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第二十話「真意」

 リーネはジェックの足首を掴んだまま、ゆっくりと片膝を立てた。痛みに耐えるように、抗うように、ふくらはぎが少しばかり震えている。その顔も、失血のために青白い。しかし――――口元には笑みが浮かんでいた。

「これで、おわかりいただけましたか? この部屋に入る前に、ワタシがこの短刀の術を解いておいた、その理由、その目的」

 視線を上げ、リーネは緩やかに言葉を紡ぐ。

「アナタの能力は『時間制御』。発動した対象たる個体の時間を完全に停止させてしまう。本人の意思を無視し、排除し、そのすべての変化を禁止してしまう――――ゆえに、対象を停止させている最中は、個体の構造を変化させることもできない。〈対象にかすり傷を負わせることすら叶わない〉。……フフフフ、そうなのでしょう? だからあの時、ビルの屋上で、アナタはワタシを屋上から落とした。停止させたままの絞殺、刺殺を行わなかった。〈できなかった〉。そちらの方が安全で確実だったのに。わざわざ、ビルから落とすなどという回りくどい方法をとった。つまり、アナタの能力の発動中はワタシの命は安全。そういうことなのでしょう?」

 ここでリーネは一息つき、紫色に成り変わっている唇を湿らせて、

「……逆に、こんな何の変哲もない室内では、アナタはワタシを殺すため、ワタシに直接攻撃を加えなければならない。『時間制御』解除直後の絞殺、撲殺、刺殺。これらのどれかを選ばなければならない――――そして、もし手の届く場所に刃物があれば、アナタがそれでワタシを攻撃してくることを期待するのは、決して的外れではないはず。アナタは十中八九、その短刀でワタシを突き刺してくるはず。アナタの行動を絞り込むことができる――――だから、ワタシはこの短刀の術を解いておかなければならなかった」

 リーネはふうと大きく息を吐いた。ため息というより、意思を奮い立たせるような吐息。押さえている脇腹からはまだ血が滴っている――――が、リーネは表情を和らげたまま、

「あとは、そのアタナの攻撃ポイントを急所から外せばいい。胸元にはこの短刀の鞘を忍ばせておいたので、運がよければ防げる。頭部を狙われれば致命傷になることは確実ですが、まあ、一種の賭けでした。そしてその結果、賭けは成功。これで、アナタは――」

 ――ぐ、ぐ、ぐ

 ふいに、リーネの手が動き出した。さも、自身の意に反するような、反発するような緩慢な動作。

「……え?」

 リーネは上ずった声を上げる。

 目を見開き、リーネが凝視する中、まるで〈録画〉した〈映像〉を〈逆再生〉するかのように、リーネの手の平が開き、腕が強制的にジェックの足首から離されていく。

 ある瞬間を境に、腕だけでなく、リーネの体全体が後方へと動き出した。

 その様を見下ろしながら、如月ジェックは頬の筋肉をぴくりと〈動かし〉、

「……ったく、とんだ茶番だな」

 呟きながら睥睨した。そして腰をかがめ、足から完全に離れたリーネの手の平を覗き込む――――そこには、赤い線で草書の漢字を幾つも重ね合わせたような紋様が描かれていた。それを見止めたジェックは、くくっと嘲笑を浮かべ、

「なるほど。手の平に切り傷で描いた紋様。動作封印の術式か。確かに、パンピーならこの封印術で勝負は決まるだろうけど――――式神相手に、そんなのが通じるわけないだろうが」

 呆れたようなジェックの口上。その最中も、リーネの体は後方へと動き続けている。

「動作を封印したところで、俺の能力は封じられていない。『時間制御』は健在だ。四肢が動かせなくとも、お前を引き剥がすことは造作もない。……おまけに、俺の能力は、対象が空間を移動していない限りはその開始時間を自由に選べる。もしかしてお前はくだらない口上を並べて時間稼ぎでもしたかったのかもしれないが、それすらも無意味だ。……やれやれ、お前にしたら一世一代の大作戦だったのかもしれないが、まったく、くだらない。時間の無駄だ」

 このジェックの不平が言い終わるか終らないかのタイミングで、リーネの体がどさりと床に崩れ落ちた。リーネのジェックは完全に乖離され、その距離五メートル――――リーネが命を賭して縮めたはずその差は、今や完全にふりだしへと戻った。

 今の落下で傷口が余計に開いたのだろう、腹部をおさえ、床にうずくまるリーネ。

 ジェックはその様を半目で見下ろし、

「お前が無知だったのか、それともアホだったのか。……確かに、俺がたかが人間一匹殺すのにこれだけ時間をかけたのも初めてだが、その結果がこれとはね。興醒めだ。せめて最後くらいは綺麗な華を咲かせてくれ」

 そう言って、ジェックはくるりとリーネに背中を向ける。そして後方の戸棚へと近づき、その二段目の引き出しから銀色の裸のナイフを取り出した。

 ――その瞬間、

 リーネはぐいと上体を持ち上げ、ジェックに向かって手の平をかざした。

 それに呼応し、ジェックの右の足首――――リーネの手形がついたその赤い部分から、一枚の紙切れがばさりとひるがえる。

 リーネに背を向けていたジェックは、反応が遅れ、足元に視線を送るだけに留まる。

 その一枚の紙切れは、己の意志を持っているかのように、あるいはリーネの意志をなぞるかのように、ひらりとジェックの足首に巻きついた。

 その刹那から、ぴたりと、まるで鎖に捕らわれたかのようにジェックの動きが止まる。

 足元を見下ろし、驚きの表情のまま、体勢が完全に固まる。

「……はあ、はあ、はあ、はあ」

 ジェックに手の平をかざしたまま、リーネは乱れた呼吸を幾度か繰り返した。そして、ジェックがそれ以上の動作を見せないことを確認すると、ごくりと一つ息を飲み、

「……こ、今度こそ、捕まえた」

 かすれた声で呟く。

「……まったく、人が動けないのをいいことに、しゃべれないのをいいことに、色々と言ってくれましたが。アナタを捕まえるのに命がけなワタシが、そんな甘い作戦のみで終結するわけがないでしょう。甘いのはあなたの方です、如月ジェック。今までの一連の作戦は、今のこの結果を得るものだったのですよ」

 リーネはのっそりと立ち上がり、一歩、二歩とジェックの方へと歩を進める。

「……屋上から落とされた後、ワタシが生き残ったこと。あれがヒントでした。あなたの『時間制御』の能力が完璧なら、そもそもワタシが生き残っているという結果はあり得ない。ましてや、アナタがアメリカへ逃げようとすることなど……。なぜなら、アナタに『時間制御』の能力があるのなら、ワタシを屋上から突き落とす直前まで時間を『逆再生』して、もう一度やり直せばいいだけなのだから――――それができないということは、アナタの能力には限界があるということ。『逆再生』できる時間が限られているということです」

 時折ふらつきながら、リーネはジャックに少しずつ歩み寄る。

「そして、それだけではない。もし『逆再生』を連続で使えるならば、そんな制約もないはず。『逆再生』を連続でかけていけば、それすなわち、永遠に時間を巻き戻せるということですからね。……しかし、アナタはそれもしなかった。できなかった。つまり、一度『逆再生』を使った後は、しばらくその能力が使えない時間があること。『逆再生』で遡れる時間よりも永いインターバルが存在する、ということです」

 ジェックの二歩手前まで至ったリーネはそこで立ち止まった。

「そこが、そここそが狙い目だったのです。手の平に描いた術式の傷に、丸めた札を潜ませておく。そして、あなたが『逆再生』を使い終わった瞬間、これを発動させ、もう一度あなたを行動不能にする。これによって、アナタの『時間制御』を封じることができるのです。あなたは連続で『逆再生』を使えない。そして、遡れる時間より永いインターバルが存在する。つまり、行動不能にした後しばらくはアナタは能力を使えないし、インターバルが終わってから『逆再生』を行ったところで、行動不能に至る前までは時間を遡れない。いくら『逆再生』を使ったところで、アナタはこの行動不能からは決して逃れられないのです――――そして、今あなたが言った〈特例〉とやらも――」

 リーネはさらに一歩前へ踏み出しながら、右脚を後方に振り上げ、

 ――ドスンッ

 ジェックの横顔を蹴り飛ばす。

 ジェックの体は無抵抗のまま、人形のように飛ばされ、壁に激突。そしてそのまま、やはり動かない。

 リーネは無表情でその様を見下ろし、

「これで、無効化です」

 しがない計算問題の解答を答えるかのような、淡々とした声で呟いた。そしてすたすたと、再びジェックとの距離を詰めていく。

 ――と、

「……く、く、く」

 ジェックの口元がわなわなと僅かに動き、声とも呼吸ともとれるような小さな音声を発した。

 リーネは少しばかり目を見開き、

「……ほう、しゃべれますか? ……まあ、札に込められる術などたかが知れてますからね。ましてアナタは式神。それくらいは抗えても当然でしょう」

「……く、く、あ、東の、者……そ、そうか、わかった、ぞ」

 ジェックは、もはや二言以上の言葉を連続で発することすら苦しそうだった。しかし、途切れ途切れになりながらも、文を繋いでいく。

「十数年、前、俺を、追い詰め、た、東の女……あ、れは、お前の母親、だな? うろ覚え、だが、何となく、見覚えが、ある。面影が、ある。く、く、く、そう、いう繋がり、か。因果なもの、だ。この、状況」

「……何が言いたいんです?」

 聞き方こそ疑問の形式だが、鼓舞するように、弾圧するように、鋭い声音でリーネは言い放った。

 ジェックは「くっ」と息のように笑うと、次いで――

 ――ばちっ、ばちっ

 ジェックの顔面の前に電光が走る。そして、ジェックの体の周囲に、薄い光の壁が形成された。

 リーネはそれを見、一瞬虚を突かれたような顔になったが、しかしすぐに平静に戻り、

「……シールド、ですか」

 嘆息するように言った。

「まあ、今のあなたにできることと言ったら、それくらいでしょうが。……しかし、所詮、それは時間稼ぎでしかありません。数分もあれば、ワタシでも容易に破れます」

 そう言って、リーネは短刀を握りなおす。

 ジェックは口元を歪め、そしてさらに、

 ――ばちちちちちっ、ばちちちちちっ

 今度は、部屋の壁沿いに電光が走る。二人を取り巻くように三百六十度が光り、そして光の壁が二人を完全に包んだ。

 リーネは呆気にとられた顔になる。

「……何のつもりですか? 部屋全体にまでシールドを張るなんて、わけがわからない。打つ手がなくなって、やけになったのですか?」

「やけ、など、ではない」

 動作が制限されている中、少しずつジェックはその顔を嘲笑へと変化させながら、途絶え途絶えの言葉を続ける。

「お前は、一つ、失念している。動作が、制限、されようとも、もう一つ、俺に、残された、能力、が、あるこ、と」

「……それが、シールドでしょう?」

「違う、それ、だけじゃない、なくて――」

 ジェックはふっと笑い、


「――〈精霊降ろし〉、さ」

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