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第三話「メモ」

 リーネは自宅で、鼻歌を歌いながら夕飯の支度をしている。

 私服の上に白いエプロンといういでたち。ブロンドのロングヘアーは、邪魔にならないように後ろで束ねられている。そのテイルを揺らしながら、リーネは皿を抱えてキッチンとリビングを行ったり来たりしていた。

 リビングのテーブルの上には、すでに出来上がった料理がいくつか置かれている。

 チキンソテーにポタージュスープに海草サラダ。それぞれ大皿に大盛りになっている。見るからに、とても一人では食べきれないような量。一人暮らしのリーネの食卓には、通常並ぶべくもない品数である。実際、リーネがこれだけの夕飯を作ったのは、日本に来てからは初めてだった。

 そう――――リーネは今日初めて、この家にゲストを呼んだのである。

 そのメンバーは、鞘河亜紀雄さやかわあきおと鞘河スズラン。リーネの同級生であり、クラスメイトであり、そして現在は――――『友人』ということになっている。リーネとこの二人の間にあった数ヶ月前の〈アレコレ〉は、今のところ、再燃はしていない。強いて言うなら、リーネとスズランが亜紀雄をめぐって、周囲にとって迷惑でしかない騒動を日々引き起こしているくらいである。その騒動も、亜紀雄が先生に怒られたり周囲の男子に袋叩きにされたり黒コゲになったりするくらいで、それ以上の険悪なものではない。常識からは(そこまで)外れていない、いわゆる鞘当のようなものだ。

 そしてこのディナーへの招待も、この鞘当の延長線上でしかないわけだが。

 リーネが亜紀雄を無理矢理夕飯に誘い、スズランも敵情視察という形でそれを了承したのだった。亜紀雄にとってはまったくもって気乗りのしない提案だったが、双方の板ばさみにあって、仕方なく来ることに同意した。同意しようがしまいが、結局のところは自分が何かしら迷惑を被る運命なんだ――――という、半ばヤケのような決定だったことは言うまでもない。『歩くマイナス極』というあだ名で呼ばれていた時分ですら、亜紀雄はここまで自暴自棄になった覚えはなかった。

 ともかくもそんな流れで、亜紀雄とスズランが今日の七時にリーネの家に来ることになっており、その時間に合わせてリーネはせっせと夕飯を作っていたのである。

 ようやくリーネが最後の品目――ペペロンチーノ――をリビングへ運んだ時には、七時を五分ほど過ぎていた。料理もすべて完成したし、部屋の掃除も完璧。リーネが部屋をぐるりと見回し、獲物と天敵を迎える準備が万全であることを確認したところで、

 ――ピーン、ポーン

 インターフォンが鳴った。

「ハイハイ」

 リーネは慌てて持っていた皿をテーブルに置き、廊下へとスリッパをぱたぱた鳴らしながら向かう。廊下の壁に備え付けられているインターフォンの液晶画面を覗くと、そこに映っていたのは小麦色の散切り頭の女の子と、その背後でおどおどしている男子だった。この男子がリーネのクラスメイトの鞘河亜紀雄、そして女の子の方が亜紀雄の式神スズランである。

 リーネは、画面に映った亜紀雄の顔を見止めると、

「あはっ」

 と破顔して、いそいそと玄関に駆け寄った。いても立ってもいられないようにチェーンを外し、錠を開け、がちゃりとドアを開く。そして満面の笑みで、

「ようこそ! アキオ! いらっしゃいま――」

「お招きにあずかり光栄ですわ、リーネさん」

 突然、リーネの視界から亜紀雄が消えた。代わりに、目の前には高校の制服をまとった、やたら色白の女子が立ち塞がっている――――スズランが、リーネと亜紀雄の間にずいっと割って入ってきたのである。その顔には冷笑が浮かんでいた。

 スズランは自分の小麦色の髪をさらりと撫でながら、鼻で笑うかのようにふんと息を吐いて、

「電車で三十分もかけて、わざわざ伺わせて頂きましたよ、リーネさん。何でも、自慢のお料理をご馳走してくださるということで」

「ええ、ええ、もちろんですよ、スズランさん。腕によりをかけて作らせてもらいました。もしかしたら、アキオは今夜、家に帰りたがらなくなっちゃうかもですよ」

「それはそれは……楽しみですわ」

 真っ直ぐ向かい合い、リーネとスズランが談笑を始める――――が、その目はまったく笑っていなかった。隙あらば襲い掛かろうとする獣のような、やたら鋭く輝く瞳を互いに向け合っている。

 そのやり取りに、思わず肩をぞくりと震わせた亜紀雄は、

「……ちょ、せ、折角招いてくれたんだからさ、スズラン、今日は穏便に、穏便に……」

「ええ、ええ、分かっております、分かっておりますよ、亜紀雄様。今日は夕食を食べに来ただけですからね。さっ。さっさと頂いて、さっさと帰りましょう。……できれば、帰ってから口直しが必要なければよいのですが」

「ウフフフフフ。おもしろいことをおっしゃいますねえ、スズランさん。本当、おもしろいジョークです。……まあ二人とも、立ち話もなんですから、どうぞどうぞ、中へ」

 リーネは腕を広げ、来客二人を屋内へ誘導する。そして下駄箱からスリッパを二人分取り出しながら、

「……そうですね、ワタシも危惧してますよ。明日以降、アキオが家の食事を食べる気にならなくなるんじゃないかって、ね」

「おほほほほほ。……それはそれは、楽しみですわね」

 差し出されたスリッパに履き替えながら、スズランはオホホホという、この上なくわざとらしい笑い声を上げる。

 その隣でスリッパを履き替えていた亜紀雄は、再度ぶるりと体を震わせた。

 ――このままでは、想定以上に危険な空気になる。

 廊下を歩きながらそう直感した亜紀雄は、何とか話題を無難なものに変えようと、やたら声を張り上げ、

「……で、でもさ、初めて来たけど、リーネさんの家って、すごく広いよネ? 想像以上だよ。一人暮らしなんでショ? こんな広いと、すごくのびのびとできそうダよね」

「ウフフフフ。ええ。パパが広い部屋を選んでくれたんです。ここは二人までなら入居可なんです。どうです? アキオ、今夜、ここに泊まります? ……あ、でも、ベッドが一つしかないんですよ。あと布団と枕も。だから、寝るときは、必然的にワタシと同じ――」

「いけませんよ」

 威嚇するような声で、スズランが二人の会話に割って入る。

「いけません、亜紀雄様。いきなり泊まるだなんて、リーネさんに迷惑です。……それに、この女は、前に亜紀雄様を屋上から落とそうとした人間ですからね。いつ寝首をかかれるか分かったものではありませぬ。油断は禁物ですよ」

「……うふふ。そもそも、ワタシがそんなことをすることになった原因はスズランさんだったんですけどね。ワタシの敵はスズランさんだけです。スズランさんさえいなければ、ワタシとアキオはもっとフレンドリーでラヴリーな関係になっていたはずなのに。……ですから、まあ、今回のお食事会は、そのお詫びと仲直りのきっかけということで」

「……ふん、罠である可能性も否めませんがね。食事に毒が入ってなければいいのですが」

「うふふふ。毒だなんて、おもしろいこと言いますね、スズランさん。……確かに、毒はあるかもしれませんね。アキオの心をイチコロにするような毒、なんてね」

「……つまらないことを。自分ではうまいことでも言ったおつもりなのでしょうか。この調子では、料理の方もつまらない味しかしなさそうな――」

 ――亜紀雄の苦労虚しく、三人がリビングにたどり着く頃には、話題は元のところへ収束していった。

 結局亜紀雄はこれ以上の軌道修正を諦め、なおも続くスズランとリーネの不穏な会話に適当に相槌を打ちながら、針のむしろの心境でテーブルについた。ここまで二人が臨戦態勢に入っては、もはや亜紀雄にはなす術はない。この場合、下手に加熱させることなくやり過ごす戦法に出た方が賢い選択である。亜紀雄は経験的にそう見極めた。そして気味が悪いほど楽しそうなリーネと、こちらも歪に楽しそうなスズランの間に挟まれたまま、リーネの食事を食べ始める。

 このディナーは、四十分間続いた。

 リーネの手料理は確かにおいしかったが、いかんせんさっきのような会話が食事の間中続いていたため、亜紀雄は味を楽しむどころではなかった。ほとんど印象に残っていない。口を動かすより頭を働かせる方が大変だったというのが正直なところである。リーネに言うべき感想も思いつかない。それゆえ、食後の挨拶もたどたどしいものになり、

「ご、ごちそうサマ〜……」

 と、亜紀雄は二人の機嫌を伺うように発音をした。

 しかしリーネはずいっとテーブルに乗り出してきて、自信満々な笑みを亜紀雄に向け、

「うふふ、お粗末さまです、アキオ。どうでした、ワタシの料理?」

「どうって、いや、あの、その、本当、おいしかっ――」

「……ふん、これではまだまだ甘いです」

 亜紀雄が言い終わる前に、スズランが口をナプキンで拭いながら答える。

 折角の亜紀雄の感想をせき止められ、リーネは気分を害されたようにキッとスズランを睨みつける――――が、スズランはそれにひるむことなく、すまし顔で、

「ふん。確かに、平凡な家庭料理としては合格点かもしれませんが、まだ甘いです。この料理を毎日亜紀雄様に食べていただこうなどとは、おこがましいにも程がある。まだまだ、あなたは亜紀雄様のことを理解してませぬ。例えば、このパスタ。一応程よく茹で上がってはいるようですが、亜紀雄様の好みはもう少し柔らかいものです。そうですね…………あと十分ぐらい長く茹でる必要があったでしょう。それに、このサラダのドレッシングも及第点未満です。亜紀雄様はもっとサッパリしたものが好みです。これでは油分が多すぎでしょう。他にも――」

「……ちょ、ちょっと待ってください、スズランさん」

 リーネがスズランの口上に割って入ってきた。

「何をダメ出ししてくるのかと思えば、どれもこれも細かいことばかりではないですか。言いがかりもいいところです。毎日アキオの感想を聞けるならともかく、ほとんど学校でしか会えないワタシに、そんな微妙なところまで分かるわけがないじゃないですか」

「いーえ、それは理由になり得ません」

 スズランは勝ち誇ったような顔で、首を大きく横に振る。

「そんなのは、言い訳にもなりませんよ。現時点では、私の方が亜紀雄様の給仕として優れているという、立派な証拠ですからね。あなたでは不相応です。やはり、亜紀雄様のお側にお仕えするのは私でなければ」

「…………いや、待ってください。逆に言えば、ワタシの料理は、その細かいところ以外は完璧だったということではないんですか? 些細な機微さえ直せば、ワタシの方がスズランさんよりも、もっとアキオ好みのお料理を作れるということではないですか? 最終的には、ワタシの方が適しているということではないですか? そう、そうですよ! ウッフフフフフフ。アキオ! やっぱりアナタはワタシと暮らすべきなのです! ワタシと寝食を共にするべきなのです。その方が、アナタの人生はより豊かになる! さあ、アキオ、今日からはもう、この家から学校に通えば――」

「――ええ? きょ、今日から? い、いや、それはさすがに――」

「な、何を言いますか! そう簡単に他人が踏襲できるものではありませんよ! この半年、私と亜紀雄様が毎日毎日、一つ屋根の下で育んできた愛というのは――」

「――ちょ、スズラン! 誤解されるような表現はやめ――」

「別に、ワタシは過去にこだわる女ではありません。そんな器量の小さい女ではないです。むしろ、男は経験豊かな方が――」

「――な、リーネさんも何を言い出すん――」

「いえいえ。男女の間に一番必要なのは相性! そして相互理解! これです! 私と亜紀雄様のように、時間をかけて、お互いの心と体を隅々まで理解して――」

「――だから、スズラン、変な表現はやめ――」

「しかし、世の中にはマンネリとか倦怠とかいう言葉もあって――」

「――二人とも、いい加減にし――」

「お互いに思いやってさえいれば、そんなものは乗り越えられるのです! ようは工夫ですよ! 工夫! 例えば、場所を変えるとか、服装を――」

「……………………すいません、僕、トイレ行ってきます」

 わめき合うリーネとスズランの脇、二人の抑止を潔く諦めた亜紀雄は、そろりと椅子から立ち上がって、廊下へコソコソと出て行った。そして逃げ込むように廊下脇のトイレに入る。

 ドアを閉め、あの禍々しい空間と分断されて、亜紀雄は少しばかり安息した――――が、トイレで用を足している最中も、ドアの向こうからは二人の言い合いが聞こえてくる。それを否応なく耳に入れながら、

「……まったく、何でこんなことになったのか」

 と、亜紀雄は溜め息をついた。

 ことの発端は、リーネの入学当初に、亜紀雄が何やら彼女に気に入られたことである。リーネは、転校初日から亜紀雄にやけに構ってきた。そしてその二週間後には、本人から直接「気に入っている」と聞かされたのである――――が、一体自分のどこをリーネが気に入ったのか、亜紀雄にはまったく見当がついていない。内面も外面もまったくパッとしないこんなネガティブな男、自分をしても一緒に過ごすのは願い下げだというのに。一緒にいると人生がつまらなくなる。暗くなる。こんな人間、自分ならワーストに入れるだろう。

 しかも、リーネは学校でも稀有なほどの才色兼備だった(日本語の授業に難なくついてきているし、日本語の発音も一ヶ月で完璧にマスターしてしまった)。彼女に言い寄ってくる男子は数知れず。選択肢はいくらでもあるだろうに、なぜその中から自分が選ばれたのか。リーネをして評価されるポイントなど、我ながら一つも見当たらない。

 実際のところ、リーネがやたら自分に構ってくるのは、天敵たるスズランを身近に置いておくための口実なのでは――――と、亜紀雄は考えている。思い返してみれば、今回のディナーへの招待もやたら急なものだった。昨日の昼休みに、いきなり誘われたのである。まるで今夜来なかったら今後一生そんな機会はないとでもいうような、やけに必死な誘いだった。冷静に考えると、あの時のリーネはどこか不自然だったかもしれない。何かしらの事情があったのかもしれない。どんな事情なのかまでは分からないが、もしかしたらリーネの〈仕事〉の都合によるものではないだろうか? ――――そう考えると、府に落ちる気がする。

「……まあ、推測で考えてもしょうがない、か」

 考えを切り替えるようにふるふると首を横に振り、亜紀雄は用を足し終えた。そして水を流し、手を洗い、トイレのドアを開ける――――リビングからは、まだリーネとスズランの言い合いが聞こえてきている。

 もう一度あの場に戻るのは気が進まないが、だからといって帰るギリギリまでトイレに篭るわけにはいかないだろう。亜紀雄は大きく息を吐き、死刑囚もこんな心境なのだろうかと思いながら、廊下へ一歩踏み出した――――ところで、

「ん?」

 廊下の脇に置かれている電話機――――その横に置かれている、殴り書きがなされたメモ書きが目に入った。そこには見覚えのない地名と、人名と思われる六文字が書かれている。

「……如月……ジェック?」

 亜紀雄はそのメモ書きを手に取りながら、ぼそりと口に出して読んでみた――――が、別段誰の顔も浮かんでこない。少なくともクラスにはこんな人間はいないし、同学年でも見覚えはない。この名前からして明らかにハーフかクォーターだろう。そんな人間が同じ学校にいれば、その噂が一度くらい耳に入ってそうなものだが。……しかし、聞き覚えがあるような気がする。どこで聞いたのかはまったく思い出せないが。

「リーネさんはイギリスから来たんだし、共通の知り合いのはずもないだろうなあ。……多分、僕の昔の知り合いで、似通った名前の人がいたってところかナ?」

 亜紀雄はそんな風に結論付け、それ以上の詮索はしないことにした。そして


 紙が破れそうなほどの筆圧で記されたそのメモ書きを元の位置に戻し、何事もなかったかのように、リビングへと戻っていった。

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