第十八話「時間」
リーネはほどなく引き上げられた。
ようやく地に足がつき安心する間もなく、リーネは地面にへたりこみながら、傍らに立っている藤沢を見上げ、
「……ふ、藤沢、先輩? な、なんで――」
息も絶え絶えに問いかける。
「――何で、ここに……こんなところに、いるんですか? こ、ここは、如月ジェックの私有地…………な、なのに、何で、わ、わけがわからな…………ど、どう、どうしてここに、来たの、ですか? 来ることが、できた、んですか?」
混乱したまま、口についたままの疑問を並べるリーネ。
それに対して、藤沢は――――再度、人差し指を唇に当て、シークレットのジェスチャーをする。
「ふふ。約束しただろう? 俺について何も聞かないって。その代わりに、このことについての感謝はしなくていいから、さ。……いや、一応、俺には何も言わなくていいから、坂巻君には一言『ありがとうございます』って言っておいて欲しいかな。……坂巻君って、わかるかい? うちの部の副部長なんだけどね。今日俺をここにけしかけたのは、他でもない、彼なんだ」
「……え? そ、そうなんですか?」
「そうさ。夜だってのにいきなりうちを訪ねてきて、すごい剣幕でここに行けって言ってきてね。そりゃあ、俺も驚いたよ。……ただ、俺としても彼と週末遊びに行く約束を取り付けられたから、正直気分としてはイーブンってところかな。その時の坂巻君ってば、やたら俺をいぶかしんできたけど、まあ、約束さえ取り付ければこっちのもんさ。あとは楽しむだけだ」
「……は、はあ」
リーネは気の抜けた相槌を打つ。
今さら、別な疑問ができてしまった――――その坂巻先輩とは、一体どういう人物なのか? そしてまた、その人はなぜここに藤沢先輩をよこしてきたのか?
推測だけでは解答を出せない疑問であるが…………しかし、やはりそれも聞いてはならない質問なのだろう。聞いても答えてくれないのは明らかだ。ここは敵地。今はまだ、そんな疑問より優先する項目がある。リーネは口を開きそうになりながらも、質問を思いとどまった。
そんなリーネの目の前、藤沢は一歩を前に踏み出しながら、
「さ、行こうか」
「……へ? 行く? って、どこへ……」
「君の行くべき場所さ」
言いながら、微笑んでウィンクをしてくる藤沢。
リーネはぽかんと口を開けながら、
「……はぁ」
と、答えた。
「ところでさ、リーネさん」
懐中電灯しか光源がない、先刻よりいくらか狭い洞穴の中。数時間前と同じようにリーネの数歩前を歩く藤沢は、しがない話題を振るようにリーネに話しかけてきた。
「君は、ゲームとかするかい?」
「ゲームって、ビデオゲームの類ですか? ……いえ、しません」
リーネは少々戸惑いながら答えた――――と言っても、リーネが戸惑ったのは、藤沢の質問に対してではなかった。目の前をずんずん進む藤沢の足取りがやけに勝手知ったる物だったので、少しばかり気後れしていたのである。
先ほどからいくつか分かれ道があったが、藤沢は何の迷いもなく道を選んでいた。なぜこの道を難なく進めるのか、リーネにとって不可解以外の何ものでもなかったが、命の恩人がその直後にわざわざ罠にかける理由も見当たらなかったので、無為に突っかかりはしなかった。
とりあえずのところは信用しておきましょう――――という結論と共に、リーネは話題を続けて、
「……そうですね。ゲームといえば、日本は最先端の国ですからね。折角日本に来たのですし、機会があればとは思ってるのですが」
「じゃあ、マンガは読む?」
「それも日本のカルチャーですね。……いえ、それも、あんまりです。一応、マイラバーの好きな格闘マンガは一通り読んだのですが、それだけです」
「そっか。残念だな」
藤沢は微笑に苦笑いを混ぜながら答える。
「……まあ、しょうがない。それはそれとして、話題を続けさせてもらうけど――――そういうゲームとかマンガに出てくるラスボス――――つまり最後の黒幕ってのは、よく〈あるもの〉をコントロールする能力をもってるものなんだ」
「……あるもの、ですか?」
「ああ、コントロールされると他にないくらい厄介なもの」
「厄介な? えーと…………すいません、予測も立たないのですが」
「ふふ。それはね――――『時間』だよ」
その一言に、リーネはぴくりと反応する。
――時間。時間のコントロール。今まさに、リーネが相対している敵の能力だ。今現在頭を悩ませているものだ。このタイミングでその単語が出てくるなんて、一体……。
しかし、藤沢はそんなリーネの表情の変化に気付くことなく、
「時間制御。……まあ、確かに、この世に存在する森羅万象の概念の中で、これほど絶対的な制御対象はないよね。過去を改ざんして自らの失敗をすべてなかったことにする。あるいは、未来のすべてを知ってすべての解答を知ってしまう。そんなことができれば、すべての事象を思いのままにすることができるからね。敵の黒幕の能力としてはこれ以上ないものだろう」
「そ、それはそうですが――――しかし、藤沢先輩。何でいきなりそんな『時間』なんて話を?」
このタイミングでそんな話題を振ってくるなんて、この先輩はもしかしてこちらの事情を知っているのではないか? あるいは、何かしら如月ジェックと繋がりがあるんじゃないか? ――――そんな疑いを隠し切れずに、リーネは疑問をぶつける。
しかし藤沢は、相変わらずのスマイルのままで、
「いや、毎度毎度突拍子のない話題運びで申し訳ない。この『時間』っていうのは、何というか…………俺が一番興味のある概念なんだ。時の流れとは何なのか、その原理はどんなものなのか、空間と時間には次元軸としてどれだけの違いがあるのか。これらの難題っていうのは、何ていうのかな…………これから俺が一生をかけて調べていかなくちゃならない宿敵みたいなものなのさ」
「……宿敵、ですか」
呟きながら、リーネは分かったような理解しきれてないような気分に駆られる――――つまり、彼は時間の原理について人一倍興味があり、今後もその研究をしていこうと考えているということ? 確かに、ESP部なんてSFチックな部活に入っていることから考えて、なくもない話だが……。
「で、リーネさん、ここで一つ問題を出したいんだけどさ。そういうゲームやマンガの敵は、そんな便利な『時間制御』なんて能力を使ってくるにも関わらず、結局最後には主人公に負けちゃうんだ。これは何でだと思う?」
「え? そ、それは…………そうしないとストーリーが成り立たないからじゃないですか? どんな物語でも、基本的には、やっぱり主人公が勝たなくちゃ」
「いや、それはそうなんだけど…………そうじゃなくて、『時間制御』できるキャラが、そうではないキャラに負ける要因は何なのかってこと。彼らには一体どういう落ち度があるんだと思う?」
「そ、それは……」
リーネは考える。ゲームもマンガもあまり嗜まないのだから、推測で考えるしかないが。しかし以前観たSF映画でも同じようなものがあった気がする。それらの作品で、敵の敗北の原因になっていたものは、大抵――
「――コントロールの限界」
「そうっ」
指をぱちんとならし、嬉しそうな顔で振り返ってくる藤沢。
「そうなんだ。敵の黒幕の『時間制御』も、大抵は完璧じゃないんだ。コントロールレンジや使用可能頻度が限定されていて、万能じゃない。どんなに強くても、限界があるのさ。そういう限界がなきゃストーリーが成り立たないっていう、逆説でもあるとは思うけど」
「……はあ」
「身も蓋もない理屈として、『この世で時間遡行は未来永劫不可能である。なぜなら、我々は未来から時間を遡ってきた人間に遭っていないから』っていうのがあるけどね。でも、こういう突拍子もない考え方も、時によっては捨てたもんじゃないとも思うよ。この場合も当てはまる。言ってしまえば、『時間制御は限界がある。なぜなら、敵対勢力が存在するから』ってね」
藤沢はただの世間話のように、つらつらと言葉を重ねている。
しかし後方を歩くリーネは、それを聞きながら、段々、段々と悩みが解かれていくのを感じていた。
「つまり『時間制御』が完璧ならば、その敵対勢力はすべてなかったことにされてるはず。悪に立ち向かう主人公なんて生まれるはずがない。主人公が存在する時点で、『時間制御』は完璧じゃないってことさ」
――敵が存在する時点で、『時間制御』は完璧ではない。
「ゲームやマンガの主人公も、ようはそこに付け込んで勝利するわけさ。そこに敵の弱点があるってこと」
――能力の限界。そこに弱点が……
「……ふふふ。果たして、〈俺の〉時間制御の限界はどこにあるのか、そこからどんな物理的理論が導かれるのか、そこにこそ今の俺の興味はあるんだけど――――って、おっと、ようやく着いたね」
急に立ち止まる藤沢。
リーネははっと熟考から我に帰って、前を向いた――――目の前には、大きな木造の扉が一つ。さらに、今来た道とは直角に別の空洞が繋がっていた。その洞窟の大きさは、橋を渡る前のものと同程度。つまり、あの吊り橋を無事渡りきっていればここに繋がっていたということだろうか? ここで二つのルートがぶつかっているということだろう。
「さあ、俺の付き添いはここまでだ。これからは、君一人のステージになる。じゃあ、気をつけてね」
「……はい、ありがとうございます」
この扉の向こうに如月ジェックがいることを確信しながら、リーネは扉を開く。そしてその中へと足を踏み出していった。
その後ろ姿を見送った藤沢は、冗談めかした微笑で、胸に手を当て、深く腰を落として、
「……いってらっしゃい、お嬢様」