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第四話「高架線の下」

 如月ジェックは、高架線の下を歩いていた。

 深夜二時を過ぎており、周囲は暗闇。終電も終わっているため通る電車もまったくない。辺りは完全な静寂である。二十分前に発情した猫の唸り声が遠くから響いてきたが、それきり、どんな音も聞こえない。線路脇の民家も静まり返ったままである。

 ジェックはそんな中を一人で歩いていた。

 月明かりのおかげで、かろうじて周りの風景が見える――――が、フェンスで囲われた中に雑草で覆われた地面とコンクリートの柱があるという、何の趣もない風景である。おおよそ一般の人間が近づく意義のない場所。街灯すら一つも見当たらない。ジェックの普段着――赤いベースボールキャップに黒いパーカー――も、影に入れば完全に闇にまぎれてしまう。そんな中を、ジェックは無表情で歩いていた。

 ふと、背後から、サクサクという別の足音が聞こえてきた。

 ジェックが振り返ると、彼の後方に一人の男が立っている。ボサボサの茶髪に、耳と鼻に通してあるシルバーのピアス。ダボダボの皮製上着を着ており、ズボンは太ももまでずれ下がっている。月に黄色く照らされたその顔は、眉毛がまったくなく、口はだらしなく半開き。瞳孔が開ききっているんじゃないかと思うほど、目が大きく開かれていた。

「おう、てめー……ここで何してやあんだぁ?」

 その男は、ジェックのことを真っ直ぐに睨みつけながら、ドスの利いた声で話しかけてきた。

 あからさまな不良の外見の男。おまけに、その表情はとても思考が正常である人間のものには見えない――――ジェックは、この付近で覚せい剤の売買が行われているという噂が流れていることを思い出した。恐らく、この男も中毒者の一人なんだろう。自分の〈縄張り〉に不審な人間が侵入してきたため、威嚇してきたのだ。

 ジェックはそう理解し、何とか穏便にコトを済ませようと愛想笑いを浮かべながら、

「いや、俺はちょっと散歩してるだけで、別に何をするつもりで来たわけでも――」

 ――ボコッ

 突然そんな乾いた音が聞こえてきて、それと同時に、不良男の身体が下方へ〈沈んだ〉。

「ぅお! と、な、なんだぁ?」

 男は上体のバランスを崩しながら、慌てた声を上げる。そして自分の足元に視線を動かし――――自分の足が、くるぶしの部分まで土に埋まっていることに気がついた。

「な、なんだこりゃあああ!」

 男は奇声を発した。そして足を地面から掘り出そうと、じたばたと体を揺り動かす――――しかし、その動作に相反して、

 ――ボコッ、ボコッ、ボコッ、ボコッ

 男の足元の土だけが砕かれ、まるで流砂に足をとられたかのように、さらに男の体が地面に飲み込まれていく。すね、膝、太もも、腰

 ――ボコッ、ボコッ、ボコッ、ボコッ

 腹、胸、手、腕

 ――ボコッ、ボコッ、ボコッ、ボコッ

 肩、首、あご、口

「ふぁ、ふぁふへへ〜〜〜〜〜!」

 ジェックが冷めた目で見下ろす中、土の下から男の悲鳴が響いてくる。しかし――

 ――ボコッ、ボコッ、ボコッ、ボコッ

 鼻、目、額、そして頭――

 

 ――男の体は、完全に地面に埋もれてしまった。


 ジェックの視界から不良男が完全に消え去り、元の静寂に戻ったところで、

 ――サッ、サッ

 コンクリート柱の影から、人影が縫いだしてきた。月明かりに照らされ、ようやくその風体が見えてくる。紺のジャケットを着こなした、短髪で細身長身の男である。

 ジェックはその男を見ると、はあと嘆息して、

「……まったく、余計なことしやがって。俺が穏便に済まそうと思ったのに」

「いや、一応、顔を見られてましたからな」

 長身の男は薄く笑いながら答えた。

「呼び出していただいた主の安全を守るため、考えうる最善の策を弄する。これが式神の仕事ですからな。不安因子は可能な限りすべて取り除かせていただきます」

「……はいはい。感謝しとくよ、マークリード」

 帽子のつばをわずかに持ち上げながら、ジェックは諦めたように言う。

 長身の男――――ジェックの式神、マークリードは、不良男が埋まっている地面を見下ろしながら、

「ところで、どうします、主? この男、埋めたはいいですが、ここに置いておくのもまずいでしょう。何のきっかけでこいつと我々が結びついてしまうか分かったもんじゃありませんからな。別の場所に移動させた方がいいでしょうが――――どこまで動かしますか? 土の中ならば、この『土の精霊』マークリード、どこへでも持っていけますよ。……何なら、ブラジルまで移動させましょうか?」

「やめてくれ」

 ジェックはぶんぶんと首を横に振った。

「変に事件を複雑にすると、警察の捜査が難航しちまう。外国になんて持ってったらなおさらだろ。警察ってのは国民の血税で成り立ってんだから。そんなことに経費がかさんで、消費税が上がったりなんかしたら元も子もないっての。移動させるのは数キロでいい。地上にできるだけ近いところにして、早く見つかるようにしておいてくれ」

「了解」

 マークリードは神妙に頷くと、不良男が埋まっている地面の上に手をかざした。

 ――モコッ、モコッ

 地表の土は動かない。しかし、その奥から何かが動いているような、くぐもった音が聞こえてくる。地中の不良男の体が土の中を移動しているのだろう。そしてその音は段々小さくなり、一分後には何も聞こえなくなった。

 なおも真面目な顔で手をかざしていたマークリードは、三分程度たった頃合で、ようやく、

「……ふう。移動終わりました」

「サンキュー」

 ジェックは帽子のツバを深くしながら答える。そして何事もなかったかのように、再び先へと歩を進め始めた。

 その後について歩き出したマークリードが、周囲をキョロキョロと見回しながら、

「……しかし、主。ここが〈そう〉なのですか?」

「ああ、そうさ」

 ジェックは歩調を弱めないままこくりと頷き、


「――ここが、十四年前、『藁人形』が暴れた場所の一つだよ」


 静かに言う。ジェックは何ともなさそうに答えたが――――『藁人形』このフレーズの発音だけは、他と比べて明らかに重々しいものだった。その差異から、この如月ジェックが『藁人形』に対してどんな感情を抱いているのか、マークリードにも容易に感じることができる。理解することができる。

 すなわち、怨恨。

 マークリードは数ヶ月前にジェックに呼び出されたばかりの式神であり、ジェックと『藁人形』の直接の接点は知らない。具体的なことは聞かされていない。ただ、

「『藁人形』に仕返しをしたい」

 ジェックにそう言われ、その目的のために助力しているだけである。

 マークリードは、今まで人間界に来たことがほとんどなかった。今回ジェックに呼び出されたのが四回目である。なので、マークリードは人間界について詳しくはない。『藁人形』という殺し屋についても最近まで知らなかった。そして現在ですら――『殺し屋をターゲットにする殺し屋であること』、及び『十年ちょっとの間なりを潜めていたが、最近また動き出したこと』――彼が『藁人形』について知っている情報はこれだけである。

 ただ、マークリードも、ジェックの『藁人形』に対する感情だけはよく知っている。

 ジェックに詳しく聞かされている。

 ジェックは、『藁人形』について語る際、まず彼を褒める。それまで何十人の人間を打ち負かしてきた自分を凌駕したこと。その手腕。その能力。それらすべてに賛辞を送る。素直に褒める。

 その後――――ジェックは悔しさを吐露するのである。

 信じられない現実。勝てたはずの勝負で負けたこと。凌がれたこと。そして『藁人形』が〈決め手〉を放つ際に自分に見せた、完全なる勝ち誇った表情。

 それらすべてを思い出し、記憶の表層に浮かべて――――ジェックは悔しがる。

 実際のところマークリードは、ジェックがどのようにして『藁人形』に負けたのか、まったく想像がついていなかった。これまでに何度かジェックが他者を葬る現場を見たことがあったが、そのプロセスは洗練されていた。ジェックが他人に負ける要素などあるようには思えなかった。

 ――一体、『藁人形』とはどれほどの力量の者なのだろうか。

 ――一体、『藁人形』はどのような能力を持っているのか。

 そんな疑問を抱きながら、しかしそれを口に出すことなく、マークリードは無言でジェックの後をついていく。

 ――と、

「……ここか」

 呟きながら、ジェックが立ち止まった。そして右脇のコンクリート柱に歩み寄っていく。

 マークリードは、そのジェックが近づいていったコンクリート柱を凝視し――暗闇で視認しにくいが――その一角に細い傷跡があるのに気付いた。その部分だけ、刃物で切り裂かれたように鋭く欠けている。

「……それは何です、主?」

「『藁人形』の戦いの痕跡さ」

 マークリードの疑問に、ジェックは傷跡を撫でながら答えた。

「十四年前、『藁人形』がここで戦闘を行ったらしい。これはそのときにできた傷跡さ。……高架線が改築されてたらどうしようかと思ったが、運良く残ってたな」

 薄い笑いを浮かべながら、独り言のように言うジェック。

 マークリードはその柱へ寄っていき、まじまじとその傷を観察した――――が、至近距離で見ても、それは至極頼りない痕跡だった。言われてみれば確かに刃物で裂いたような真っ直ぐな傷に見えるが、その表面はボロボロである。ところどころ欠けていて、おまけにコケまで生えている。「子供が金属バットで叩いて壊した痕だ」と言われれば、それはそれで信じてしまいそうなものだった。

 マークリードは首をかしげながら、

「見つかったのはいいですが……。主、これをどうするんですか? ここから何か分かるのですか?」

「あははは。確かに、このままじゃ何も分からねえが――」

 ジェックは口の端を持ち上げて笑った。そしてコンクリート柱に手をかざし、


「――どれ、〈現場〉を見てみるか」

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