第十七話「再落下」
リーネは、どうにかロープの端を握り締めた。
しかし、落下は止められない。振り子が返るように、リーネは弧を描きながら、崖の向こう岸に到った。
目の前に見えるロープの切れ端。そこは刃物で切ったかのような、綺麗な切り口だった。しかし、吊り橋が分断を始めた瞬間、刃物がロープを貫通した様子は見られなかったはず。これは、一体なぜ――
――そうか!
リーネは刹那で考え到る。これもまた、如月ジェックの能力によるものであることに。つまり、ロープをナイフか何かで切っておいて、そこに『時間停止』をかけておく。そして標的がその部分を通りかかった瞬間、その能力を解く。すると、タイミングよく吊り橋の崩壊が始まるのだ。
――ようは、ワタシが如月ジェックの罠にまんまとはめられたということ。
無念を噛みしめ、ぎりぎりと歯軋りをするリーネ。握り締めたロープで全体重を支えながら視線を上へと向けると、数十メートル先、如月ジェックが崖の端から身を乗り出して、こちらをのぞきこんでいた。
「くくっ、やはり生きていたか。東の者」
如月ジェックは薄ら笑みのまま、水の音よりわずかに大きい程度の声で言ってくる。
「やっぱりしつこいなぁ、お前らは。ほとほと呆れるよ、まったく……。あの状況で、あんたが一体どんな手段でもって生きながらえたのか、少しばかり興味はあるけどね。……それに、どうやってこの場所を突き止めたのかも、ね。この根城は、結構気を使って隠蔽してたはずなんだけど。相当キレる情報屋でもバックにいるのか?」
「……き、如月、ジェック」
如月ジェックの声を耳に通しながら、しかしリーネはそう呟くだけで精一杯だった。右手の握力だけで体全体を支えている現在の状況。手の平が摩擦で熱く、痛くなってきている。おまけに腕も痺れ、ふるふると震えている。
「まあいいや。とにかく結果は変わらない。それに、今の俺はお前なんかに構ってる場合じゃないしね。結構ヤバいんだ」
「……ヤバい? って、それは、どういう……」
「とにかく、話はお終いだ。さあ、さっさと召されてくれ、哀れな小娘」
吐き散らすように言うと、如月ジェックは腰元からナイフを取り出し、足元の吊り橋の縄の端を一刀両断にする。
――がくりっ
急に手ごたえがなくなる、縄を握っているリーネの右手。リーネが真上を見上げる中、如月ジェックの顔がどんどん、どんどん遠ざかっていく。
ここは、完全なる敵の本拠地。
味方などいるはずもない。
あの部屋からここまで、それなりの距離があった。
小林雑音が間に合って助けてくれる可能性なんてありえない。
これは、完全に敗北の確定。
そして、死の確定。
下の水は冷たいだろうか?
川の中で溺れ死ぬというのは、苦しいだろうか?
それとも、水に到る前に気を失えば、あるいは楽に……。
……ああ、ああ。
何がいけなかったんだろう?
何が悪かったんだろう?
ワタシは何を間違えたんだろう?
何でこんな惨めな結末なんだろう?
ワタシが弱かっただけなんだろうか?
恐らく、そうなんだろう。
それだけのことなんだろう。
後悔する気にもならない。
そんな資格すらない。
惨め過ぎて。
弱すぎて。
――と、突然、
――ガクンッ
リーネの右肩に激痛が走る。骨が外れたのかとさえ思った。
そして、周囲を見、気付き、驚く――――なぜか、自身の落下が止まっていることに。
リーネは茫然自失しながら、自分の右腕が何かに握られている感覚に気付いた。
見上げると、自分の手首をしっかりと握り締めている、色白の手。
その手は、眼前の岩肌にぽっかりと開いた空洞から、するりと伸びていた。
リーネはその手をたどり、その腕の所有者たる人物を目の当たりにする。
リーネの高校の男子制服。耳が隠れる茶髪に、色白のハーフ顔。雑誌の表紙を彩っても何ら違和感のない、爽やかな微笑を浮かべた先輩。
「――やれやれ、君は落ちるのが趣味なのかい、お嬢さん?」
ESP部現部長――――藤沢亮介。




