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第一話「電話」

 都市部から少し離れた住宅街。その中でも頭一つ出た比較的新しめのマンションに、一人の女子高生が帰宅してきた。

 服装は、紺色のブレーザーにスカートという一般的な高校の制服。右手にはこげ茶色のカバン、左手にはスーパーのレジ袋をぶら下げている。女性としてはいくらか長身・細身で、いわゆるモデル体系。肩まで伸びた長髪はブロンズ色。瞳の色も青――――その辺りが日本人とかけ離れた部分であるが、それらを除けば、いわゆる普通の女子高生である。

 時刻は夕方七時。

 帰宅部の高校生としてはいくぶん遅めの帰宅時間であるが、彼女は別に今まで遊び呆けていたわけではない。毎日これくらいの時間に自宅にたどり着いている。これは別段不思議でも何でもなく、高校から彼女の家までは片道四十分かかるし、加えて帰り際に夕飯の買い物も済ませてきたのだった。

 カバンを小脇に抱えながら、ポケットから鍵を取り出したこの女子高生――あずまリーネ――は、そのマンションの五階の一室の扉を開けた。

 部屋の中は真っ暗――――これも当然のことで、リーネはここで一人暮らしをしていた。彼女は去年までイギリスに住んでいたのだが、仕事の都合で、彼女だけ日本にやってきたのである。父親はいまだにイギリス在住である。

 リーネは玄関で靴を脱ぎながら、廊下の電気を点けた。

 2LDEKの内装が照らし出される。玄関から伸びる板張りの廊下と、その両脇にあるキッチン・バストイレ。そして奥に二つのフローリングの部屋。一人暮らしにしては広めの部屋だが、もちろん彼女が家賃を払っているわけもない。娘を溺愛する父親が、必要以上にいい物件を選んだのである。この部屋に移り住んできた当初、リーネは部屋が広すぎて侘しい気分になったものだが、最近はだいぶ慣れてきた。そのうち、この部屋に友人――亜紀雄とスズランあたり――でも呼んで、パーティか何かを開こうと考えている。

 リーネはカバンと買い物袋をリビングに置くと、首のリボンを緩めながら洗面所へ向かった。そして手洗いうがいを一通り済ませる。口をタオルで拭いながら、リビングに戻る間際に、廊下にある電話機のボタンを押した。

 ピーという電子音に続いて、留守番電話の伝言が再生がされる。

『今日の、午前、八時、十五分です――――お早う、リーネ。よく眠れたかな? 今朝の目覚めはどうだった? この時間じゃ、もう学校かな? 今日も一日元気に行こう!』

 機械的な女性オペレータの音声の後、四十代後半くらいの男性の声が聞こえてくる。リーネの父親である。彼は日本に十年ほど住んでいたことがあるので、その日本語はだいぶ流暢だった。

『今日の、午前、九時、五十七分です――――やあ、リーネ。調子はどうだい? パパは、今日はロンドンまで出張だ。三日間も滞在することになってるんだよ。大変だけど、リーネのため、今日もお仕事頑張るからね!』

『今日の、午前、十時、三十三分です――――今、まだ移動中だよ。駅からかけてるんだ。途中、窓から牧場が見えてね。いやー、たまにはこういう旅行もいいもんだね。心が洗われるというか。今度帰ってきたら、一緒に――――って、ああああああ! 電車が出る! ちょっと、待ってくれーっ! ……じゃ、じゃあ、リーネ、また後で……!』

『今日の、午前、十二時、二十分です――――いやーははは、さっきは危なかったよ。何とか無事に間に合った。他のお客さんに怒られちゃったけど。これから途中下車して、昼食をとるところだ。リーネは、今日もお弁当かな? パパも、またリーネの手料理が食べたいな〜』

『今日の、午後、一時、十一分です――――いやあ、駅前の中華料理店に入ってみたんだけどね、思いの外おいしかったよ。特に炒飯が絶品だった。今度、ぜひ一緒に来よう。リーネもきっと気に入るよ』

 ――こんな独り言が、延々と再生されていく。

 しかしリーネは、買い物袋からにんじん、たまねぎなどを取り出しながら、

「……まったくパパったら、相変わらずなんだから」

 と苦笑いするだけだった。父親の声で留守電が埋め尽くされるのは毎日のことなので、いい加減慣れているのである。いちいち全部聞き取ることもなく、BGM代わりにして、リーネはキッチンで夕飯の支度を始めた。

『今日の、午後、二時、四十九分です――――パパはまだ移動中だよ。そろそろつく頃なんだけどね。寝過ごしたらまずいし、寝ないように頑張ってるよ。そっちは六時間目かな? 今日最後の授業だね。頑張って!』

『今日の、三時、七分です――――ふう、ようやく着いたよ。パパも、ロンドンは久しぶりだ。何か欲しいものあるかい? 買ってってあげるよ』

『今日の、四時、二十分です――』

 相変わらず伝言の再生は続いている。

 リーネはふふふんと鼻歌を歌いながら、今日の夕食のメニュー――ハンバーグ――の、たまねぎのみじん切りを終えた。そしてフライパンを火にかけたところで――


『――……ども、レフトです』


 突然、電話から聞こえてくる声が変わった。今までの声とは明らかに違う――まだ若い――男の声だった。

 リーネはぴくっと顔を上げ、フライパンにかけていた手を止める。そして廊下の方へと視線を向けた。

 リーネが電話機を凝視する中、その声は淡々と続き、

『……えっと、折り返し電話ください。番号は、まあ、いつものところに。……では』

 それだけで、そのメッセージは終わった。その後は、

『今日の、五時、二十五分です――――やあ、リーネ、もう家に帰ってるかな? パパはようやくホテルに――』

 と、父親の独り言が再開する。

 しかしリーネはそれに耳を貸すことなく、慌てて電話機に駆け寄って一時停止ボタンを押した。そして受話器を持ち上ると、無心でピッピッと電話番号を入力する。

 ――プルルルッ、プルルルッ、プルルルッ

 受話器を耳に当てたまま、直立するリーネ。呼び出し音が三回鳴り終えたところで――


『――はい?』


 男の声が聞こえてきた。先刻、留守番電話で『レフト』と名乗った男の声である。

 リーネは自分の名前を名乗ろうとして――――ふと、自身の腕が少し震えているのに気付いた。これは緊張? 興奮? …………いや、恐らく両方だろう。もしくは『期待』かもしれない。リーネは自分でそう納得し、そして気持ちを落ち着けるように一つふっと息を吐いて、口を開いた。

「……もしもし。さっき電話を頂いた、東ですが」

『ああ、はいはい。お電話待ってました。……っと、その前に、一応本人確認のために、合言葉、お願いします』

「……『クイーンズ・シティ』」

『はいはい、確認しました。じゃあじゃあ、早速本題にいきましょうか』

 電話越しに聞こえてくる男の声は、どこまでも軽かった。世間話でもするような、あるいはやる気のない保険の勧誘のような、まったく深刻さがない声音である。

 しかしリーネは、汗ばんだ手で受話器を握り締めながら、

「……わかったんですか?」

『はいはい、一応わかりましたよ。あなた様の〈探し人〉』

 男の声は、何ともなさそうに答えた。

『どうやら、〈そいつ〉最近になってまた日本に来たみたいですね。正確には、え〜と…………先月の二十日からです。住んでる場所は××県です。××県の○○○町にいるみたいですねえ。そこで目撃例が二つほど見つかりました』

「……○○○町」

 リーネは確認するように繰り返した。××県の○○○町――――リーネが住んでいるところから、そこまで遠くはない。隣県である。電車で一時間もかからないだろう。

「……そこに〈そいつ〉が?」

『ええ、そうみたいです。目撃された時間が――――月曜の午後四時頃と、日曜の午前十一時です。まあ、これだけじゃ〈そいつ〉の活動時間は計りかねますが――――でも、とりあえず場所が分かってれば、網の張りようもあるでしょう。……この先も私が調べてもいいですが、一応、依頼は『潜伏場所の調査』だけでしたからね。この段階で、私の業務内容は果たしたことにはなりますが』

「……〈そいつ〉は、一人でした?」

『一人…………というと?』

「そいつは、他に誰かと連れ立っていませんでしたか?」

『ああ、ああ。仲間ですか? えっと――――目撃例では、一応一人で行動していたみたいです。……が、それだけじゃ、そいつに仲間がいるかいないかはわかりませんね。時間さえかければ、私でも調べられるかもしれませんけど。ただ――――前も言った通り、私はまだ駆け出しの探偵でしてね。経験もほとんどないし、情報源もそれほど多くないんですよ。詳しく調べたいのでしたら、もっと大きい会社とかに――』

「……それはできないんですよ」

 リーネは口元をゆがめながら、首を横に振った。もちろんその動作は電話の向こうの『レフト』には見えるはずもなく、これはただの彼女の癖である。

「〈そいつ〉は、ちょっと――いや、かなり――一筋縄ではいかないので。大勢で調べて、もしその気配を察知されると、すべてがオジャンになってしまうんです。それは最悪の事態。私が〈そいつ〉に殺されるより、もっと最悪の事態です。それは避けなければなりません。だから、身軽なあなたに頼んだわけでして」

『なるほど。そういうことでしたか……』

 受話器の向こうで頷いているのが分かるくらい、得心がいったような声で男は答える。

『……ただ、まあ、それでも、私には少々荷が重い依頼でしたがね。ここまで調べるのでさえも一苦労でした。『十五年前の○○○船殺人事件、十三年前の△△△ホテル殺人事件、十二年前の◇◇◇◇邸殺人事件。この三つの事件すべてに関わった人物の洗い出し』なんて。…………正直、ハードルが高すぎますよ。これら全部迷宮入りしてる事件なんですから。しかも場所はバラバラ。今回〈彼〉を見つけることができたのは、運とタイミングがよかっただけです。こういうのは、そうそううまくいくもんじゃないんですよ?』

「……わかってます。私も六年間追いかけてきて、今回ようやく尻尾をつかめたわけですから」

『……おやまあ、そんなに根気強く追ってたんですか? 何か私怨がありそうですが――――いや、聞きませんよ。聞きません、聞きません。正直聞きたいですけど、聞きません。『内情に踏み込みすぎない』。これが、探偵業を長続きさせる鉄則ですからね。……じゃあ、とりあえず、今回の依頼はこれで完遂ということで、よろしいですか?』

「はい、ありがとうございました。報酬は――――前金と同じ口座に振り込んでおきます」

『はいはい、よろしく――――っと、あ、そうそう。言い忘れるところでした。大事なこと』

「……大事なこと?」

『ええ、大事も大事、一番大事なことです。あなたの〈探し人〉のそいつ、十年前とは名前を変えてるんです。偽名ではないようですし、公的に届け出たわけでもないようですが。一体どうやって変えたのか――――その辺は、あなたの方が詳しいんでしょうか? まあ、とにかく、そいつは現在名前が変わっていてですねえ、えっと、今は――


 ――『如月ジェック』と名乗ってるみたいですよ?』

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