ続ける。タイヤが比較的大きい石を挟み、車体が揺れて前のかごに入っている毛布が落ちそうになった。藤沢は
「……おっと」
慌ててそれをもう一度かごに押し込んで、再び自転車の速度を上げる。
そしてさらに五分ほど自転車を走らせたところでようやく、
「……ふう、やっと着いた」
藤沢は自転車を止めた。
そこは車が行き交う大通り脇の歩道。その向かいには、ボロボロの廃ビルがひっそりと佇んでいる。
「えっと、時間は……」
藤沢は左上の袖をまくり、時計を見た。時刻は七時二十五分四十二秒。さらにちっちっと秒針が動いていく。
「そろそろか……」
そう呟いて、藤沢は上を見上げた。垂直にそびえる黒ずんだコンクリートの壁。その最上段には緑色のフェンスらしきものが見える。しかし角度がきつく、さらに真っ暗なので、それ以外には何も見えなかった。ネオンの光のせいで星すら見えない。
藤沢はそのまま二分ほど見上げていた。
その間、時折何かが砕けるような音が響いたような気がしたが、しかし通りを行き交う車の音でかき消される。屋上で何が起こっているのか藤沢は少し気になったが、それ以上考えることはしなかった。どちらにしろ、これから藤沢が起こす行動に変更はない。
ふと、見上げている屋上のフェンス付近に点が見えた。
「……来たか!」
藤沢は慌てて自転車のかごから毛布を取り出した。そして胸元に広げる。
藤沢が見上げている中、その点はどんどん大きくなってきた。加速度的に増大していく。そしてコンマ数秒後には、その点が人間であることを確認できるほどになっていた。
藤沢は見上げたまま立ち位置をそろりそろりと補正し、
「……オーライ、オーライ」
その落下物の真下に入る。そしてついに〈彼女〉は毛布の位置に達し、
――ドスンッ
「うおう……!」
腰が砕けそうになりながら、藤沢は何とかキャッチした。勢いを殺しきれず彼女の体は少しばかり地面に衝突したが、そこまでの大激突ではない。悪くて打ち身程度だろう。藤沢がいなかった場合に比べれば、数十分の一に被害は縮小されているはずだ。
毛布の上で気を失っているブロンド髪の女子を見下ろしながら、藤沢はふうっとため息をつき、
「……やれやれ、何とかうまくいったな。女の子の死体を見るのは二度とゴメンだ」