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第二話「決心」

 小林雑音こばやしざつおんは、公園のベンチに腰掛けていた。

 辺りの風景は完全なる春。子供が薄着で走り回り、ベンチの脇の花壇には白、赤、水色の花々が咲き誇っている。風も柔らかく、時折、耳の下まで伸びた雑音の黒髪を流していた。

「……はあ、やれやれ」

 雑音は背もたれに体重を預けながら、肩を落として深く嘆息した。リラックスするように――――というよりは、むしろ疲労を吐き出すような仕草である。四月中旬の休日の昼下がりとしては何とも不釣合いな仕草だが、しかししょうがない。実際問題、雑音は疲れているのである。

 その原因の一つは、二週間前から環境がガラリと変わったこと――――四月となり、雑音は高校二年へと進級したのである。それに伴い、級友や担任教師、各教科の先生などが様変わりしたのだった。

 高校進学をした昨年に比べれば小さな変化だが、それでも気疲れはする。

 新しい担任教師のクラス運営方針に慣れなければならない。クラスの新顔との交流にも気を使わなければならない。そして新しく始まった教科にも追いつかなければならない。真面目でもなく、社交的でもなく、勤勉でもない雑音にとって、これらは神経をすり減らすに十分な要因になっていた。

 いくら雑音の所属クラブが現在活動休止状態になっているとはいえ、元々〈私生活〉が忙しい雑音のこと。のんびりできる時間がそれほど取れていない。おかげで、このところの雑音は一向に体力を回復できないでいた。

 そして、雑音が疲れているもう一つの原因――――その〈本人〉が、たった今、雑音の視線の先、向かいのケーキ屋から出てきた。黒いストレートヘアーに少々我の強さを感じさせる大きな黒目、黒いタートルネックのセーターと赤いロングスカートを身に纏った、雑音と同い年くらいの女の子――――雑音の同級生、東香々あずまかがみである。

 香々美は右手に握った紙箱を揺らしながら、嬉しそうに雑音の方へ歩いてきた。そして雑音の目の前にたどり着くと、右手の紙箱を見せびらかすように持ち上げて、

「えっへっへ。ケーキ、たくさん買っちゃったぁ」

「……全部一人で食べるのか? 太るぞ?」

「大丈夫よ。来週スポーツテストもあるし、そこで燃焼されるって」

 香々美は一人で納得するように、うんうん頷きながら言ってくる。

 雑音は昨年のスポーツテストの内容を振り返ったが、どちらかというと、待ち時間の方が長かった記憶がある――――彼女の理論に雑音はまったく納得できなかったが、これ以上つっかかるのもバカらしくなって言うのを辞めた。無駄なエネルギーは使いたくない。前述の通り、雑音は今、疲れているのである。

 雑音はよっこらせと腰を浮かせながら、

「……まあ、いい。じゃあ、買うものも買ったし、そろそろ帰るか?」

「ちょっと待って。少し休ませてよ」

 言いながら、香々美は雑音の隣に座った。ケーキの入った箱を大事そうに膝の上に載せる。

「いやー、やっぱ、さすがに三十分立ちっぱなしは疲れたよ」

「……言っとくけど、僕は二時間立ちっぱなしだったんだぞ」

 雑音は再度ベンチに座り直しながら、香々美にジト目を向けた。その視線には怨恨の念が込められている。雑音がここまで恨めしい表情になるのも無理のないことで、彼を二時間立ちっぱなしにしたのは、この東香々美その人なのである。

 先刻香々美が出てきたケーキ屋では、毎週土曜日の午前十一時から十二時にかけて、タイムサービスを行っている。その内容は、その時間帯のみすべてのケーキが半額という、大多数のケーキ愛好者にとって夢のようなもの。このサービスによって本ケーキ屋は毎週土曜日には大盛況になっていた。朝七時から列ができるくらいなのである。

 それに香々美が颯爽と参戦してきたのだった。

 雑音を従えて。

 二人がここにたどり着いたのは朝の九時。彼らの居住地からここまで電車で一時間かかるので、二人とも平日と変わらない時間に起きることを余儀なくされた。

 そして最初の二時間は、雑音が列に並んだ。

 すでに十数人並んでいたが、それくらいなら余裕である。ケーキがソールドアウトする前にカウンターにたどり着く可能性は極めて高い。予定通りにことが進行し、香々美は喜び勇んで雑音に列に並ばせたのである。

 その間、香々美はこのベンチに座って待っていた。

 時折雑音がちゃんと並んでいるかちらちら確認しながら、携帯ゲーム機で遊んでいたのである。雑音が手持ち無沙汰のまま足をしびれさせている間、香々美はピコピコと遊びに興じていた。

 そして十一時になってようやく、買い物をする本人が代わったのである。

 タイムサービスが始まっても、前に並んでいる十数人の買い物を待たなければならず、それに三十分程度かかった――――が、それでも雑音が耐えた二時間には及ぶべくもない。香々美は最低限の労力で、最大限の戦利品を手に入れたのであった。

 もちろん、こんな不条理な役回りに雑音が納得しているわけもない。

 しかし、人質をとられている以上、雑音に拒む自由はなかった。

 その人質とは――――数学の宿題。

 雑音のクラスの数学の担当教師が、四月から宿題をやたら出す先生に代わったのである。ただでさえいつも赤点すれすれの雑音にとって、これは死活問題だった。ともすれば追試地獄に陥ってしまうかもしれない。そんなことになれば〈私生活〉にも影響が及んでしまう。必然的に、雑音は知り合いの中で最も成績のいい香々美に(彼女は、定期テストの総合順位でトップテン入りの常連である)頼る機会が増えていったのである。

 そしてそんな彼女に、

「手伝ってくれなきゃ、金輪際数学の宿題手伝ってあげない」

 と言われれば、雑音は二つ返事でOKを出さざるを得ない。かようにして、本日、雑音はここまで引っ張ってこられたのである。本人の意思とは無関係に。

 そんなわけで、雑音は疲れていた。

 いや、こんな展開が今日だけならば、ここまでではなかったはずだ。十代の若人が休日の公園で溜め息ををつくほどではない。しかし香々美は、この『数学の宿題』を人質に、最近はやりたい放題だったのである。すなわち、雑音が週末につき合わされるのはこれで三週間連続だった。

 昨年度も時折つき合わされていたが、このところ余計に悪化している。雑音が無抵抗で付き従っているので、香々美が調子に乗っている――――という部分も確かにあるだろうが、しかし雑音は、別の理由に薄々と感づいていた。


 香々美が週末、雑音を頻繁に連れ出すようになったのは、〈例の事件〉があってから。


 去年の夏休みにあった〈事件〉――――そこで、香々美は友達を一人失くした。いや、「失くした」という表現は正しくないかもしれない。これから会える可能性はまだまだある。永遠の別離ではない。「会えなくなった」と言う方が正確だろう。

 その友達の名は、ナガツキ。

 香々美が呼び出した式神である。

 両親と別々に暮らしている香々美にとって、この友人の存在は大きかったはずだ。一人ぼっちで過ごしていた一軒家に、他者の声が響くようになった。温もりが加わってきた。暗かった屋内に光が差し込んできた。雑音は香々美とナガツキが連れ立っているところを何度も見たことがあったが、『家族のように』という表現がこの上なくしっくりくるほど、お互いがお互いに愛しみあっていた。お互いがお互いにとって大切な存在であることが見て取れた。

 しかし去年、〈あの事件〉が起こった。

 そして、香々美とナガツキは離れ離れになった。

 式神は、一度精霊界に戻されようとも、また呼び出せば再び人間界に降り立てる。永遠に会えなくなるわけではない。存在が消え去らない限り、何度でも会える――――だが、特定の精霊を呼び出すということは、それほど簡単ではないようである。

 香々美はその〈事件〉以来、何度も精霊降ろしを行っているそうだが、一度も成功していないようだ。時々、香々美自身が嘆いている。何度も何度も繰り返しているが、まだナガツキは帰ってこない。うまくいかない。何が悪いのか。どうしたらいいのか。

 その間、香々美はまた一人ぼっちである。

 だからだろう。二人が所属するクラブ『幽霊研究会』が活動休止になっている現在、香々美は週末一人で過ごすことになる。それが寂しいから、無理矢理雑音を連れ出しているのだろう。雑音は、何となく、そんなことを感じ取っていた。

 雑音にとって、香々美と一緒に時間を過ごすことは嫌なことではない。嫌いなことではない。むしろ――――しかしそれは、根本的な問題解決にはなっていないだろう。香々美のためになっていない。何とかならないか……。

 雑音は、香々美の横、ベンチに座りながらそんな思考を巡らせていた。

 と、

 ――トスン

 不意に、雑音の左肩に重みが加わってきた。視線を左下に向ければ、香々美の黒髪が視界に入る。香々美が、雑音の肩に寄り添ってきたのである。

 この仕草だけを見れば、雑音と香々美はデート中の男女のように見えるだろう。公園で遊びまわっている子供達にも、そんな風に見えているに違いない。

 しかし雑音には、香々美とそんな関係になった覚えはない。それが嬉しいか嬉しくないかという話は置いておくとして、香々美に恋愛感情を打ち明けた記憶はない。雑音と香々美は、現時点では、あくまでクラスメイトである。ただの友人である。

 それなのに、香々美が寄り添ってきた。

 これは、香々美が雑音に気を許しているということにもなるだろうが、それ以上に――――香々美が寂しがっている、というサインに見えてならない。ただのクラスメイトでしかない自分に寄り添ってくるほど、香々美は孤独感に苛まれているということなのだろう。雑音はそう理解した。そして、

「……しょうがない」

 青空を見上げながら、何かを決心したように、雑音は小さく呟いた。

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