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第六話「能力」

 如月ジェックとマークリードは、廃ビルの屋上に佇んでいた。

 このビルはここ数年掃除も修繕もなされていなかったようで、コンクリートの上には砂がだいぶ溜まっており、壁は灰色から褐色に変色していた。地震が起きればいの一番に倒れてしまいそうな、完全に老朽化した建造物。もはや解体工事を待つばかりという状態の物件なのだろう。

 そんなビルの上に立ち、マークリードはフェンス際で下を見下ろしている。

 時刻は完全に夜。前通りをライトを点けた車がごうごうと行き交っている。周囲のビルもすでにネオンを点灯させていて、いくらか眩しい。しかしこのビルには光源が皆無のため、そのネオンの明かりが視界を確保する頼みの綱になっていた。

 マークリードはしばし夜景を眺めていた――――が、結局三十秒足らずで飽きて、くるりと後方を振り返った。そして出入り口の壁と睨めっこをしているジェックに、

「……主。ここもそうなのですか?」

「そ。『藁人形』が暴れた場所、パート2だ」

 アゴに手をやったままジェックは答える――――その視線の先には、やはり傷跡。高架線の下のコンクリート柱にもあったような、いくらか真っ直ぐで、十年以上の時を経ているだろう欠如部分だった。

「……どれ、ここも見てみるかな」

 そう言ってジェックは、壁の傷跡に右手をかざした――


 ――その瞬間だった。


 微かに聞こえる風を切る音。

 マークリードはぴくりと反応し、高く跳び上がった。

 次の瞬間、マークリードが立っていた位置に影が降り注ぐ。

 ――ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、ガッ

 破片を散らしながらコンクリートの床に突き刺さる五本の刀――――否、〈氷の刃〉。

「……何奴!」

 屋上出入り口の上にすたんと着地しながら、マークリードが叫んだ。

 それと同時に、さっきまでマークリードが相対していたフェンスの向こうから――つまり、階下から――飛び上がってくる人影。空中で一回転し、そのままマークリードの頭上に落ちてくる。落ちながら、その影は身をよじる。

 ――がつんっ

 その人影が振り下ろした氷の刃と、マークリードが脇から抜いたサーベルがぶつかり合った。

 人影の動きが刹那止まり、ネオンの光に照らされて、その外見がマークリードの瞳に映る――――それは白髪に白装束の男。肌の色すら凍死した人間のように白い。闇に浮かび上がって見えるほどの純白。その青白い瞳孔をまっすぐマークリードに向けている。

 刃の向こうにその姿を視認したマークリードは、

「……貴様、何者だ?」

「氷の精霊、名はユネア。今より、貴様のお命頂戴…………致す」

 ふんっという唸り声と共に、ユネアは氷の刃を大きく払った。

 マークリードはその勢いを利用して後方に跳び、フェンスの上に着地。ユネアと五、六メートルほど距離をとって、再びサーベルを下段に構えなおす。

 ユネアはマークリードを睨みつけたまま左手を天にかざした。その手の上方数メートルに薄い霧が現れたかと思うと、無音で、野球バット程度の大きさの氷の刃が九つ、精製される。

「……いざ」

 ユネアの声に呼応し、氷の刃が急発進する。残像のせいで刃が伸びたようにすら見える初速。マークリードがぎりぎり目で追えるか追えないかのスピード。マークリードがその軌道を認識した頃には、九つの刃はすでにその眼前に達していた。

 しかしマークリードはその場から動かず、

「なんの!」

 手の平を前に突き出す。それに合わせて屋上の床に積もっていた砂が動き出し、舞い上がり、密集する。そしてマークリードの周囲をマントのように覆った。

 ――ガツン、ガツン、ガツン、ガツン、ガツン、ガツン、ガツン、ガツン

 灰色の壁にぶつかると同時に氷の刃が砕ける。砂の防御壁が完全に氷刀の攻撃を遮った――――しかし、刃がぶつかったところからはマークリードの姿が垣間見える。

 貫通こそしないが、壁を破壊する。

 すなわち、強度は同等。

 ならば、数の勝負。

 九つ目の刃が、三つ目の刃の軌道をなぞる。

 壁は無し。

 砕けない。

 すなわち、防御壁を通過。

「……ぐっ」

 マークリードは反射的に体を右に傾けた――ザシュッ……――マークリードのジャケットの右腕が破かれ、赤い飛沫が上がる。

 体勢を崩しかけたマークリードは飛び上がり、隣のビルのフェンスに飛び移った。一瞬ぐらりとバランスを失い、右手でフェンス上部を握り支える。眼下を走る車のライトでマークリードの姿が煌く。刹那の間、ジャケットの赤い汚れといくらか焦燥したその表情が光を浴びた。

「決め……る」

 そう唇を動かすと同時に、ユネアは再び両手を上にかざす。

 頭上、氷刀、十八本。

「……ちっ」

 舌打ちしながら、マークリードは半身になった。そしてユネアから視線を外さないまま、後方へと跳び上がる。

 ――ひゅん、ひゅん、ひゅん

 氷刀が空中を飛翔し、マークリードを追う。

 マークリードは首、腕をひねりながらかわし、さらに奥へとフェンスを飛び移っていく。

「逃が……さん」

 ユネアはさらに氷刀を飛ばしながら、自身もマークリードの後を追って跳んでいく。

 フェンスを蹴る音と刃が風を切る音は遠ざかっていき、ほどなくしてビルを飛び移っていく二人の姿も闇に消えた。

「……やれやれ、敵か」

 二人の背中を無表情で見送っていたジェックは、独りで小さく呟いた。そしてふと――――両目の眼球だけを右に動かした。

 その先から、またも影が飛び上がってくる。さながらライオンのたてがみのような、風で乱れるブロンドの長髪。ネオンに照らされたその服装は高校の制服だった。

「覚悟!」

 その影――東リーネは、叫びと同時に短刀を突き刺す。

 垂直に立てられたまま、右脇腹へと真っ直ぐ向かってくる刃。ジェックはその刃の柄を横から拳で叩いた。その衝撃で刃の軌道は変わり、右脇腹の横を素通りする。

 リーネの体はジェックのリーチの中。おまけに刃が外れて無防備。しかし前への勢いは殺されておらず、リーネの体はさらに前へと進む。

 それにタイミングを合わせ、ジェックは左ひざを持ち上げた。相手の突進を利用した、鳩尾への膝蹴り。

 リーネは反射的に短刀から左手を離し、肘でその攻撃をガードする。しかし、

「くっ……」

 急所へのダメージを軽減させるだけで精一杯。勢いは殺しきれず、後方へと飛ばされる。

 それでもリーネはなんとかバランスを保つのに成功し、数メートル飛ばされた位置に片膝をついた状態で着地。そしてネオンに照らされたジャックの姿を初めて瞳に映し、その仇の成立ちを網膜に焼き付けようとした、ところで――

「――え?」

 リーネは驚きの声を上げた。

 別段、ジェックは奇抜な外見はしていない。顔の筋肉をほとんど使っていないような平坦な顔立ち。緑のキャップとそこからはみだした茶髪。そしてフード付きの赤いパーカーと膝が擦れた青いジーンズ。街を歩けば十分で二、三人すれ違いそうな、いたって普通の外見である。

 リーネが驚いたのは――――その若さ。

 身長はリーネよりも五センチくらい低い。そして顔にもまだ幼さが残っている。リーネと同い年かそれよりも下。中学生くらいの見た目だった。

 ――どういうこと?

 リーネは混乱する。母親が殺されたのは十四年前。当時リーネは二歳で、目の前のこの少年は一歳かゼロ歳くらいだろう。そんな赤ん坊が人を殺せるのか? 人を死に追いやることができるのか? そもそも、そんな意思を持つことができるのか? そんなわけ――

 ……もしかしたら、彼は自分が追っていた仇ではないのでは? 情報が間違っていたのでは? あの探偵見習いが嘘の情報を掴まされたのでは?

 いやしかし、彼が式神使いであることは確実。東家の者以外で式神を操る者など――まあ、〈彼〉や〈彼〉は例外として――滅多にいない。だから、彼が無関係とはどうしても考えられないが。

 ――……まあ、いい。

 どちらにしろ、この少年を食い止めなければならないことには変わらない。それが東本家の者としての責務。それに、式神の力で外見を変える事だって不可能ではないだろう。彼がそういう手段でもって敵から逃れてきたという可能性もある。

 リーネは迷いを振り切り、再度ジェックを見据えて、

「東本家が長姉、東リーネ。神のことわりの名の下に、あなたの能力を排除します」

 啖呵を切り、そして前へと駆け出す。

『東本家』――この単語を聞いた瞬間、ジェックの顔が歪んだ。瞳には軽視のような侮蔑のような色が浮かび、頬にシワが寄る。

 だがリーネはその表情を注視することなくコンクリートを蹴り続け、ジェックの五歩面前に達した時に、大きく前へと跳んだ。そして右手に握った短刀を、左肩の上から振り下ろそうとする。

 それに対しジェックは、棒立ちのまま、ただ手の平を前へ突き出した。

 ――白羽取り。

 ジェックは素手でこの剣撃を止めようとしている――――リーネはそう見てとった。

 それはすなわちリーネの攻撃をすでに見切っているということに他ならないだろうが、しかしリーネは短刀の軌跡を止めようとも変えようともしない。〈それはそれで好都合だから〉。

 この短刀には術が施されている。

 この刃に触れた者は、たとえその傷がどんなに浅くても、その行動の自由をすべて奪われる。手を動かすことも足を動かすことも首を動かすことも式神を呼び出すことすら封じられる。この刃に触れれば、その瞬間に勝負は決まる。こちらの勝ちが決定する。

 だから、ジェックが白羽取りという戦法に出てきたことを見止めたリーネは、勝利を確信した。

 動きを封じた上で捕まえる。

 本家へ連れて行く。

 そして、そこで母親について問いただす。

 そんな段取りを練りながら、リーネは刃がジェックの手に触れる瞬間を凝視していた。スローモーションのように近接していく二者。近づく勝利の瞬間。しかし――


 ――ぴたり


 実際にはそんな音は聞こえなかったが、聞こえてきたと錯覚しそうなほど、リーネの意思とは無関係に――――短刀の動きが止まる。

 ――え? 何これ? 何で?

 リーネは内心でそう叫んだように思った。が、実際には叫んでいない。叫べない。その行動すら止められている。

 ――と、

 短刀及びリーネの体が再び動き出した。しかし、それは〈逆方向〉。ジェックから遠ざかるように、ゆっくりと後方へ進んで行く。宙に浮いたまま、落下しないままで進み続ける。

 まるで〈逆再生〉

 ――これは……

 リーネが思考を始めようとした瞬間、


 ――ドンッ


 腹部に衝撃。そして鈍い痛み。

 リーネの体は宙を舞い、後方へ跳ばされた。跳ばされながら、それがジェックによる膝蹴り攻撃だったことにリーネは思い至ったが、空中でどうすることもできずに――ザシャンッ――背中からフェンスに直撃。

「……うぅ」

 背中をさすり、そこでようやく自身で行動ができるようになっていることに気付いた。そしてもう一度思考する。

 今の現象――――停止、逆再生。これはもしや――

 しかしこの思考はまたも遮られる。

 ――じゃりっ、じゃりっ

 砂とコンクリートを靴底で擦りながら、ゆっくりとこちらに近づいてくるジェック。まるで散歩でもするかのような足取りで、リーネの前方一メートルまで進み到った。

「……このっ!」

 リーネは両膝左手を地面についた体勢のまま、短刀でジェックに斬りかかる。しかし――


 ――ぴたり


 またも、刃がジェックの膝に触れるすんでのところでそのモーションは止められた。あと数ミリ。しかしまるでチタンの壁に遮られているかのように、それ以上動かない。動けない。

 ジェックはその様を鼻で笑いながら見下ろした後、リーネの首元を掴み、ぐいっと体ごと持ち上げた。

「……はは。感謝しておいて欲しいもんだ。わざわざ痕が残りにくい腹への攻撃だけにしてやったんだからな。いくらなんでも、死に化粧くらいは綺麗にしてほしいもんだろ? 俺って、そういうところで気が利く男なわけでさ」

 首を持ち上げられることでリーネの視界に入ったジェックの表情は、歪んだ微笑だった。どこかが、何かが不自然。染みのできたキャンバスに白いペンキを塗りたくって背景を作ったような、無理矢理で強硬な笑い。リーネをして気持ち悪い、と思わしめる顔。

「……しかし、やれやれ。〈またしても〉東本家の者とは。まったく、しつこいもんだ。諦めが悪いと、社会じゃ損することの方が多いよ? ……って、こんな〈なり〉で説教しても説得力薄いかな? はは」

 ジェックの軽口を耳にしながらリーネは体を動かそうと四肢に力を入れる。しかし、動かない。完全な停止。思考と視界が途切れていないだけで、完全な停止。この能力は、やはり――


 ――『時間制御』


 リーネは思い至る。彼はリーネの周囲の時間を止めた。そして逆回転させた。だからリーネの体は停止し、さらにジェックから遠ざかるように動いた。なんて、なんて厄介な能力。やりづらい能力。対応しがたい能力。

 いや、違う。

 違う、違う。

 驚くべきはそこではなくて――

「……はは。まあ、いい。あんたのことはしっかりと俺が送ってやるよ。十何年前にも送ってった奴がいるから、きっと寂しくはないさ。血族同士、あの世でも仲良くやるこった――――んじゃ、あばよ」

 そう言ってジェックはボールを放るように、ふわりと、リーネの体をフェンスの向こうに放り投げた。

 ビル風に煽られながら、しかし真下へと動き出すリーネの体。

 ようやく体が自由になるが、しかしもうどうしようもない。

 体の自由があっても、もはや思考と視認以外に、現在のリーネが行って意義のある行動はない。

 段々遠ざかっていくビルの屋上とジェックの姿を見つめながら、リーネは――


「――あ、あなた〈も〉、式神……?」


 しかしそんな呟きは風に呑まれ、

 リーネの体は闇に飲まれていった。

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