エピローグその三「東リーネ」
カリフォルニアのとある喫茶店の奥の席。
そこで、一人の少年がコーヒーをすすっていた。
四人がけの席に座っているが、向かい側には誰もいない。ある程度の広さのあるボックス席を、一人で占有しているのである。彼――鞘河望――は、別段誰と会話するということもなく、手持無沙汰なのを紛らわせるかのように、カップを口に運んでは戻してという動作を繰り返していた。
時間は、午後二時になろうかというところ。
周囲の席はいくつか埋まっている。混雑しているというほどでもないが、ガラガラというまででもない。他の客の会話が耳に入りながらも、望は黙ってそこに座っていた。
そんな時、入り口の自動ドアが開く音がした。
次いで、こつりこつりと、まるで誰かを探しながら歩いているかのようなゆっくりとした足音が聞こえてくる。望は何ともなしにその音を聞きながらコーヒーを飲んでいたが、しばらくしてその足音が望の脇まで近づき、そこでぴたりと止んだ。
望が顔を上げ、通路に立っている人物に目をやると――――その人は、Tシャツにジーンズをまとった、ブロンドのロングヘアーの女性だった。
その外見自体は、この付近では大して珍しくはないものだ。窓の外の通りにも、同じような服装の女性が数人歩いている。
しかし、望はその女性に対し、少しばかり親近感のようなものを覚えた――――何となく、彼女の物腰が、日本的なそれに近いような気がしたのである。
なおもぽかんと望がその女性を見上げていると、彼女は微笑を浮かべ、そして日本語を発した。
「……ええと、すいません。アナタが、鞘河望、さん?」
「…………え? あ、はい。そ、そうですが……」
「やっぱり。フフ。初めまして。ワタシが東リーネです。アキオから紹介預かっているでしょう?」
「え? ……ええ、ええ。聞いてます、聞いてます。……けど、兄の日本での知り合いだという話だったので、日本人だと思ってました。確かに、『りいね』って名前は珍しいと思ってましたが……」
「ワタシ、イギリスから日本に留学してるんです――――あ、ワタシも座らせてもらいますね」
そう言って、リーネは望の向かい側に座る。そして、カウンターにいたウェイトレスにカフェオレを一つ頼んだ。
一分足らずで届いたカフェオレを口に含み、ふっと落ち着いたため息をこぼすと、リーネはまじまじと望の顔を見ながら、
「……しかし、兄弟だというのに、アナタ、アキオとはあまり似ていませんね?」
「そうですか?」
「ええ。……まあ、顔立ちはもちろん似ていますが、雰囲気というか、その辺りが……」
「そうですね。まあ、境遇、みたいなところがだいぶ違いますからね……」
望は苦笑とも自嘲とも取れる笑みをこぼした。
「……ところで、リーネさんは兄の知り合いだということですが、その…………僕なんかにどんなご用件ですか? わざわざ僕に会いにくるなんて?」
「ええ。ちょっと、血の繋がった弟さんに、アキオのことを聞いてみようと思いまして」
「兄さんのこと?」
「はい。兄弟ですからね。ワタシの知らないことも沢山知っているでしょう? 小学生の頃どうだったとか、中学生の頃どうだったとか。そういうお話を聞ければと思いまして」
「……はあ、そうなんですか」
望はわかったかのような返事をした。が、内実、リーネの意図はまったく理解できていなかった。兄から聞いたところ、この人は兄のクラスメイトだという話だ。兄のことを知りたければ本人に聞けばいいだけのはずだ。いくらアメリカに来る用事があったとはいえ、この人の目的地はワシントンだと聞いている。それを、こんな寄り道をしてまで自分に話を聞きに来るなんて、効率が悪いにもほどがあるだろう。一体この人は、その労力に見合うだけの話を自分から得られると思っているのだろうか? その辺りが、望には到底理解できなかった――――もちろん、リーネの真の意図が『外堀から埋めていく』という戦略の一環であることにも、まったく気付けていない。
しかし望は、如月ジェックに対してもそうだったように、兄について語ることが決して嫌いではない。むしろ、頭が回りすぎるために気を使いすぎる彼にとっては珍しく、気遣いというものを忘れるほどに舌が回る話題なのである。なので――
「――まあ、兄は小さい頃からああいった性格でしたよ。あまり表立とうという性質ではないですが、しかしそれはやっぱりその優しさから来てるんだと思いますね。実の弟だからこそわかるというか、実感できるというか。どんな友人よりも一緒にいた時間は長いですからね。僕にしかわからないということも、いくらでもあるでしょう。特に幼稚園や小学生の時分はよく遊んでもらいましたよ。屋内でも屋外でも。ゲームを買うときなんて、二人でお金を出し合って買ったものです。兄の方がお年玉少なかったのに、それでも七割くらいは出してくれたんですよ。お陰で僕は――」
この自慢話のような望の説明は、この後一時間半に渡って続いた。亜紀雄の小さい頃の性格や細かな好き嫌い、趣味嗜好、さらに本人が忘れてしまいたいと思っているような恥ずかしい思い出話まで、望はリーネに事細かに語って聞かせたのだった(同時刻、日本にいた亜紀雄は寒気を覚え、くしゃみを連発しており、スズランに病院に行ってはどうかと本気で心配されていた)。
いつの間にかリーネはそれらの話をメモに取り始めており、この二人のやり取りはさながらインタビューのような体になっていた。望の話が全て終わった頃には、このメモ帳の九割が文字で埋め尽くされていた。
最後に、望は話をこう締めくくった。
「――まあね、他人には軽んじられやすい兄ですけど、僕にとっては世界で一番大事な人です。二つの選択肢の中で、迷いながらも、それでも僕を選んでくれる。そういう人です。そういうことができる人です。皆はそこをわかっていないんです。そここそが人間の本質だというのに。皆は一体兄さんの何を見てるのか。そこが一番人として大切な部分なんです。僕の兄の、一番尊敬に値するところなんですよ」
そのセリフを聞いた途端、リーネは今までにないほどの輝かしい笑顔を浮かべ、
「そ、そうそうっ。そうですよねっ」
無意識に声を大きくしながら深く頷いた。
「そうです。そこがアキオの一番いいところ、他の人達とは一線を画しているところです。……フフフ。よかった。やっぱり、アキオはワタシが思っていた通りの人でした」
至極満足げに言いながら、リーネはメモ帳をぱたんと閉じた。そして、腕時計を見て、
「……あ、いつの間にかこんな時間ですか。まだまだ聞き足りないですが、そろそろ出ないと飛行機に間に合いませんね。これに乗り遅れると、仕事に間に合わなくなってしまいます」
そう言って、リーネはわたわたとメモをカバンにしまいながら立ち上がる。
高校生の身で仕事で単身アメリカに来るなんて、この人は世界的なモデルか何かなのだろうかと思いながら、望はイスから腰を浮かせ、
「そうですか。それじゃあ、他のお話はまたの機会に」
「はい。ワタシもあと二週間はアメリカにいるので、また電話なりなんなりしますね。すいません、バタバタしてしまって。では、ごきげんよう」
テーブルの上に十ドル札を置くと、リーネは小走りで店を出て行こうとする――――と、
「あ、あの、リーネさん」
望がリーネを呼び止めた。
リーネはドアの手前で立ち止まり、望の方を振り返ってきて、
「はい、何です?」
「あの、すいません。僕ってこういうのに疎いもので。……あの、もしかして、リーネさんって、兄の恋人さんですか?」
望のたどたどしい質問。
それに対し、リーネは首を横に振り、
「フフフ。残念ながら、違います。残念ながら、ね」
そしてそのブロンドの髪を軽く撫で、満面の笑みを浮かべて――
「――ワタシの名前は東リーネ――――鞘河アキオの〈愛人〉です」
〈東リーネの精霊奇譚〉END
ということで、『東リーネの精霊奇譚』でした。お読み頂き、誠にありがとうございました。
このお話は『殺し屋殺しの藁人形』および『スズランとマイナス』を完結させるものとなっていますが、実際のところ、式織がこれを書こうと決めたのは、『スズランとマイナス』を書き終える直前のことでした。
元々、『殺し屋殺しの藁人形』は三人称視点小説へのチャレンジ、『スズランとマイナス』は三人称でこれまでのキャラを使いつつ普通のお話を書こうとしたもので、それぞれそれだけで完結したものでした。
しかし、『スズランとマイナス』の最後から何番目かの話を書いている時に、『殺し屋殺しの藁人形』を読み返してみて、ふっと気付いてしまったのです。
「……あ、あれ? そういえば、ナガツキのこと、解決してなくね?」と……。
そんなわけで、ナガツキが帰ってくるために雑音に頑張ってもらい、さらにリーネを主人公にするという思いつきで、このお話を書いてみました。
最初のプロットの段階では十話で終わる予定だったのですが、結果としてなぜか倍以上の長さに…………。途中何回も間が空いてしまい、結局一年と半年以上かかってしまいました。
ようやく完結にこぎつけ、ほっとしております。一応『つくみフェイズ移動論』も書き始めており、こちらも間があいてしまうかもしれませんが、長い目でお付き合いくださればと思います。
ともかくも、本当にありがとうございました!
式織 檻