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エピローグその二「記憶喪失」

 鞘河亜紀雄は、夕飯の買い物の帰りだった。

 右手には布製の買い物袋(スズランお手製のもの)を下げている。その中にはパック詰めの豚肉や卵、ネギやペットボトルのお茶などが入っていた。それらは皆スズランから渡されたメモ通りに亜紀雄が買ってきたものだが、その内容から今晩の献立は薄々予想がついており、すなわち餃子だろうと当たりがついていた。

 特にペットボトルがやたらに重く、右腕がそろそろ痺れてきた。

 亜紀雄は「よいしょ」と持ち手を右から左に変え、そして公園の前を通りがかったところで――

 ――ベンチに座る、一人の少年が目にとまった。

 黒いパーカーにジーンズ、そして赤いキャップという服装。それらはいかにも今時の中高生のような出で立ちであり、亜紀雄をしても注視するほどではなかった。しかし、その〈体勢〉は、少しばかり違和感を覚えるものだった。

 両膝の上に両肘を置き、頭を抱え、まるで思い悩むような所作だったのである。

 思わずその場に立ち止まり、その様をまじまじと眺めてしまった亜紀雄だったが――――その体格や顔の輪郭(もちろんその顔は手の影に隠れていてあまりよく見えなかったが)を見て、亜紀雄は見覚えがあるような気がした。そして古い知り合いを一人一人思い出しては整合させてということを繰り返し、ある一人のところではたと思い至る。そして思わず言葉をこぼした。

木原儀きはらぎ君?」

 そう思えば、もはや間違いないように思えてきた。その少年の方へと駆けより、その顔を覗き込むようにして、

「……あ、あの、君、木原儀君、だよね?」

 少年ははっと顔を上げた。そして、声をかけてきた相手に対し、戸惑いを隠せないような声で、

「あ、あなたは?」

「鞘河亜紀雄。望の兄貴だよ」

「望の、お兄さん?」

 動揺をにじませながら尋ね返す少年。

 亜紀雄はできる限り人懐っこい笑みを作って、

「そう、そうだよ。ほら、小学一、二年の頃、よくうちに遊びに来てたじゃなイ? まあ、一緒に遊びはしなかったけど、何回か見かけてサ。覚えてる?」

「あ、はい。覚えてます。〈そこは〉覚えてます。お、お久しぶりです」

「本当、久しぶり。九年ぶりくらいかナ? はははは」

 亜紀雄は旧知の再開を喜ぶように――――というより、半ば無理矢理に明るく話しかける。この少年が思いのほかローテンションなので、無理やりテンションを上げる他なかったのだった。

「……ええと、望に聞いた話だと、確か、君ってアメリカに行ったんじゃなかったっケ? 帰ってきたんダ? こんなところで、何してるノ?」

「え、あ、はい。そうなんですが……その」

 少年は下を向き、言いにくそうにして――


「――よく、わからないんです」


「……わからない? って、何が?」

「何もかも、です。なぜ自分がここにいるのか、あるいは今まで自分が何をしていたのか、それらすべてのことが……」

「……へ? え、と、それは、その…………記憶喪失、みたいな?」

「…………はい、そんな感じです」

 少年は息を吐きながら答えた。

「……いえ、うっすらとは覚えてるんです。自分がアメリカにいたことも。ただ、自分が具体的にどんな行動をとっていたのか、そこが思い出せない」

「な、何で?」

「それもわからないんです。……気付いたら、俺、うちの別宅にいたんです。そこのベッドで寝てたんです。何でそこに自分がいたのか、まったくわからない」

 少年はさらに顔を俯け、

「それに、うちの家族が見当たらないんです。その別宅ももぬけの殻。思いつく限りの場所に電話をかけてみたんですが、どこにも繋がらない。誰にも繋がらない。……それで、本宅があるこっちに来てみたんです」

「ど、どうだった?」

「誰もいませんでした」

 少年はふるふると首を横に振る。

「本当に、もう、どうなってるのか、何なのか、わからない、わかりません。もう、本当、どうすればいいのか、どう、どうすればいいのか……」

 今にも泣き出しそうな少年の声に、亜紀雄も慌ててしまう。記憶喪失の彼がこれからどうすればいいのか、本人にもわからないのに、九年ぶりに会った人間には余計にわかるはずもない。どんなアドバイスをすればいいのかもわからない。掛ける言葉も見つからず、亜紀雄は口をぱくぱくとさせる他なかった。

 ここで、亜紀雄は苦肉の策で、

「そ、そうだ、じゃあ、とりあえず望に確認をとってみようか?」

「……望に?」

「うん。僕なんかより君といた時間は永いわけだし。あいつも今アメリカにいるからね。もしかしたらその時、君と連絡を取ってたかもしれない。それを確認してみるのも、一つの手だよ。……じゃあ、とりあえずうちに来なよ、木原儀君。さあ」

 座り込んでいる少年に手を差しのべながら、亜紀雄は呼びかける――――その、間違って覚えている名前を。

 前述の通り、二人はそれほど接点はなく、お互いの名前も望を介して知っていただけなのである。もちろん、その字面を見たことすらない。かようにして、この誤解を正す機会は今まで一度もなく、亜紀雄はこの間違えた名前をずっと覚えていたのである。もし、名前をきちんと覚えていたのなら、この東リーネと時の精霊の戦いも、もう少し違ったものになったかもしれない――――などという可能性を考慮する存在は、ここには誰もいなかった。


 亜紀雄が如月ジェックを家に連れ帰った後、この少年とスズランの間に一悶着あったことは言うまでもない。

 そしてまた、その結果として如月ジェックが自身の現状を理解することになったのも、話すまでもない話である。

 こうして鞘河亜紀雄は、この物語における自身の最後の役割を果たしたのだった。

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